sideBの憂鬱

るー

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 俺の頭の中は都合のいいようにできている。

 愁と先に進みたいのに痛いのが嫌でぐずぐず悩んだ事や、涙を流しながら痛みに耐えて愁を迎え入れた事など「そういえばそんな事あったな」くらいの扱いで、一晩経ってみれば気持ちよくて嬉しかった部分しか残っていない。

 あいつのその気にさせる甘いセリフや壊れ物を扱うみたいに優しい手。幸せだと滲み出ている笑顔や安心できる腕の中と愁の匂い。何度も反芻しては胸を高鳴らせている。

『かわいい』と構い倒してくる愁は凛斗を女の子扱いしているのではなく、単純に好きな相手を甘やかしているだけなのだろうが、凛斗の頭の中はしっかり恋する乙女のようになっていた。



「よぉ凛斗、昨日急に休んでどしうたんだ?」


 後頭部にポンと手を置かれて顔を上げると、いつもの明るいテンションの賢治が慌ただしく横に座った。いつもと同じ大学の教室でいつもとなんら変わらない人々のノイズ。いつもと同じ席なのに、不思議と自分だけが変わってしまった気がする。その変化に気づかれたくなくてわざとらしく笑顔を作る。


「お、おはよ賢治。昨日は…ちょっと腹壊して……」

「ふぅーん。腹ね」


 賢治は「そういう事にしといてやるよ」と言うかのように、ニヤッと口元を緩めた。そして鞄からノートや筆記用具を出して講義を受ける準備を始めた。

 身体は細っこい見た目に反して凛斗は滅多に体調不良なんかにならないし、余程の用事がないと講義を休まない。仲の良い賢治は当然知っている。明らかにサボったのがバレてるようだったが、賢治は特に踏み込んで聞いて来なかった。助かったと安心したのも束の間で、賢治は誘ってきた晩飯の場で爆弾を投げ込んできた。


「凛斗『スカイツリーのてっぺん』には行けたんだな」

「ブッ!! 」

「うわっ! 汚ねっ!! こっちまでパスタ飛んできたぞっ」


 顔を合わせて座っている賢治がブツブツ文句を言いながらも、凛斗が吹いて撒き散らかしたペペロンチーノの残骸を紙ペーパーで寄せ集めた。ここは大学の近くのファミレスで凛斗や賢治の行きつけの店だ。メニューも豊富で値段も手頃だから学生の姿も多い。

 むせてゲホゲホしながら凛斗も自分が汚してしまったテーブルを使い捨ておしぼりで拭いた。

 賢治が先に食べ終わっててよかった。注文した料理が届いた直後に話題を振られていたら、賢治の好物の焼肉定食セットが台無しになるところだった。


「水は無事だな。ほら、飲めよ」

「けほっ、ん、サンキュー」


 スカイツリーに行けたのか?じゃなくて行けたんだなと言われた。これは凛斗が苦手で悩んでいた事を克服したと確信した口調だ。講義をサボったのがバレたのは、仲がいい間柄なら勘付かれても仕方ないとわかるが、賢治が何故『てっぺんに登れた』と思ったのかが謎だ。


「な、なんでわかった?」

「今朝のサッパリした顔見りゃ一発でわかるって。デリケートな問題で凛斗は隠したがってたから訊くのもどうかなって思ったんだけど、やっぱ気になってさ」

「サッパリした顔って……」


 欲求不満が解消された顔と言われた気がして、凛斗は顔を真っ赤に染めた。素直な凛斗の反応に軽く話を持ち出したはずの賢治も戸惑った。


「その顔やめろ。見てるこっちか恥ずかしいだろ……」

「賢治が変なこと言うからだろ。見て見ぬ振りしろよ」

「やだよ。凛斗とはそういう話もしたいし。いつ相手紹介してるの? 可愛い? あ、もしかして歳上とか? もしかして不倫?」

「不倫じゃねぇしアイツは同い年だよ!」


 声を荒げてハッと青ざめた。賢治に上手いこと誘導されてうっかり相手の情報を出してしまったが、愁の名前を口にしてないことに心から安堵した。周りの目を気にしながら前のめりになった身体をゆっくり背もたれに預けた。晩飯にはちょっと早い時間帯の店内でも若い学生で賑わっていて、凛斗の声は他の客に気に留められることなく済んだ。これ以上は何も言わないぞと賢治を睨んでも効果はなかったようで頬杖をつきながらニヤニヤしている。


「へぇ、同い年か。同じ大学じゃないよな。そんな素ぶりなかったし。どんなコ?」

「絶対教えねぇ」

「ケチ。別に横取りしようとかしてないしいいじゃんか」


 賢治は諦めが悪いと新たな一面を知ったが、それに屈することなく逃げ切った。しばらくはしつこく探りを入れてきそうだな、と見通しを立てながら帰路につき、家に入ろうと玄関に手をかけた瞬間に「凛斗」と呼ばれた。

 名前を呼んだのは紗希の声だったのに、振り向いて目に入ったのは愁の姿だった。愁のすぐ隣に紗希もちゃんと立って居たのに、照準設定されていたかと思うくらい視線は愁を捉えた。


「へ? 愁?」


 なんでこんなところにいるんだ?とキョトンとしながら言うと愁は笑顔を消して拗ねたように言った。


「せっかく会えたのに嬉しくないんですか?」

「ちょっ…! おまえ紗希の前でそういう事言うなよ!」

「まぁまぁ、照れない照れない」


 紗希が構わないから続けろと勧めるが、こんな家の外でご近所さんの誰が見聞きしているかわからないのに無謀すぎるだろう。


(昨日の今日だぞ照れるに決まってるだろ!)


 専門学校の授業が終わって、紗希を送ってきた愁は紗希の部屋で凛斗の帰りを待っていたらしい。紗希の部屋の窓からからも凛斗の家が見える。タイミングよく声をかけられたということはその窓からずっと外を眺めていたということだ。

 頬に熱が溜まるのを感じながらも、何が用でもあったのかと訊ねると、愁は「ただ顔が見たかっただけ」と紗希の前で澄ました表情で堂々と言い放った。前は凛斗の為に隠して誤魔化していたらしいが、二人の関係が紗希に知られているとわかった途端これだ。恥ずかしいから勘弁してほしい。


「ねぇ、せっかくだから三人でご飯食べに行こうよ!二人とも予定ないでしょ?」

「僕は問題ないですが凛斗は?」

「別に行ってもいいけど、俺さっき食ってきたから座ってるだけになるぞ」

「そうなの? しまったぁ、先にメールすればよかったぁ。それでもいいから行こうよ!」


 お母さんに晩御飯いらないって言ってくるね!と一旦家の中に入って行った紗希を見送ると、愁は物言いたげに凛斗を見下ろした。


「な、なに?」

「会いたかったです」

「昨日会ったばっかだし朝もメールしただろ」

「僕は毎日でも会いたいんです」


 一歩近づいた愁は、照れて視線を彷徨わせる凛斗の前髪を長い指で一房掬った。


「髪、洗いたいです」


 俺も洗って欲しい、とは口に出さず小さく頷く。髪を洗うだけで終わるのか、別の意味合いも含まれているのかはわからないが、今の凛斗にはどちらでも構わない気分だ。


「ところで…ご飯は誰と?」

「大学のツレだよ」

「二人きりで? どんな人ですか?」

「…………。」


(何で浮気を責められるみたいになってるんだ? )


 さり気ないどころか、ズバズバと質問してくる愁に怪訝な表情を向けると愁はニコッとわざとらしく笑った。その意地悪そうな笑顔は昨日もお目にかかったぞ。


 やな予感がして一歩下がると愁も一歩進んできた。


「ちゃんと教えてくれないと昨日別れ際にしたのと同じコトしますよ?」

「俺さっきペペロンチーノ食ったんだけど」

「構いませんよ」

「やめろ、俺が嫌だ」


 ジリジリと追い詰められ数歩下がったところで視界の端に紗希が立っているのが見えた。腕組みしてニヤニヤしている。ずっと玄関先から二人のやりとりを眺めていたようだ。


「紗希! 早く声かけろよ!」

「いやぁ、凛斗が昨日の別れ際、愁くんに何されたのか気になっちゃって。黙ってたらわかるかなーって」

「紗希ちゃんが電話で聞いていた公園の時とほぼ同じコトですよ」

「愁!!」



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