カミノケ様の祟り ― 七不思議に選ばれた日 ―

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カミノケ様の祟り ― 七不思議に選ばれた日 ―

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第1章 転校生と七不思議

 その日、空はいやに白く濁っていた。夏なのに、冷たい風が校舎の隙間から吹き込んできて、古びたカーテンを静かに揺らしている。まるで誰かが、ぼそりと耳元で囁いたかのような風だった。

 「今日からこのクラスに新しいお友達が来ました」

 田辺先生の言葉に、教室がざわつく。机の間をぬうようにして前へ進んできたのは、明るい目をした女の子だった。髪は胸のあたりまである、ツヤのある黒髪。その髪が風にふわりと揺れて、光を跳ね返した。

 「柚羽(ゆずは)です。よろしくお願いします!」

 柚羽はそう言って、元気よく頭を下げた。

 拍手がぱらぱらと起こる中、女子の一人が小声で言った。「……長い髪だね。ヤバくない?」

 柚羽は何も気づかず、空いていた一番後ろの席へと案内された。窓際、古いヒマラヤスギの木がちょうど見える場所。

 「隣、私だから。美月(みつき)っていうの」

 声をかけてきたのは、清楚な雰囲気の女の子だった。髪は肩にかからないボブで、しっかり結んでいた。

 「よろしくね、美月ちゃん」

 柚羽が微笑むと、美月はちらっと柚羽の長い髪に目をやり、困ったような表情を浮かべた。

 ――この学校には“七不思議”があるんだよ。

 昼休み、美月がそう切り出したとき、柚羽は興味津々な顔をした。

 「え、マジで? それってトイレの花子さん的なやつ?」

 「ちょっと違うけど……まあ、似たような感じ。七つの怪談が代々語り継がれてるの。でも、それを全部調べちゃいけないって、言われてるの」

 「なんで?」

 美月は周囲を確認してから、小さく声を落とした。

 「八番目が、あるって言われてるから。“八つ目”に触れたら、“カミノケ様”に連れていかれるって……」

 柚羽は、笑いながらおにぎりをかじった。

 「カミノケ様? 何それ、ギャグ? 髪の毛の神様?」

 「そう思うでしょ。でもね、本当にいたんだって。昔、この学校で事件があって……長い髪の女の子が急に消えたの。今でも時々、夜の校舎で髪だけが揺れてるって」

 柚羽は一瞬、おにぎりを止めた。

 「……こっわ。マジ?」

 「うん。でも、七不思議の中に“その話”はないの。不思議でしょ? 誰も“八番目”のことは、正式には話さないの」

 「なるほどね。じゃあ、私が調べてみようかな! その“八番目”!」

 「やめたほうがいいよ……。髪の長い子が狙われるって噂もあるし……」

 柚羽は口をとがらせて、ふわりと自分の髪をなびかせた。

 「これ? これで? こんなキレイな髪、狙われるならむしろ名誉って感じ!」

 美月は苦笑しながらも、不安げに何度も窓の外を見た。

 その夜。柚羽の夢には、妙な音が現れた。
 ザリ……ザリ……ザリ……。何かが髪を引きずるような音。
 見知らぬ校舎の廊下で、自分の髪がどんどん長くなっていく夢。
 足元まで垂れ下がった髪の毛の中から、白い手がそっと現れた――。

 「キャアッ!」

 柚羽は汗びっしょりで飛び起きた。カーテンが風に揺れている。

 「……夢、だよね……?」

 息を整えて枕元を見た彼女の手が、ぴたりと止まった。

 枕元に――黒く、濡れた髪の毛が、数本落ちていた。


第2章 開かずの倉庫と長い髪の影

 翌朝、柚羽は気合いを入れて登校したものの、どこか落ち着かない様子だった。鏡の前で自分の髪を見つめ、首をひねる。

 (あんな夢、見るからいけないんだよね。きっと昨日、美月に変な話を聞いたせい)

 自分にそう言い聞かせ、髪をくくろうとして手を止めた。指先に、少し抜けた髪が絡まっている。

 (……ちょっとだけ、不気味かも)

 登校途中、後ろから声をかけられた。

 「柚羽ちゃん、おはよう」

 振り返ると美月が立っていた。今日はいつもより顔色が悪い。

 「昨日の話、まだ気にしてる?」

 「うん……夢に出てきた。髪がどんどん伸びて、白い手が出てくる変な夢。しかも、枕元に髪が落ちてたんだよ。……マジで気持ち悪いってば」

 美月は立ち止まって、表情を曇らせた。

 「それ、本当だったら危ないかも。実は、そういう話……昔にもあったの。夢の中で髪を掴まれて、次の日に熱を出して……そのまま転校しちゃった子とか」

 「ちょ、怖いってば……でも大丈夫だって。私、霊感ゼロだし!」

 そう言いながらも、柚羽の手は無意識に髪をいじっていた。

 その日、午後の図書の時間。柚羽はふと思い立って、古い文集の棚に向かった。埃をかぶった冊子が並ぶ棚の奥から、一冊の真っ黒な表紙の文集が出てきた。

 「第五十六回卒業記念文集」

 その中に、目を引くタイトルがあった。

 《“八番目”の七不思議》

 (あるんじゃん……やっぱり“八つ目”が!)

 ページを開くと、つたない字でこう書かれていた。

 > 「鏡のない部屋には気をつけろ。長い髪の少女は鏡を持たぬ場所に現れる。
 >  ひとたび目を合わされれば、髪を差し出さねばならぬ――」

 「……なにそれ」

 柚羽が呟いたとき、背後で棚がミシリと音を立てた。反射的に振り返るが、誰もいない。

 (気のせい、気のせい)

 その日の放課後。柚羽は、文集の中で言及されていた“開かずの倉庫”を探して校舎裏に向かった。

 体育館と校舎の間に挟まれた、薄暗い通路の突き当たり。そこに、古びた金属製の扉があった。

 手をかけると、がちゃんと錆びた音を立てて、鍵がかかっていた。だが――

 「きぃぃぃぃ……」

 誰もいないはずの中から、何かが動くような音が聞こえた。

 「……だ、誰かいるの?」

 思わず声をかける柚羽。

 すると、扉の下のすき間から――長い黒髪が、するりと這い出してきた。

 「――ッッ!」

 柚羽は一歩後ずさり、足がもつれて尻もちをついた。

 その瞬間、倉庫の小さな窓から差し込む光が、黒髪の影を強く照らした。

 それは、確かに生きているように、床を這っていた。

 柚羽は息を呑み、口を押えたまま立ち上がると、音を立てずにその場を離れた。

 誰にも気づかれないように、まるで何事もなかったかのように――。


第3章 髪を抜かれる夢

 その夜、柚羽はぐっすり眠れなかった。

 枕に頭を乗せるたび、耳元で髪が揺れる気がして――いや、それどころか、誰かが髪の毛を指先でつまんでいるような、そんな感触さえあった。

 (気のせい……だよね)

 無理に笑ってみせても、手のひらに絡まる数本の髪の毛が、否応なく現実を突きつけてくる。

 そして、そのまま眠りに落ちた。

 夢の中で、柚羽は真っ暗な廊下にいた。見たこともない学校のようで、天井の蛍光灯はところどころ点滅していた。

 足音がコツ、コツと響く。だが、その音は自分のものではなかった。

 「……誰?」

 声を出したが、返事はない。

 代わりに、後ろからぶちっという音が聞こえた。

 振り返ると、自分の髪が一本、宙に浮かんでいた。誰もいないのに、引き抜かれたようにふわりと。

 「や、やめて……!」

 走ろうとする柚羽の頭を、見えない手がぎゅっとつかんだ。次の瞬間――

 バリッ……バリッ……!

 髪が何十本も、百本も、一気に引き抜かれる感覚が頭に広がる。血が出るわけではない。でも、確かに「抜かれている」とわかる生々しい痛みと恐怖。

 「――――ッッッ!!」

 柚羽は飛び起きた。

 息ができないほどに胸が苦しく、肩で大きく呼吸を繰り返す。頭を抱え、指先を滑らせると、汗でびっしょりになった髪の束が何本も指に絡みついた。

 「……うそ……」

 枕を見ると、そこには現実に、まとまった髪の束が落ちていた。

 ぞわり、と全身が粟立つ。

 ドアをノックする音で、柚羽ははっと我に返った。

 「柚羽ー、朝だよー。遅刻しちゃうわよー」

 母の声が、遠くから聞こえた。

 急いで髪をまとめ、隠すように帽子をかぶった。学校に行けば、誰かがこの恐怖から救ってくれる。そう信じたかった。



 登校後、美月に会った柚羽は、思わず抱きついた。

 「ねえ、美月……ほんとに、ほんとに怖い……!」

 「柚羽ちゃん、顔が真っ青だよ。どうしたの?」

 柚羽は周囲に誰もいないことを確認し、帽子を取った。

 「……これ、見て」

 美月の目が見開かれる。柚羽のつむじのあたり――そこだけ、地肌が見えるほど薄くなっていた。

 「そんな……そんなに抜けてるの……」

 「夢の中で、誰かに髪を引き抜かれたの。しかも、起きたら本当にこんな……」

 美月は真剣な顔で、柚羽の手を取った。

 「柚羽ちゃん、今日、放課後……一緒に行こう。とっておきの場所があるの。そこで、“カミノケ様”のことを全部話すよ」

 「え……? 全部って……?」

 「もう、隠してられない。私、昔……“見た”ことがあるの。カミノケ様を」

 柚羽の全身に、寒気が走った。

 見た。
 この世にいないはずの、“何か”を見たというのだ。

 そして、自分も今、その領域に足を踏み入れようとしている――
 それを、髪が抜けていくたびに、体が教えてくるのだった。


第4章 刈り上げの選択

 放課後、美月は柚羽を町外れにある古びた店へと連れていった。

 「……ここ?」

 錆びついた看板には、かすれた文字でこう書かれていた。

 《理容 正一(まさかず)》

 今にも倒れそうなトタン屋根。店先には誰の姿もない。だけど、ガラス戸の向こうに、静かに光る古びた椅子と、鏡が一枚。昭和のまま時間が止まったような場所だった。

 「ここの店主、私のおじいちゃんの知り合い。……“カミノケ様”を知ってるの」

 美月がガラス戸を押し開けると、店の奥からゆっくりとした足音が聞こえた。

 現れたのは、銀髪の初老の男だった。白衣を着ていて、瞳は鋭くも、どこかやさしい光を湛えている。

 「いらっしゃい。……ああ、あんたが“見た”子か」

 「……はい」

 柚羽は思わず背筋を伸ばした。

 男――正一は、無言で椅子を指さした。

 「ここに座ってごらん」

 柚羽は緊張しながら椅子に腰を下ろす。レザーの感触がじんわりと冷たく、手のひらが汗で湿っていた。

 「長い髪ってのはな、命を引き寄せることもあるが、怨念も引き寄せる。まして“カミノケ様”は、髪に執着してこの世に残った存在だ。あんたの髪は、もう目をつけられてる」

 「……切ったら、助かるんですか?」

 「坊主まで刈れば、祟りは断ち切れる」

 柚羽は唇を噛んだ。

 (髪を全部……?)

 鏡の中の自分が、微かに震えている。

 でも、夜に髪を引き抜かれるあの感覚。あの夢。あれが続くくらいなら――

 「お願いします。……刈ってください。全部」

 正一はゆっくりとうなずくと、奥からバリカンを取り出した。

 「覚悟、できてるな」

 「……はい」

 ブィィィィィ……

 低く、重い音が鳴った瞬間、柚羽の心臓がどくんと跳ねた。

 正一の手がゆっくりと動き、柚羽のつむじからバリカンが入っていく。

 ザザザ……ザリッ……

 頭頂部の髪が、抵抗するように震えながら、音を立てて刈られていく。

 (あ……)

 前髪の先が視界に落ち、バサリと膝の上に落ちた。黒々とした髪の束が、次々と床に降り積もっていく。

 美月は横で黙って見守っていた。柚羽の肩は小さく震え、涙を流しそうな表情をしていたが、目は真っすぐ鏡の中を見ていた。

 「大丈夫だよ、柚羽ちゃん。怖くない。……私がいるから」

 正一は無言で、丁寧に、丁寧に刈っていく。後頭部からうなじにかけて、長い髪が剃り落とされていくたび、冷たい風が肌に触れるのを柚羽は感じた。

 (ああ……私、ほんとに……坊主になるんだ……)

 耳のまわりを刈る音が響く。

 ブィィィ……ザリ……ザリ……

 落ちた髪はもう床を覆い尽くし、柚羽の影が変わっていく。柔らかく揺れていたシルエットは、今やまるで別人のようなすっきりした丸い形。

 最後に、正一が手鏡を使って後ろを見せた。

 「どうだ? もう、あの気配はついてきてない」

 柚羽は鏡を見つめた。

 そこにいたのは、つるりと刈られた、見慣れない自分だった。最初は恥ずかしさがこみあげてきたが、不思議と怖くはなかった。

 むしろ――軽い。

 あの悪夢の重みが、髪と一緒にどこかへ消えていったような気がした。

 「ありがとう……ございます」

 鏡に映る自分を見て、柚羽は静かに、はじめて微笑んだ。


第5章 消えた“八番目”

 次の日の朝、柚羽はいつもより早く学校へ向かった。
 帽子は被らなかった。いや、もう必要なかった。
 坊主頭になった自分を鏡で見たときは少し泣きそうになったけれど、今はもう不思議なほど、心が晴れていた。

 登校途中、道端の草むらを風が揺らす。その風が、首筋に直接当たってくる感覚が心地よい。
 ――これまでどれほど髪に覆われていたのか、自分でも驚いた。

 校門をくぐると、同級生たちが振り向いて目を見開いた。

 「……うそ、柚羽ちゃん?」

 「坊主……マジ? え、え、どうしたの?」

 驚きとざわめきが広がっていく中、柚羽はにっこり笑って言った。

 「ちょっと、サッパリしたくなったの」

 心配そうに近づいてきた美月にだけ、柚羽はそっと耳打ちした。

 「……昨夜、夢を見なかったの。あの、髪を抜かれるやつ。はじめて、ぐっすり眠れた」

 美月は目を潤ませて、小さくうなずいた。

 ところがその日――クラスに異変が起きた。

 「ねぇ……陽菜(ひな)が来てない」

 始業のチャイムが鳴っても、いつも前列に座っていた陽菜の席は空のままだった。担任の田辺先生が教室に入ってきても、陽菜のことには触れず、何もなかったように朝の会を始めた。

 (変だな……)

 違和感が胸に残ったまま、柚羽は一日を過ごした。

 放課後、美月と昇降口で待ち合わせていたとき、ふと、階段の踊り場に貼ってある古い掲示板が目に入った。

 そこには、いつからあるのかもわからない“学校七不思議”の紙が貼ってあった。

 一、不在の音楽室
 二、夜に動く人体模型
 三、返ってこない図書カード
 四、穴のない鐘の音
 五、鏡のない鏡張り
 六、逆さまの写真
 七、動かぬ時計台

 目を凝らすと、そこには小さな書き足しがあった。

 八、髪の生えた空席

 「……え?」

 柚羽が呟くと、背後から美月が声を潜めて言った。

 「昨日まで、“八”なんて書かれてなかったよね……?」

 空席。
 そして“髪の生えた”という奇妙な表現。
 まるでそこに――何かが“生えてくる”ように。

 「まさか……陽菜ちゃんが……?」

 柚羽の脳裏に、昨日の理髪店の記憶がよぎる。

 (私が“カミノケ様”から逃れたぶん、誰かが代わりに……?)

 胸がぎゅっと締めつけられる。

 その日の夕方、陽菜の家に電話してみたが、誰も出なかった。次の日も陽菜は学校に来ず、田辺先生は「家庭の事情」とだけ説明して、それ以上は口を閉ざした。

 柚羽は夜、目を覚ました。

 開けっぱなしのカーテンから、月明かりが差し込んでいた。

 そして――

 窓の外に、長い髪の少女が立っていた。

 白く細い指が、ガラスを静かになぞっていく。

 柚羽は布団の中で震えながら、その姿を見つめた。
 それは確かに、陽菜に似ていた。

 けれど、彼女の顔は見えなかった。
 顔の半分以上が、重たく垂れた髪で覆われていたから。


第6章 鏡の中の少女

 ――陽菜が、消えた。
 その事実はクラスの中で薄く、あえて口にされない空気になっていた。
 代わりに、不思議なことが次々と起こるようになった。

 鏡の中に、自分ではない誰かの後ろ姿が映る。
 机の中に髪の束が入っていた。
 朝、教室の天井から細い髪が垂れていた。

 誰もが薄々“何か”に気づいていたが、それを言葉にすれば引きずり込まれるような気がして、沈黙するしかなかった。

 そして、柚羽は決めた。
 もう逃げるのはやめる。
 《カミノケ様》の正体を、確かめなければならない。



 放課後。
 柚羽と美月は、再び“開かずの倉庫”へと向かった。
 今度は、正一から預かった古びた鍵を持って。

 扉に鍵を差し込み、ゆっくりと回すと――

 カチャ……ギイィ……

 扉が、音を立てて開いた。

 そこは、まるで時間が止まったような空間だった。
 壁一面が鏡張りになっていて、どの鏡も不自然なほど曇っている。

 空気は湿っていて、埃の匂いの中に、かすかな髪の毛のにおいが混じっていた。

 「ここ……まるで鏡の迷路みたい」

 美月がつぶやく。

 「ねえ、美月。前に言ってたよね。“見た”って。……何を、見たの?」

 美月は鏡の一つを指差した。

 「ここで。……この鏡の中に、いたの」

 柚羽がその鏡をじっと見つめると、鏡の奥からぼんやりと“誰か”の姿が浮かび上がってきた。

 それは、長い黒髪の少女だった。
 瞳は涙で濡れていて、顔の半分を髪で隠している。
 そして彼女の足元には、まるで命を持つような無数の髪が、床一面に伸びていた。

 「……あなたが、“カミノケ様”?」

 柚羽が声をかけると、鏡の中の少女がゆっくりとこちらを向いた。

 そして、柚羽に重ねるように、口を動かす。

 「髪を……返して」

 「どういうこと? 返すって……」

 そのとき、美月が小さく息を呑んだ。

 「この子……昔、ここに通っていた生徒だ。何十年も前、強制的に髪を切られたの。まだ、髪が命の時代に。……男子にからかわれて、教室で、無理やりに」

 「え……」

 「恥ずかしさと怒りで、次の日から学校に来なくなったって聞いた。そのまま、家でも誰とも口をきかなくなって……いつの間にか行方不明になったって……」

 柚羽は言葉を失った。

 髪を奪われることが、その子にとっては“命を奪われる”ことと同じだった。
 その苦しみ、悲しみ、怒りが、鏡の中に留まり――“カミノケ様”になったのだ。

 「でも、私……自分から髪を刈った。怖かったけど、そうするしかなかったから……」

 鏡の少女がゆっくりと柚羽に手を伸ばす。
 だが、それは怒りでも恨みでもない。
 まるで――髪を撫でようとする母の手のようだった。

 柚羽がそっと、その鏡に触れたとき。

 パリンッ――

 音もなく、鏡がひとりでに割れ、粉のように砕けた。

 少女の姿は、跡形もなく消えていた。

 だが、足元に一束だけ、黒く美しい髪が落ちていた。

 まるで、彼女の“記憶”が、ようやく成仏できたかのように。


第7章 刈られた記憶、祓われた祟り

 翌朝。校舎の空気は、どこか静まりかえっていた。
 まるで、誰かが深く息を吸い込んで、長い溜め息をついた後のように――

 「陽菜ちゃん……来てたよ」

 美月がぽつりとつぶやいた。

 「えっ?」

 「さっき、昇降口で見かけたの。髪を短くしてた。肩よりずっと短く、バッサリと」

 「よかった……無事なんだ」

 柚羽の胸がじんわりと温かくなった。

 その後、授業が始まる直前、陽菜は本当に戻ってきた。
 でも、以前のようなきゃぴきゃぴした陽菜ではなかった。

 落ち着いた顔で、でもどこか柔らかい雰囲気で――
 そして何より、その切りそろえた短い髪が、彼女を強く、たくましく見せていた。

 「おはよう」

 その一言で、すべてが戻った。クラスが、ようやく日常を取り戻した。



 放課後、柚羽は一人で校舎裏へと向かった。
 風が吹くたび、首筋に当たる風が、今では心地よい。

 あの鏡の倉庫は、すでに学校によって閉鎖されていた。
 割れた鏡の破片も、散らばっていた髪も、何もかもが撤去されたという。

 でも――彼女には、まだ見える気がした。

 鏡の中の少女。
 そして、自分に向けられた、あのやさしい手。

 柚羽は、そっと呟いた。

 「髪がなくても、私は私だよ。――きっと、あなたもそうだったんだよね」

 その瞬間、風がふっと吹き抜けた。
 誰かが、静かに頷いてくれた気がした。



 それから、学校に“八番目の七不思議”の噂は残らなくなった。
 掲示板の紙は真新しく張り替えられ、「七つ」だけの名前が並んでいる。

 柚羽は、自分の坊主頭を笑いながら触った。

 「まあ……悪くないかもね。しばらく、このままでいようかな」

 「似合ってるよ」

 横から声をかけてきたのは陽菜だった。

 彼女もまた、短くなった髪をなでながら微笑んだ。

 「なんかさ……髪を切ったら、ちょっと強くなれた気がするんだよね」

 「うん、私も」

 二人は笑い合った。
 恐怖を乗り越えた者だけが知る、小さな勇気の証として。



🕯エピローグ 七不思議のその先へ

 それから一年。
 柚羽の髪は少しずつ伸び、今はくせっ毛気味のショートになっていた。

 だけど、誰かに聞かれたら、こう言うことにしている。

 「髪? うん、いろいろあって坊主にしたんだよ。ちょっと、祟りから逃げてさ」

 ――もちろん、冗談みたいに言うけれど、本当の話だ。

 時々、夜の校舎を見上げると、どこかの窓に黒髪の影が映る気がする。
 でももう、怖くない。

 私たちは知っている。

 髪に宿った記憶も、悲しみも、優しさも――
 全部、ちゃんと受け止めたから。
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