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その3
しおりを挟む身の潔白の証明の方法を間違えたかもしれない。
エティは早くもそう考え始めていた。
「ハンクさん……あの女はあとどれ位で来ますか?」
「わかりません。クリフォード様の話だと来る時間はバラバラみたいです。気長に待つしかないですね」
「そうですか……」
はぁ、と溜息を吐いてエティは膝を抱えた。
『紫銀の女を捕まえる』とエティが宣言したリビングで、白いテーブルの下にハンクと二人並んで潜んでいる。ただ下に潜るだけだと隠れているのが丸見えなのでテーブルには大きなテーブルクロスをかけて目隠ししてある。小柄なエティには問題ない隠れ場所だがハンクには辛そうだった。クリフォードよりは背が低く細身だが、男性としては十分長身なその身体を窮屈そうに丸めて膝を抱えている。薄暗い中、もうかれこれ2時間くらいはこの体制だ。恐らく使用人達も寝静まった深夜の時間帯に入っただろう。
「あの……。大丈夫ですか?」
隠れている状態であまり会話をしない方がいいのはわかっているのだが、エティは気になって囁くようなヒソヒソ声で尋ねた。ハンクは何に対しての『大丈夫?』なのかわからないらしく返事はすぐに返ってこなかった。
「私がもう少しこっちにズレるので、もっとゆったり座って下さい」
「……ああ、大丈夫ですよ。問題ないです。エティ殿は?」
「ハンクさんがクッション用意してくれたからお尻は痛くないです」
『もう暖かい季節にはなってきましたが朝晩はまだ冷えます。女性は足腰を冷やしてはいけません』
そう言ってテーブルの下に潜る前に厚みのあるクッションと暖かい膝掛けをハンクさんから渡された。常に無表情なのでわかりにくいが実は優しい面もあるようだ。
「…………ンッ」
静まり返った空間に甘い声が響いた。
「……ああんっ……」
ベッドの軋む音と共にその声は次第に大きく、大胆になってきた。
「…………ハンクさん。確かに私は紫銀の女性が現れるように再現して下さいと頼みましたが……いつもこんな…?」
「そうですよ」
ハンクは何の動揺もなくさらりと答えた。リビングの続き部屋の寝室からはクリフォードと誰かは知らないが女性の営みの声と音がエティ達に丸聞こえだった。彼らが激しいのか壁が薄いのかは定かではないがエティは頭を抱えた。今夜は目的を果たすまでこのままこの濃厚な他人の絡みを聞き続けなければならない。
クリフォードが女性関係で評判が悪い事は以前から耳にしていた。エティは食材の買い出しやよく行く酒場で出会った人達から色々な話を聞く中で一番多いのがクリフォードの話題だった。
ジェームズ家の長子であるクリフォードは騎士という仕事柄、逞しい身体をしている。さらに端麗な青年で見た目は文句のつけようがないほど素敵なのに、唯一の欠点が女性関係だった。常に街にある娼館に入り浸って女遊びしていたらしい。
ここは娼館ではない。きっと街から誰かを寝室に呼び寄せたのだろう。クリフォードがこんな事をいつもしていると目の当たりにして、エティの頭には最低という言葉しか浮かばなかった。
「あっ、あっ、ああっ、クリフォード!いいわっ」
追い立てられていく艶かしい女性の声が止まらない中、エティはちょっと気まずかった。一人で聞いているならまだしも、隣にハンクがいる。耳に届く声に煽られて、えっちな気分になったりしないのだろうか?しかし視界に入るハンクは相変わらず身動きしない。人の濡れ場に遭遇したのは初めてだったが、顔を赤らめるというよりどちらかというとエティは呆れていた。もしかしたらハンクも同じかもしれない。きっと女性の手配はハンクの仕事なんだろう。クリフォードの執事の仕事は大変だろうな……。
「男の人って大変ですね……ングッ」
「シッ!誰か来ました」
ぼそっと隣のハンクに声をかけた瞬間、口をハンクの手で塞がれた。僅かに扉が開く音が耳に届きエティは思わず呼吸を止めて身体を強張らせた。寝室から聞こえる卑猥な効果音とは別の、布が擦れるような音がリビングに響く。緊張でドクドクと鳴り響く自分の心臓の音の方がそれより大きいのではないかと思う程エティの鼓動は激しかった。
本当に誰か入って来た……!
もちろん扉には鍵がかかっていたのをハンクと二人で確認した。いつ連れ込んでいたかは知らないが女性といる寝室の鍵も確認済みだ。なのにまるで鍵などかかっていないかのようにリビングに入ってきた人物はそのまま寝室の扉に手をかけたようだった。扉が開いたらすぐにわかるようにドアノブに下げておいた小さな鈴の音がチリンと掠れたように鳴った。
不意にハンクに手を掴まれ引っ張られた。そうだった、自分が捕まえると言ったのに呆けている場合ではない。エティは我にかえるとハンクに続いてテーブルの下から這い出た。長い時間同じ体勢でいたのと妙な緊張でよたつきながら閉じている寝室の扉の前に立つと中から女性の叫び声が聞こえた。
「クリフォード様!入ります!」
ハンクが強く告げ、勢いよく扉を引くと左側にある大きなベッドにクリフォードと化粧の濃い女性が見えた。勿論二人共衣類は身につけていない。しっかりと明かりが灯っている部屋の中は隅々まで見える程明るかった。クリフォードはベッドの上で膝をついて座り女性はベッドの奥の壁まで後ずさっていた。少し戸惑う様子のクリフォードと化粧の濃い女性が驚愕な表情で見ている先には今夜の主役と言っていい人物が佇んでいた。クリフォードが紫銀の女と言っていた女はゆっくりとハンクとエティの方へ顔だけ向けた。
「……ひっ!!」
ホラーチックなその動きにエティは情けない声を上げた。エティの隣に立つハンクは声こそ出さなかったがさすがに息を呑んだ。正気のない瞳はハンクとエティを確認するように見た後、再びクリフォードに視線を戻した。
床に引きずる程の白いレースの夜着を身に纏った紫銀の女は、無言のままクリフォードを暫く見つめた後、身を翻して寝室の出口、つまりハンクとエティの方へ向かって進んできた。エティは迷わず横にズレて道を譲った。女が醸し出す冷たい雰囲気が怖かったのだ。後で何と言われようとその時は少しでも女から距離を取る事しか考えられなかった。一方、果敢にもハンクは紫銀の女の前に立ちはだかった。しかしするりとかわした女は止まることなく扉から出て行ってしまった。扉が閉まる直前にハンクが追いかけるように扉を開けたが既に紫銀の女の姿はそこに見えなかった。
「……えっ、うそ!消えた……!?」
「……鍵は閉まっていました」
リビングから廊下に出る扉を確認しに行ったハンクが寝室に戻ってそう言った瞬間、エティの意識は飛んだ。
「……ん、アネット……?」
自分のすぐ隣でベッドのシーツを踏む音と誰かの気配がした。いつもの朝のようにアネットが先に起床したのかと、身を捩って重たい瞼をこじ開けたが、エティの瞳が捉えたのは眩しい朝日とその朝日に照らされ輝くクリフォードの金の髪だった。
「……はっ?えっ?……は!?」
状況が掴めず疑問符だらけの頭で記憶を巻き戻す。それを邪魔するかのようにクリフォードはすぐ真横であぐらをかいて座りボーッとし始めた。ご主人様はどうやら寝起きがあまり良くないようだ。
裸でそのポーズはやめて欲しい。本来真っ先に隠すべき場所が丸見えです。しかも物凄く元気そうです。
見ちゃいけないと思っているのに吸い寄せられるように目線がそこを捉えて動けない。エティはマジマジと観察してしまった。
寝起きでボーッとしたままクリフォードがハンクの名前を呼ぶとすぐに扉からハンクが入ってきた。いつ呼ばれてもいいようにすぐ隣の部屋で待機してたハンクはいつもと変わらぬ表情とビシッと決まったスーツ姿だった。
「ハンク、何でこの女がここで寝てんだっけ?」
「覚えてないんですか?深夜だからこのまま泊めるとご自分でおっしゃったじゃないですか。エティ殿、ご気分はいかがですか?」
「…………最悪」
エティは何もかも思い出した。クリフォードと女性のベッドでの姿と紫銀の女の恐怖。柔らかいベッドの上でゆっくりと身体を起こして座りながらエティは怒りの声を上げた。
「どこが私に似てるですって?全然似てないじゃないですか!あの女の方が背も高かったし、胸もあった!」
エティは自分が余計な事を言ったせいでクリフォードとハンクの視線を発育の悪い自分の胸元に集めてしまったのに気づいた。サイズを気にしているつもりはなかったが、紫銀の女に怯えながらも胸をチェックするあたり、なんだかんだやはり気にしていたのだ。
クリフォードは胸を見たついでにエティの全身を舐めるように見た。
「……あー、確かに近くで比べて見ると違ってはいたな。胸もだが全体的にお前の方が幼い。だけど髪の色や長さ、肌の白さも瞳の色も同じだった。な?ハンク」
同意を求められたハンクは黙って控えめに頷いた。
クリフォードの言うように身体的特徴は一致している部分は多い。だが心が無いような無表情の顔はエティより大人びて綺麗な造りだった。
エティは昨夜の通常じゃない出来事に頭がついていけず、目の前にいるのがご主人様という立場の人間で敬語を使わなきゃ失礼だという事をすっかり忘れていた。
「私じゃないってわかったでしょ?もう無罪放免だよね!?」
「ああ、確かに紫銀の女はお前じゃなかった。だか捕まえると息巻いてたのに真っ先にぶっ倒れたのは誰だ?」
「……ゔっ!」
「今夜またここに来い。今度は捕まえろよ」
「ええっ!こ、今夜も?!」
クリフォードは小馬鹿にしたように鼻で笑うとバスローブを羽織って寝室から出て行った。エティはがっくりと肩を落としてベッドに手をついたが自分を照らす朝日にハッとした。
「ヤバイ!仕事っ、遅刻だ!!」
クリフォードの部屋から慌ててそのまま厨房へ行ったエティだったが、既にハンクが連絡を入れてくれていたらしく、かなり遅れたのに誰にも怒られなかった。怒るどころか「先に馬小屋行って来たら?御飯あげてないんでしょ?」と気遣いされた。ありがたい配慮だ。ハンクさんに感謝しながらエティはレオとラズの元へ急いだ。いつもより遅目の朝御飯にラズの方はちょっと機嫌が悪そうだった。レオは何があってもどっしり構えるタイプらしく悠然としていた。しかしエティの前では甘えん坊に変わる。目の前の御飯よりエティに甘える方を優先しているレオにエティは昨夜の不満を散々愚痴った。
「レオ、あんたの主人は最低、最悪な人なのよ。あんな人にレオは勿体無すぎるわ。あーあ、私が大金持ちだったらレオをすぐに引き取るのに」
レオの頬を撫でながらエティがそう言うとレオは珍しく反発したような様子で顔をブルルと横に振った。
「ん?どうしたの?……あっ、もう行かなきゃ!じゃあまたねレオ」
エティのセリフを否定しているのはわかったがそれがどの部分なのかまでは理解出来ない。もどかしい思いの中、エティは厨房へ戻った。
「えっ、また行くの?」
賄いの夕食が終わりアネットとエティは自室に戻っていた。アネットは眉を下げて残念そうに言った。
「2日続けてひとりで寝るなんて寂しすぎるわ。今夜はご主人様の部屋に泊まらずに朝には戻ってくるでしょ?」
クリフォードの寝室で気を失ってそのまま朝まで寝てしまった失態はもう繰り返したくない。エティはもちろん!と力強く頷いた。
「今朝早くにハンクさんが訪ねて来た時は驚いたわよ」
「え?ハンクさんって厨房じゃなくてアネットの所に来たの?」
「そうよ。エティは疲れて寝てしまったので起きたら仕事に行かせますって。ねぇ、まさかと思うけどクリフォード様に手を出されてないわよね?」
「やだ!冗談でもそんな事言わないでよ!私あの人、大っ嫌いなんだから!」
エティの反応で何もなかったと確信したアネットは安心してエティをぎゅっと抱き締めた。
「よかった。クリフォード様は商売女にしか手を出さないって有名だけどエティも念のため気をつけるのよ」
まるで母親のような口調と暖かい抱擁にエティは笑みが溢れた。自分は姉のように慕っているがアネットからしたらエティは手のかかる子供かもしれない。
クリフォードがエティに迫る事はあり得ない。今までの彼とのやりとりでそうエティは確信していた。それより今の不安材料は紫銀の女だった。幽霊にしては生々しいし、人間だとしたら鍵のかかった扉をどうやって開けたのか。
それに彼女は誰で一体何者なのだろうか。難題が沢山でエティは重い溜息を吐くしかなかった。
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