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お忍びでおでかけ①
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「どうですか? 普通の町娘みたいに見えますか?」
王城の外へと続く門の前に立ち、幼い頃より傍に仕えている少女は慎ましやかに微笑んだ。
装飾の少ない簡素なドレスに身を包み、足元は歩きやすそうな踵の低いブーツを履いている。毎朝時間をかけて丁寧に結ったり編み込んだりしている亜麻色の長い髪は下ろし、左右に細いリボンを付けるだけに留めている。その控えめな立ち姿は、彼女を知らない者が見たらとても王族とは思わないだろう。
しかし、近衛騎士団の騎士服を脱ぎ、私服姿に剣を携えたカイルは僅かに渋面を浮かべた。
「……姫様、本当に行かれるのですか?」
「もちろん。カイルと一緒なら構わないと許可もいただきました」
ふわりと笑顔を浮かべる彼女の意志は固いのだろう。城下へ出かけたいというリーシャの供をするよう命じられたときから、それはわかっていたことだった。
今日は年に一度の、城下町で祭りが行われる日だ。
彼女は城から出たことがあまりない。公の場に出たこともまだ少なく、控えめな性格もあってか人前に出ることは苦手としているようだ。
日頃から城下に行きたいと言い出すことはほとんどないが、毎年この日だけは別だった。
幼少の頃から、使用人達が祭りの話を楽しそうに話しているのを羨ましそうに聞いていた姿を思い出す。自分も行きたい、と言っては止められていたことも。
普段から街中は人の往来が多いが、祭りの日はなおさらだ。末の姫とはいえ、万が一何かがあってはいけない。それは誰もが思っていたことだろう。
当然のこととしてカイルは護衛の役目を全うするつもりだが、このような日に城下へ連れていきたくはないというのが本心でもあった。
「――それにね、お忍びでお出かけって、一度やってみたかったの」
そう呟いてはにかむリーシャの言葉に、はっと胸を突かれる。
今日の外出が許可された理由。噂好きの者達が口にしていたリーシャに関する噂話を思い出す。
曰く、国王陛下や重臣達が結婚相手を探しているだとか、あれほど人見知りする性格では政略結婚には向かないから修道院送りになるのではないか、とか。
どれも根も葉もない噂にすぎないが、彼女がいずれ政治の道具として利用されることは避けがたいことだろう。衣食住に恵まれ王女としての教養を身につけながらも、その生活は規律と規則に縛られ、自由に生きることは許されない。それが王族というものだ。
成人するまでの僅かなひととき。子どもであることが許されているうちに、ほんの一日だけ城下へ出かけたいという彼女の望みを叶えるのも騎士の務めではないだろうか。
「このカイル・ガードナー、どこへでもお供いたしましょう」
声を和らげ、恭しく腰を折る。リーシャはきょとんと両目を瞬いたのちに、顔を綻ばせた。
「はい。よろしくお願いしますね」
用意してもらっていた馬車にリーシャを乗せ、自分も向かい側に腰を下ろす。御者に出発を促そうとして、ふと心配事が脳裏を過った。
「……姫様」
「なんですか?」
「不躾なことを伺いますが、お手洗いには行かれましたか?」
数日前に目にしてしまった彼女の粗相を思い返し、無礼なことだと思いながらもつい心配になって訊いてしまう。
瞬時に、リーシャはあどけなさが残る顔を林檎のように真っ赤に染めた。
「……い、行きました」
俯きがちになって発せられたか細い声が耳に届く。カイルは己の非礼を詫びるために深く頭を下げた。
「大変失礼いたしました。それでは出発しましょう」
天井を叩いて御者に合図を送ると、二頭立ての馬車は城下へ向けてゆっくりと走り出した。
***
馬車を降りて目にした城下町は人に溢れていた。街中が花や布飾りで色とりどりに飾りつけられ、露店が軒を連ねている。呼び込みをする店主の声や、道を行き交う人々の楽しそうな話し声、大道芸人の演じる芸に対して上がる歓声。様々な声が耳に入ってくる。
「……っ!」
生まれて初めて祭りの光景を目にしたリーシャは、澄んだ空の色をした瞳をきらきらと輝かせた。人が大勢集まる場所は苦手としているかと思っていたが、その表情は期待に満ち溢れていた。
「たくさんの人がいるのね……夜会よりも多いわ……」
「そうですね。リーシャ様、はぐれないようにお気を付けください」
お忍びの外出であるので、姫様とは呼ばずに名前で呼ぶ。すると、リーシャは何か言いたげな表情でもごもごと唇を動かした。
「リーシャ様?」
「……あ、あの、今日はリリアと呼んでくれませんか……?」
上目遣いで視線を合わせ、リーシャは躊躇いがちに口を開いた。
「その、お忍びなので……」
突然の申し出に内心驚いたものの、身元が知られないように偽名を使いたいということには得心がいった。リリアという名は、リリアンヌ第三妃――五年前に身罷られた彼女の母親の名前から考えたものなのかもしれない。
「承知しました。それでは、リリア様と」
「できれば、敬語もなしというのは?」
「……申し訳ありません。それは承服いたしかねます」
さすがに話し方を変えることには抵抗があった。彼女に対して気安く喋るなど、できるわけがない。リーシャは一瞬だけ眉を寄せたが、その視線はすぐに道沿いに並ぶ露店に向けられた。
「カイル、あれはなんですか?」
「砂糖菓子の店ですね。行ってみますか?」
「はい……!」
リーシャが指差した店へと足を向ける。店先には猫や犬などの動物を模った小さな砂糖菓子がいくつも並び、甘い香りが漂っている。リーシャは目を丸くして、興味深そうに菓子を眺めた。
「かわいい……これ、全部砂糖でできているの……?」
「そうだよ。お嬢さん、ひとつどうだい?」
店主の男に声をかけられ、リーシャはびくりと肩を揺らした。
足を一歩引いて、縋るようにカイルの袖を掴んでくる。彼女の反応を見て、店主は困ったように首を傾げた。
「おっと、すまない。怖がらせてしまったかな?」
「すみません。王都に来たのが初めてなもので」
カイルは彼女を庇うようにそっと前に立った。リーシャは恥ずかしそうに俯きながらも、視線の先は先ほど見つめていた砂糖菓子を気にしている。
「そういえば見ない顔だね。観光かい?」
「ええ、まあ」
「どちらから?」
「エインズワースからです。こちらの親族を訪ねて来まして」
「随分遠くから来たんだねえ! 長旅で疲れただろう。よかったら少し負けるよ」
少しも疑う様子なく彼の話を聞いていた店主は、気前よく笑みを浮かべた。
「買いましょうか?」
何か言いたげな顔をしているリーシャに、促すように問いかける。
「いいの……?」
「どうぞ、お好きなものを」
カイルが頷くと、リーシャはおずおずと腕を伸ばし、いくつも並んだ砂糖菓子の中からひとつを指差した。
「この、白い猫を……」
「では私も同じものをください」
「毎度あり」
値札通りの枚数銅貨を手渡したが、一枚はそっと返却された。
「負けるって言っただろ?」
「どうも、ありがとうございます」
にっと笑う店主に礼を述べ、紙に包まれた砂糖菓子を受け取る。
「どうぞ」
ひとつをリーシャに手渡すと、彼女はふわりと顔を綻ばせた。手のひらにちょこんと載る小さな白い猫を、嬉しそうに見つめている。ふいにリーシャははっと顔を上げた。店主に顔を向けて、恐る恐るといった様子で口を開く。
「あ……ありがとう、ございます」
その小さな声音に、店主は笑顔で応えた。
「祭りを楽しんでいきな!」
王城の外へと続く門の前に立ち、幼い頃より傍に仕えている少女は慎ましやかに微笑んだ。
装飾の少ない簡素なドレスに身を包み、足元は歩きやすそうな踵の低いブーツを履いている。毎朝時間をかけて丁寧に結ったり編み込んだりしている亜麻色の長い髪は下ろし、左右に細いリボンを付けるだけに留めている。その控えめな立ち姿は、彼女を知らない者が見たらとても王族とは思わないだろう。
しかし、近衛騎士団の騎士服を脱ぎ、私服姿に剣を携えたカイルは僅かに渋面を浮かべた。
「……姫様、本当に行かれるのですか?」
「もちろん。カイルと一緒なら構わないと許可もいただきました」
ふわりと笑顔を浮かべる彼女の意志は固いのだろう。城下へ出かけたいというリーシャの供をするよう命じられたときから、それはわかっていたことだった。
今日は年に一度の、城下町で祭りが行われる日だ。
彼女は城から出たことがあまりない。公の場に出たこともまだ少なく、控えめな性格もあってか人前に出ることは苦手としているようだ。
日頃から城下に行きたいと言い出すことはほとんどないが、毎年この日だけは別だった。
幼少の頃から、使用人達が祭りの話を楽しそうに話しているのを羨ましそうに聞いていた姿を思い出す。自分も行きたい、と言っては止められていたことも。
普段から街中は人の往来が多いが、祭りの日はなおさらだ。末の姫とはいえ、万が一何かがあってはいけない。それは誰もが思っていたことだろう。
当然のこととしてカイルは護衛の役目を全うするつもりだが、このような日に城下へ連れていきたくはないというのが本心でもあった。
「――それにね、お忍びでお出かけって、一度やってみたかったの」
そう呟いてはにかむリーシャの言葉に、はっと胸を突かれる。
今日の外出が許可された理由。噂好きの者達が口にしていたリーシャに関する噂話を思い出す。
曰く、国王陛下や重臣達が結婚相手を探しているだとか、あれほど人見知りする性格では政略結婚には向かないから修道院送りになるのではないか、とか。
どれも根も葉もない噂にすぎないが、彼女がいずれ政治の道具として利用されることは避けがたいことだろう。衣食住に恵まれ王女としての教養を身につけながらも、その生活は規律と規則に縛られ、自由に生きることは許されない。それが王族というものだ。
成人するまでの僅かなひととき。子どもであることが許されているうちに、ほんの一日だけ城下へ出かけたいという彼女の望みを叶えるのも騎士の務めではないだろうか。
「このカイル・ガードナー、どこへでもお供いたしましょう」
声を和らげ、恭しく腰を折る。リーシャはきょとんと両目を瞬いたのちに、顔を綻ばせた。
「はい。よろしくお願いしますね」
用意してもらっていた馬車にリーシャを乗せ、自分も向かい側に腰を下ろす。御者に出発を促そうとして、ふと心配事が脳裏を過った。
「……姫様」
「なんですか?」
「不躾なことを伺いますが、お手洗いには行かれましたか?」
数日前に目にしてしまった彼女の粗相を思い返し、無礼なことだと思いながらもつい心配になって訊いてしまう。
瞬時に、リーシャはあどけなさが残る顔を林檎のように真っ赤に染めた。
「……い、行きました」
俯きがちになって発せられたか細い声が耳に届く。カイルは己の非礼を詫びるために深く頭を下げた。
「大変失礼いたしました。それでは出発しましょう」
天井を叩いて御者に合図を送ると、二頭立ての馬車は城下へ向けてゆっくりと走り出した。
***
馬車を降りて目にした城下町は人に溢れていた。街中が花や布飾りで色とりどりに飾りつけられ、露店が軒を連ねている。呼び込みをする店主の声や、道を行き交う人々の楽しそうな話し声、大道芸人の演じる芸に対して上がる歓声。様々な声が耳に入ってくる。
「……っ!」
生まれて初めて祭りの光景を目にしたリーシャは、澄んだ空の色をした瞳をきらきらと輝かせた。人が大勢集まる場所は苦手としているかと思っていたが、その表情は期待に満ち溢れていた。
「たくさんの人がいるのね……夜会よりも多いわ……」
「そうですね。リーシャ様、はぐれないようにお気を付けください」
お忍びの外出であるので、姫様とは呼ばずに名前で呼ぶ。すると、リーシャは何か言いたげな表情でもごもごと唇を動かした。
「リーシャ様?」
「……あ、あの、今日はリリアと呼んでくれませんか……?」
上目遣いで視線を合わせ、リーシャは躊躇いがちに口を開いた。
「その、お忍びなので……」
突然の申し出に内心驚いたものの、身元が知られないように偽名を使いたいということには得心がいった。リリアという名は、リリアンヌ第三妃――五年前に身罷られた彼女の母親の名前から考えたものなのかもしれない。
「承知しました。それでは、リリア様と」
「できれば、敬語もなしというのは?」
「……申し訳ありません。それは承服いたしかねます」
さすがに話し方を変えることには抵抗があった。彼女に対して気安く喋るなど、できるわけがない。リーシャは一瞬だけ眉を寄せたが、その視線はすぐに道沿いに並ぶ露店に向けられた。
「カイル、あれはなんですか?」
「砂糖菓子の店ですね。行ってみますか?」
「はい……!」
リーシャが指差した店へと足を向ける。店先には猫や犬などの動物を模った小さな砂糖菓子がいくつも並び、甘い香りが漂っている。リーシャは目を丸くして、興味深そうに菓子を眺めた。
「かわいい……これ、全部砂糖でできているの……?」
「そうだよ。お嬢さん、ひとつどうだい?」
店主の男に声をかけられ、リーシャはびくりと肩を揺らした。
足を一歩引いて、縋るようにカイルの袖を掴んでくる。彼女の反応を見て、店主は困ったように首を傾げた。
「おっと、すまない。怖がらせてしまったかな?」
「すみません。王都に来たのが初めてなもので」
カイルは彼女を庇うようにそっと前に立った。リーシャは恥ずかしそうに俯きながらも、視線の先は先ほど見つめていた砂糖菓子を気にしている。
「そういえば見ない顔だね。観光かい?」
「ええ、まあ」
「どちらから?」
「エインズワースからです。こちらの親族を訪ねて来まして」
「随分遠くから来たんだねえ! 長旅で疲れただろう。よかったら少し負けるよ」
少しも疑う様子なく彼の話を聞いていた店主は、気前よく笑みを浮かべた。
「買いましょうか?」
何か言いたげな顔をしているリーシャに、促すように問いかける。
「いいの……?」
「どうぞ、お好きなものを」
カイルが頷くと、リーシャはおずおずと腕を伸ばし、いくつも並んだ砂糖菓子の中からひとつを指差した。
「この、白い猫を……」
「では私も同じものをください」
「毎度あり」
値札通りの枚数銅貨を手渡したが、一枚はそっと返却された。
「負けるって言っただろ?」
「どうも、ありがとうございます」
にっと笑う店主に礼を述べ、紙に包まれた砂糖菓子を受け取る。
「どうぞ」
ひとつをリーシャに手渡すと、彼女はふわりと顔を綻ばせた。手のひらにちょこんと載る小さな白い猫を、嬉しそうに見つめている。ふいにリーシャははっと顔を上げた。店主に顔を向けて、恐る恐るといった様子で口を開く。
「あ……ありがとう、ございます」
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