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手紙
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宛先:親愛なる佳奈へ
佳奈、
昨日、髪を剃ったんだ。本当に全部。言葉では言い表せないくらい、不安と緊張といろんな気持ちが混ざり合った瞬間だった。髪が剃られていく感覚や、それによって生まれる新しい自分が鏡に映し出されていく様子は、まるで夢の中にいるみたいだった。あの床屋でのこと、できるだけ詳しく書くから読んでほしい。
あの日、午後の日差しが街に溢れる中、小さな床屋の扉を開けた。店のガラス越しに見えた、古びた木製の椅子や、色あせたポスターが張られた壁。それらを目にしただけで、足が一瞬止まりそうになった。でも、意を決して中に入った。扉の上に取り付けられた小さなベルが、「カランコロン」と軽やかな音を響かせた。その音は小さいのに、私の緊張をさらに煽った気がする。
「いらっしゃい。」
新聞を読んでいた店主のおじさんが顔を上げて私を見た瞬間、一瞬だけ不思議そうな表情をした。多分、この店に女子高生が来るのは珍しかったんだろうね。私は、震えそうになる声を無理やり押し殺して言った。
「坊主にしてください。」
その言葉を口にした瞬間、おじさんの表情が少しだけ強張ったのが分かった。「本当にいいのか?」と確認されたけれど、私は大きく頷いた。怖さもあったけど、それ以上に「決めたんだ」という気持ちの方が強かった。
椅子に座ると、首元にタオルを巻かれ、その上から重たいビニールのケープが私の体を包んだ。目の前の大きな鏡には、まだ何も変わっていない自分の姿が映っていた。これが、今から変わるのだと考えると、心臓が高鳴っているのが自分でも分かった。
おじさんがバリカンを取り出し、スイッチを入れると、「ブーン」と低くて重たい音が店内に響いた。その音が耳に届いた瞬間、全身が一瞬固まったようだった。おじさんがバリカンを持った手をゆっくりと私の頭に近づけ、最初に左耳の近くに刃を当てた。
「いくよ。」
その一言とともに、バリカンが動き出した。耳元で感じる振動、低く響く「ジョリジョリ」という音、そして髪が刃に吸い込まれていく感覚。その瞬間、自分がどんどん変わっていくことを身体全体で感じていた。
バリカンが耳の下からこめかみに向かって滑っていくたび、髪が束になってケープの上に落ちていく。その最初のひとかけらがふわりと落ちたとき、私は思わず息を呑んだ。黒い髪の束が、私から切り離されていく。その髪を見て、「これが私だったんだ」と思いながら、どこか現実味のない感覚に包まれた。
おじさんが慎重に刃を動かし、左側が次第に地肌を見せ始める。髪が剃られた後の地肌は、淡いピンク色で滑らかだった。その面積がどんどん広がっていく様子を鏡越しに見ていると、私はもう一人の自分を見ているような不思議な気持ちになった。
次にバリカンは右側に移動した。「少し頭を傾けて」と指示され、私は素直に従った。今度は右耳の下に刃が触れ、また同じように振動と音が伝わってくる。刃が髪を刈るたびに、軽いチクチクとした感触が頭皮に広がり、次第に右側の髪もすべて落ちていった。
左右が剃り終わったところで、おじさんが「次は上だ」と一言つぶやいた。その瞬間、心臓がさらに高鳴った。頭のてっぺんから前髪にかけて、バリカンが刈り進むのを鏡越しに見ていると、自分の姿がどんどん変わっていくのが分かった。バリカンが通った後には、滑らかなラインが現れ、髪の残りが次第に少なくなっていく。頭の形が丸いシルエットを描き始め、これが「坊主頭」なんだと初めて実感した。
最後に後頭部にバリカンが移動した。「少し前に頭を下げて」とおじさんが言い、私は深く頷いた。刃が首筋から後頭部を登るように滑っていき、ジョリジョリと音を立てながら髪が削られていく。その感覚はまるで、何か古い殻が剥がれ落ちるような、不思議な解放感があった。
すべてが終わった後、おじさんが「これで完成だな」と言い、バリカンのスイッチが切られた。その瞬間、静けさが店内を包み込んだ。鏡に映る自分の姿は、以前の自分とは全く違っていた。地肌が完全に見えるくらい短く刈られた頭は、どこか頼もしく、凛々しい印象を与えていた。手でそっと触れてみると、短い毛がざらざらと指先に触れた。その感覚は、これまでに感じたことのない新しさだった。
床に目を向けると、そこには私の髪が散らばっていた。肩にかかっていた長い髪が、まるで別人のもののように見えた。これだけの重さを自分は背負っていたんだと思うと、心が少しだけ軽くなった気がした。
「どうだい?」おじさんが少し微笑んで尋ねてきた。
「……思ったより、いいかもしれないです。」
私はそう答えながら、小さく笑った。その笑顔は、自分でも驚くほど自然なものだった。
佳奈、次に会うとき、絶対驚くと思う。でも、今の私はこの坊主頭が誇らしいんだ。この髪型が、私の新しいスタートになった気がしているから。次に会ったら、感想を聞かせてね。
美鈴より
宛先:美鈴へ
美鈴、
手紙を読んだ瞬間、びっくりして、言葉が出なかったよ。本当に髪を剃ったんだね。それも、自分で覚悟を決めて、やりきったなんて……正直、私には想像もつかないことだよ。美鈴の手紙を読んでるうちに、私の胸の中がじんわりと熱くなって、最後には涙が出そうになった。
床屋での光景を想像してみたけど、怖かったよね?バリカンの音、髪が落ちる感覚、そして鏡の中でどんどん変わっていく自分の姿……。私だったら、その場で逃げ出してたかもしれない。でも、美鈴は最後まで逃げなかったんだね。それが本当にすごいと思う。
でも、きっと怖かっただけじゃなくて、何か軽くなったような、すっきりした気持ちもあったんじゃないかな?手紙に書いてあった「安心感」って言葉が、すごく印象に残ったよ。美鈴がその瞬間に感じたものは、今までの自分を越えた証拠だと思う。
私だったら、そんな決断はできなかったと思う。でも、美鈴がその髪を剃ることで何を伝えたかったのか、何を変えたかったのかが、ちゃんと分かる気がする。美鈴にしかできない方法で、覚悟を見せたんだよね。
私ね、次に会うのがすごく楽しみになったよ。どんな美鈴に変わったのか、どんな風に強くなったのか、ちゃんと自分の目で見たいから。きっと、坊主の美鈴もすごく似合ってると思う。会ったときに「やりすぎじゃない?」なんて言わないから安心してね(笑)。
美鈴の覚悟を見せてもらった私も、何か変わらなきゃいけないのかな、って少し思った。だから、次に会うときまでに、私も小さな一歩を踏み出してみるつもり。
本当にすごいよ、美鈴。私の友達がこんなにもカッコいい人だなんて、ちょっと誇らしい気持ち。
また近いうちに会おうね。そのときは、いっぱい話を聞かせて。
佳奈より
宛先:先生へ
先生、
突然こんな手紙を書いてしまってすみません。でも、私が髪を剃る決断をした理由を、どうしても伝えたくて。私の心の中にあったことを、言葉にしておきたかったんです。
あの日、部室の空気は重く、まるで誰かがその場全体に厚い布をかぶせたようでした。練習を終えた後のミーティングは、いつもなら賑やかな雑談が飛び交う時間のはずなのに、その日は違いました。先生が言った一言で、私たち全員が静まり返ったんです。
「このままでは大会に出場させられない。」
その言葉が部屋の中を切り裂くように響きました。原因は、先輩たちの練習をさぼった行為でした。それが学校側に知られ、部全体が問題視されることになったんです。私は部長として、責任を取らなければならない立場でした。でも、何をどうすればいいのか、全く分かりませんでした。
「美鈴、どうすんだよ。」一人の後輩が私に視線を向けながら呟きました。その目には、少しの期待と、大きな不安が混じっていました。
その夜、家に帰ってからもずっとその言葉が頭を離れませんでした。部室での沈黙、後輩たちの視線、先生の厳しい表情。それが私の心をどんどん締め付けてきました。夜遅くまで布団の中で考え続けても答えは出なくて、次の日の朝、ぼんやりと窓の外を見ていたとき、突然そのきっかけが訪れたんです。
「坊主にでもしたら、みんなの気持ちも変わるんじゃねえの?」
練習後、部室で先輩の一人が冗談交じりにそう言ったんです。その場はみんなが乾いた笑い声を上げて、すぐに話題が流れたけど、その言葉だけは私の心に残りました。「本当に坊主にしたらどうなるんだろう?」って。
その日、家に帰る途中の夕焼けがやけに赤くて、雲が大きな火のように見えました。少し冷たい風が頬を撫でる中、私は立ち止まり、自分に問いかけました。「本当にやるべきなのか?」って。坊主にすることがどれだけ大きなことなのかは分かっていました。女の子が髪を剃るというのは、普通じゃない。それだけの覚悟が必要です。でも、逆に言えば、覚悟を示す方法としてこれ以上のものはないんじゃないか、とも思ったんです。
その夜、母に相談しようかとも思いましたが、結局言葉にはできませんでした。ただ、自分の中で「やる」と決めました。
翌日、部室で私はみんなに向かって言いました。「私、坊主にする。」その言葉が出た瞬間、全員が驚いた顔をして、しばらく誰も何も言いませんでした。やがて先輩の一人が、「本気で言ってんのか?」と真剣な目で聞いてきました。私は静かに頷きました。
「だったら……頼むよ。俺らも変わるから。」先輩がそう言ったとき、少しだけ涙が出そうになりました。
先生、私は髪を剃ることで、みんなに伝えたかったんです。自分がどれだけこのチームを大切に思っているのかを。もちろん、坊主にしたからといってすべてが解決するわけではありません。でも、これが私なりの覚悟の表現でした。
どうか、私たちをもう少しだけ信じて見守ってください。私たちは、このチームをもう一度立て直します。
美鈴より
宛先:美鈴へ
美鈴、
手紙をありがとう。君がどうして髪を剃るという決断をしたのか、その理由を聞けて、心がぎゅっと締め付けられるようだった。でも、それ以上に、君の強さと覚悟に心から感動したよ。
部活の状況は確かに厳しかったね。学校からの目、チーム内の空気、後輩たちの不安――どれも君が一人で背負うには重すぎるものだったと思う。それでも、君はチームのために、みんなのために、自分を変えるという行動を選んだんだね。それがどれほど大きな決断だったか、手紙を読んで痛いほど伝わってきたよ。
「坊主にする」という言葉を冗談半分で投げかけられたとき、その言葉を君が深く受け止めて、実際に行動に移したこと。その瞬間の君の心情を想像すると、どれだけ悩んで、どれだけ迷ったかが分かる。でも、それを乗り越えて、自分の意思を貫いた君を誇りに思うよ。
正直に言えば、僕も驚いたよ。最初は「本当にそこまでしなきゃいけなかったのか?」と思ったけれど、君が自分の手で道を切り開いたんだということを知って、何も言えなくなった。君の覚悟がどれだけ強いものか、改めて感じたから。
それに、君の行動はきっと、他の部員にも大きな影響を与えたはずだよ。チームの空気を変えるのは簡単なことじゃない。でも、君のように行動で示す人がいれば、それは必ず周りにも伝わる。少しずつでも、みんなが変わっていくはずだと思う。
どうか自分を責めたりしないでほしい。君の決断は、無駄じゃなかった。むしろ、君が行動を起こしたからこそ、チームはこれから変わっていけるんだと思う。
僕も、君の覚悟に応えるために、もっと支えていきたいと思っているよ。君一人に全部背負わせるつもりはない。君のキャプテンとしての覚悟を、僕らも受け取って、一緒に前を向いて進んでいこう。
これからも大変なことはあるだろうけど、君ならきっと乗り越えられる。そして、君が先頭に立って進んでいく姿を、僕は信じているよ。
応援しているからね。
先生より
宛先:お母さんへ
お母さん、
昨日、私の坊主頭を見たときのあなたの顔が、今でも忘れられません。本当に驚かせてしまってごめんなさい。でも、どうしてもこれだけは伝えたい。私がこの決断をした理由、そして、その後の数日間に感じたことを。
床屋から帰ってきたとき、玄関を開ける前に深呼吸をしました。すっかり暗くなった街灯の光が頭に直接当たって、なんだか不思議な気持ちでした。手でそっと頭を触ると、短くなった髪の感触がざらざらと指先に伝わってきました。家に帰ったらどうなるんだろう。お母さんやお父さんが何て言うか、正直なところ怖かったです。
ドアを開けて、「ただいま」と言った瞬間、リビングの方からお母さんの足音が聞こえてきました。次の瞬間、目の前に現れたお母さんは、一瞬、固まったように見えました。
「……美鈴?」
その声は驚きと困惑が混じっていて、いつもの優しいトーンとは少し違っていました。私は、何とか説明しようとしました。
「ごめん、驚かせて。でも、これは私が決めたことなの。」
そう言って頭を軽く撫でながら笑ってみせました。でも、お母さんはすぐに何かを言い返せないようで、ただ私の頭を見つめていました。しばらくして、ぽつりと一言。
「どうして、こんなことを……」
その言葉に私は一瞬つまってしまい、胸の奥がぎゅっと締め付けられるようでした。でも、全部話すしかないと思いました。部活でのこと、チームの状況、私がキャプテンとして責任を感じたこと。そして、坊主にすることで自分の覚悟をみんなに伝えたかったこと。
話している間、お母さんはただ黙って聞いてくれていました。そして、話し終わったとき、お母さんは深く息を吐いて、ゆっくりと言いました。
「美鈴……そんなに思いつめてたなんて、気づいてあげられなくてごめんね。でも……髪を剃るなんて、女の子には大きなことなのよ。」
その言葉には、私への心配と、少しの怒りが混じっているのが分かりました。私はうつむいて、そっと言いました。
「分かってる。でも、これが私にとっての一番の覚悟の証だったの。」
お母さんはしばらく考え込むように私を見ていましたが、最後には静かに微笑んで、「あなたがそう決めたなら、それでいいのかもしれないわね。」と言ってくれました。その言葉を聞いたとき、涙が溢れてしまいました。
その次の日、学校に行くのは本当に勇気がいりました。校門をくぐると、周りの視線が一斉に私に集まっているのが分かりました。みんなが私の頭を見て、何かをひそひそと話している。それでも、私は下を向かずに教室に向かいました。
教室の扉を開けると、全員が一瞬沈黙しました。中には目を丸くして驚いている子もいましたが、誰も何も言いませんでした。ただ、一人だけ声をかけてくれた子がいました。後ろの席の佳奈が、小さな声でこう言ったんです。
「美鈴……すごい勇気だね。」
その言葉に救われた気がしました。勇気を出して教室に入ってよかった、と思いました。みんなの視線はまだ痛かったけれど、佳奈の言葉だけで、私は一歩前に進めた気がしました。
部活に行くと、最初に話しかけてくれたのは練習をさぼっていた先輩でした。あの冗談半分で「坊主にしたらどうだ」なんて言った先輩です。その先輩が、真剣な目でこう言ったんです。
「お前、本当にやったんだな……。悪かった、そこまで考えさせちまって。」
私は首を横に振りました。「先輩があの時言ってくれたおかげで、決断できたんです。だから、感謝してます。」そう答えると、先輩は少し照れたように笑い、「これからは、ちゃんとやるよ。」とポツリと言いました。その言葉に、本当に救われた気がしました。
お母さん、私はまだ怖いこともたくさんあります。でも、この数日間で少しだけ変われた気がします。髪を剃ったことで何かが終わったわけではなく、むしろここからが始まりなんだと思っています。これからも私を見守っていてください。
美鈴より
宛先:美鈴へ
美鈴、
手紙、ちゃんと読んだよ。自分の気持ちをこうして言葉にしてくれたこと、とても嬉しく思うよ。正直、初めて坊主頭のあなたを見たときは、驚きを隠せなくて、なんて言えばいいのか分からなかった。あのとき、母親としてあなたにどう向き合えばいいのか、私も悩んだの。
でもね、手紙を読んで、あなたがどれだけ深く悩み、どれだけの覚悟を持ってその決断をしたのか、ようやく分かった気がする。あなたにとって、坊主にすることがただの髪型の変化じゃなくて、もっと大きな意味を持っていたんだね。それが分かったら、不思議と涙が出てきたわ。美鈴、あなたは本当に強い子なんだって。
部活での出来事、大変だったね。キャプテンとしての責任を感じて、仲間のために自分を変える決断をするなんて、なかなかできることじゃないよ。でも、美鈴、覚えておいてね。あなたがどれだけ強くても、全部を一人で背負い込む必要はないんだよ。
部活のみんなも、きっとあなたの行動からたくさんのことを感じたはず。みんなが少しずつでも変わってくれるなら、それはあなたが自分を犠牲にして見せてくれた覚悟のおかげだと思う。でも、それであなたが傷ついたり、辛い思いをすることは、母親として見ていられないの。だから、もしまた辛くなったら、必ず私に話してね。
それにしても、美鈴、坊主頭が意外と似合っているのよ。最初は驚いたけれど、何度も見ているうちに、なんだかすごく美鈴らしいって思えてきた。まっすぐで、潔くて、どこか凛々しい。家族みんなも、きっと同じ気持ちだと思うよ。お父さんなんて、「俺よりかっこいいじゃないか!」なんて笑ってたわ。
これから髪が伸びていく中で、あなたも少しずつ変わっていくのかもしれない。でも、その変化を楽しみながら、新しい自分を見つけていけばいいんじゃないかな。髪が短くても長くても、美鈴は美鈴。それだけは忘れないでね。
あなたが手紙の最後に、「これが始まり」と書いていたけど、本当にその通りだと思う。坊主にしたことで何かが終わるんじゃなくて、むしろそこから新しい美鈴が始まるんだね。これからどんな道を歩んでいくのか、母さんも楽しみにしているよ。
大変なときもあると思うけど、いつでも頼っていいんだからね。あなたが頑張っている姿を見ると、私も負けていられないなって思えるよ。だから、これからも美鈴らしく、全力で進んでいってね。
愛を込めて。
お母さんより
宛先:部活のチームメイト全員へ
みんな、
まず、驚かせてごめんね。私が坊主になったのを見たときの、みんなのあの驚いた顔、絶対忘れないと思う。でも、私がこの手紙を書いているのは、ただみんなに気持ちを伝えたくて。あの日、そしてその後のことを振り返りながら書いてみるね。
部室に入る前、私は息を整えていた。窓越しに見えるみんなの姿。いつものようにおしゃべりをしている姿が、どこか遠い世界のように感じた。私の坊主頭を見たら、どう反応するんだろう?笑われるのかな、それとも呆れられるのかな……そんな不安で足がすくんでしまいそうだった。
でも、私は思い切ってドアを開けた。そして、一歩中に足を踏み入れると、部室にいた全員が私を見て、動きを止めた。時間が止まったみたいだった。
「……お前、ほんとにやったのか?」
先に口を開いたのは、さぼりがちだったあの先輩だった。その声は、いつもの軽い調子じゃなくて、少し戸惑いを含んでいた。
「うん。」私は自分の頭を指先で軽く触れて、笑ってみせた。きっとぎこちない笑顔だったと思う。
その瞬間、部室の中が一気にざわつき始めた。後輩の一人が「すげえ……」と小さな声で呟き、別の子は「本当に剃ったんだ……」と目を丸くしていた。ある先輩は、「何でそこまで……」とつぶやくように言いながら、困惑した顔をしていた。
そのとき、私はみんなの前に立って、こう言ったんだ。
「私が坊主にしたのは、みんなに何かを分かってほしかったから。今のチームの状況を変えたくて、何か大きなことをする必要があると思った。これが正しい方法か分からないけど、私なりの覚悟を見せたかったの。」
自分でも驚くほど、声は震えていなかった。みんなの視線が痛いくらいだったけど、それでも目をそらさずに話し続けた。
「私一人じゃ、チームは変えられない。でも、みんなでなら変えられるはずだと思う。だから、もう一度、全員で頑張りたいんだ。」
しばらくの沈黙の後、あの先輩が私に向かってぽつりと言った。
「……お前、ほんとすげえな。俺、今までふざけてばっかだったけど……これからはちゃんとやるよ。」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。涙が出そうだったけど、ぐっとこらえた。別の後輩も「私も、もっとちゃんと頑張ります!」と言ってくれて、そこから次々とみんなが「よし、やるか!」とか「もうさぼらない!」とか声を上げ始めた。
部室の空気が、一気に変わった気がした。あの重たい布のような沈黙がなくなり、少しずつ温かさが戻ってきたんだ。
その後の練習では、みんなの態度が明らかに違った。今まではちょっと気が緩んでいた場面でも、全員が真剣に取り組んでいた。特にあの先輩が率先して声を出してくれているのを見て、私も自然と力が入った。
練習後、片付けをしていると、後輩の一人が私に近寄ってきて、小さな声でこう言ったんだ。
「キャプテン……坊主、すごく似合ってます。」
思わず吹き出して、「ありがとう。でも、これが似合うって褒め言葉なのかな?」と笑って返した。そんな軽口が交わせるようになったのも、少し雰囲気が変わった証拠だと思う。
家に帰る途中、夕焼け空が広がっていて、オレンジ色の光が頭に直接当たる感覚が新鮮だった。風が吹くたびに頭がひんやりして、「これが坊主頭ってやつなんだな」って改めて実感した。
みんなの反応がどうなるか怖かったけど、みんなが少しでも前向きになってくれたなら、それだけで坊主にした意味があったと思う。
これからも厳しいことはたくさんあるだろうけど、みんなと一緒なら乗り越えられる気がするよ。全員で次の大会を目指して、もう一度頑張ろう。
キャプテンより
宛先:キャプテン(美鈴先輩)へ
キャプテン、
手紙、ありがとう。読んでいるうちに、なんだか泣きそうになっちゃいました。あの日のこと、そしてその後の練習のことを思い出しながら、改めて先輩がどれだけ大きな覚悟を持っていたのかを考えていました。
正直に言うと、最初にキャプテンが坊主頭で部室に入ってきたとき、何が起きたのか理解できなくて、ただただびっくりしてしまいました。みんなが黙り込んでいる中、キャプテンが頭を撫でながら笑ってみせた姿、今でもはっきり覚えています。その瞬間、私は何か大きなものを感じました。
キャプテンが話してくれた言葉、「もう一度みんなで頑張りたい」というその一言が、すごく重くて、でも温かくて、心にぐっと響きました。あの時、私は「この人についていきたい」と心から思ったんです。
その後の練習、私も周りの雰囲気が変わったのを感じました。先輩たちが真剣に取り組む姿を見て、私も負けていられないと思ったんです。声を出すのも、走るのも、今まで以上に全力でやりたいと思いました。キャプテンの坊主姿は最初は驚いたけど、いつの間にか「カッコいい」って思えるようになっていて、自分の中でも何かが変わった気がします。
実は、私もいろいろ悩んでいたんです。部活のこともそうだし、自分がチームの中で本当に役に立てているのか、とか。でも、キャプテンが坊主にしてまで覚悟を見せてくれたことで、「私もできることを頑張ろう」って思えました。キャプテンの行動が、私たち全員に影響を与えたんだと思います。
それに、坊主頭のキャプテン、めちゃくちゃ似合ってます!なんだか強くて頼りがいがあって、私たちのリーダーにぴったりだなって思っています。最初は少し驚いたけど、今では「これが私たちのキャプテンだ!」って胸を張って言いたいです。
これからもいろいろな壁があると思います。でも、キャプテンが先頭に立ってくれているから、私たちも怖くないです。一緒に強いチームを作りましょう。次の大会では、みんなで最高の結果を出せるように頑張ります!
キャプテンについていきます。本当にありがとうございます。
部員より
宛先:未来の私へ
美鈴へ、
この手紙を読むとき、あなたはどんな気持ちでいるんだろう。笑っているのかな、それともまた何かに悩んでいるのかな。私は今、髪を剃った後の数週間を振り返りながら、この手紙を書いている。未来のあなたに、あの日のことと、その後のことをちゃんと伝えておきたいから。
坊主にした日のことは、いまだに鮮明に覚えている。鏡に映る地肌の見えた自分を見た瞬間、心臓がドキドキして、全身が熱くなった。帰り道、街灯の光が頭に直接当たる感覚や、風が肌に触れる冷たさが新鮮で、まるで別の世界に来たような気がした。
でも、家に帰った瞬間のことを思い出すと、やっぱり少し胸が痛む。お母さんの驚いた顔や、部活のみんなの反応が、頭の中を何度もよぎったから。とはいえ、それを乗り越えた私は少しだけ強くなれた気がしている。
それからの数週間、学校でも部活でも、坊主頭の私は注目の的だった。廊下ですれ違う人たちの視線が、じっと私の頭に突き刺さるのが分かる。最初は本当に辛かった。何かを言われているわけではないのに、「変わったやつ」と思われているんじゃないか、そんな不安で押しつぶされそうだった。
でも、そんな私を助けてくれたのは、佳奈だった。
「美鈴、みんなお前のこと見てるけど、それってさ、悪い意味じゃないと思うよ。」
放課後、廊下を歩いているときに、佳奈が突然そう言ってきた。私は驚いて「え?」と聞き返した。
「みんな、坊主にしたお前を見て、本当にすごいって思ってるんだよ。だって、そんな簡単にできることじゃないじゃん。」
佳奈の言葉は、私の胸にじんわりと染み込んだ。私は何も言えずに、小さく頷いた。
部活でも、みんなの態度が明らかに変わった。あの日以降、先輩たちは練習に本気で取り組むようになり、後輩たちも声を出して頑張るようになった。私も、髪を失った分、逆に体が軽くなった気がして、走るスピードが上がったように感じた。地面に足がつく感覚が鋭くなり、心地よかった。
ある日の練習後、あの先輩が私に近寄ってきて、こう言った。
「美鈴、本当にありがとうな。お前が坊主にしたから、俺も変わろうって思えたよ。」
私は一瞬驚いて、「先輩、そんなこと……」と言いかけたけど、先輩は笑いながら続けた。
「いや、本当だって。あれ見て、『俺もダメだな』って思ったんだよ。だから、これからも頼むな、キャプテン。」
その言葉に、私は素直に「はい」と答えた。そのとき、自分が坊主にしたことが無駄じゃなかったんだと確信した。
家では、最初に驚いていたお母さんも、次第に慣れてきたみたいだった。ある朝、私が鏡の前で頭を撫でながら「これ、伸びてきたらどうなるんだろう?」と呟くと、お母さんが笑いながら言った。
「伸びてきたら、また新しい美鈴になれるのよ。」
その言葉に、私は少しだけ泣きそうになった。お母さんなりに、私の気持ちを受け入れてくれているんだな、と思ったから。
未来の私。今の私は、髪を剃るという決断をしてから少しだけ成長できた気がする。もちろん、これで全てが解決したわけじゃないし、これからもきっと困難なことがあると思う。でも、あの日の決断をした自分を、私は誇りに思っている。そして、その決断が、私を新しい一歩に導いてくれた。
だから、もし未来のあなたがまた何かに悩んでいたり、立ち止まってしまったりしているなら、この手紙を思い出してほしい。そして、あの日の私ができたように、次の一歩を踏み出してほしい。
あなたはきっと、もっと強くなれるはずだよ。
過去の美鈴より
宛先:5年前の私へ(美鈴へ)
美鈴、
あなたの手紙、しっかりと読んだよ。読んでいる間、あの坊主にした日々のことが鮮明に思い出されたよ。髪を剃ったときの震えるような音、落ちる髪の感触、鏡に映る自分の姿。それを全部受け入れたあの瞬間を、今の私もまだ忘れていない。あれは、あなたが自分の中の何かを変えた、確かに新しい一歩を踏み出した日だったね。
あの日から5年。あの決断がどうなったか、未来の私として少しだけ伝えさせてほしい。
まず、あの坊主頭を見た部員たちの変化、覚えている?みんなが少しずつ変わり始めて、練習に一生懸命取り組むようになった。それが、その後どれだけ大きな力になったか知っている?次の大会でチームがつかんだ勝利、その喜びは、あなたが覚悟を示したからこそ掴み取れたものだった。あのときの笑顔や涙、私たちの心が一つになった瞬間、それが今も私を支えてくれているんだよ。
そして、あなたの行動は、実は想像以上にいろんな人に影響を与えていたんだ。あの時は分からなかったけれど、後輩の何人かが「あの坊主を見て、自分も本気で頑張ろうと思った」って言っていたこと、覚えている?先生も後から「美鈴の覚悟には本当に驚いた」って話してくれた。あなたが起こした小さな勇気の波は、確かにみんなの心を動かしていたんだ。
でもね、美鈴。髪を剃ることだけがあなたの覚悟じゃなかった。その後、仲間と向き合って、困難に立ち向かい続けたこと、それが本当の強さだったんだと今なら分かる。あの頃のあなたはきっと気づいていなかったかもしれないけれど、その姿勢が、私にとって今も「自分を信じる力」の源になっている。
5年経った今、私は新しい場所で新しい挑戦をしているよ。もちろん、すべてが順調というわけではないし、苦しいこともたくさんある。でも、何かに悩んだり、立ち止まったりしたときは、必ずあの日の坊主頭の自分を思い出すんだ。覚悟を持って行動することがどれだけ自分を変えるのか、あの日の美鈴が教えてくれたから。
手紙の最後に、あなたは「これが始まり」だって書いていたね。本当にその通りだった。あの決断が、今の私につながるすべての始まりだった。そして、その始まりを作ってくれたあなたに、未来の私は心から感謝しているよ。
だから、もしこの手紙を読んでいるあなたがまた迷ったり、不安になったりしているなら、大丈夫だと言ってあげたい。あなたの中には、すでに自分を信じる強さがある。そして、その強さはきっとこれからもあなたを支え続ける。
未来の私も、あなたが誇りに思えるような生き方をしているよ。そして、これからももっと成長していくつもりだから、安心してね。
ありがとう、美鈴。あの日の決断があったから、今の私がいる。
未来の美鈴より
佳奈、
昨日、髪を剃ったんだ。本当に全部。言葉では言い表せないくらい、不安と緊張といろんな気持ちが混ざり合った瞬間だった。髪が剃られていく感覚や、それによって生まれる新しい自分が鏡に映し出されていく様子は、まるで夢の中にいるみたいだった。あの床屋でのこと、できるだけ詳しく書くから読んでほしい。
あの日、午後の日差しが街に溢れる中、小さな床屋の扉を開けた。店のガラス越しに見えた、古びた木製の椅子や、色あせたポスターが張られた壁。それらを目にしただけで、足が一瞬止まりそうになった。でも、意を決して中に入った。扉の上に取り付けられた小さなベルが、「カランコロン」と軽やかな音を響かせた。その音は小さいのに、私の緊張をさらに煽った気がする。
「いらっしゃい。」
新聞を読んでいた店主のおじさんが顔を上げて私を見た瞬間、一瞬だけ不思議そうな表情をした。多分、この店に女子高生が来るのは珍しかったんだろうね。私は、震えそうになる声を無理やり押し殺して言った。
「坊主にしてください。」
その言葉を口にした瞬間、おじさんの表情が少しだけ強張ったのが分かった。「本当にいいのか?」と確認されたけれど、私は大きく頷いた。怖さもあったけど、それ以上に「決めたんだ」という気持ちの方が強かった。
椅子に座ると、首元にタオルを巻かれ、その上から重たいビニールのケープが私の体を包んだ。目の前の大きな鏡には、まだ何も変わっていない自分の姿が映っていた。これが、今から変わるのだと考えると、心臓が高鳴っているのが自分でも分かった。
おじさんがバリカンを取り出し、スイッチを入れると、「ブーン」と低くて重たい音が店内に響いた。その音が耳に届いた瞬間、全身が一瞬固まったようだった。おじさんがバリカンを持った手をゆっくりと私の頭に近づけ、最初に左耳の近くに刃を当てた。
「いくよ。」
その一言とともに、バリカンが動き出した。耳元で感じる振動、低く響く「ジョリジョリ」という音、そして髪が刃に吸い込まれていく感覚。その瞬間、自分がどんどん変わっていくことを身体全体で感じていた。
バリカンが耳の下からこめかみに向かって滑っていくたび、髪が束になってケープの上に落ちていく。その最初のひとかけらがふわりと落ちたとき、私は思わず息を呑んだ。黒い髪の束が、私から切り離されていく。その髪を見て、「これが私だったんだ」と思いながら、どこか現実味のない感覚に包まれた。
おじさんが慎重に刃を動かし、左側が次第に地肌を見せ始める。髪が剃られた後の地肌は、淡いピンク色で滑らかだった。その面積がどんどん広がっていく様子を鏡越しに見ていると、私はもう一人の自分を見ているような不思議な気持ちになった。
次にバリカンは右側に移動した。「少し頭を傾けて」と指示され、私は素直に従った。今度は右耳の下に刃が触れ、また同じように振動と音が伝わってくる。刃が髪を刈るたびに、軽いチクチクとした感触が頭皮に広がり、次第に右側の髪もすべて落ちていった。
左右が剃り終わったところで、おじさんが「次は上だ」と一言つぶやいた。その瞬間、心臓がさらに高鳴った。頭のてっぺんから前髪にかけて、バリカンが刈り進むのを鏡越しに見ていると、自分の姿がどんどん変わっていくのが分かった。バリカンが通った後には、滑らかなラインが現れ、髪の残りが次第に少なくなっていく。頭の形が丸いシルエットを描き始め、これが「坊主頭」なんだと初めて実感した。
最後に後頭部にバリカンが移動した。「少し前に頭を下げて」とおじさんが言い、私は深く頷いた。刃が首筋から後頭部を登るように滑っていき、ジョリジョリと音を立てながら髪が削られていく。その感覚はまるで、何か古い殻が剥がれ落ちるような、不思議な解放感があった。
すべてが終わった後、おじさんが「これで完成だな」と言い、バリカンのスイッチが切られた。その瞬間、静けさが店内を包み込んだ。鏡に映る自分の姿は、以前の自分とは全く違っていた。地肌が完全に見えるくらい短く刈られた頭は、どこか頼もしく、凛々しい印象を与えていた。手でそっと触れてみると、短い毛がざらざらと指先に触れた。その感覚は、これまでに感じたことのない新しさだった。
床に目を向けると、そこには私の髪が散らばっていた。肩にかかっていた長い髪が、まるで別人のもののように見えた。これだけの重さを自分は背負っていたんだと思うと、心が少しだけ軽くなった気がした。
「どうだい?」おじさんが少し微笑んで尋ねてきた。
「……思ったより、いいかもしれないです。」
私はそう答えながら、小さく笑った。その笑顔は、自分でも驚くほど自然なものだった。
佳奈、次に会うとき、絶対驚くと思う。でも、今の私はこの坊主頭が誇らしいんだ。この髪型が、私の新しいスタートになった気がしているから。次に会ったら、感想を聞かせてね。
美鈴より
宛先:美鈴へ
美鈴、
手紙を読んだ瞬間、びっくりして、言葉が出なかったよ。本当に髪を剃ったんだね。それも、自分で覚悟を決めて、やりきったなんて……正直、私には想像もつかないことだよ。美鈴の手紙を読んでるうちに、私の胸の中がじんわりと熱くなって、最後には涙が出そうになった。
床屋での光景を想像してみたけど、怖かったよね?バリカンの音、髪が落ちる感覚、そして鏡の中でどんどん変わっていく自分の姿……。私だったら、その場で逃げ出してたかもしれない。でも、美鈴は最後まで逃げなかったんだね。それが本当にすごいと思う。
でも、きっと怖かっただけじゃなくて、何か軽くなったような、すっきりした気持ちもあったんじゃないかな?手紙に書いてあった「安心感」って言葉が、すごく印象に残ったよ。美鈴がその瞬間に感じたものは、今までの自分を越えた証拠だと思う。
私だったら、そんな決断はできなかったと思う。でも、美鈴がその髪を剃ることで何を伝えたかったのか、何を変えたかったのかが、ちゃんと分かる気がする。美鈴にしかできない方法で、覚悟を見せたんだよね。
私ね、次に会うのがすごく楽しみになったよ。どんな美鈴に変わったのか、どんな風に強くなったのか、ちゃんと自分の目で見たいから。きっと、坊主の美鈴もすごく似合ってると思う。会ったときに「やりすぎじゃない?」なんて言わないから安心してね(笑)。
美鈴の覚悟を見せてもらった私も、何か変わらなきゃいけないのかな、って少し思った。だから、次に会うときまでに、私も小さな一歩を踏み出してみるつもり。
本当にすごいよ、美鈴。私の友達がこんなにもカッコいい人だなんて、ちょっと誇らしい気持ち。
また近いうちに会おうね。そのときは、いっぱい話を聞かせて。
佳奈より
宛先:先生へ
先生、
突然こんな手紙を書いてしまってすみません。でも、私が髪を剃る決断をした理由を、どうしても伝えたくて。私の心の中にあったことを、言葉にしておきたかったんです。
あの日、部室の空気は重く、まるで誰かがその場全体に厚い布をかぶせたようでした。練習を終えた後のミーティングは、いつもなら賑やかな雑談が飛び交う時間のはずなのに、その日は違いました。先生が言った一言で、私たち全員が静まり返ったんです。
「このままでは大会に出場させられない。」
その言葉が部屋の中を切り裂くように響きました。原因は、先輩たちの練習をさぼった行為でした。それが学校側に知られ、部全体が問題視されることになったんです。私は部長として、責任を取らなければならない立場でした。でも、何をどうすればいいのか、全く分かりませんでした。
「美鈴、どうすんだよ。」一人の後輩が私に視線を向けながら呟きました。その目には、少しの期待と、大きな不安が混じっていました。
その夜、家に帰ってからもずっとその言葉が頭を離れませんでした。部室での沈黙、後輩たちの視線、先生の厳しい表情。それが私の心をどんどん締め付けてきました。夜遅くまで布団の中で考え続けても答えは出なくて、次の日の朝、ぼんやりと窓の外を見ていたとき、突然そのきっかけが訪れたんです。
「坊主にでもしたら、みんなの気持ちも変わるんじゃねえの?」
練習後、部室で先輩の一人が冗談交じりにそう言ったんです。その場はみんなが乾いた笑い声を上げて、すぐに話題が流れたけど、その言葉だけは私の心に残りました。「本当に坊主にしたらどうなるんだろう?」って。
その日、家に帰る途中の夕焼けがやけに赤くて、雲が大きな火のように見えました。少し冷たい風が頬を撫でる中、私は立ち止まり、自分に問いかけました。「本当にやるべきなのか?」って。坊主にすることがどれだけ大きなことなのかは分かっていました。女の子が髪を剃るというのは、普通じゃない。それだけの覚悟が必要です。でも、逆に言えば、覚悟を示す方法としてこれ以上のものはないんじゃないか、とも思ったんです。
その夜、母に相談しようかとも思いましたが、結局言葉にはできませんでした。ただ、自分の中で「やる」と決めました。
翌日、部室で私はみんなに向かって言いました。「私、坊主にする。」その言葉が出た瞬間、全員が驚いた顔をして、しばらく誰も何も言いませんでした。やがて先輩の一人が、「本気で言ってんのか?」と真剣な目で聞いてきました。私は静かに頷きました。
「だったら……頼むよ。俺らも変わるから。」先輩がそう言ったとき、少しだけ涙が出そうになりました。
先生、私は髪を剃ることで、みんなに伝えたかったんです。自分がどれだけこのチームを大切に思っているのかを。もちろん、坊主にしたからといってすべてが解決するわけではありません。でも、これが私なりの覚悟の表現でした。
どうか、私たちをもう少しだけ信じて見守ってください。私たちは、このチームをもう一度立て直します。
美鈴より
宛先:美鈴へ
美鈴、
手紙をありがとう。君がどうして髪を剃るという決断をしたのか、その理由を聞けて、心がぎゅっと締め付けられるようだった。でも、それ以上に、君の強さと覚悟に心から感動したよ。
部活の状況は確かに厳しかったね。学校からの目、チーム内の空気、後輩たちの不安――どれも君が一人で背負うには重すぎるものだったと思う。それでも、君はチームのために、みんなのために、自分を変えるという行動を選んだんだね。それがどれほど大きな決断だったか、手紙を読んで痛いほど伝わってきたよ。
「坊主にする」という言葉を冗談半分で投げかけられたとき、その言葉を君が深く受け止めて、実際に行動に移したこと。その瞬間の君の心情を想像すると、どれだけ悩んで、どれだけ迷ったかが分かる。でも、それを乗り越えて、自分の意思を貫いた君を誇りに思うよ。
正直に言えば、僕も驚いたよ。最初は「本当にそこまでしなきゃいけなかったのか?」と思ったけれど、君が自分の手で道を切り開いたんだということを知って、何も言えなくなった。君の覚悟がどれだけ強いものか、改めて感じたから。
それに、君の行動はきっと、他の部員にも大きな影響を与えたはずだよ。チームの空気を変えるのは簡単なことじゃない。でも、君のように行動で示す人がいれば、それは必ず周りにも伝わる。少しずつでも、みんなが変わっていくはずだと思う。
どうか自分を責めたりしないでほしい。君の決断は、無駄じゃなかった。むしろ、君が行動を起こしたからこそ、チームはこれから変わっていけるんだと思う。
僕も、君の覚悟に応えるために、もっと支えていきたいと思っているよ。君一人に全部背負わせるつもりはない。君のキャプテンとしての覚悟を、僕らも受け取って、一緒に前を向いて進んでいこう。
これからも大変なことはあるだろうけど、君ならきっと乗り越えられる。そして、君が先頭に立って進んでいく姿を、僕は信じているよ。
応援しているからね。
先生より
宛先:お母さんへ
お母さん、
昨日、私の坊主頭を見たときのあなたの顔が、今でも忘れられません。本当に驚かせてしまってごめんなさい。でも、どうしてもこれだけは伝えたい。私がこの決断をした理由、そして、その後の数日間に感じたことを。
床屋から帰ってきたとき、玄関を開ける前に深呼吸をしました。すっかり暗くなった街灯の光が頭に直接当たって、なんだか不思議な気持ちでした。手でそっと頭を触ると、短くなった髪の感触がざらざらと指先に伝わってきました。家に帰ったらどうなるんだろう。お母さんやお父さんが何て言うか、正直なところ怖かったです。
ドアを開けて、「ただいま」と言った瞬間、リビングの方からお母さんの足音が聞こえてきました。次の瞬間、目の前に現れたお母さんは、一瞬、固まったように見えました。
「……美鈴?」
その声は驚きと困惑が混じっていて、いつもの優しいトーンとは少し違っていました。私は、何とか説明しようとしました。
「ごめん、驚かせて。でも、これは私が決めたことなの。」
そう言って頭を軽く撫でながら笑ってみせました。でも、お母さんはすぐに何かを言い返せないようで、ただ私の頭を見つめていました。しばらくして、ぽつりと一言。
「どうして、こんなことを……」
その言葉に私は一瞬つまってしまい、胸の奥がぎゅっと締め付けられるようでした。でも、全部話すしかないと思いました。部活でのこと、チームの状況、私がキャプテンとして責任を感じたこと。そして、坊主にすることで自分の覚悟をみんなに伝えたかったこと。
話している間、お母さんはただ黙って聞いてくれていました。そして、話し終わったとき、お母さんは深く息を吐いて、ゆっくりと言いました。
「美鈴……そんなに思いつめてたなんて、気づいてあげられなくてごめんね。でも……髪を剃るなんて、女の子には大きなことなのよ。」
その言葉には、私への心配と、少しの怒りが混じっているのが分かりました。私はうつむいて、そっと言いました。
「分かってる。でも、これが私にとっての一番の覚悟の証だったの。」
お母さんはしばらく考え込むように私を見ていましたが、最後には静かに微笑んで、「あなたがそう決めたなら、それでいいのかもしれないわね。」と言ってくれました。その言葉を聞いたとき、涙が溢れてしまいました。
その次の日、学校に行くのは本当に勇気がいりました。校門をくぐると、周りの視線が一斉に私に集まっているのが分かりました。みんなが私の頭を見て、何かをひそひそと話している。それでも、私は下を向かずに教室に向かいました。
教室の扉を開けると、全員が一瞬沈黙しました。中には目を丸くして驚いている子もいましたが、誰も何も言いませんでした。ただ、一人だけ声をかけてくれた子がいました。後ろの席の佳奈が、小さな声でこう言ったんです。
「美鈴……すごい勇気だね。」
その言葉に救われた気がしました。勇気を出して教室に入ってよかった、と思いました。みんなの視線はまだ痛かったけれど、佳奈の言葉だけで、私は一歩前に進めた気がしました。
部活に行くと、最初に話しかけてくれたのは練習をさぼっていた先輩でした。あの冗談半分で「坊主にしたらどうだ」なんて言った先輩です。その先輩が、真剣な目でこう言ったんです。
「お前、本当にやったんだな……。悪かった、そこまで考えさせちまって。」
私は首を横に振りました。「先輩があの時言ってくれたおかげで、決断できたんです。だから、感謝してます。」そう答えると、先輩は少し照れたように笑い、「これからは、ちゃんとやるよ。」とポツリと言いました。その言葉に、本当に救われた気がしました。
お母さん、私はまだ怖いこともたくさんあります。でも、この数日間で少しだけ変われた気がします。髪を剃ったことで何かが終わったわけではなく、むしろここからが始まりなんだと思っています。これからも私を見守っていてください。
美鈴より
宛先:美鈴へ
美鈴、
手紙、ちゃんと読んだよ。自分の気持ちをこうして言葉にしてくれたこと、とても嬉しく思うよ。正直、初めて坊主頭のあなたを見たときは、驚きを隠せなくて、なんて言えばいいのか分からなかった。あのとき、母親としてあなたにどう向き合えばいいのか、私も悩んだの。
でもね、手紙を読んで、あなたがどれだけ深く悩み、どれだけの覚悟を持ってその決断をしたのか、ようやく分かった気がする。あなたにとって、坊主にすることがただの髪型の変化じゃなくて、もっと大きな意味を持っていたんだね。それが分かったら、不思議と涙が出てきたわ。美鈴、あなたは本当に強い子なんだって。
部活での出来事、大変だったね。キャプテンとしての責任を感じて、仲間のために自分を変える決断をするなんて、なかなかできることじゃないよ。でも、美鈴、覚えておいてね。あなたがどれだけ強くても、全部を一人で背負い込む必要はないんだよ。
部活のみんなも、きっとあなたの行動からたくさんのことを感じたはず。みんなが少しずつでも変わってくれるなら、それはあなたが自分を犠牲にして見せてくれた覚悟のおかげだと思う。でも、それであなたが傷ついたり、辛い思いをすることは、母親として見ていられないの。だから、もしまた辛くなったら、必ず私に話してね。
それにしても、美鈴、坊主頭が意外と似合っているのよ。最初は驚いたけれど、何度も見ているうちに、なんだかすごく美鈴らしいって思えてきた。まっすぐで、潔くて、どこか凛々しい。家族みんなも、きっと同じ気持ちだと思うよ。お父さんなんて、「俺よりかっこいいじゃないか!」なんて笑ってたわ。
これから髪が伸びていく中で、あなたも少しずつ変わっていくのかもしれない。でも、その変化を楽しみながら、新しい自分を見つけていけばいいんじゃないかな。髪が短くても長くても、美鈴は美鈴。それだけは忘れないでね。
あなたが手紙の最後に、「これが始まり」と書いていたけど、本当にその通りだと思う。坊主にしたことで何かが終わるんじゃなくて、むしろそこから新しい美鈴が始まるんだね。これからどんな道を歩んでいくのか、母さんも楽しみにしているよ。
大変なときもあると思うけど、いつでも頼っていいんだからね。あなたが頑張っている姿を見ると、私も負けていられないなって思えるよ。だから、これからも美鈴らしく、全力で進んでいってね。
愛を込めて。
お母さんより
宛先:部活のチームメイト全員へ
みんな、
まず、驚かせてごめんね。私が坊主になったのを見たときの、みんなのあの驚いた顔、絶対忘れないと思う。でも、私がこの手紙を書いているのは、ただみんなに気持ちを伝えたくて。あの日、そしてその後のことを振り返りながら書いてみるね。
部室に入る前、私は息を整えていた。窓越しに見えるみんなの姿。いつものようにおしゃべりをしている姿が、どこか遠い世界のように感じた。私の坊主頭を見たら、どう反応するんだろう?笑われるのかな、それとも呆れられるのかな……そんな不安で足がすくんでしまいそうだった。
でも、私は思い切ってドアを開けた。そして、一歩中に足を踏み入れると、部室にいた全員が私を見て、動きを止めた。時間が止まったみたいだった。
「……お前、ほんとにやったのか?」
先に口を開いたのは、さぼりがちだったあの先輩だった。その声は、いつもの軽い調子じゃなくて、少し戸惑いを含んでいた。
「うん。」私は自分の頭を指先で軽く触れて、笑ってみせた。きっとぎこちない笑顔だったと思う。
その瞬間、部室の中が一気にざわつき始めた。後輩の一人が「すげえ……」と小さな声で呟き、別の子は「本当に剃ったんだ……」と目を丸くしていた。ある先輩は、「何でそこまで……」とつぶやくように言いながら、困惑した顔をしていた。
そのとき、私はみんなの前に立って、こう言ったんだ。
「私が坊主にしたのは、みんなに何かを分かってほしかったから。今のチームの状況を変えたくて、何か大きなことをする必要があると思った。これが正しい方法か分からないけど、私なりの覚悟を見せたかったの。」
自分でも驚くほど、声は震えていなかった。みんなの視線が痛いくらいだったけど、それでも目をそらさずに話し続けた。
「私一人じゃ、チームは変えられない。でも、みんなでなら変えられるはずだと思う。だから、もう一度、全員で頑張りたいんだ。」
しばらくの沈黙の後、あの先輩が私に向かってぽつりと言った。
「……お前、ほんとすげえな。俺、今までふざけてばっかだったけど……これからはちゃんとやるよ。」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。涙が出そうだったけど、ぐっとこらえた。別の後輩も「私も、もっとちゃんと頑張ります!」と言ってくれて、そこから次々とみんなが「よし、やるか!」とか「もうさぼらない!」とか声を上げ始めた。
部室の空気が、一気に変わった気がした。あの重たい布のような沈黙がなくなり、少しずつ温かさが戻ってきたんだ。
その後の練習では、みんなの態度が明らかに違った。今まではちょっと気が緩んでいた場面でも、全員が真剣に取り組んでいた。特にあの先輩が率先して声を出してくれているのを見て、私も自然と力が入った。
練習後、片付けをしていると、後輩の一人が私に近寄ってきて、小さな声でこう言ったんだ。
「キャプテン……坊主、すごく似合ってます。」
思わず吹き出して、「ありがとう。でも、これが似合うって褒め言葉なのかな?」と笑って返した。そんな軽口が交わせるようになったのも、少し雰囲気が変わった証拠だと思う。
家に帰る途中、夕焼け空が広がっていて、オレンジ色の光が頭に直接当たる感覚が新鮮だった。風が吹くたびに頭がひんやりして、「これが坊主頭ってやつなんだな」って改めて実感した。
みんなの反応がどうなるか怖かったけど、みんなが少しでも前向きになってくれたなら、それだけで坊主にした意味があったと思う。
これからも厳しいことはたくさんあるだろうけど、みんなと一緒なら乗り越えられる気がするよ。全員で次の大会を目指して、もう一度頑張ろう。
キャプテンより
宛先:キャプテン(美鈴先輩)へ
キャプテン、
手紙、ありがとう。読んでいるうちに、なんだか泣きそうになっちゃいました。あの日のこと、そしてその後の練習のことを思い出しながら、改めて先輩がどれだけ大きな覚悟を持っていたのかを考えていました。
正直に言うと、最初にキャプテンが坊主頭で部室に入ってきたとき、何が起きたのか理解できなくて、ただただびっくりしてしまいました。みんなが黙り込んでいる中、キャプテンが頭を撫でながら笑ってみせた姿、今でもはっきり覚えています。その瞬間、私は何か大きなものを感じました。
キャプテンが話してくれた言葉、「もう一度みんなで頑張りたい」というその一言が、すごく重くて、でも温かくて、心にぐっと響きました。あの時、私は「この人についていきたい」と心から思ったんです。
その後の練習、私も周りの雰囲気が変わったのを感じました。先輩たちが真剣に取り組む姿を見て、私も負けていられないと思ったんです。声を出すのも、走るのも、今まで以上に全力でやりたいと思いました。キャプテンの坊主姿は最初は驚いたけど、いつの間にか「カッコいい」って思えるようになっていて、自分の中でも何かが変わった気がします。
実は、私もいろいろ悩んでいたんです。部活のこともそうだし、自分がチームの中で本当に役に立てているのか、とか。でも、キャプテンが坊主にしてまで覚悟を見せてくれたことで、「私もできることを頑張ろう」って思えました。キャプテンの行動が、私たち全員に影響を与えたんだと思います。
それに、坊主頭のキャプテン、めちゃくちゃ似合ってます!なんだか強くて頼りがいがあって、私たちのリーダーにぴったりだなって思っています。最初は少し驚いたけど、今では「これが私たちのキャプテンだ!」って胸を張って言いたいです。
これからもいろいろな壁があると思います。でも、キャプテンが先頭に立ってくれているから、私たちも怖くないです。一緒に強いチームを作りましょう。次の大会では、みんなで最高の結果を出せるように頑張ります!
キャプテンについていきます。本当にありがとうございます。
部員より
宛先:未来の私へ
美鈴へ、
この手紙を読むとき、あなたはどんな気持ちでいるんだろう。笑っているのかな、それともまた何かに悩んでいるのかな。私は今、髪を剃った後の数週間を振り返りながら、この手紙を書いている。未来のあなたに、あの日のことと、その後のことをちゃんと伝えておきたいから。
坊主にした日のことは、いまだに鮮明に覚えている。鏡に映る地肌の見えた自分を見た瞬間、心臓がドキドキして、全身が熱くなった。帰り道、街灯の光が頭に直接当たる感覚や、風が肌に触れる冷たさが新鮮で、まるで別の世界に来たような気がした。
でも、家に帰った瞬間のことを思い出すと、やっぱり少し胸が痛む。お母さんの驚いた顔や、部活のみんなの反応が、頭の中を何度もよぎったから。とはいえ、それを乗り越えた私は少しだけ強くなれた気がしている。
それからの数週間、学校でも部活でも、坊主頭の私は注目の的だった。廊下ですれ違う人たちの視線が、じっと私の頭に突き刺さるのが分かる。最初は本当に辛かった。何かを言われているわけではないのに、「変わったやつ」と思われているんじゃないか、そんな不安で押しつぶされそうだった。
でも、そんな私を助けてくれたのは、佳奈だった。
「美鈴、みんなお前のこと見てるけど、それってさ、悪い意味じゃないと思うよ。」
放課後、廊下を歩いているときに、佳奈が突然そう言ってきた。私は驚いて「え?」と聞き返した。
「みんな、坊主にしたお前を見て、本当にすごいって思ってるんだよ。だって、そんな簡単にできることじゃないじゃん。」
佳奈の言葉は、私の胸にじんわりと染み込んだ。私は何も言えずに、小さく頷いた。
部活でも、みんなの態度が明らかに変わった。あの日以降、先輩たちは練習に本気で取り組むようになり、後輩たちも声を出して頑張るようになった。私も、髪を失った分、逆に体が軽くなった気がして、走るスピードが上がったように感じた。地面に足がつく感覚が鋭くなり、心地よかった。
ある日の練習後、あの先輩が私に近寄ってきて、こう言った。
「美鈴、本当にありがとうな。お前が坊主にしたから、俺も変わろうって思えたよ。」
私は一瞬驚いて、「先輩、そんなこと……」と言いかけたけど、先輩は笑いながら続けた。
「いや、本当だって。あれ見て、『俺もダメだな』って思ったんだよ。だから、これからも頼むな、キャプテン。」
その言葉に、私は素直に「はい」と答えた。そのとき、自分が坊主にしたことが無駄じゃなかったんだと確信した。
家では、最初に驚いていたお母さんも、次第に慣れてきたみたいだった。ある朝、私が鏡の前で頭を撫でながら「これ、伸びてきたらどうなるんだろう?」と呟くと、お母さんが笑いながら言った。
「伸びてきたら、また新しい美鈴になれるのよ。」
その言葉に、私は少しだけ泣きそうになった。お母さんなりに、私の気持ちを受け入れてくれているんだな、と思ったから。
未来の私。今の私は、髪を剃るという決断をしてから少しだけ成長できた気がする。もちろん、これで全てが解決したわけじゃないし、これからもきっと困難なことがあると思う。でも、あの日の決断をした自分を、私は誇りに思っている。そして、その決断が、私を新しい一歩に導いてくれた。
だから、もし未来のあなたがまた何かに悩んでいたり、立ち止まってしまったりしているなら、この手紙を思い出してほしい。そして、あの日の私ができたように、次の一歩を踏み出してほしい。
あなたはきっと、もっと強くなれるはずだよ。
過去の美鈴より
宛先:5年前の私へ(美鈴へ)
美鈴、
あなたの手紙、しっかりと読んだよ。読んでいる間、あの坊主にした日々のことが鮮明に思い出されたよ。髪を剃ったときの震えるような音、落ちる髪の感触、鏡に映る自分の姿。それを全部受け入れたあの瞬間を、今の私もまだ忘れていない。あれは、あなたが自分の中の何かを変えた、確かに新しい一歩を踏み出した日だったね。
あの日から5年。あの決断がどうなったか、未来の私として少しだけ伝えさせてほしい。
まず、あの坊主頭を見た部員たちの変化、覚えている?みんなが少しずつ変わり始めて、練習に一生懸命取り組むようになった。それが、その後どれだけ大きな力になったか知っている?次の大会でチームがつかんだ勝利、その喜びは、あなたが覚悟を示したからこそ掴み取れたものだった。あのときの笑顔や涙、私たちの心が一つになった瞬間、それが今も私を支えてくれているんだよ。
そして、あなたの行動は、実は想像以上にいろんな人に影響を与えていたんだ。あの時は分からなかったけれど、後輩の何人かが「あの坊主を見て、自分も本気で頑張ろうと思った」って言っていたこと、覚えている?先生も後から「美鈴の覚悟には本当に驚いた」って話してくれた。あなたが起こした小さな勇気の波は、確かにみんなの心を動かしていたんだ。
でもね、美鈴。髪を剃ることだけがあなたの覚悟じゃなかった。その後、仲間と向き合って、困難に立ち向かい続けたこと、それが本当の強さだったんだと今なら分かる。あの頃のあなたはきっと気づいていなかったかもしれないけれど、その姿勢が、私にとって今も「自分を信じる力」の源になっている。
5年経った今、私は新しい場所で新しい挑戦をしているよ。もちろん、すべてが順調というわけではないし、苦しいこともたくさんある。でも、何かに悩んだり、立ち止まったりしたときは、必ずあの日の坊主頭の自分を思い出すんだ。覚悟を持って行動することがどれだけ自分を変えるのか、あの日の美鈴が教えてくれたから。
手紙の最後に、あなたは「これが始まり」だって書いていたね。本当にその通りだった。あの決断が、今の私につながるすべての始まりだった。そして、その始まりを作ってくれたあなたに、未来の私は心から感謝しているよ。
だから、もしこの手紙を読んでいるあなたがまた迷ったり、不安になったりしているなら、大丈夫だと言ってあげたい。あなたの中には、すでに自分を信じる強さがある。そして、その強さはきっとこれからもあなたを支え続ける。
未来の私も、あなたが誇りに思えるような生き方をしているよ。そして、これからももっと成長していくつもりだから、安心してね。
ありがとう、美鈴。あの日の決断があったから、今の私がいる。
未来の美鈴より
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