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第三十三話
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無事に帰宅できた安心感と、空腹が満たされたことが重なったからだろう、美琴は昼食を食べるとすぐ、自室へ戻ってベッドへ倒れ込んだ。極度の緊張による気疲れと、術を二度も行使したことによる疲労感。お風呂には入ったけど、まだ歯磨きはしてないな、と頭の隅っこでは考えながらも、そのまますーっと意識を失ってしまった。
どれくらいの時間を眠っていたのか。目が覚めた時、カーテンが開けっ放しだった窓の外は、かなり薄暗くなっていた。布団にくるまったまま天井を見上げて、改めて家に戻ってこれたことを実感する。
八神康之に連れ去られて拘束された時間は、意識を取り戻してからだとそう長くはなかった。けれど、もう帰して貰えないかもしれないという恐怖が終始付きまとっていて、果てのない時間のように感じていた。勿論、ツバキ達のことを信じてなかった訳じゃない。きっと助けに来てくれるだろうとは考えていたけれど、もし間に合わなかったらという不安に付きまとわれていた。
「……ちゃんと、帰って来れたんだ」
自分自身へ言い聞かせるよう、声に出してみる。一人きりの部屋で、ただ呟いたつもりだったはずなのに、すぐに部屋の前の廊下から返答が戻ってくる。
「だからって、昼飯を喰ってすぐに寝るのは良くないんだぞ!」
ドアの向こうから聞こえてきたゴンタの声に、美琴は驚いてベッドから抜け、廊下へと顔を覗かせた。床板の上に横たわり、首だけをこちらの方へ向けてきた妖狐は、尻尾をふぁさふぁさとゆっくり揺らしている。
「もしかして、ずっとここに居たの?」
「べ、別に、ずっとじゃないぞ。お前、ちょっとうなされてたみたいだから」
心配して様子を見に来たら、悪い夢でも見ていたのか美琴が苦しげに唸っていたのだという。起こすか放っておくかと悩みつつ、この場にじっと待機していたらしい。視線を合わせようとしないのは照れている証拠だろうか、「起きたのならいい」とわざと素っ気なく言うと、子ぎつねは立ち上がってスタスタと玄関の方へ向かって歩き始める。普段はすっかり習慣化している夕方の散歩の時間はとっくに過ぎていた。自分が目覚めるのを待っていたせいで出遅れたのだと思うと、嬉しさと申し訳なさから、つい顔が緩んでしまう。
「待って、散歩なら一緒に行くよ」
「そ、そうか? ……別にいいけど」
「仕方ないな」と言いながら、ゴンタは美琴が部屋に戻ってクローゼットから上着を取り出すのを、尻尾をぶんぶんと激しく振って待っていた。妖狐という種族へのプライドと、本来の犬っぽさがごちゃ混ぜでツンデレみたいになってはいるが、尻尾の反応だけはいつも素直だ。
フード付きのブルゾンを羽織りながら廊下を進んでいると、居間の方から話し声が聞こえてきた。ゴンタを見下ろして「誰か来てるの?」と確認すれば、子ぎつねが微妙な表情で見返してくる。普段はどんな客が来ても平然としているのに……
「何、その顔?」
「オレ、あの爺さんは苦手だ……」
居間から漏れてくる声は、真知子と男性のもの。少し皺がれてはいるが、太くて落ち着いていて、不動産屋の井上と同じくらい大きな声。時折響く笑い声は豪快で、珍しく真知子も釣られて笑っているのが耳に届く。
「ああ、山峰のお爺ちゃんが来てるんだ」
最近はあまり見かけなくなっていた、顔馴染みのお爺ちゃん。親戚でも何でもないはずだが、初めて会った時に「お爺ちゃんって呼んでくれたらいい」と言われ、以来ずっとそう呼んでいる。真知子のことを訪ねて、年に数回ほど顔を見せにくる、少し不思議な雰囲気をもつ陽気な男性だ。見た目はちょっと厳ついが、美琴は幼い頃からよく懐いていた。
「久しぶりだから、ちょっと挨拶してくるね」
「お、おう……」
なぜかゴンタの尻尾が四尾とも一気に垂れ下がる。美琴が居間の襖を開こうとすると、子ぎつねは隠れるようにさりげなく美琴の後ろへ移動していた。
「山峰のお爺ちゃん、こんにちは」
真知子と座卓を挟んで向かい合っていた男性は、声を掛けられるとすぐに振り返った。タートルニットにカジュアルなジャケットを合わせただけなのに、何だかとてもお洒落に見えるのは元々の体躯が良いせいだろう。見た目年齢の割に鍛えられた身体は服を着ていてもよく分かる。
山峰は美琴の顔を見ると、太く濃い眉毛を下げて朗らかに笑ってみせた。
「やあ、美琴ちゃん。今日は大活躍だったんだってね。真知子さんから聞いて、驚いたよ。これで祓い屋の八神もますます安泰だ」
真知子は少し得意気な顔をしながら、お茶請けの栗羊羹を頬張っている。もうすっかり心配モードは消えたようで、いつも通りだ。
「ああ、その後ろにいるチビが新しい式か。このご時世に式神を増やすとはなかなか大したもんだ。最近、まともなあやかしはかくりよから出たがらないと聞くが――」
山峰は美琴の背後で顔を背けるようにしていた妖狐に気付き、入ってくるよう手招きする。美琴にくっついたまま居間へと顔を出したゴンタは、尻尾全部を後ろ足の間にしまい込み、耳も力なくへたらせていた。なぜかかなり萎縮しているみたいだ。
「……お爺ちゃん、ゴンタのことが視えるの?」
山峰が何の仕事をしているかはこれまで聞いたことが無かったけれど、少なくとも祓い屋関係ではなかったはずだ。なのに自分達と同じように、妖狐のことが視えるというのだろうか? 美琴は目をぱちくりさせて、湯呑のお茶を啜っている男のことを見た。
どれくらいの時間を眠っていたのか。目が覚めた時、カーテンが開けっ放しだった窓の外は、かなり薄暗くなっていた。布団にくるまったまま天井を見上げて、改めて家に戻ってこれたことを実感する。
八神康之に連れ去られて拘束された時間は、意識を取り戻してからだとそう長くはなかった。けれど、もう帰して貰えないかもしれないという恐怖が終始付きまとっていて、果てのない時間のように感じていた。勿論、ツバキ達のことを信じてなかった訳じゃない。きっと助けに来てくれるだろうとは考えていたけれど、もし間に合わなかったらという不安に付きまとわれていた。
「……ちゃんと、帰って来れたんだ」
自分自身へ言い聞かせるよう、声に出してみる。一人きりの部屋で、ただ呟いたつもりだったはずなのに、すぐに部屋の前の廊下から返答が戻ってくる。
「だからって、昼飯を喰ってすぐに寝るのは良くないんだぞ!」
ドアの向こうから聞こえてきたゴンタの声に、美琴は驚いてベッドから抜け、廊下へと顔を覗かせた。床板の上に横たわり、首だけをこちらの方へ向けてきた妖狐は、尻尾をふぁさふぁさとゆっくり揺らしている。
「もしかして、ずっとここに居たの?」
「べ、別に、ずっとじゃないぞ。お前、ちょっとうなされてたみたいだから」
心配して様子を見に来たら、悪い夢でも見ていたのか美琴が苦しげに唸っていたのだという。起こすか放っておくかと悩みつつ、この場にじっと待機していたらしい。視線を合わせようとしないのは照れている証拠だろうか、「起きたのならいい」とわざと素っ気なく言うと、子ぎつねは立ち上がってスタスタと玄関の方へ向かって歩き始める。普段はすっかり習慣化している夕方の散歩の時間はとっくに過ぎていた。自分が目覚めるのを待っていたせいで出遅れたのだと思うと、嬉しさと申し訳なさから、つい顔が緩んでしまう。
「待って、散歩なら一緒に行くよ」
「そ、そうか? ……別にいいけど」
「仕方ないな」と言いながら、ゴンタは美琴が部屋に戻ってクローゼットから上着を取り出すのを、尻尾をぶんぶんと激しく振って待っていた。妖狐という種族へのプライドと、本来の犬っぽさがごちゃ混ぜでツンデレみたいになってはいるが、尻尾の反応だけはいつも素直だ。
フード付きのブルゾンを羽織りながら廊下を進んでいると、居間の方から話し声が聞こえてきた。ゴンタを見下ろして「誰か来てるの?」と確認すれば、子ぎつねが微妙な表情で見返してくる。普段はどんな客が来ても平然としているのに……
「何、その顔?」
「オレ、あの爺さんは苦手だ……」
居間から漏れてくる声は、真知子と男性のもの。少し皺がれてはいるが、太くて落ち着いていて、不動産屋の井上と同じくらい大きな声。時折響く笑い声は豪快で、珍しく真知子も釣られて笑っているのが耳に届く。
「ああ、山峰のお爺ちゃんが来てるんだ」
最近はあまり見かけなくなっていた、顔馴染みのお爺ちゃん。親戚でも何でもないはずだが、初めて会った時に「お爺ちゃんって呼んでくれたらいい」と言われ、以来ずっとそう呼んでいる。真知子のことを訪ねて、年に数回ほど顔を見せにくる、少し不思議な雰囲気をもつ陽気な男性だ。見た目はちょっと厳ついが、美琴は幼い頃からよく懐いていた。
「久しぶりだから、ちょっと挨拶してくるね」
「お、おう……」
なぜかゴンタの尻尾が四尾とも一気に垂れ下がる。美琴が居間の襖を開こうとすると、子ぎつねは隠れるようにさりげなく美琴の後ろへ移動していた。
「山峰のお爺ちゃん、こんにちは」
真知子と座卓を挟んで向かい合っていた男性は、声を掛けられるとすぐに振り返った。タートルニットにカジュアルなジャケットを合わせただけなのに、何だかとてもお洒落に見えるのは元々の体躯が良いせいだろう。見た目年齢の割に鍛えられた身体は服を着ていてもよく分かる。
山峰は美琴の顔を見ると、太く濃い眉毛を下げて朗らかに笑ってみせた。
「やあ、美琴ちゃん。今日は大活躍だったんだってね。真知子さんから聞いて、驚いたよ。これで祓い屋の八神もますます安泰だ」
真知子は少し得意気な顔をしながら、お茶請けの栗羊羹を頬張っている。もうすっかり心配モードは消えたようで、いつも通りだ。
「ああ、その後ろにいるチビが新しい式か。このご時世に式神を増やすとはなかなか大したもんだ。最近、まともなあやかしはかくりよから出たがらないと聞くが――」
山峰は美琴の背後で顔を背けるようにしていた妖狐に気付き、入ってくるよう手招きする。美琴にくっついたまま居間へと顔を出したゴンタは、尻尾全部を後ろ足の間にしまい込み、耳も力なくへたらせていた。なぜかかなり萎縮しているみたいだ。
「……お爺ちゃん、ゴンタのことが視えるの?」
山峰が何の仕事をしているかはこれまで聞いたことが無かったけれど、少なくとも祓い屋関係ではなかったはずだ。なのに自分達と同じように、妖狐のことが視えるというのだろうか? 美琴は目をぱちくりさせて、湯呑のお茶を啜っている男のことを見た。
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