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しおりを挟む「その人にはちゃんと相手がいるんだよ」
いつもより低い声、聞いたことない乱暴な口調。それなのに耳に入ってきた声は、姿が見えなくても誰のものなのかすぐにわかった。
「……愁」
目の前の男で視界が遮られ姿が見えないが、手を伸ばすような思いで会いたかった人の名を呼んだ。男は背後を気にするように凛斗から視線を外すと、チッと舌打ちしてようやく凛斗を閉じ込めていた腕を壁から離した。
男が振り返ると険しい顔の愁が静かに立っていた。愁の顔を見た途端、ホッと息が漏れた事で自分が男に怯えていた事に気付いた。
愁は未だ凛斗から離れない男に鋭い視線を残したまま、落ち着き払った様子で凛斗を引き離した。愁と男はしばし無言のまま睨み合い、その場の雰囲気をこれでもかと凍らせた。
「凛斗、さっきコイツにやられてたのと同じ事を紗希ちゃんにしてくれる?」
「…っは? な、なんで?」
「いいから。紗希ちゃん、凛斗の耳を両手で塞いで」
「へっ? あ、うん」
何が何だかわからないまま、愁の言いなりになった凛斗と紗希はお互い目を合わせキョトンとした。愁に言われたことを意外にもきちんと遂行した紗希の手は、凛斗の耳をぴっちり塞いで朝の混雑した駅構内の騒めきをシャットダウンした。
何だこれ?
何故また壁ドン? 男にされるより女の子にした方がいいに決まってるが……何故、今壁ドン?
頭の中に疑問符が飛び交う中、ふと凛斗の背後に視線をやった紗希が急に目を見開いた。どうやら何かに驚いたようだ。気になった凛斗は振り返ろうとすると、耳を押さえている紗希の手で力強く止められた。
「え、なに?見ちゃダメなのか?」
目を見開いたままの紗希がコクコクと高速で首を縦に振る。
止められると余計に気になってしまうものだ。隙をついて首を捻ろうとしたが、紗希の手の力は緩まなくてチャンスがない。そうしているうちに紗希の驚愕な表情は深みが増していった。そう、例えるならば見てはいけないものを見てしまったが目が離せない。まさにそんな感じだ。怖いもの見たさで好奇心が膨れ上がるが、紗希が真剣に止めるのだから止めておくのが正解なのだろう。
痛いくらいに押さえつけていた紗希の手か離れ、同情を滲ませたため息と共にようやく耳が聞き慣れた声を拾う。
「凛斗も変な人に好かれるタイプだったのね。お互い苦労するわね」
「は?変な人?」
さっきの先輩とらやの事か?と振り返ると既にその姿はなく、愁がポツンと立っているだけだった。あれ? いつの間に、どこ行った?
「先輩なら愁くんが追っ払っ……上手に説得してくれたから」
遠巻きにこちらを見ているサラリーマンや学生が、唖然としているのを見る限り普通に説得したんじゃないのが伺えた。愁はいったいどんな風に説得したんだ……?
「もぅ、愁くん最初っからああやってくれれば一発で片付いてたのに。出し惜しみしてたの?」
「先輩相手にできませんよ。さっきは凛斗が絡まれてたから思わず……」
その先を口ごもる愁とばっちり目が合う。男に向けていた強い視線とは真逆で、優しさが滲み出ているいつもの愁だ。でもその優しさは曇りを見せて凛斗から外された。
ゴタゴタして忘れてたが愁とは気まずい状態だった。会いに来てどうするか考えてなかったわけじゃないけど、思いの外戸惑っていざとなると言葉が出てこない。
無言で立ち尽くす凛斗と愁を見かねて紗希が二人の背中を押した。
「愁くん、講師の先生には欠席って伝えとくから。凛斗、何のために講義サボってここまで来たの? しっかりね!」
喝を入れた後にっこり笑って紗希はバイバイと手を振り人の流れに消えて行った。凛斗は隣に立つ愁の顔をそーっと見上げながら勇気を振り絞った。今日この中途半端な状態に絶対に決着をつける。
「あの……今さらだけど、今日一日付き合ってくれるか? は、話がしたい」
「……わかりました」
愁は苦々しく返事をした。もしかして愁はそんな気分じゃないのかもしれない。しかし凛斗は構わず歩き出した。渋々という足取りでついてくる愁を背中に感じながら切符を買い、改札を抜ける。愁の部屋で話したいと言ったら驚いてやっとしっかり目を合わせてくれた。戸惑いと切なさを表した瞳はよく見ると、寝不足なのかちょっと赤く充血して目の下にはクマができている。
やっぱり悩ませてたよな……。
後先考えずした行動が、こんなにも人の心に影響するとは思わなかった。弱り切った愁を目の当たりにして、何度目かの懺悔が湧き上がる。
目的の駅を降り、愁のマンションまで二人並んで歩く。さほど遠くない距離に羨ましくなる。
「駅から遠すぎず近すぎず、いいとこに住んでるよな。とんぼ返りさせて悪いな」
「別に、そんな……」
「愁、朝食った? 俺まだだからそこのコンビニでなんか買ってくる。欲しいのあるか?」
「いえ、特には」
「あー、レジ混んでんな。愁先に帰っててくれよ。買い物終わったら行くから。あのマンションだったよな?」
ひときわ背が高く目立つ建物を指差すと愁はそうだと頷いた。部屋番号もちゃんと覚えている。なるべく普段通りに話しかけたが愁の受け答えは固いまま変わらない。すんなり背中を見せた愁に胸が痛くなる。できてしまった溝はそう簡単には埋まらなそうで、作った本人である凛斗は大きくため息をついた。
コンビニで適当にパンやおにぎりを選び、買い物を済ませると愁の部屋へ向かう。不思議と早足になってしまったせいで上がった息を整えてからチャイムを鳴らす。ドアの側で待っていたかのようにすぐに扉が開いた。
「コーヒーの匂いがする」
「今淹れてます。ブラックでしたよね?」
愁の前でコーヒーを飲んだのは一度だけで、何も入れないなんてわざわざ教えたりしていない。知ってくれてるなんて、こんな些細な事が嬉しくなる。
愁の家の中は閑散としていて、家族が留守なのは聞かなくてもわかった。おそらくそうだろうと思って愁の部屋を選んだのだ。今日話をするのに途中で邪魔は入って欲しくない。もともとそう鳴りはしないが携帯の電源も落とした。
「愁も食ってないんだろ。口に合うやつがあるかわかんないけど、おまえもなんか食え」
自分の分を取ってから袋ごと愁に押しつけるように渡した。愁は小さく礼を言うと中を見ずにそのままテーブルに置いた。朝食を取ってないのは当たりだろうに、食べる気は無いらしい。向かい合って座り重々しい空気の中、凛斗がコーヒーを啜る音だけが部屋に響く。
「……食べないんですか?」
「あ、あとで食う」
さっきまでは感じていた空腹感が緊張で消え失せた。食べるどころか今は吐きそうに胃が締め付けられる。
「この前……悪かった。あとメールとか電話……」
凛斗がゆっくり話し始めると、愁は視線を彷徨わせた。
「……いや、です。許しません。ものすごく怒ってます」
どう見ても怒ってるというより落ち込んでいる。怒るというのは駅で男に向かっていた時のような状態だ。怒ってるのとは程遠いか細い声で愁は続けた。
「怒ってるので、絶対別れません」
「……は? なんで別れるとかの話になってんの?」
「だって、今日は別れ話をしに来たんじゃないんですか?」
「ちっ…ちげぇよ! 確かに連絡無視したけどそんな事微塵も思ってない!」
「本当に?……僕もうダメかと…嫌われたと思って」
「好きだ」
自覚したばかりの、丸裸の気持ちを曝け出した。きっと最初から好意はあった。じゃないと髪や肌を触られても気持ちいいなんて感じない。気のおける人は他にもいるが、触って欲しいのは一人だけだ。賢治に髪を撫でられてはっきりとわかった。
凛斗の突然の告白に、愁は耳を疑うように「え?」と聞き返した。
「おまえが好きだ。だからこの前の続きをしに来た」
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