吸血鬼は恋する5秒前 ー人間に恋した吸血鬼とその周囲についての中間報告ー

灯トモル

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2 受付スタッフの正体

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「待ってください。家泉さん」

 静かな物言いにも関わらず、どこかしら有無を言わせない力がイリヤの言葉にはあった。彼女の視線は酔っ払いへと向けられていて、その横顔は美しかったが、ひんやりとした冷たさも漂わせている。

「トラブルに関しては、わたしの担当だと記憶しています」
「でも」
「大丈夫です。わたしに行かせてください」

 咄嗟に周りを見た家泉の視界には、イリヤの落ち着いた態度と患者たちのとにかく早くなんとかしてほしい、という切羽詰まった表情の両方が映った。
 ここは、イリヤに頼るしかなさそうだ、と家泉は腹を括る。

「わかりました。それではお願いします。でも、おれが危ないと判断したら間に入ります」
「はい」
 
 イリヤはカウンターを出ると、まっすぐ患者に向かっていく。そして男と1メートルほどの距離を置いて立ち止まる。

「ここは病院です。静かにしてください」
「うるせえ!」
「暴れるのをやめて、安静になさってください」
「俺はなんともない。ふざけるな!!」
「他の患者や医療スタッフに迷惑です。静かに診察の順番までお待ちください」
「ゴチャゴチャうるせえって、言ってんだろ!」

 酔っている時に色々と話しかけられたことが気に食わなかったらしい。さらに怒りを募らせたイリヤに向かって男は拳を振り上げた。そのスピードは非常に速く、イリヤが殴られる、と誰もが思った。
 しかし、イリヤの起こした行動は周囲の予想を裏切った。

「これでは、力ずくで静かにさせるしかないみたいですね」

 イリヤは呟くと同時に、相手の拳を片手で払う。優雅にすら見える動きにも関わらず、その衝撃はすさまじかった。彼女の力は人間が受け止められる範囲を超えていたのだ。
 次の瞬間、男の体が大きな音と共に壁に叩きつけられてぴくりとも動かなくなっていた。拳を作っていた腕はどう見ても骨折している。
 全ては一瞬の出来事であり、思いもよらない展開にしばらく呆然としていた家泉だったが、我に返って暴れていた男に駆け寄る。そして様子を確かめると、顔を青くした。

「マズい。看護師呼ばないと」

 家泉はすぐに看護師のいるステーションに走って行き、医療スタッフを連れてきた。看護師たちは壁にめりこんだまま気絶している男を用意したストレッチャーに乗せると、すぐさま処置室へと向きを変える。
 足早に遠ざかっていく看護師たちを見送る家泉に、イリヤが話しかけてきた。

「ごめんなさい。力加減したつもりでしたけど、少々強かったみたいですね。今度は気をつけます」

 本当に申し訳なさそうな顔で謝るイリヤに、家泉は頷いて次の言葉を伝えるので精一杯だった。

「ええ……そうですね。次から気をつけてもらえると助かります。イリヤさんは業務終了後に今回のことを報告書に書いて提出してください。」
「わかりました。それでは、わたしは受付へ戻ります」

 イリヤは返事をすると受付へと戻って行った。一方で家泉は視線を感じて振り返る。待合室にいる人々が恐怖の色を浮かべてイリヤを見ていたのだ。
 慌てて家泉がフォローを入れる。

「ご安心ください。彼女は防犯のスペシャリストです。トラブルが起きた時は、今のような毅然とした態度で対応することもありますが、ここにいるみなさんの安全のためですので、ご理解ください」

 そう言って頭を下げると、患者たちの間で張り詰めていた空気がゆるむ。それから、防犯専門の人がいるなら安心だ、など前向きな言葉が聞こえてきて、家泉は心底ほっとする。
 そしてカウンターで未だにしょんぼりしているイリヤに声をかけた。

「イリヤさん、大丈夫なので普段通りに仕事をしてください」
「はい、ありがとうございます」
「おれはここのゴミ箱を片付けるので、引き続き患者さんが来たら受付をお願いしますね」

 そう言って家泉はゴミ箱を元の位置に置き、次に男が暴れていた場所を目で確かめる。業務中の出来事を記録する日報に今夜の事を書かねばならないため、状況をきちんと把握しておく必要があるのだ。玄関付近を入念にチェックして、今度は壁に目を向けた時、思わず声がこぼれた。

「これは……すごいな」

 大きくひび割れて凹んだ壁の惨状が、イリヤの力の強さを証明している。

「見た目だけじゃ、とてもそんな風には見えないのに」

 家泉は改めてイリヤを見る。カウンターに立つ女性は、細身で、どこにでもいる事務員といった様子だ。だが、さっきの出来事で、彼女が人間ではないということを痛感せずにはいられなかった。


 大きな男性を一撃で退ける「夜間専門」の事務員の正体は、人間以上の力を持った吸血鬼だったのである。
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