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最終章
第20話 忍び寄る脅威1-1
しおりを挟む誰かに愛されたかった。
真っ黒な場所で、私の傍に居る人たちはたくさんの「おべっか」は言ってくれたけれど、「愛している」と心から言ってくれる人はいなかった。
誰かに抱きしめられた記憶はない。
大人になって、気づいたら甘え方も頼り方も分からなくなっていて。
誰かが頼ってくれるのが嬉しくて。
誰かが笑ってくれるのが心地よくて。
いいように利用されていると、どこかで分かっていても──断り切れなかった。
でもでもだって、ばかりだったと思う。
そうやって生きてきた私のことを、ちいさな、誰かが抱きしめてくれた。
心から「すき」だと言ってくれた。
あれは──誰だっただろう?
頬を摺り寄せて、「愛している」と口にして、とっても温かくて、安心できた。
ああ、他人の体温はこんなに温かくて、落ち着く。
甘えるのが下手だけれど、弱音の吐き方も分からないけれど、強がらなくていい。そう言ってくれる人と、ようやく、出会えた。
ちゃんと帰ってくるから、と誰かに言った気がする。
帰る場所があるんだって、わかったらなんでもできそう。
もう思い出せない、記憶が霞んで、霧散してしまうけれど、あれは──。
『────オリビア』そう、私を呼ぶのは──。
***
朝、目を覚ますとセドリック様が傍に居て、寝息をたてている姿に口元が緩んだ。
すっかり雨も止んでカーテンの隙間から眩しい日差しが差し込んでいた。
セドリック様を起こさないように、ベッドから出ようと動こうとした瞬間、体が動かない。身動ぎしてもびくともしない。しかしセドリック様の両腕は枕を抱きしめているので彼の腕ではない。──布団の中を見ると、尻尾が私の腹部に巻き付いていた。
(あ、うん。これは……抜け出せそうにない)
「ん~、オリビア」
幸せそうに寝言を呟くセドリック様に、ドキドキと胸の鼓動が煩い。
(こ、これは……もしかして病気? 動悸息切れ……何か、命に係わる)
「命に係わるかもしれません。ちなみに病名は《恋煩い》というらしいですよ」
「え」
さっきまで眠っていたはずのセドリック様は、どこか意地悪そうな笑顔でこちらを見ている。
コイワズライ。聞いただけで恐ろしそうな病名だ。
「そ、それはどんな恐ろしい症状が?」
「ため息が増えて、ぼーっとするらしい。あと食欲がなくなって涙もろくなるとか」
ぐう、とタイミングよくお腹が鳴った。
もう恥ずかしさで顔が熱くなる。
「……逆に食欲が増してしまうこともあるとか」
「な、治す方法は……あるのですか?」
「うん。……私にいっぱい愛されること、ですかね。やっぱり、ここは敬称なしで呼ぶところから始めてみては?」
なんだか昨日から同じことを催促されているような。
でも呼んだら、セドリック様は喜んでくれるだろうか。
「……セドリック…………」
「なんですか、オリビア」
私の髪を一房掴むと、キスを落とす。
昨日よりも、ドキドキする。
昨日よりも、セドリック様に触れたい。
どちらともなく距離が近づき、唇が触れ合う刹那。
「大変です。セドリック様!」
ノックなしに寝室に飛び込んできたのは執事のアドラ様だ。一瞬でセドリック様の笑顔が凍りつく。心なしか部屋の温度も五、六度急激に下がった。
「あ、これ死んだ?」とアドラ様と、諦めの境地に居たので慌ててセドリック様に抱き付いた。
「セドリック、酷いことは駄目です」
「はい、オリビア」
コロッと表情が和らいだ。それに私とアドラ様はホッとする。
「……それで、アドラ。何用ですか?」
「大変です。エレジア国の使節団が来ており、陛下に面会を求めています」
(エレジア国……?)
エレジア国、使節団。
その単語がどうしても恐ろしい何かの象徴に思えて、血の気が引いていく。
まるで「幸せになることを許さない」と誰かに言われているような──不安に押し潰されそうになる。上手く呼吸もできず、手に力が入らない。
「オリビア」
「!」
手を引いてセドリック様は私を抱き寄せた。彼の腕の中にすっぽりと納まり伝わってくる温もりに癒される。少しだけ擦り寄ると嬉しそうに尻尾が揺れた。
「えー、あー、それでですね。使節団の目的は、グラシェ国との国交及びオリビア様から錬金術と付与魔法の手ほどきを受けたいと──」
ニコニコ笑っているセドリック様の表情が氷点下の笑みに早変わりしていく。めちゃくちゃ怒っているのが分かる。
「ねえ、オリビア」と、甘い声で私を見つめ機嫌が直ったかと思ったが──。
「エレジア国、いっそ滅ぼしてしまいますか?」
「だ、駄目です。絶対に駄目」
「オリビアの笑顔が陰る元凶は、元から根絶したいじゃないですか」
懇願するような視線を向けらえるが頷けない。というか頷いたら本当に実行するだろう。苦笑しつつも、セドリック様の心遣いが純粋に嬉しかった。
「……でも、三カ月経って急にどうして?」
「おそらくオリビアの偉業が、他の人間たちでは賄えないと気づいたのでしょう。エレジア国を去る際に錬金術や付与魔法の指南書みたいなものは作らされなかったのですか?」
「屋敷に発注書を残していたので、作り方などは書いておいて来たのですが……」
「じゃあ、それがあるので『自力で頑張れ』と言って追い返しましょう」
「え、でも……。大丈夫なのですか?」
セドリック様の「もちろんです」と即答する。
「私の大事な、大事な王妃を馬車馬のように使っておいて、さらに利用しようとしている浅ましさ──何より向こうの条件を無条件で呑めば我が国としても舐められますからね。ここはアドラたちに任せて対応し、それでもごねるようなら私が出ます」
「私も一緒の方がいいのでは?」
「では私の妻として同席してくださるのですか?」
冗談っぽくセドリック様が私に問いかけてくるので、恥ずかしくて顔が見られず視線を床に向けつつ本心を吐露する。
「セドリック……が嫌じゃなければ、隣にいたい……です」
「オリビア。本当ですか、本当の本当に!?」
「……はい」
「やったあ。ああ、嬉しくてどうしましょう!」
セドリック様は私を抱き上げてワルツでも躍るようにステップを踏む。
アドラ様も「おめでとうございます」と拍手をしてくれるので、なんだか急に恥ずかしい。
「では準備をしてきてください。サーシャ、ヘレン」
「承知しました」
「お任せください!」
唐突に姿を見せたサーシャさんとヘレンさん。待機していたのか全然気づかなかった。二人とも目が輝いており、お風呂に入ってマッサージ、着替えコースが待っていると直感した瞬間だった。
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