あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美

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第六話・告白

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「昨日はごめんね。私のせいで、ご近所さんから失礼なことを言われちゃって……」

 出勤してすぐに申し訳なさそうに謝ってきた優香に、宏樹は淹れたばかりのコーヒーを手渡しながら、普段は商談用に使っているソファーへ座るよう勧めてきた。あの後、井戸端会議していた奥様達はとても気まずいとばかりに、そそくさと解散したみたいだった。宏樹のスマートな対応のおかげで、おそらくはもう変な噂を流されることはないだろう。

「それは優香ちゃんが謝ることじゃない。俺はああいうのは全然平気だし、それに――」

 自分も向かいの席に腰かけてから、優香の顔を真正面に見据えて伝える。

「見ず知らずの他人と変な噂されるのは許せないけど、相手が俺なら大歓迎だよ」
「……え?」
「あの奥さん達が言ってたように、まだ兄貴の一周忌も終わってないから不謹慎なのは分かってるけど」

 湯気の立つ温かいコーヒーが入ったカップを両手で包み込みながら、優香も宏樹の顔をじっと見る。目を逸らさなきゃいけないと、心のどこかで思いながらも、相手から漂う真剣な雰囲気に、義弟の視線から逃げることができない。

「兄貴なら優香ちゃんのことを幸せにしてくれると思って諦めてたけど、相手が他の奴ではダメなんだ。それだけは許せない」
「……宏樹君?」

 彼が言っている意味が理解できず、優香は目をパチパチと瞬かせる。ふぅっと大きく息を吐いて呼吸を整えてから、宏樹がいつもどおりの人懐っこい笑顔を見せて言う。

「でも安心してくれていいよ。俺だって兄貴のことは好きだし尊敬してるし、まだ一周忌も済んでない内に、兄嫁のことを口説こうなんて思ってないから」
「く、口説くって……⁉」
「気付いてなかった? 俺、ずっと優香ちゃんのこと好きだったんだけど。兄貴が初めて家に連れて来た時から、ずっとね」
「で、でも、私は大輝と結婚してるし……」
「うん、だから下手したら一生伝えることはないんだろうなって、覚悟してた。俺もまさか兄貴がこんな早く死ぬとは思ってなかったから」

 何を言われてるのか、優香は頭が混乱しそうになる。あまりにも自然に、ものすごくとんでもないことを言われたのだけは分かる。パクパクと口だけが動いているのに言葉が出て来ない。そんな風に動揺している義姉の様子をおかしそうに笑って、宏樹は合皮のカバーが付いた分厚い手帳を開いて話し出す。一転して、仕事を指示してくる時の、落ち着いた口調で。

「今日は午後から一件、打ち合わせの予定が入ってるから、それまでに見える範囲だけでも大まかに片付けて貰えると助かるかな」

 急に話題を仕事のことに切り替えられても、直前に掛けられた言葉が頭から離れない。言った本人は平然としているが、一切の心の準備もなかった優香は今自分がどんな顔をすればいいのかが分からずアタフタする。

 ――からかわれただけ、だよね……?

 背が高く、優しい顔立ちに公認会計士という堅実な肩書、絵に描いたようなハイスペックな宏樹が、平凡な子持ち主婦だった自分のことを本気で想ってくれてたわけがない。そもそも優香は彼の実兄である大輝の妻で、陽太という息子までいるのだから。義理とは言っても、自分達は姉弟。それ以上でもそれ以下の関係になることはないはずだ。

 それに、夫のことを思い出さない日はないし、自分は将来も大輝だけの妻でいたいと思っている。そう簡単に他の人の元へなびいていけるほど、器用な調子の良い性格はしていない。

 宏樹は割と簡単に言ってのけていたが、中途半端に広げまくった荷物を来客に見られても平気なくらいまで片付けるというのは容易なことではなかった。取引先ごとに箱が分けられているのかと思っていたが、実際に開封してみれば数社分がごちゃ混ぜに入っていたりするのだ。ファイリングされているものと、そうじゃないものもあり、それらを新しく用意したファイルに社名と年度のラベリングしながら整理し、棚へと並べていかなければならない。

 しかも、時間が押し迫っている中で、宏樹が不穏なことをしれっと言ってくる。

「十四時で約束してるけど、いつもあの人、十五分前には来るから」
「えーっ、あと半時間しかない……」
「とりあえず、残りは適当にもう一回箱に戻して、空いてるのは潰してまとめてしまおう」

 優香一人では時間内に処理しきれず、途中から宏樹にも手伝わせてしまう始末。段ボールの数は半分には減ったが、それでもまだごちゃごちゃ感は消えない。おかげで余計なことを考えてる暇もなかった。朝一で宏樹から言われたことを思い出して動揺している余裕なんてない。終わりの見えない作業なのが逆に助かった。

 とにかく、公認会計士と併記して経営コンサルタントの看板も掲げたオフィスで、この雑踏感はいただけない。どちらかというと雰囲気的には、場末の探偵事務所と言った方がしっくりきそうだ。

 バタバタと何とかそれなりに片づけ終わり、仕上げにデスク上の書類を整理していると、入り口のインターフォンが鳴り始める。腕時計を確認すると、宏樹の予測通り十三時四十五分を示していた。きっちり十五分前だ。

 優香に向かって、「ほらね」という顔をしながら、宏樹が訪問客を出迎えに立ち上がる。入り口を入ってすぐパーテーションの影へと消えて行く客の姿は、優香のデスクからもちらりと見えたが、片手に杖を持ったかなり年配の男性だった。

「失礼します」

 前もって宏樹から指示を受けていた通り、二人分の緑茶を持って優香がパーテーション越しに声を掛ける。すると、すぐに宏樹がトレーを受け取る為に出てきてくれた。
 このスタイルは前事務所から引き継いだ――というか、体よく押し付けられた顧客の中に、女性職員へ必要以上に絡んでこようとする問題客がいるらしく、その対策なども兼ねているらしい。

「人によっては、できるだけ職員とも顔を合わせたがらないケースもあるからね。飛び込みで相談にやってくる人は、特に」

 資金繰りが上手くいかず、倒産がチラついてきて初めて専門家の門を叩いてくる人もいる。職員が多いと萎縮して、肝心な相談が切り出しにくい雰囲気になってはというのが、これまで事務補助に誰も入れなかった理由の一つだという。

「気軽に相談に来てもらえるのが一番だからね。でもさすがにもう限界」

 順調に顧客数を伸ばすことが出来た結果、一人では抱えきれないと思い始めたところ、そのタイミングで優香が仕事を探していると聞いて、勧誘しない手はないと思ったらしい。

 その後、宏樹がこっそり呟いたセリフは、鳴り始めた固定電話の着信音に掻き消された。

「一緒にいる時間が増えれば、少しくらいは意識してもらえるんじゃないかなってね……」
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