風と共に剃りぬ

S.H.L

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第一章 ―風紀と友情―

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放課後の美術室。
窓際に並んだ石膏像たちは、夕暮れの赤みを帯びた光に照らされ、どこか物憂げな表情をしていた。薄いカーテンが時折ふわりと揺れるたび、古びた油絵の匂いと湿気を帯びた空気が鼻をついた。

斉藤遥は、その石膏像の隣に座っていた。制服のスカートが椅子に貼りつくほどの湿気。後頭部にまとめた黒髪はうっすらと汗を含み、肌にまとわりつく感触が気になって仕方がなかった。

「……で、どういうことなの、それ」

声は静かだったが、低く張り詰めていた。遥の対面に立つのは、山下千紘。ソフトボール部の主将であり、遥の幼馴染だった。

千紘の髪は、耳のラインでピシッと揃ったショートカット。汗に濡れて額に張りついた前髪が、彼女の凛とした印象をより際立たせていた。彼女は、美術室に誰もいないことを確認してから、静かに口を開いた。

「遥、お前さ。昨日の練習試合、どうして来なかった?」

「……ごめん。電車が止まってて……。スマホも圏外で、連絡もできなくて……」

遥の言葉は、途中で細くなった。自分の言い訳が、いかに軽薄に聞こえるかを理解していたから。

「事故渋滞か何かって、後から監督が言ってたけどさ。そういう問題じゃないよな」

千紘は眉を寄せ、両腕を組んで机の端に寄りかかった。

「今のうちのチーム、正直ギリギリなんだよ。控えもいないし、スタメン一人欠けただけでフォーメーションが崩れる。まして、お前はショートで4番だ。どれだけの影響が出たか、わかってんのか?」

その言葉が、遥の胸に突き刺さった。小学生の頃からずっと一緒に野球をやってきた千紘の声が、こんなに冷たく聞こえたのは初めてだった。

「……ごめん。でも、本当にわざとじゃなくて……」

「わかってるよ、そんなの。お前がそんな奴じゃないってことくらい、私が一番知ってる」

千紘はふっとため息を吐いて、椅子に座った。机の上にあった鉛筆を指で転がしながら、静かに続けた。

「でもな、私らのチームは“平等”なんだ。男子部員は練習に遅れたら、反省文か丸刈り。これは入部前からの決まりだ。……女子だからって、それが免除されると思うなよ」

遥は息を呑んだ。

「……坊主に、なれってこと?」

千紘は、目を伏せて頷いた。

「正直、そこまでやれとは言いたくない。私だってお前がどれだけ髪を大事にしてるか知ってるし、坊主なんて……女子には酷だと思う。でも、規律は規律なんだよ」

遥は俯いた。視線の先に、制服のスカートの上に置いた自分の手があった。細くて、爪の先まで神経を研ぎ澄ましてきたこの手は、いつもバットを握っていた。ダイヤモンドを駆け抜けるたびに、髪が揺れた。その瞬間の風を、遥は何度も感じていた。

「……退部って選択肢は?」

「もちろんある。でも、お前がそれを選ぶとは思ってない」

「……ずるいよ、それ」

「ずるいよ。でも、私たちは、チームだからな」

遥は、目を閉じた。まぶたの裏に浮かぶのは、あの夏の合宿、泥だらけになったユニフォーム。ノックで倒れ込んだあとの千紘の笑顔。誰かが打ったホームランで、全員が抱き合って泣いた記憶。

そんな日々を、手放せるわけがなかった。

「……わかった。坊主、にする」

その一言は、自分の中から自然とこぼれた。言葉が口から出た瞬間、不思議なほどすっきりした気持ちだった。

「本当に……いいのか?」

千紘の声が、少し揺れた。遥は微笑んで頷いた。

「いいよ。だって私、ソフト部の一員だから」

千紘は黙って、机の上に転がった鉛筆を握りしめた。その手が、少し震えていた。

「……ありがとう。お前がいてくれて、本当によかった」

美術室の扉の向こうから、吹き抜ける夕風が微かにカーテンを揺らした。遥の髪も、それに合わせてふわりと舞った。あと数日で消えるその髪が、彼女の覚悟を包んでいた。
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