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柚樹と初めて出会ったのは、去年の夏休みだった。友達に誘われて行った高校のオープンスクール。体育館で行われた説明会のあと、いくつかのグループに分かれての学校見学が始まる前に休憩時間があった。
「ちょっと、トイレ行ってくるね」
隣に座っていた友人に断って体育館後方にあるトイレに向かう。女子トイレは予想以上に混雑していた。個室の数が少ないのだ。
(どうしよう……)
自分の前に何人も並んでいるのを目にしながら、そわそわと身体を揺すってしまう。じっと立っていられない。説明を聞いている途中からトイレに行きたくなってしまって、すでにかなり我慢していた。
「ね、校舎のトイレ行こっ」
綾音の後ろに並んでいた他校の生徒が、友達と一緒にそそくさと列を離れていく。
(校舎のトイレ……行っていいのかな)
とくにアナウンスはなかったが、勝手に校舎に入るのはどうかと思ってしまう。けれど、ぞくっと身体に震えが走るのを感じて、綾音も踵を返した。
そっと体育館を出ていき、渡り廊下を小走りに駆けていく。
校舎に足を踏み入れてきょろきょろと周りを見渡したが、すぐにトイレを見つけられなかった。職員用トイレならあったが、中学生である自分が勝手に使うわけにはいかない。
「トイレ……どこぉ……!?」
誰かに見つかったら怒られるんじゃないかとびくびくしながら廊下を歩いていく。
足を踏み出すたびにおなかの下のほうがたぷんと揺れる。おしっこしたい。このままじゃ漏れちゃう。トイレ、どこ。
誰もいないのをいいことにぎゅっとスカートの前を押さえてしまう。一度押さえると、もう手を離せなかった。
曲がり角に差し掛かり、これ以上奥に進んだら誰かに見られてしまうのではないかと不安に駆られる。やっぱり体育館に戻ろうと踵を返した途端、何かに身体がぶつかった。
「きゃっ」
「わっ」
とっさのことに反応できず、その場に尻もちをついてしまう。
どすん、と身体に衝撃が走り、指先が濡れる感触があった。
「……っ!」
慌てて両腕で腿の間をぎゅうっと押さえる。けれど無駄な抵抗にしかならなくて、じわじわと手のひらが温かくなっていく。
「ごめん、大丈夫? 怪我は――」
目の前に手が差し伸べられる。綾音はぎゅっと両目を瞑って首を振った。
――しゃあああ、ぴちゃぴちゃ……。
小さな水音が、静かな廊下に響いた。お尻の下がどんどん温かくなっていく。おしっこ、出ちゃってる。誰かが近くにいるのに、おもらししちゃってる。
(どうしよう。どうしよう、どうしよう……)
早く止まってほしいのに、我慢していたおしっこはなかなか止まってくれない。
永遠にも感じられる時間が経って、ようやく水音が鳴り止んだ。おなかの中が空っぽになり、ぶるりと身体が震える。
恐る恐る目を開くと、足元の惨状が歪む視界に映った。――頭の中が、真っ白になる。
見学に来た高校で、おもらしを、してしまった。
「――大丈夫?」
ぴちゃり、と汚れた廊下を上履きで踏み、誰かがしゃがんだ。頭上から柔らかな声が降ってきて、思わず顔を上げる。
この高校の制服を着た男の人だ。同級生の男子よりもずっと大人っぽく見える。それに、かっこいい。
こんな人の前で、子どもみたいにおもらしをしてしまった。
じわり、と目元が濡れた。
「わ、ごめん、泣かないでっ。俺がぶつかったせいだよね、ごめんね。立てる?」
再び手を差し伸べられて、思わず手を伸ばしてしまう。だが、自分の手がしとどに濡れていることを思い出して慌てて引っ込めた。
「大丈夫だから」
優しく微笑んで、汚れた手を躊躇なく掴まれる。そのまま腕を引かれて、おしっこの水溜まりから助け起こされた。
「保健室行こうか。多分、着替え借りられると思うから」
先に手だけ洗おうか、と曲がり角の向こうにある手洗い場に連れていかれる。その横には、探し求めていた女子トイレもあった。
「まだ出そう? トイレ行く?」
トイレのほうを見てたら、そんな恥ずかしいことを訊かれた。慌てて頭を振る。
「だ、大丈夫です」
「じゃあ、保健室こっちだから」
無事だったハンカチで拭いた手を再び引かれて、来た道を引き返す。
自分が汚してしまった廊下を見て、息を呑む。これ、どうするんだろう。誰かが通ったらどうしよう。早く掃除しないと。
思わず足が止まりそうになる。手を引いて歩いていた先輩が、一度その手を離して綾音の頭を軽く撫でた。
「大丈夫。俺がなんとかするから」
そう言って、再び手を引かれて歩き出す。保健室に着くと、彼がドアをノックした。
「どうぞー」
「失礼します」
手を引かれたまま、おずおずと足を踏み入れる。スカートをぐっしょりと濡らした綾音の姿を見て、室内にいた養護教諭が目を丸くした。
「どうしたの? 見学の子?」
「廊下でぶつかっちゃったんですけど、トイレに行きたかったみたいで……着替えとかあります?」
「ああ、そういうこと……。体操着貸すから、こっちおいで」
養護教諭に手招きされて、躊躇いながらベッドに歩み寄る。
「俺、掃除してくるので、あとお願いします!」
「あっ……」
お礼を言う間もなく、ここまで連れてきてくれた先輩は踵を返してしまった。
「ちょっと、トイレ行ってくるね」
隣に座っていた友人に断って体育館後方にあるトイレに向かう。女子トイレは予想以上に混雑していた。個室の数が少ないのだ。
(どうしよう……)
自分の前に何人も並んでいるのを目にしながら、そわそわと身体を揺すってしまう。じっと立っていられない。説明を聞いている途中からトイレに行きたくなってしまって、すでにかなり我慢していた。
「ね、校舎のトイレ行こっ」
綾音の後ろに並んでいた他校の生徒が、友達と一緒にそそくさと列を離れていく。
(校舎のトイレ……行っていいのかな)
とくにアナウンスはなかったが、勝手に校舎に入るのはどうかと思ってしまう。けれど、ぞくっと身体に震えが走るのを感じて、綾音も踵を返した。
そっと体育館を出ていき、渡り廊下を小走りに駆けていく。
校舎に足を踏み入れてきょろきょろと周りを見渡したが、すぐにトイレを見つけられなかった。職員用トイレならあったが、中学生である自分が勝手に使うわけにはいかない。
「トイレ……どこぉ……!?」
誰かに見つかったら怒られるんじゃないかとびくびくしながら廊下を歩いていく。
足を踏み出すたびにおなかの下のほうがたぷんと揺れる。おしっこしたい。このままじゃ漏れちゃう。トイレ、どこ。
誰もいないのをいいことにぎゅっとスカートの前を押さえてしまう。一度押さえると、もう手を離せなかった。
曲がり角に差し掛かり、これ以上奥に進んだら誰かに見られてしまうのではないかと不安に駆られる。やっぱり体育館に戻ろうと踵を返した途端、何かに身体がぶつかった。
「きゃっ」
「わっ」
とっさのことに反応できず、その場に尻もちをついてしまう。
どすん、と身体に衝撃が走り、指先が濡れる感触があった。
「……っ!」
慌てて両腕で腿の間をぎゅうっと押さえる。けれど無駄な抵抗にしかならなくて、じわじわと手のひらが温かくなっていく。
「ごめん、大丈夫? 怪我は――」
目の前に手が差し伸べられる。綾音はぎゅっと両目を瞑って首を振った。
――しゃあああ、ぴちゃぴちゃ……。
小さな水音が、静かな廊下に響いた。お尻の下がどんどん温かくなっていく。おしっこ、出ちゃってる。誰かが近くにいるのに、おもらししちゃってる。
(どうしよう。どうしよう、どうしよう……)
早く止まってほしいのに、我慢していたおしっこはなかなか止まってくれない。
永遠にも感じられる時間が経って、ようやく水音が鳴り止んだ。おなかの中が空っぽになり、ぶるりと身体が震える。
恐る恐る目を開くと、足元の惨状が歪む視界に映った。――頭の中が、真っ白になる。
見学に来た高校で、おもらしを、してしまった。
「――大丈夫?」
ぴちゃり、と汚れた廊下を上履きで踏み、誰かがしゃがんだ。頭上から柔らかな声が降ってきて、思わず顔を上げる。
この高校の制服を着た男の人だ。同級生の男子よりもずっと大人っぽく見える。それに、かっこいい。
こんな人の前で、子どもみたいにおもらしをしてしまった。
じわり、と目元が濡れた。
「わ、ごめん、泣かないでっ。俺がぶつかったせいだよね、ごめんね。立てる?」
再び手を差し伸べられて、思わず手を伸ばしてしまう。だが、自分の手がしとどに濡れていることを思い出して慌てて引っ込めた。
「大丈夫だから」
優しく微笑んで、汚れた手を躊躇なく掴まれる。そのまま腕を引かれて、おしっこの水溜まりから助け起こされた。
「保健室行こうか。多分、着替え借りられると思うから」
先に手だけ洗おうか、と曲がり角の向こうにある手洗い場に連れていかれる。その横には、探し求めていた女子トイレもあった。
「まだ出そう? トイレ行く?」
トイレのほうを見てたら、そんな恥ずかしいことを訊かれた。慌てて頭を振る。
「だ、大丈夫です」
「じゃあ、保健室こっちだから」
無事だったハンカチで拭いた手を再び引かれて、来た道を引き返す。
自分が汚してしまった廊下を見て、息を呑む。これ、どうするんだろう。誰かが通ったらどうしよう。早く掃除しないと。
思わず足が止まりそうになる。手を引いて歩いていた先輩が、一度その手を離して綾音の頭を軽く撫でた。
「大丈夫。俺がなんとかするから」
そう言って、再び手を引かれて歩き出す。保健室に着くと、彼がドアをノックした。
「どうぞー」
「失礼します」
手を引かれたまま、おずおずと足を踏み入れる。スカートをぐっしょりと濡らした綾音の姿を見て、室内にいた養護教諭が目を丸くした。
「どうしたの? 見学の子?」
「廊下でぶつかっちゃったんですけど、トイレに行きたかったみたいで……着替えとかあります?」
「ああ、そういうこと……。体操着貸すから、こっちおいで」
養護教諭に手招きされて、躊躇いながらベッドに歩み寄る。
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