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村の中心で叫ぶ猫
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周囲に人の気配は感じなかった。
少なくともこの状況で人が近くにいるなら、異常を感じて声をあげるなりなんなりしてくれるはずなのではないかと思う。
だけど、感じるのは獣の息遣いと気配のみ。
じわじわと私を取り囲んだそれらが輪を縮めるのが分かった。
……怖い。助けて。誰か。誰か。
おばあちゃん。お父さん、お母さん……。
半分泣きだしそうになりながら、心で念じる。
その時だった。
「……よせ」
低く響いた制止の声に、私は瞳を見開いた。
聞き覚えがある声。
「お前が食わないなら、俺が食っちまうけどいいんだな」
笑い含みの声は、そう制止した相手を脅す。
息を呑むような間があいて、制止した声が駄目だ、と呟く。
「じゃあ、さっさとやっちまいな。お前だって、もう飢えて飢えて仕方ないはずだろ」
「……」
「命まで取ろうってんじゃないんだ。何を遠慮することがある」
「……」
「さあ、やれよ」
低い声の方は、苦悩するように黙り込んだままだった。
だけど、意を決したように影がひとつ動いた。
黒い小さな影。
金色の瞳をした──猫。
「……ッ……ぉ……」
私は声を振り絞った。一歩、また一歩と近づいてくるのは、闇に溶け込んで黒い猫。
でもかすかに輪郭だけは分かった。
ピンと立った尻尾が、ふたつに割れている。
……汐。
心で呼んで、私はぎゅっと目を閉じた。
ぺたり。小さな肉球が私の手首のあたりに置かれる。
そのやわらかな感触。
「言えよ。欲しいんだろう」
煽るように声が言う。
それに汐はぐるると喉を鳴らして威嚇する。
けれど抵抗はそこまでだったようだ。
項垂れるように小さな頭を項垂れて、汐は小さく何かつぶやいた。
「な……」
「……?」
な……って、何。
小さすぎて聞き取れなかった言葉。
いやそれより、汐が人の言葉を話しているんだと気づいて、私は戦慄する。
そんな馬鹿な。
「小さくて聞こえない!」
打つように容赦なく、もう一つの声が叱咤する。
汐はそれに、また苦しそうに喉でグルルと鳴く。
「……っ、な……な……て」
「もっとはっきり!」
「……」
……これ、なんのパワハラ?
言え、と強いる声に汐は抗おうとしている。
しかしやがて、汐は膝を屈した。
屈辱に震えながら誇り高い野良猫は、叫ぶ。
「撫でて……ください……ッ!」
あ、はい……。それを言うのが嫌だったのね。
納得してしまって、私はなんとも微妙な気持ちになった。
ふと、身体が自由になっていることに気づいて、私は半身を起こした。
目の前には屈辱に打ち震える黒猫がうずくまっている。
訳が分からないままに、手を伸ばして汐の身体をそっと撫でてみた。
手の下で猫の身体が強張りを解いていき、ふにゃと柔らかくなっていくのが分かった。
同時に力強く、何かがみなぎっていくのも。
「汐……あなた、何者なの?人の言葉が話せるの……?」
混乱したまま訊ねると、私の背後で何かが動く気配がした。
ぎょっとして振り返ると、消えてしまっていた蝋燭に火をともす松里さんの姿があった。
「……えっ!?」
「お疲れ様、里ちゃん。儀式はこれで終わりよ」
明るくなった室内には、たくさんの山の獣の姿があった。
イノシシ、犬、イタチ、ねずみ、ハムスター。
いや、ハムスターは何か違う気がするけど。
あ、あそこにいる狸ってここに来た日にバス停近くですれ違った狸じゃないかな。
とにかく、たくさんの動物たちに囲まれていて、私は呆然とする。
「あの……これは一体……」
何から訊ねればいいのだろう。
松里さんは、いつものようににこにこしている。
「ここにいるのは、贄の生気のおこぼれをもらいに来た山の神たちよ。と言っても、もう人型になれるほど霊力が強いのは、アタシと汐だけになっちゃったけどね」
少なくともこの状況で人が近くにいるなら、異常を感じて声をあげるなりなんなりしてくれるはずなのではないかと思う。
だけど、感じるのは獣の息遣いと気配のみ。
じわじわと私を取り囲んだそれらが輪を縮めるのが分かった。
……怖い。助けて。誰か。誰か。
おばあちゃん。お父さん、お母さん……。
半分泣きだしそうになりながら、心で念じる。
その時だった。
「……よせ」
低く響いた制止の声に、私は瞳を見開いた。
聞き覚えがある声。
「お前が食わないなら、俺が食っちまうけどいいんだな」
笑い含みの声は、そう制止した相手を脅す。
息を呑むような間があいて、制止した声が駄目だ、と呟く。
「じゃあ、さっさとやっちまいな。お前だって、もう飢えて飢えて仕方ないはずだろ」
「……」
「命まで取ろうってんじゃないんだ。何を遠慮することがある」
「……」
「さあ、やれよ」
低い声の方は、苦悩するように黙り込んだままだった。
だけど、意を決したように影がひとつ動いた。
黒い小さな影。
金色の瞳をした──猫。
「……ッ……ぉ……」
私は声を振り絞った。一歩、また一歩と近づいてくるのは、闇に溶け込んで黒い猫。
でもかすかに輪郭だけは分かった。
ピンと立った尻尾が、ふたつに割れている。
……汐。
心で呼んで、私はぎゅっと目を閉じた。
ぺたり。小さな肉球が私の手首のあたりに置かれる。
そのやわらかな感触。
「言えよ。欲しいんだろう」
煽るように声が言う。
それに汐はぐるると喉を鳴らして威嚇する。
けれど抵抗はそこまでだったようだ。
項垂れるように小さな頭を項垂れて、汐は小さく何かつぶやいた。
「な……」
「……?」
な……って、何。
小さすぎて聞き取れなかった言葉。
いやそれより、汐が人の言葉を話しているんだと気づいて、私は戦慄する。
そんな馬鹿な。
「小さくて聞こえない!」
打つように容赦なく、もう一つの声が叱咤する。
汐はそれに、また苦しそうに喉でグルルと鳴く。
「……っ、な……な……て」
「もっとはっきり!」
「……」
……これ、なんのパワハラ?
言え、と強いる声に汐は抗おうとしている。
しかしやがて、汐は膝を屈した。
屈辱に震えながら誇り高い野良猫は、叫ぶ。
「撫でて……ください……ッ!」
あ、はい……。それを言うのが嫌だったのね。
納得してしまって、私はなんとも微妙な気持ちになった。
ふと、身体が自由になっていることに気づいて、私は半身を起こした。
目の前には屈辱に打ち震える黒猫がうずくまっている。
訳が分からないままに、手を伸ばして汐の身体をそっと撫でてみた。
手の下で猫の身体が強張りを解いていき、ふにゃと柔らかくなっていくのが分かった。
同時に力強く、何かがみなぎっていくのも。
「汐……あなた、何者なの?人の言葉が話せるの……?」
混乱したまま訊ねると、私の背後で何かが動く気配がした。
ぎょっとして振り返ると、消えてしまっていた蝋燭に火をともす松里さんの姿があった。
「……えっ!?」
「お疲れ様、里ちゃん。儀式はこれで終わりよ」
明るくなった室内には、たくさんの山の獣の姿があった。
イノシシ、犬、イタチ、ねずみ、ハムスター。
いや、ハムスターは何か違う気がするけど。
あ、あそこにいる狸ってここに来た日にバス停近くですれ違った狸じゃないかな。
とにかく、たくさんの動物たちに囲まれていて、私は呆然とする。
「あの……これは一体……」
何から訊ねればいいのだろう。
松里さんは、いつものようににこにこしている。
「ここにいるのは、贄の生気のおこぼれをもらいに来た山の神たちよ。と言っても、もう人型になれるほど霊力が強いのは、アタシと汐だけになっちゃったけどね」
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