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第6章 北沢玲菜
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第6章 北沢玲菜
それは準決勝を終えた翌日、ひときわ暑さの厳しい夏の午後だった。私はグラウンド脇にあるマネージャー室の掃除を終え、氷嚢を準備していた。名を北沢玲菜という。新米の女子野球部マネージャーで、春から部に加わったばかりだ。
「れいな先輩、タオルも持っていきますね!」同じくマネージャーを務める一年生の恵が、スポーツタオルの山を両腕に抱えてやって来る。先輩と呼ばれるのがまだくすぐったい。私は小さく笑って頷いた。
グラウンドには坊主頭の部員たちが散らばり、汗を光らせてランニングやキャッチボールに励んでいる。キャプテンの桐原先輩以下、白川先輩、佐々木さん、中村さん、市川さん——誰もが逞しい丸刈りの頭で、眩しい笑顔を見せていた。元々はフロアマネージャーとして、みんながケガなく練習を続けられるようサポートするのが私の役割。けれど、最近はただサポートするだけでは物足りなさを感じ始めていた。
きっかけは準決勝の日。私はベンチに座り、黙々とスコアをつけながら、選手たちの一球一球に声援を送っていた。勝負どころを迎えた最終回、相手の強打をキャプテンが好捕してゲームセットを決めた瞬間、私の胸は熱くなった。それまでは「サポートするのが私の役目」と自分に言い聞かせてきた。だが、坊主頭で泥だらけになってグラウンドを駆け回る彼女たちを見たとき、心の底から「私も一緒に闘いたい」と願っている自分に気づいたのだ。
とはいえ、私は選手じゃない。ルール上、女子野球部の公式試合にマネージャーとして出場はできない。それでも「覚悟を形にする」ことはできるのではないだろうか。彼女たちが示してくれたように——髪を剃るというやり方で。そこまでしていいのかという迷いはあった。それでも私は、この胸に渦巻く衝動を無視できなかった。
その日の夕方、誰もいない更衣室に入り、私は鏡に向かって立った。中学時代から伸ばしてきたセミロングの髪が薄い汗で首筋に貼りついている。ゆっくりとゴムを外しながら、心臓の鼓動を感じた。
「本当に…やるんだよね」自分の小さな声が静かな室内に響く。
躊躇する気持ちもある。だけど選手たちが勇気を出して見せたあの一歩を、私も踏み出してみたい——その思いが勝っていた。
私が意を決してバリカンのスイッチを入れようとしたときだった。更衣室のドアが開き、見知った坊主頭が顔を覗かせた。キャプテンの桐原先輩だ。
「れいな、もしかして……」先輩は私が手にしていたバリカンを見て言葉を飲み込む。「どうしても…やるの?」
「はい」私は小さく息を飲み、先輩を真っ直ぐに見つめた。「私もみんなと同じ覚悟を示したいんです。部員じゃなくてマネージャーだけど……気持ちは一緒だから」
「そう…わかった」先輩は静かに頷く。何か言いたげだったが、すぐに意を決して私の隣に立った。「だったら私に手伝わせて。大事な仲間だもの」
涙がこぼれそうになった。誰よりも私の決意を理解してくれるのは、この人しかいないかもしれない。私は頷きながら、震える手でバリカンを渡した。
スイッチの音が唸りを上げる。「ブィーン…」短い振動が更衣室に響き、先輩は丁寧に私の髪を撫で分けるようにして、まずハサミで長い束を何度かに分けて切り落とした。ばさっ、ばさっと黒い房が床に落ちるたびに体が軽くなる。続いてバリカンが頭皮を這い、ジョリジョリという音が耳元をくすぐった。
「痛くない?」先輩の優しい声に、私は首を振る。
「はい、平気です…むしろ気持ちいいぐらい…」自分でも不思議な高揚感があった。
刈り進めるたびに、鏡の中の私の髪が見る見るうちになくなっていく。刈り残しを丁寧に処理してくれる先輩に感謝しながら、私は唇を噛んだ。こんな私でも、一人前の“仲間”になれる気がする。坊主頭により、どんな視線を浴びようとも恐くない。先輩方が身をもって教えてくれた「自分の信念を貫く」ことの尊さを、私も体現したかった。
やがてバリカンが止まり、鏡には丸刈りの少女が映っていた。まだ少しぎこちない表情だけれど、そこには揺るぎない決意があった。頭に手を当てるとザリッとした感触が走り、思わず笑みがこぼれる。
「似合うわよ。綺麗な頭の形してる」桐原先輩も、安心したように微笑んだ。
「ありがとうございます…!」言葉にならない感情が胸に溢れ、私は何度も頭を下げた。
翌朝、坊主頭になったマネージャーの姿を見て、部員たちは驚嘆し、そして盛大に拍手してくれた。白川先輩や中村さんが「ようこそ、坊主同盟へ!」と冗談めかして言ってくれる。私の手を握るその笑顔は、言葉以上の歓迎を表していた。
「一緒に頑張ろう、れいな」
その言葉が、私の新しいスタートを力強く後押ししてくれた。
それは準決勝を終えた翌日、ひときわ暑さの厳しい夏の午後だった。私はグラウンド脇にあるマネージャー室の掃除を終え、氷嚢を準備していた。名を北沢玲菜という。新米の女子野球部マネージャーで、春から部に加わったばかりだ。
「れいな先輩、タオルも持っていきますね!」同じくマネージャーを務める一年生の恵が、スポーツタオルの山を両腕に抱えてやって来る。先輩と呼ばれるのがまだくすぐったい。私は小さく笑って頷いた。
グラウンドには坊主頭の部員たちが散らばり、汗を光らせてランニングやキャッチボールに励んでいる。キャプテンの桐原先輩以下、白川先輩、佐々木さん、中村さん、市川さん——誰もが逞しい丸刈りの頭で、眩しい笑顔を見せていた。元々はフロアマネージャーとして、みんながケガなく練習を続けられるようサポートするのが私の役割。けれど、最近はただサポートするだけでは物足りなさを感じ始めていた。
きっかけは準決勝の日。私はベンチに座り、黙々とスコアをつけながら、選手たちの一球一球に声援を送っていた。勝負どころを迎えた最終回、相手の強打をキャプテンが好捕してゲームセットを決めた瞬間、私の胸は熱くなった。それまでは「サポートするのが私の役目」と自分に言い聞かせてきた。だが、坊主頭で泥だらけになってグラウンドを駆け回る彼女たちを見たとき、心の底から「私も一緒に闘いたい」と願っている自分に気づいたのだ。
とはいえ、私は選手じゃない。ルール上、女子野球部の公式試合にマネージャーとして出場はできない。それでも「覚悟を形にする」ことはできるのではないだろうか。彼女たちが示してくれたように——髪を剃るというやり方で。そこまでしていいのかという迷いはあった。それでも私は、この胸に渦巻く衝動を無視できなかった。
その日の夕方、誰もいない更衣室に入り、私は鏡に向かって立った。中学時代から伸ばしてきたセミロングの髪が薄い汗で首筋に貼りついている。ゆっくりとゴムを外しながら、心臓の鼓動を感じた。
「本当に…やるんだよね」自分の小さな声が静かな室内に響く。
躊躇する気持ちもある。だけど選手たちが勇気を出して見せたあの一歩を、私も踏み出してみたい——その思いが勝っていた。
私が意を決してバリカンのスイッチを入れようとしたときだった。更衣室のドアが開き、見知った坊主頭が顔を覗かせた。キャプテンの桐原先輩だ。
「れいな、もしかして……」先輩は私が手にしていたバリカンを見て言葉を飲み込む。「どうしても…やるの?」
「はい」私は小さく息を飲み、先輩を真っ直ぐに見つめた。「私もみんなと同じ覚悟を示したいんです。部員じゃなくてマネージャーだけど……気持ちは一緒だから」
「そう…わかった」先輩は静かに頷く。何か言いたげだったが、すぐに意を決して私の隣に立った。「だったら私に手伝わせて。大事な仲間だもの」
涙がこぼれそうになった。誰よりも私の決意を理解してくれるのは、この人しかいないかもしれない。私は頷きながら、震える手でバリカンを渡した。
スイッチの音が唸りを上げる。「ブィーン…」短い振動が更衣室に響き、先輩は丁寧に私の髪を撫で分けるようにして、まずハサミで長い束を何度かに分けて切り落とした。ばさっ、ばさっと黒い房が床に落ちるたびに体が軽くなる。続いてバリカンが頭皮を這い、ジョリジョリという音が耳元をくすぐった。
「痛くない?」先輩の優しい声に、私は首を振る。
「はい、平気です…むしろ気持ちいいぐらい…」自分でも不思議な高揚感があった。
刈り進めるたびに、鏡の中の私の髪が見る見るうちになくなっていく。刈り残しを丁寧に処理してくれる先輩に感謝しながら、私は唇を噛んだ。こんな私でも、一人前の“仲間”になれる気がする。坊主頭により、どんな視線を浴びようとも恐くない。先輩方が身をもって教えてくれた「自分の信念を貫く」ことの尊さを、私も体現したかった。
やがてバリカンが止まり、鏡には丸刈りの少女が映っていた。まだ少しぎこちない表情だけれど、そこには揺るぎない決意があった。頭に手を当てるとザリッとした感触が走り、思わず笑みがこぼれる。
「似合うわよ。綺麗な頭の形してる」桐原先輩も、安心したように微笑んだ。
「ありがとうございます…!」言葉にならない感情が胸に溢れ、私は何度も頭を下げた。
翌朝、坊主頭になったマネージャーの姿を見て、部員たちは驚嘆し、そして盛大に拍手してくれた。白川先輩や中村さんが「ようこそ、坊主同盟へ!」と冗談めかして言ってくれる。私の手を握るその笑顔は、言葉以上の歓迎を表していた。
「一緒に頑張ろう、れいな」
その言葉が、私の新しいスタートを力強く後押ししてくれた。
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