義兄様と庭の秘密

結城鹿島

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私に『兄』が出来たのは六歳の時だ。
父の再婚相手に連れ子がいると聞かされたのは、対面の当日。その連れ子が自分より年が上で、しかも男ということで、私はびっくりしたものだ。新しい母だけでも大事なのに、さらに突然に兄が出来るなんて、子供には簡単に受け入れられない。なんだか怖くなってしまって、私は庭へ隠れた。まずは顔合わせだけということだったので、二人が帰る夕方まで、そうしているつもりだった。
我が家の庭は、大人でも迷子になるほど広い。裏の山との境がなく、家の傍の山野を庭と呼んでいるというのが正しいだろう。整えられているのは屋敷の近くだけで、離れれば離れたた分だけ自然のままの姿を残している。

あの日は、秋の終わりの頃だった。
私は庭の奥、背の高いススキの中へ分け入って、座り込んで泣くのを我慢していた。
新しい母のことも、兄のことも、不安で仕方なかった。幼いながら、継母ままははとその連れ子との生活の難しさは肌で感じていたのだ。これから、生活が変わってしまう。そう、怯えていた。

どれくらい経っただったろうか。私は自分でそこに隠れたくせに、誰も探しに来てくれないことにも憤慨していた。恐らくはそう経ってはいなかった。けれど子供の私には、世界に一人ぽっちになってしまったような気がして、ひどく心細かった。そんな時、

「泣いているの?」

ススキの揺れる音に紛れるほど小さな声で問いかけられ、私はおずおずと顔を上げた。
そこには見知らぬ少年がいた。ススキを掻き分け、柔らかい眼差しで私を見下ろしている。白い陶器のような肌と練り絹のような黒髪、細面のまるで少女のような中性的な美しさを湛えた彼に、私は目を奪われた。ただの白いシャツさえ上等な衣装に見えた。

千代子ちよこ、だね?」

少年は私よりもかなり大きいけれど、まだ声変わりしていない。

「随分明るい彼岸花だと思ったら、牡丹だったんだね」
「……?」

少年は私の前にしゃがんだ。
「ほら、君の着物が真っ赤だからね。そう思ったんだけど、それにしちゃあ赤すぎるから。気になって」

確かに、私は真っ赤な牡丹柄の着物を着ていた。お祝いだから明るいものを、と乳母に着せられただけで、その柄が好きではなかった。上手く隠れられたつもりなのに、ちっとも隠れられていなかったことに恥ずかしくなって私は俯いた。

「よく似合ってるよ」
少年の言葉で、たった今さっきまで気に入らなかった着物が、急に特別に思えた。

「あり、がと」

少年は項垂うなだれる私の横に座り直すと、細い指を私に伸ばしてきた。まるでガラス細工に触れるように髪を撫でられたので、知らない相手だったのに私はちっとも怖くはなかった。
頭を優しく撫でられ、私はいつしか涙を零していた。堪えきれない感情が、溢れてしまったのは少年のせいだ。

「新しいお母様なんて……いや……」

一瞬、少年の指が止まった。そして細い腕で彼は私を抱きしめたのだ。
「ごめんね、千代ちよ
それが隆正義兄様たかまさにいさまと私の出会い――


あれから十年が経った。



義兄様にいさまを探す時、私は庭へ降りて行く。離れの義兄様の部屋へ行っても、いないことは分かっているからだ。義兄様は家の中にいるより、庭で過ごすことの方が多いかもしれない。温かい季節には、時たま夜を庭で過ごすことさえあるようだった。

義兄様にいさま、義兄様、どこですか?」

スカートにつっかけでは足を虫に刺されるかもしれない。そんなことを思いながら、私達しか足を踏み入れない庭の奥、義兄様を呼んで歩く。実の成る樹の周囲を重点的に。今は秋だから、闇雲に探すよりも、実のなる樹の近くを探した方がいい。
柿が何本か植わっている辺りまで来た時に、

「千代、ここだよ」

樹の上から柔らかい返事。

「義兄様ったら、またそんなところに居るのですか」

顔を上げれば、探していた義兄様が樹の上から私を見下ろして笑っていた。
我が家の広大な庭には、実をつける樹木が沢山植えられている。食べるのに困ることもあった昔、曾祖母が生活を助けるために植えたそうだ。梅、桃、柿、栗、枇杷びわ金柑きんかん柘榴ざくろ、等々、様々な種類のものを。それから筍や山菜だって庭の先の裏山にある。義兄様はそれらを庭で食べるのを好んだ。今も、隣の樹から柿を物色していたようだ。柿の枝は折れやすいので、隣の枝からというのはいいのだけれど、降りずに食べるのは止めて欲しいものだ。危なっかしくて冷や冷やしてしまう。

「柿が良い出来なんだよ、千代」

私の名前は千代子なのに、義兄様はずっと千代と呼ぶ。私はその甘い響きが好きだ。

「部屋の中で食べればいいでしょうに……」
「外の方がね、心地がいいよ」

私が呆れてもどこふく風。
外にいることが多いので健康的に日焼けしているが、白いシャツから覗く腕は男の人にして線が細く、その辺の女性より遥かに美しい。愛想が足りないと父にいわれる私からすると、憎らしいほどだ。五つ年上だから、今年は二十一になるというのに、初めて会った時の印象と変わらない。

「千代の分を落としてあげよう」

くすくす笑って、義兄様が柿を二つ三つと落としてくる。私は、はしたなくもスカートを広げ、柿を受け取った。どうせ他に見ている人などいないのだ。

「こんなには食べられないわ、義兄様」
「僕が食べるからいいよ」

樹から危なげなく降りてきた義兄様に導かれて、木陰に向かう。用意周到に準備されていた茣蓙ござに横に並んで座る。

「千代、もっとこっちにお寄り。スカートが汚れてしまうだろう」
言われて、私はぴったりと義兄様に寄り添った。いつから、こんな風にどきどきするようになっただろう。思い出せないくらい、自然に、いつのまにか義兄様の側にいると鼓動が騒ぐようになった。
いつも持っている折り畳みナイフで、義兄様が器用に柿を剥いていく。

「ほら、お食べ。よく熟れているよ」

義兄様は手掴みで私の口元へ柿を寄せた。
「もう子供じゃないんですからね」
言いながらも、私は義兄様に柿を食べさせてもらう。熟れた柿は崩れやすい。最期の一かけを零してしまわないように、ぐっと指で押し込まれた。義兄様の指が唇に触れるのがくすぐったくて――どこか気持ちいい。
小さな柿一つ分、同じように繰り返した。

「千代は美味しそうに食べるなあ。僕も、食べよう」

私は義兄様の唇が、果汁で艶めかしく濡れるのをじっと見ていた。嚥下する際に動く喉を、紅い舌が唇を舐めるのを、見ていた。なんでもない光景のはずなのに、酷く私の胸を騒がせる。この感情が一体何なのか、わからないまま私は十六歳になってしまった。

「家にいるのが嫌なのかい?」

柿を食べ終わった義兄様が出しぬけに尋ねてきた。
私は答えずに義兄様の腕に頭をもたれかけさせる。こうすれば顔を見られずに済むから。
「だって……」
声が震えて、うまく言葉にならない。
義兄様に肩を抱かれ、優しく髪を撫でられ、漸く私は答えることができた。

「……顔も見たことのない方と結婚なんて嫌です」

家の為に婿をとらなければいけない。よその家の娘もみなそうやって、親の決めた相手と添い遂げるのだと、そうは言われてもどうしても嫌だった。嫁に行けといわれるよりかは幾分かマシなだけ。喜びなんて一欠けらもない。それどころか、結婚式の準備で忙しくする義母や父、屋敷の使用人たちを見るのが嫌だった。嬉しそうにしている皆の顔がたまらなく嫌だった。そんなことを思うなんて、罰あたりだって頭ではわかっているのに。

「家を継ぐ息子なら、義兄様がいるじゃないですか」

私が零すと、くすりと至近で笑い声が聞えた。

「僕を息子だなんて思っていないよ、義父さんは」
「……」

そんなことない、とは言えない。父は義兄様をあからさまに疎んじた。自分の血を分けた息子じゃないから。理由は理解できる。でも、だからって、存在していないかのように扱うのは許せない。
ましてや、血の繋がった継母までもが、義兄様を疎んじるのは絶対に許せない。

「私には大事な義兄様にいさまだわ」

継母には父と私達が暮らす母屋に部屋が用意されたのに、義兄様に用意されたのは一棟とはいえ離れだった。それでも幼い自分は、初めはそんなものかと思っていたのだ。
近づいてはいけないと言われていた離れへ会いに行って――そして、自分の目で確かめてわかった。父は義兄様を歓迎していない、と。
その昔、体の弱かった曾祖母のために作られたという離れは、長い間放置されていたから古びて汚れていた。私は恥ずかしくなった。使用人たちに囲まれ、蝶よ花よと育てられていた自分が。
義兄様が庭でばかり過ごしているのは、家の中に居場所がないからだ。
庭の果実を食べるのも、使用人が食事をきちんと出さないせいだ。

「私には大事な義兄様だわ」

思いの丈が伝わるように、私はもう一度繰り返した。

「千代、お前は僕のかわいい妹だよ」
義兄様の私の肩を抱く腕に力が籠る。
「義兄様はずっと家にいてくれますか……? 私の旦那様になる方がやってきても」
父の選んだ結婚相手は、きっと義兄様に辛く当たるに違いない。
「僕に傍にいて欲しい? 千代は僕が遠くに行ったら悲しいかい?」
「悲しいに決まってます!」

私は顔を上げ、義兄様の顔を見据えて言った。
そんな例え話をされただけでも、涙が込み上げてきそうだ。この家に、義兄様以外に私の味方はいないのだから。
突風が起こり、ざわざわと風が梢を揺らす。空に舞う枯葉すら今は羨ましい。

「いっそ、どこかへ逃げてしまいたい……」
我知らず本音が零れる。
「……千代がそうしたいなら、そうする?」

甘やかす声で囁かれ、空から義兄様へと視線を戻した。息のかかる距離で見つめあう。黒々とした義兄様の瞳に私が映っている。いつも私に向けてくれる微笑みはない。どんなつもりで言ったのか、感情が読めない。
素直に答えたら、一緒に逃げてくれるのだろうか。
もし、一緒に逃げると言ってくれるなら――

(何を考えているの、私)

「……ごめん、困らせたかな」

義兄様は私から体を離し、苦笑を浮かべた。いつも通りの優しい義兄様だ。
ほっとするのと同時に、どこか失望している自分に気がついた。
私、何を考えていたのだろう。

「そろそろ日も暮れるし、戻らないと心配されるね。送るよ」

ほら、と差し出された手を掴んで立ち上がる。
こうやって、庭で過ごすことも出来なくなるのだろうか。夫となる人は、私が義兄様とこんな風に過ごすのを喜ばないだろう。

(だって、血がつながっていないのだもの……)

「少し遠回りして、向こうの道を行くよ」

「はい」

道だなんていうが、義兄様以外には見分けはつからない。下草を刈って歩きやすくしてあるのは、義兄様が道と呼ぶ中でも僅かだ。
元々の管理者だった曾祖母が亡くなってから、庭は屋敷の周囲以外、顧みられなくなった。生活の助けのために植えた木々を、祖父や父は浅ましいものだと嫌ったのだ。
義兄様が手をつけるのを咎められなかったのだから、結果としては良かったのだろう。食べられるものだけでなく、花の世話もしていたら、いつの間にか義兄様は我が家の庭師のようになってしまった。

(こんな家、出て行きたいと思っていても不思議ではないわ……)

先ほどの義兄様の言葉を思い出し、胸がきりきりと痛む。
どうして正直に答えられなかったのだろう。ずっと傍にいて欲しいに決まっている。義兄様と離ればなれになるなんて嫌だ。
ただ、不安になってしまったのだ。家という枠組みを離れたら、私達がどんな関係性になるのか――。
血が繋がっていないのだから当然だが、私と義兄様はまったく似ていない。背の半ばまで伸びた黒髪を義兄様は褒めてくれるけれど、私は平凡な容姿だし、誰が見ても一目で兄妹でないと看過されるだろう。

(家を離れた義兄妹は『何』になるのかしら……)

「千代」
「はい!?」
考えに沈み込んでいたから、急に呼ばれて体がびくりと震える。
「千代」
「なんです?」
「千代」
「義兄様、なんなのですか」
「呼びたかっただけ。僕に答える千代が可愛くて」

悪戯めいた笑みに色気が漂う。義兄様はひとしきり肩を震わせ笑った。

「まあ、なんですか、それは……」

可愛いだなんて、男の人は、そんなことを直截に言わないものなのに。顔が赤くなってしまわないか私は不安に思った。日が暮れはじめた空のせいだと誤魔化せるだろうか。

「あそこに金柑があるだろう? あれで甘露煮を作ったから、千代にあげるよ。千代は好きだっただろう?」
「金柑の甘露煮ですか、ええ、好きです」
「また作れるように、少し拾って行くから手伝ってくれるかい?」
「ええ」
「それじゃあ、拾ったら一緒に離れへ行こう」

義兄様が、私を離れへ呼んでくれるのは珍しい。私は少しでも長く義兄様と一緒にいられることを喜んだ。
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