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序章
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冬の冷たい風が肌を刺す。
午前七時、霧ヶ峰村行きのバスは、鈍く軋む音を立てて小さなバス停に停まった。窓の外には雪が舞い、地面を白く覆っている。
「終点、霧ヶ峰村です」
運転手の無機質な声が車内に響いた。
桐生七瀬(きりゅう ななせ)は古びた座席から立ち上がり、コートの襟を立てた。
肩まで伸びた黒髪がふわりと揺れる。長い髪を耳にかけると、金具がぶつかるような音がした。
――姉さん。
髪を梳くたびに、亡くなった姉の顔が浮かぶ。
バスの階段を下りると、足元に冷たい空気がまとわりついた。地面に薄く積もった雪を踏みしめながら、七瀬はあたりを見渡した。
静かすぎる。
バス停の周りには誰もいない。積もった雪に人の足跡はなかった。
村の入り口にかかる木製の看板には、風化しかけた文字で「霧ヶ峰村」と彫られている。
七瀬はポケットからスマートフォンを取り出した。圏外の表示が、無言でこの場所の閉ざされた空気を物語っていた。
「ようこそ、霧ヶ峰村へ」
背後から、低く抑えた声がした。
振り返ると、そこには駐在所の制服を着た男性が立っていた。
長身で、黒髪を短く刈り込んだその男は、七瀬を無表情に見つめている。
「……取材ですか?」
「ええ。50年前に起きた少女の失踪事件について、取材を依頼されました」
男の目がわずかに細くなる。
「事故ですよ。もう終わった話です」
「本当にそうでしょうか?」
男の口元が、わずかに歪んだ。
「この村には……村のやり方というものがある」
「橘晶哉(たちばな あきや)」
「え?」
「俺の名前です。村の駐在所にいますから、何かあれば」
男はそう言うと、くるりと背を向けた。
七瀬はその背中を見つめながら、無意識に髪を撫でた。
――髪を切らないで。
姉の声が頭の奥で響いた。
⸻
「お客さんですか?」
七瀬は顔を上げた。
バス停の向かいに立っていたのは、地元の民宿「霧ヶ峰荘」の女将だった。
五十代くらいの女性。冬の空気にさらされたせいか、頬は赤らんでいた。
「取材で来ました」
「……そうですか」
女将の表情がわずかに曇る。
「こちらです」
女将が案内した宿は、木造の二階建てだった。
玄関に掲げられた看板には「霧ヶ峰荘」と書かれているが、文字はかすれていた。
「どうぞ」
七瀬が靴を脱いで中に入ると、冷たい空気が一層肌にまとわりついた。
廊下に面した部屋はすべて閉ざされている。どの障子も古く、紙には無数の亀裂が走っていた。
「……お風呂は共同です。夕食は六時半にお持ちします」
「ありがとうございます」
「それから――」
女将はふと声を潜めた。
「50年前の事件について調べるなら……深入りしないことです」
「なぜですか?」
女将は目を伏せた。
「村の掟です」
⸻
七瀬は部屋に入ると、コートを脱いで窓際に腰掛けた。
外はまだ雪が舞っている。
窓の外には村を囲む山が見えた。木々は雪に埋もれ、黒い影を作っている。
「……髪を剃られた少女」
50年前の事件。
ある日、村で一人の少女が失踪した。
3日後、少女の遺体は村外れの神社裏で発見された。
少女の体には争った形跡がなく、警察は「事故」として処理した。
だが、少女の体には明らかな異常があった。
少女の髪が、すべて剃られていた。
「髪を剃る儀式……」
七瀬は資料に目を通しながら、無意識に髪を指に絡めた。
「なぜ……髪を剃った?」
それが「掟」と関係しているのか?
それとも――
「髪を切らないで」
姉の声が再び響いた。
七瀬はハッと目を開けた。
姉が亡くなったのは七瀬が12歳のときだった。
あの日、姉は「髪を切りたい」と言った。
七瀬は止めた。「髪は切らないで」と。
そして、その日の夜、姉は自宅の浴槽で手首を切って死んだ。
「髪を剃ることが……罪なの?」
七瀬は指に絡まる自分の髪を見つめた。
いつから伸ばしているのかも覚えていない。
姉が亡くなってから……
「……これは、姉さんとの繋がり……?」
七瀬は髪を指で梳きながら、窓の外に目を向けた。
――暗闇の向こうに、何かが見える気がした。
⸻
そのとき、襖が開いた。
「……事件について知りたいなら、俺が教えるよ」
振り返ると、そこには成宮悠真(なるみや ゆうま)が立っていた。
黒髪の青年が、薄い笑みを浮かべている。
「事件を知る者は、他にもいる。でも……後戻りはできなくなるかもしれないよ」
「構わないわ」
七瀬は立ち上がり、長い髪を一つにまとめた。
「私は……知りたい」
⸻
この村の「秘密」を。
そして、自分自身の「過去」を――
午前七時、霧ヶ峰村行きのバスは、鈍く軋む音を立てて小さなバス停に停まった。窓の外には雪が舞い、地面を白く覆っている。
「終点、霧ヶ峰村です」
運転手の無機質な声が車内に響いた。
桐生七瀬(きりゅう ななせ)は古びた座席から立ち上がり、コートの襟を立てた。
肩まで伸びた黒髪がふわりと揺れる。長い髪を耳にかけると、金具がぶつかるような音がした。
――姉さん。
髪を梳くたびに、亡くなった姉の顔が浮かぶ。
バスの階段を下りると、足元に冷たい空気がまとわりついた。地面に薄く積もった雪を踏みしめながら、七瀬はあたりを見渡した。
静かすぎる。
バス停の周りには誰もいない。積もった雪に人の足跡はなかった。
村の入り口にかかる木製の看板には、風化しかけた文字で「霧ヶ峰村」と彫られている。
七瀬はポケットからスマートフォンを取り出した。圏外の表示が、無言でこの場所の閉ざされた空気を物語っていた。
「ようこそ、霧ヶ峰村へ」
背後から、低く抑えた声がした。
振り返ると、そこには駐在所の制服を着た男性が立っていた。
長身で、黒髪を短く刈り込んだその男は、七瀬を無表情に見つめている。
「……取材ですか?」
「ええ。50年前に起きた少女の失踪事件について、取材を依頼されました」
男の目がわずかに細くなる。
「事故ですよ。もう終わった話です」
「本当にそうでしょうか?」
男の口元が、わずかに歪んだ。
「この村には……村のやり方というものがある」
「橘晶哉(たちばな あきや)」
「え?」
「俺の名前です。村の駐在所にいますから、何かあれば」
男はそう言うと、くるりと背を向けた。
七瀬はその背中を見つめながら、無意識に髪を撫でた。
――髪を切らないで。
姉の声が頭の奥で響いた。
⸻
「お客さんですか?」
七瀬は顔を上げた。
バス停の向かいに立っていたのは、地元の民宿「霧ヶ峰荘」の女将だった。
五十代くらいの女性。冬の空気にさらされたせいか、頬は赤らんでいた。
「取材で来ました」
「……そうですか」
女将の表情がわずかに曇る。
「こちらです」
女将が案内した宿は、木造の二階建てだった。
玄関に掲げられた看板には「霧ヶ峰荘」と書かれているが、文字はかすれていた。
「どうぞ」
七瀬が靴を脱いで中に入ると、冷たい空気が一層肌にまとわりついた。
廊下に面した部屋はすべて閉ざされている。どの障子も古く、紙には無数の亀裂が走っていた。
「……お風呂は共同です。夕食は六時半にお持ちします」
「ありがとうございます」
「それから――」
女将はふと声を潜めた。
「50年前の事件について調べるなら……深入りしないことです」
「なぜですか?」
女将は目を伏せた。
「村の掟です」
⸻
七瀬は部屋に入ると、コートを脱いで窓際に腰掛けた。
外はまだ雪が舞っている。
窓の外には村を囲む山が見えた。木々は雪に埋もれ、黒い影を作っている。
「……髪を剃られた少女」
50年前の事件。
ある日、村で一人の少女が失踪した。
3日後、少女の遺体は村外れの神社裏で発見された。
少女の体には争った形跡がなく、警察は「事故」として処理した。
だが、少女の体には明らかな異常があった。
少女の髪が、すべて剃られていた。
「髪を剃る儀式……」
七瀬は資料に目を通しながら、無意識に髪を指に絡めた。
「なぜ……髪を剃った?」
それが「掟」と関係しているのか?
それとも――
「髪を切らないで」
姉の声が再び響いた。
七瀬はハッと目を開けた。
姉が亡くなったのは七瀬が12歳のときだった。
あの日、姉は「髪を切りたい」と言った。
七瀬は止めた。「髪は切らないで」と。
そして、その日の夜、姉は自宅の浴槽で手首を切って死んだ。
「髪を剃ることが……罪なの?」
七瀬は指に絡まる自分の髪を見つめた。
いつから伸ばしているのかも覚えていない。
姉が亡くなってから……
「……これは、姉さんとの繋がり……?」
七瀬は髪を指で梳きながら、窓の外に目を向けた。
――暗闇の向こうに、何かが見える気がした。
⸻
そのとき、襖が開いた。
「……事件について知りたいなら、俺が教えるよ」
振り返ると、そこには成宮悠真(なるみや ゆうま)が立っていた。
黒髪の青年が、薄い笑みを浮かべている。
「事件を知る者は、他にもいる。でも……後戻りはできなくなるかもしれないよ」
「構わないわ」
七瀬は立ち上がり、長い髪を一つにまとめた。
「私は……知りたい」
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この村の「秘密」を。
そして、自分自身の「過去」を――
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