髪に刻まれた記憶

S.H.L

文字の大きさ
1 / 6
序章

序章

しおりを挟む
 冬の冷たい風が肌を刺す。
 午前七時、霧ヶ峰村行きのバスは、鈍く軋む音を立てて小さなバス停に停まった。窓の外には雪が舞い、地面を白く覆っている。

 「終点、霧ヶ峰村です」

 運転手の無機質な声が車内に響いた。

 桐生七瀬(きりゅう ななせ)は古びた座席から立ち上がり、コートの襟を立てた。
 肩まで伸びた黒髪がふわりと揺れる。長い髪を耳にかけると、金具がぶつかるような音がした。

 ――姉さん。

 髪を梳くたびに、亡くなった姉の顔が浮かぶ。

 バスの階段を下りると、足元に冷たい空気がまとわりついた。地面に薄く積もった雪を踏みしめながら、七瀬はあたりを見渡した。

 静かすぎる。

 バス停の周りには誰もいない。積もった雪に人の足跡はなかった。
 村の入り口にかかる木製の看板には、風化しかけた文字で「霧ヶ峰村」と彫られている。
 七瀬はポケットからスマートフォンを取り出した。圏外の表示が、無言でこの場所の閉ざされた空気を物語っていた。

 「ようこそ、霧ヶ峰村へ」

 背後から、低く抑えた声がした。

 振り返ると、そこには駐在所の制服を着た男性が立っていた。
 長身で、黒髪を短く刈り込んだその男は、七瀬を無表情に見つめている。

「……取材ですか?」

「ええ。50年前に起きた少女の失踪事件について、取材を依頼されました」

 男の目がわずかに細くなる。

「事故ですよ。もう終わった話です」

「本当にそうでしょうか?」

 男の口元が、わずかに歪んだ。

「この村には……村のやり方というものがある」

「橘晶哉(たちばな あきや)」

「え?」

「俺の名前です。村の駐在所にいますから、何かあれば」

 男はそう言うと、くるりと背を向けた。
 七瀬はその背中を見つめながら、無意識に髪を撫でた。

 ――髪を切らないで。

 姉の声が頭の奥で響いた。



「お客さんですか?」

 七瀬は顔を上げた。
 バス停の向かいに立っていたのは、地元の民宿「霧ヶ峰荘」の女将だった。
 五十代くらいの女性。冬の空気にさらされたせいか、頬は赤らんでいた。

「取材で来ました」

「……そうですか」

 女将の表情がわずかに曇る。

「こちらです」

 女将が案内した宿は、木造の二階建てだった。
 玄関に掲げられた看板には「霧ヶ峰荘」と書かれているが、文字はかすれていた。

「どうぞ」

 七瀬が靴を脱いで中に入ると、冷たい空気が一層肌にまとわりついた。
 廊下に面した部屋はすべて閉ざされている。どの障子も古く、紙には無数の亀裂が走っていた。

「……お風呂は共同です。夕食は六時半にお持ちします」

「ありがとうございます」

「それから――」

 女将はふと声を潜めた。

「50年前の事件について調べるなら……深入りしないことです」

「なぜですか?」

 女将は目を伏せた。

「村の掟です」



 七瀬は部屋に入ると、コートを脱いで窓際に腰掛けた。
 外はまだ雪が舞っている。
 窓の外には村を囲む山が見えた。木々は雪に埋もれ、黒い影を作っている。

「……髪を剃られた少女」

 50年前の事件。

 ある日、村で一人の少女が失踪した。
 3日後、少女の遺体は村外れの神社裏で発見された。
 少女の体には争った形跡がなく、警察は「事故」として処理した。
 だが、少女の体には明らかな異常があった。

 少女の髪が、すべて剃られていた。

「髪を剃る儀式……」

 七瀬は資料に目を通しながら、無意識に髪を指に絡めた。

「なぜ……髪を剃った?」

 それが「掟」と関係しているのか?
 それとも――

 「髪を切らないで」

 姉の声が再び響いた。

 七瀬はハッと目を開けた。

 姉が亡くなったのは七瀬が12歳のときだった。
 あの日、姉は「髪を切りたい」と言った。
 七瀬は止めた。「髪は切らないで」と。
 そして、その日の夜、姉は自宅の浴槽で手首を切って死んだ。

「髪を剃ることが……罪なの?」

 七瀬は指に絡まる自分の髪を見つめた。
 いつから伸ばしているのかも覚えていない。
 姉が亡くなってから……

「……これは、姉さんとの繋がり……?」

 七瀬は髪を指で梳きながら、窓の外に目を向けた。
 ――暗闇の向こうに、何かが見える気がした。



 そのとき、襖が開いた。

「……事件について知りたいなら、俺が教えるよ」

 振り返ると、そこには成宮悠真(なるみや ゆうま)が立っていた。
 黒髪の青年が、薄い笑みを浮かべている。

「事件を知る者は、他にもいる。でも……後戻りはできなくなるかもしれないよ」

「構わないわ」

 七瀬は立ち上がり、長い髪を一つにまとめた。

「私は……知りたい」



 この村の「秘密」を。
 そして、自分自身の「過去」を――
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サインポールの下で、彼女は髪を切った

S.H.L
青春
長年連れ添った長い髪と、絡みつく過去の自分に別れを告げるため、女性は町の床屋の扉を開けた。華やかな美容院ではなく、男性客ばかりの昔ながらの「タケシ理容室」を選んだのは、半端な変化では満足できなかったから。 腰まであった豊かな黒髪が、ベテラン理容師の手によって、躊躇なく、そして丁寧に刈り上げられていく。ハサミの音、バリカンの振動、床に積もる髪の感触。鏡に映る自分のシルエットがみるみるうちに変わり果てていく様を見つめながら、彼女の心にも劇的な変化が訪れる。 失恋か、転職か、それとも──。具体的な理由は語られないまま、髪が短くなるにつれて剥き出しになっていくのは、髪に隠されていた頭の形だけではない。社会的な役割や、「女性らしさ」という鎧を脱ぎ捨て、ありのままの自分と向き合う過程が、五感を刺激する詳細な描写と内面の吐露と共に描かれる。 髪と共に過去を床に落とし、新しい自分としてサインポールの下から一歩踏み出す女性の、解放と再生の物語。

刈り上げの教室

S.H.L
大衆娯楽
地方の中学校で国語を教える田辺陽菜は、生徒たちに校則を守らせる厳格な教師だった。しかし、家庭訪問先で思いがけず自分の髪を刈り上げられたことをきっかけに、彼女の人生は少しずつ変化していく。生徒たちの視線、冷やかし、そして自分自身の内面に生まれた奇妙な感覚――短くなった髪とともに、揺らぎ始める「教師」としての立場や、隠されていた新たな自分。 襟足の風を感じながら、彼女は次第に変わりゆく自分と向き合っていく。地方の閉鎖的な学校生活の中で起こる権威の逆転劇と、女性としての自己発見を描く異色の物語。 ――「切る」ことで変わるのは、髪だけではなかった。

転身

S.H.L
青春
高校のラグビー部でマネージャーとして静かに過ごすつもりだったユリ。しかし、仲間の危機を救うため、思いがけず選手としてフィールドに戻る決意をする。自分を奮い立たせるため、さらに短く切った髪は、彼女が背負った覚悟と新しい自分への挑戦の象徴だった。厳しい練習や試合を通して、本気で仲間と向き合い、ラグビーに打ち込む中で見えてきたものとは——。友情、情熱、そして成長の物語がここに始まる。

将棋部の眼鏡美少女を抱いた

junk
青春
将棋部の青春恋愛ストーリーです

坊主女子:女子野球短編集【短編集】

S.H.L
青春
野球をやっている女の子が坊主になるストーリーを集めた短編集ですり

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

夏の決意

S.H.L
青春
主人公の遥(はるか)は高校3年生の女子バスケットボール部のキャプテン。部員たちとともに全国大会出場を目指して練習に励んでいたが、ある日、突然のアクシデントによりチームは崩壊の危機に瀕する。そんな中、遥は自らの決意を示すため、坊主頭になることを決意する。この決意はチームを再び一つにまとめるきっかけとなり、仲間たちとの絆を深め、成長していく青春ストーリー。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

処理中です...