言えないヒトコト

志月さら

文字の大きさ
5 / 12

5

しおりを挟む
「そろそろ映画館に行こうか」

 昼食を終えて、お腹を落ち着かせてから再び店内を見て歩いていたが、気が付けば上映時間が近付いていた。まだ時間には少し余裕があるが、ショッピングモールの中は広いので映画館までは少しだけ距離がある。

「飲み物買ってくるね。綾音ちゃんはいる?」
「私は大丈夫です」

 売店に向かいながら訊ねられ、綾音は小さく首を振った。トイレが心配なのでいつも飲み物は買わないようにしている。柚樹がドリンクを買うのを待っていると、ちょうど入場開始のアナウンスが流れてきた。

「じゃあ行こうか」
「は、はい」

 チケットを出し、スクリーンに向かって歩いていく。目的の五番スクリーンの手前に化粧室の案内表示を見かけ、綾音は歩調を緩めた。席に着く前にトイレに行っておきたい。

「あの、先輩……」
「ん?」
「え、えっと、私、その……」

 先にお手洗いに寄っていきますね。そう、一言口にすればいい。けれど柚樹に見つめられると言葉が出てこなくなり、もごもごと唇を動かしてしまう。

「ああ、トイレ行っておく?」

 少し恥ずかしいが、彼は綾音の言いたいことを汲み取ってくれたみたいだ。

「は、はい……」
「俺もこれ置いてから行くから、先に行っておいで」

 柚樹に促され、綾音は小さく頷いてトイレに足を向けた。
 女子トイレに入ると何人か順番待ちができていて少し焦ったが、タイミングよくいくつかの個室が空いたのでさほど待つことなく入ることができた。
 下着を下ろして便器に腰かける。ほどなくして、水音が陶器を叩いた。
 擬音装置の流水音に混ざって勢いのいい水音が耳に入ってくるのを感じながら、ほっと息をつく。そういえば、家を出る前に済ませたきりだった。
 本当は食事の後からずっと尿意に気付いてはいたのだが、言い出すタイミングが見つからずにいた。映画を見る前にトイレに行けてよかったが、自分からきちんと言えたわけではないのでなんとなくきまりが悪い。
 恥ずかしくても、トイレに行きたくなったらちゃんと柚樹に言えるようにならないと。
 彼の前で去年のような粗相はもう二度としたくないし、するわけにはいかない。

 ふと腕時計を見ると、もう上映時間が迫っていた。
 膀胱の中を空っぽにして、綾音は急いでトイレから出た。
 少しだけ急ぎ足でスクリーンの中に入るが、幸い場内はまだ明るかった。
 チケットを見ながら指定された席に向かう。真ん中より後ろ寄りの端から二番目の座席。行ってみると、手元のチケットに書かれた数字の席には柚樹がすでに座っていた。
 一瞬困惑してしまったが、人の気配に気付いたのか柚樹がこちらに顔を向けた。

「ああ、綾音ちゃん。席そこだよ」
「えっと、逆じゃ……?」
「ごめん、チケット間違えて渡しちゃったみたいで。端がいいって言ってたよね?」
「は、はい。言いました」

 座席を取るときに希望を訊かれて、できれば端の席がいいと答えたら、柚樹は出入り口から近いほうの席を端から二つ取ってくれたのだ。そのとき綾音の分のチケットを渡してくれたが、どうやら手元のチケットは彼の座席のもののようだ。

「こっちの席のほうがいい?」
「い、いえ、こっちで大丈夫です」

 腰を浮かしかけた彼に慌てて応え、隣へ腰を下ろした。頬が少し熱くなったが、ほどなくして場内が暗くなったので彼には気付かれずに済んだ。
 映画の予告が映し出されるのを眺めながら、ちら、と横目で柚樹のほうを窺う。

(トイレ長いとか、思われてないかな……)

 綾音のほうが先にトイレに入ったのに、彼よりも遅く出てきてしまったことがなんとなく恥ずかしいのだが、柚樹は気にしていないだろうか。女子トイレは少し混んでいたし、女の子のほうが用を足すのに時間がかかってしまうから仕方のないことだとわかってはいるけれど。

(あんまり気にしてちゃだめ、だよね。せっかくデートなんだから、楽しまなきゃっ)

 気恥ずかしい気持ちを振り払うように気分を切り替え、綾音は目の前のスクリーンに集中することにした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

まなの秘密日記

到冠
大衆娯楽
胸の大きな〇学生の一日を描いた物語です。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

身体の繋がりしかない関係

詩織
恋愛
会社の飲み会の帰り、たまたま同じ帰りが方向だった3つ年下の後輩。 その後勢いで身体の関係になった。

処理中です...