吸血鬼は恋する5秒前 ー人間に恋した吸血鬼とその周囲についての中間報告ー

灯トモル

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1 夜だけの受付スタッフ

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 家泉透いえずみとおるは受付カウンターに立つと、まず腕時計で時間を確認した。その途端、黒い前髪がおさまり悪くふわりと揺れて視界に入り込む。右手でかき上げながら、髪が2か月前よりずいぶん伸びていることに気付いた。

「かなり髪が伸びてきたな。そろそろ切りに行こうか」

 家泉は、日本のとある都市にある救命救急病院で働く一般事務員である。
 24時間365日年中無休の病院における事務員の仕事は、とにかく忙しいの一言だ。日祝関係なく夜間のシフトが看護師や医師と同様に存在している。
 だがあくまでも事務職ということで、給与は世間が考えている以上に安い。
多忙なのに薄給。仕事量が多過ぎてくたくたになって一人暮らしのアパートに帰るのが当たり前になっている。就職するときにもう少し考えればよかった……と何度も後悔したが、大学の就職課に残っていた求人票がこの病院だけだったのだ。
 早いうちに転職しようと思いつつも、忙しい日々を送っている間に5年の月日が経過していた。

 そんな家泉は今日も深夜のシフトで患者の応対に追われている。一見すると彼は、地方の町役場にいそうなのんびりとした雰囲気の青年なのだが、仕事ぶりは救急病院の事務員にふさわしく、冷静で的確なものだった。

「子供が熱を急に出したんです。今から診てもらえませんか」
「まずは保険証を出してください。それからこの問診票に書いて提出をお願いします」
「シャッターに指挟んでケガしちゃって血が止まりません!」
「わかりました。看護師を呼んで止血をします。診察の後、きちんとした治療を行うので待合室でお待ちください」

 次々やってくる患者をカウンター越しに応対する。夜であっても救急病院にやって来る患者は多い。おかげで家泉は、この病院に就職してから暇な夜勤というものを経験したことは今まで一度も無かった。

 ひたすら受付処理をしているうちに人は増えていき、待合室の7割ほどが患者で埋まった頃、腕時計を見るとデジタルの画面は午前3時を表示していた。

「よかった。この調子なら時間通りに、あと30分で休めそうだ」

 夜の勤務時間においては夕方から朝までの間に、3時間の設けてある。仮眠を取ることを前提とした長さで、しっかり寝るには物足りないが、忙しい時にはこの休憩が砂漠のオアシス並みに有り難く感じられるのだ。
 家泉は隣にいる受付スタッフに話しかけた。

「すみませんが、おれは3時半になったら一度仮眠に入りますね」

 そう言うと、相手がわかりました、と頷いた。家泉が声をかけた事務員はイリヤ・セルヴォワーズという女性である。フォミリーネームが長いので、家泉含めて他のスタッフは彼女のことはイリヤと名前で呼んでいる。
 イリヤは今年の春からこの病院に採用された女性で、170センチある家泉より身長は頭ひとつ小さい。彼女は肩まで伸びた栗色の髪に翠色の瞳をしていて、よく見れば人並み以上に整った顔立ちをしている。だが、真面目な雰囲気と勤務態度が本来の美しさを目立たなくしていた。
 そしてこのイリヤは特殊な条件の下、病院で働いている。彼女は日没から夜明け前の間しか仕事をしない「夜間専門」の事務員なのだ。
 家泉はイリヤが夜だけ働く理由を上司の説明で知ったものの、そのような特別な事情で入って来た事務員と、どうやってコミュニケーションを取っていいのか分からず、イリヤが入ってから半月経った今も当たり障りのない会話しかできていない。

(とりあえず、今夜も無事に仕事が終わることを祈ろう)

 しかし、家泉の願いは届かなかった。2人の男性が病院に入って来たかと思うと、大声で何かを話し始めた。片方は背が高く、体格も良かったが頭から血を流していて、もう1人がその男に付き添っている状態だった。怒鳴り声にも似たやりとりが響き渡る。

「だーかーあ、おれはよってないって!」
「絶対酔ってるって!!さっき街路樹にぶつけたじゃん!ホラ、そこ額からすげー血出てる!」
「これはトマトジュース!」
「んなワケねーだろ」

 あまりの大きな声に家泉が呆気に取られていると、怪我をしていない方の男性が、大柄の男から離れてカウンターに来た。

「すみません!同僚が怪我したんで診てもらえますか?受付には俺がアイツの名前書くんで」
「構いませんが、人が多いので待ってもらうことになります。それでも、いいですか?後、支払いはどうされますか?」
「いいです。とにかく診察してもらえれば。あ、金は本人がちゃんと持ってますから、支払いに関しては大丈夫です」

 男はそう言って怪我をした男の代わりに受付の手続きを済ませる。そして、未だ入り口付近で立っている男へと近づくとこう言った。

「おとなしく診察待っとけよ!俺は帰るからな」
「はあ?なに言ってんだ、おまえがここまで連れて来たんだろ!」
「俺がここにいても意味ねーよ!病院まで連れて来てやっただけでも感謝しろ。じゃあな!」

 そう言って受付をした男はさっさと病院から出て行った。残された酔っ払いは同僚の言い方が気に入らなかったらしい。文句を言いながらイライラをぶつけるようにいきなり玄関近くにあった大きなステンレス製のゴミ箱を蹴飛ばした。
 派手な音を立てて転がったそれを見て、他の患者が怯える。不穏な空気が伝わり、待合室は騒然となった。
 家泉は頭を抱えたい気分になる。これが、夜間業務で最も厄介な仕事のひとつなのだ。深夜帯になるとアルコールを飲んだ患者の割合が増えるため、暴力沙汰に発展しやすい。
 危険を感じた時には直ちに通報するが、警察が到着するまで事務スタッフや守衛で対応しなければならず、かなり危ない業務であった。
 おまけに今、目の前にいる患者は大きくて190センチはありそうだ。特に体を鍛えていない家泉が太刀打ちできるかは分からない。それでも受付スタッフとして対応しないといけない状況だった。

「早くなんとかしないと」

 家泉は男を取り押さえるべく、受付カウンターから出ようとした。が、そのとき後ろからイリヤの声がした。
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