髪に刻まれた記憶

S.H.L

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第1章

霧ヶ峰村

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第1章 霧ヶ峰村



 七瀬が目を覚ましたのは、まだ夜が明けきらぬ早朝だった。
 障子の隙間から薄暗い光が差し込んでいる。

 体を起こすと、微かに冷たい空気が肌を撫でた。
 木造の建物独特の乾いた匂いが鼻をかすめる。

 「……寒い」

 七瀬はベッドから降り、床に落ちた黒髪を手で払った。
 長く伸びた髪は寝ている間に無意識に掻きむしったのか、ところどころ乱れていた。
 壁の鏡に映る自分の顔を見つめる。

 ――姉さん。

 長く伸びた髪を指で梳く。
 鏡の中の自分は、姉によく似ていた。

 姉は死ぬ前に「髪を切りたい」と言った。
 でも、七瀬は止めた。
 「切ったらダメだよ」
 姉は悲しそうに微笑み、翌朝、冷たくなっていた。

「……だから切れないのよ」

 七瀬は自分の髪をそっと撫でた。
 姉との繋がり。姉の記憶。
 それを断ち切るのが怖かった。



 午前七時。

 七瀬は宿を出て、村の中心にある神社へ向かった。
 村は雪に覆われている。
 家々の屋根や道端には厚い雪が積もり、雪かきもされていない。

 空は重く曇っている。
 雪の白と空の灰色が一体化して、世界が色を失ったようだった。

 通りを歩く七瀬に、村人たちがちらりと視線を投げかける。
 無表情な顔。冷たく乾いた視線。
 まるで「異物」を見るような目だった。

「余所者(よそもの)……」

 七瀬は胸の奥にチクリとした痛みを感じながら、さらに歩いた。



 鳥居が見えてきた。
 赤い塗装が剥がれ、所々に黒くカビが生えている。
 その向こうに、古びた神社が佇んでいた。

 雪の中に黒々とそびえ立つ木造の社殿。
 鳥居をくぐった瞬間、空気が一変した。

 ――重い。

 胸を圧迫するような感覚。
 神社の境内は不自然なほど静かだった。

「……桐生さん?」

 声がして、七瀬は振り返った。
 橘晶哉が境内に立っていた。
 駐在所の制服姿。雪の上に足跡を残している。

「早いですね」

「取材ですから」

「事件のことを知りたいんですか?」

「ええ」

「……深入りしないことをおすすめします」

「やめろって言ってもやめませんよ」

 橘はじっと七瀬を見つめた。

「――少女が発見されたのは、この神社の裏です」

 橘は視線を社殿の後ろに向けた。

「遺体には……争った形跡はなかった。でも……髪が剃られていた」

「やっぱり儀式だったんでしょうか?」

「……さあ」

 橘は言葉を濁した。

「あなたの父親も捜査に関わっていたんですよね?」

 橘の表情が一瞬硬くなった。

「それ以上は……話せません」

「でも――」

「帰った方がいい」

 橘は冷たく言った。

 七瀬は唇を噛んだ。

「私は……逃げません」



 その時、社殿の奥から気配を感じた。

 人の視線。
 七瀬はそっと鳥居の裏側に回った。
 木の陰に、誰かが立っていた。

「……誰?」

 足音が消える。
 逃げるような音。

 七瀬は駆け出した。

「待って!」

 雪を蹴り、走る。
 木々の間を駆け抜け、細い道に出る。

 やがて、古びた小屋が見えた。
 扉がわずかに開いている。

 七瀬は息を整えながら、扉に手をかけた。

「……失礼します」

 扉を開けると、中に一人の男が座っていた。

 黒いコートを着た青年。
 七瀬と同じくらいの年齢に見える。

「事件のことを知りたいんだろう?」

「あなたは……?」

「成宮悠真(なるみや ゆうま)」

 男は薄く微笑んだ。

「事件について知っていることがあります」

「本当に?」

「でも……知ってしまえば、後戻りはできなくなるかもしれません」

「構わないわ」

 七瀬は冷たい空気を吸い込み、短く言った。

「私は……知りたい」



「じゃあ、明日。夜に神社に来てください」

「……わかったわ」

 悠真はそれだけ言うと、扉を閉めた。



 七瀬は小屋を出たあとも、しばらくその場に立ち尽くしていた。

 ――髪を剃られた少女。

 何があったのか。
 なぜ髪が剃られていたのか。

 そして、なぜ村人たちはその事実を隠そうとするのか。

 七瀬は髪を指に絡めながら、ふと気が付いた。

 指に血がついていた。

 「……?」

 七瀬は自分の手を見た。
 髪を掴んでいた指先が赤く染まっている。
 何かが爪に食い込んでいた。

 ――黒い毛髪。

 七瀬は目を見開いた。

「……どういうこと……?」



 七瀬の背後で、木々がざわめいた。
 風が吹き抜ける。

 その瞬間、耳元でかすかな声が聞こえた。

「――髪を切って――」

 七瀬は振り返った。

 誰もいなかった。

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