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プロローグ
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ある夏の雨の降る夜、青年はチカチカと点滅する街頭の光を浴びながら、コンクリートの坂道を上っていた。
ふと腕時計に目をやると、12時半を過ぎたころだ。家に帰って、風呂と飯をすまして寝る頃には2時前だろうか。
4月に新卒として広告会社の下請け入社してから、もうかれこれ数週間この日常が続いていた。朝7時半には会社についておかねばならないのだから、平日に自由な時間などない。土日も不足した睡眠を補うのに時間が失われる。
まだ帰れるだけマシな方で、会社で寝泊まりすることも増えてきていた。給料が出ない休日出勤をしたこともある。
坂を上り終わり、川の上の橋に着いた。ここから家まで5分ほどだ。
青年は橋の欄干に歩み寄った。
柵の間から川の様子をのぞこうとするが、暗くてよく見えない。足元の音と振動からは雨の影響による水の流れの激しさが感じられる。
小さいころから勉強も運動も得意ではなかった。帰宅部だった中学時代の虚無感を埋めるべく、高校になってから陸上部で長距離を始めたが、特にいい成績は修められなかった。
パンフレットも読んでいない第三志望の大学に通い、なんとなく映画同好会に入ったが、人数不足を埋める荷物持ちしかしていない。気になった女性もいたが、3回生の夏、後輩の男と2人きりで海にいったことをSNSで知った。
就職活動は長引くのが嫌で、内定をもらった今の会社に速攻で決めた。ちゃんと調べた記憶はない。
もっと真面目に大学のキャリアセンターに行っておけばよかったなと思ったのは4月末のころ。最近はもうそんなことを考える気力もない。
欄干の上に手をかけ、雨水でスーツを濡らしながらなんとかよじ登った。コンビニで買ったビニール傘が風で飛ばされていったのを視界の端にとらえるが、気にすることではない。
まだ滑り落ちないように、ゆっくりと立ちあがった。
達成感や、高揚感はない。
結局、自分の人生に楽しかったことなどないのだ。
十数メートル下で見えない闇が音を立てて自分を待っている。
さすがに鼓動が早まってきた。汗と雨が混じった雫が、息を荒げる口を濡らしていく。
もう終わりだ。なにもかも。ここで終わらせよう。どうせつまらないんだから。
目を瞑り、つま先に体重を任せていく。
「もっと良い死に方をしてみませんか?」
背後から声がした。
雨と川の音を潜り抜けて耳にまっすぐ入ってくる声に、心臓ごと掴まれる感覚を覚えた。
振り向くと、大きな黒い傘を差し、ぴっちりとスーツを着こなした若い女が、にこやかにこちらに笑いかけていた。
「…なんです?」
「ですから、もっと良い死に方をしてみませんか?」
「…どうだっていいでしょう、死に方なんて。あなたには関係ないことです。」
「そんなことありませんよ!死というのは人間にとってとても大切なことです!…あー、少し、お話してもよろしいです?」
ああそうか、この人は自分を止めようとしているのだな、と察した。
ずいぶん変わった声掛けだったが、一瞬足を止めるには充分効果的だった。しかし…
「止めないでください。もう生きていたっていいことなんてないんですから、さっさと死んでしまったほうが楽なんです。」
「いえいえ!止めるつもりはございませんよ!死にたいのでしたら死ねばいいと思うんです。人間に与えられた権利だと思います。ただ、私はもう少し良い死に方を提供したいなぁと!」
なんだこの女は?と青年が眉をひそめた瞬間、風が吹き足を滑らせた。反射的に踏ん張ろうとするが、濡れた欄干の上では足を踏ん張ることができない。
そのまま、体が重力に引かれていく
ふと腕時計に目をやると、12時半を過ぎたころだ。家に帰って、風呂と飯をすまして寝る頃には2時前だろうか。
4月に新卒として広告会社の下請け入社してから、もうかれこれ数週間この日常が続いていた。朝7時半には会社についておかねばならないのだから、平日に自由な時間などない。土日も不足した睡眠を補うのに時間が失われる。
まだ帰れるだけマシな方で、会社で寝泊まりすることも増えてきていた。給料が出ない休日出勤をしたこともある。
坂を上り終わり、川の上の橋に着いた。ここから家まで5分ほどだ。
青年は橋の欄干に歩み寄った。
柵の間から川の様子をのぞこうとするが、暗くてよく見えない。足元の音と振動からは雨の影響による水の流れの激しさが感じられる。
小さいころから勉強も運動も得意ではなかった。帰宅部だった中学時代の虚無感を埋めるべく、高校になってから陸上部で長距離を始めたが、特にいい成績は修められなかった。
パンフレットも読んでいない第三志望の大学に通い、なんとなく映画同好会に入ったが、人数不足を埋める荷物持ちしかしていない。気になった女性もいたが、3回生の夏、後輩の男と2人きりで海にいったことをSNSで知った。
就職活動は長引くのが嫌で、内定をもらった今の会社に速攻で決めた。ちゃんと調べた記憶はない。
もっと真面目に大学のキャリアセンターに行っておけばよかったなと思ったのは4月末のころ。最近はもうそんなことを考える気力もない。
欄干の上に手をかけ、雨水でスーツを濡らしながらなんとかよじ登った。コンビニで買ったビニール傘が風で飛ばされていったのを視界の端にとらえるが、気にすることではない。
まだ滑り落ちないように、ゆっくりと立ちあがった。
達成感や、高揚感はない。
結局、自分の人生に楽しかったことなどないのだ。
十数メートル下で見えない闇が音を立てて自分を待っている。
さすがに鼓動が早まってきた。汗と雨が混じった雫が、息を荒げる口を濡らしていく。
もう終わりだ。なにもかも。ここで終わらせよう。どうせつまらないんだから。
目を瞑り、つま先に体重を任せていく。
「もっと良い死に方をしてみませんか?」
背後から声がした。
雨と川の音を潜り抜けて耳にまっすぐ入ってくる声に、心臓ごと掴まれる感覚を覚えた。
振り向くと、大きな黒い傘を差し、ぴっちりとスーツを着こなした若い女が、にこやかにこちらに笑いかけていた。
「…なんです?」
「ですから、もっと良い死に方をしてみませんか?」
「…どうだっていいでしょう、死に方なんて。あなたには関係ないことです。」
「そんなことありませんよ!死というのは人間にとってとても大切なことです!…あー、少し、お話してもよろしいです?」
ああそうか、この人は自分を止めようとしているのだな、と察した。
ずいぶん変わった声掛けだったが、一瞬足を止めるには充分効果的だった。しかし…
「止めないでください。もう生きていたっていいことなんてないんですから、さっさと死んでしまったほうが楽なんです。」
「いえいえ!止めるつもりはございませんよ!死にたいのでしたら死ねばいいと思うんです。人間に与えられた権利だと思います。ただ、私はもう少し良い死に方を提供したいなぁと!」
なんだこの女は?と青年が眉をひそめた瞬間、風が吹き足を滑らせた。反射的に踏ん張ろうとするが、濡れた欄干の上では足を踏ん張ることができない。
そのまま、体が重力に引かれていく
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