ミルクチョコほど甘くない

るー

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7 深雪

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私にかまってくるのは嫌がらせだと思っていたのに……彼女?
朝、私が声をかけるまで話した事もなかったのに。しかもその後険悪になったのに?


朝から神経と思考を使いすぎてとうとうショートした。
私はその後何も考えられずにボーッとしていて、気づいたら家の前に着いていた。本当に家まで送ってきた一ノ瀬くんは、繋いだ手を名残惜しそうに離すと来た道を戻って帰って行った。


***


魂が抜けたような状態で眠りについた翌朝、学校に近い駅の改札口で一ノ瀬くんが私を待っていた。

私を見つけた途端機嫌が悪そうだった一ノ瀬くんの顔が別人のように変わった。片方の口角を少し上げ、ニヤリと笑った。


「深雪おはよう」

「……おは…よう」


一ノ瀬くんの顔を近くで見たら昨日の恐怖が蘇り、反射的に下を向いて挨拶した。駅のザワザワとした雑音の中、私の小さな声が届いたのは私より背の高い一ノ瀬くんの耳ではなくて彼の靴の方だと思う。

昨日の出来事は夢じゃなかった。それを再確認させられたのは、今朝起き抜けに届いた一ノ瀬くんからのおはようメールだった。前夜も『おやすみ』というメールが届いていたのをその時気づいた。最初に送られた時と同じようにメッセージの後にスタンプがあったが今度は笑える気持ちなどこれっぽっちもなかった。


「深雪は昨夜何時に寝た?」

「あ……、ごめんなさい。早く寝ちゃったからメール気づかなくて……」


朝の分だけはすぐに返信したけど、昨夜返信がなかったのを怒ってるのかな……。

顔色を伺うように隣を歩く一ノ瀬くんをチラッと見ると「別にいいよ」と先程と表情はかわらなかった。ホッと胸を撫で下ろす気持ちで再び前に顔を向けた。

校門が見える距離まで来た時に、突然一ノ瀬くんが手を繋いできた。駅からここに来る間にも同じ学校の生徒や、駅では他校の生徒からも視線を感じていた。やはり一ノ瀬くんはどこにいても目立つ存在のだと実感した。
これから教室に向かうまで、もっと大勢の生徒がいるのに手なんか繋ぎたくない。

さり気なく手を抜こうとすると力を込めて引き戻された。やっぱり離してもらえなかった……。「離して」なんて言葉は怖くてとても使えない。

恥ずかしさと緊張と周りからの視線の怖さで足がすくんでしまいそうだった。きっと女子は一ノ瀬くんより私を値踏みするように見ているはず。でも唯一幸だったのは下を向けば背中までの長い髪で顔が少し隠れる事だった。


「あれ?一ノ瀬と……橘?」


聞き覚えのある声がして顔を上げると少し離れた職員専用玄関に原田先生が立っていた。
原田先生はあれ?と一瞬上に視線をやった後こちらに歩み寄って来た。


「一ノ瀬すまん。僕、間違ってたか?」

「いいえ、合ってましたよ。それがキッカケで今はこうです」

原田先生と一ノ瀬くんのよくわからない会話を横で聞いていたら、一ノ瀬くんが繋いでいた私の手を口元に持っていき指先にキスをした。


「……っ!!」


先生の前で何て事を……!
というか先生相手じゃなくてもこんな事こんな大勢の人前で、しかも堂々としないで欲しい!

その軽く触れただけのキスは恋愛スキルのない私には驚きよりも照れが強く、一瞬で顔に熱が溜まった。そんな漫画やドラマみたいな事をする人が本当にいたんだと目をパチパチさせながら一ノ瀬くんを見た。

案の定、横目でチラリと私を捉えると彼は口元を緩めた。その表情で私は彼の期待通りの反応をしてしまったのだと理解した。


「そうか、それならよかった。じゃあまた後でな」


そう言って原田先生は照れたように笑うと校舎へ入って行った。


私の顔からはなかなか熱が引いて行かず今度は赤い顔を隠すために下を向く事になった。怖い一ノ瀬くんも嫌だし、さっきみたいにキザな行動をとって動揺させる一ノ瀬くんも嫌だ。


昨日に引き続き私達二人が手を繋いで歩いている姿は、付き合っているかもという噂を肯定する事になった。話を聞きつけた隣のクラスの友達が興味津々に席まで訪ねて来た。


「うわ~、付き合ってるの本当だったんだぁ。ちなみにどっちからなの?」

「俺だよ。ね?深雪」

「う、うん……」


友達だけじゃなくてクラス中が耳を傾けてる。私は時々送られてくる一ノ瀬くんの鋭い視線を感じながら彼の言葉にただ相槌を打った。


「一ノ瀬くんってずっと彼女作らなかったのに深雪のどこが決定打だったの?」

「それを教えると深雪が他の男に狙われるから内緒」

「わあ、そんな事言われてみたいよ!こんなかっこいい彼氏で深雪はいいなぁ」


よかったねと友達は笑いかけてくれたけど、私は奈落の底に落とされた気分だった。一ノ瀬くんが彼氏と言われてもピンとこない。好きだともいわれてないし、付き合って欲しいとか私が常識だと思ってた過程を飛び越えていつの間にか彼氏の枠にはまっていた。

きっと一ノ瀬くんの気が済めば解放してもらえる。この時はそう思っていた。


一ノ瀬くんはとてもモテる割にあまりチャラチャラした人ではなく、落ち着いた雰囲気の印象しかなかった。昨日今日の彼の言動に私は驚いていた。


残念な事に昨日と全く同じように調理室でお昼を過ごし、放課後になった。また当たり前のように手を引かれている帰り道、一ノ瀬くんが繋いだ手をツンツンと引っ張った。


「深雪の家って厳しい?門限ある?」

「事前に連絡しておけば特に……」

「じゃあ今日遅くなるって連絡入れて。深雪を連れて行きたい所があるからさ」


今更だけど一ノ瀬くんは物事を決める時一方的で私に選択権はないに等しい。かと言って、どうする?と委ねられても一ノ瀬くん怖さに結局彼に合わせる事になっていそう。私ってこんなに気が弱い人間だったんだ。

彼に言われるがまま家族にメールで連絡を入れた。それを側で確認するように覗き見ていた一ノ瀬くんは満足したように頷くと私を連れて学校の近くのコンビニへ入った。


「明日バレンタインだけど俺へのチョコって用意してないよね?ここに置いてあるのでいいから今買ってくれない?」

「えっ、今?」

昨日の今日で当然用意なんてしてない。それよりもチョコを渡さなければいけないという事自体が完全に頭から抜けていた。
逆に、今買わないと他で買う時間が取れそうにないと考え、すぐ頷いた。理由はよくわからないけど昨日チョコが原因で一ノ瀬くんがひどく怒ったのを思い出した。もうあんな風に怒鳴られるのは嫌だ……。

バレンタインチョコが並べてある棚の前に立ち、目線だけで一通りどんなものがあるのか見た。前日ということもあり売れ残りに等しく品数はもうそんなに揃っていなかった。

「深雪はどんなチョコが好き?」

真後ろから降って来た声に肩がビクッと揺れた。低くてよく通る声は男子なのに澄んだ声で一ノ瀬くんの見た目に似合っている。でもその声は私の身体を見えない鎖で縛るように耳元で言葉を綴る。

「深雪、聞いてる?」

「は、はい。普通の板チョコみたいな何も入ってないやつ……」

「ああ、えっと……こんな感じの?」


一ノ瀬くんは棚の中から一つ手にとって私に見せた。箱には写真付きで中身の説明が付いていてキューブ状のチョコが10粒ほど入った商品だ。カカオの配合量で甘さの段階が違うものが五種類。チョコ好きにはこの一箱で楽しめそうな物で、実はさっき見た中で美味しそうと目を止めた物だった。

商品を見ながら軽く頷くと一ノ瀬くんはそれを持ってレジに向かった。一ノ瀬くんが食べるのだから私の意見を聞かず自分で好きなのを選べばいいのにと思いながらもお金を支払いコンビニを出た。

私からの気持ちは全く込もってないけど、これは立場的に本命チョコなの?

本命チョコになるのだとしたらコンビニで本人目の前に買った簡易な物で彼は満足なのかな?普通だったら手作りとか可愛くラッピングされて、そう正に昨日机に入っていたチョコのようにメッセージカードをつけたり……。
不器用な私はそんな事にチャレンジできなくて過去に渡した友チョコは全て市販品だった。


コンビニを出て駅から私の家とは反対方向の電車に乗って三つ目の駅で降り、彼が私を連れて行きたいと言っていた先は一ノ瀬くんの家だった。家といっても何十階もあるマンションで、エントランスから玄関に着くまでどこかの高級ホテルみたいに綺麗な内装だった。住宅地の中の古い一軒家という私の家とは違った品のある空間に私は口をポカンと開けながらキョロキョロしてしまった。

玄関から中に入っても雰囲気は同じで、間接照明がおしゃれな落ち着いた家だった。


「ここ俺の部屋。適当に座ってて。何か飲みモン持ってくる」

そう言って一ノ瀬くんは部屋の隅に鞄を置いて制服のブレザーを脱ぐと部屋を出ていった。

適当に座ってと言われても……と無難な場所を探る。部屋の壁に沿って本棚や学習机、パイプベッド、小さめのテレビとその横にはゲーム機がある。色調はやはり男子っぽく黒やグレー中心でブルーなんかも所々にある。

自分のテレビがあるなんてちょっと羨ましい。男の子の部屋に初めて入ったけど清潔感があって綺麗だった。もっと雑に散らかってたら遠慮なく腰を下ろすのに、几帳面そうなこの部屋は一ノ瀬くん本人がいなくても緊張する。

床はフローリングで、中央に寝転がれる程のマットが敷いてある。私はそのマットの端っこにちょこんと正座した。座ったと同時くらいに一ノ瀬くんが戻って来て私の側にグラスに入った飲み物をトレイごと置いた。

そして私の目の前に膝を立てて座ると顔を覗き込むようにして言ってきた。


「さっきのチョコ食べたい」

「あ、はい。……どうぞ」

思ったより近い位置に座られ、やや仰け反りながらも手提げ袋から箱を出して両手でそっと差し出した。俯く視界の端でガサガサと包みを開くのが見えた。

「深雪こっち向いて」

何だろうとビクビクしながら僅かに顔を上げて視線を合わせると「はい、口開けて」と開けたばかりのチョコを一粒、半ば強引に押し込まれた。

「噛んだらダメだよ」

一ノ瀬くんの口元がゆっくり弧を描いた。今まで見た中で一番笑っているその顔に、私は背中にナイフをあてられているような恐怖感に襲われた。

「おいしい?」

味なんてわからないし、凍りついたように合わせた目を逸らせない。

返事もせずに困惑した表情で見返していると一ノ瀬くんは少し間を詰めて囁くように言った。



「深雪、それちょうだい」



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