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さよなら、リアナ様。
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落ち着かない気持ちで、ノエルが部屋にやってくるのを待った。
リアナは背中まである髪に何回もブラシをかけていた。
花の香りがする香水を控えめにつけている。
それはノエルがいい香りだといっていた香水だった。
首にスカーフを巻き、花の刺繍の水色のガウンを着ている。
水色はノエルが好きだといっていた色だった。
ノエルが別れの挨拶にやってきたのは、ちらちらと舞っていた雪がやみ、雲の間から陽が見えた頃だった。
「リアナ様、わたしはこれから発ちます」
強い風が吹き、部屋の窓を揺らしている。
窓の外に見える庭園にはうっすらと雪が積もっている。
「ご主人様が馬車を用意してくれました。リーフの街まで送ってもらいます」
ノエルはウールのチュニックにマントを羽織っていた。
手には荷物がはいった袋と木のステッキを提げている。
(ノエルがいなくなる……)
身支度をしたノエルの姿を見たリアナは悲しみを感じた。
晩餐会から十日後の昼下がり。
リアナとノエルが庭園を並んで歩いていたときだった。
庭園はみごとに手入れがされていた。
父親のロブルが新しい腕のいい庭師を雇っていた。
リアナは父親に晩餐会での出来事を、奇術師に頼みナターシャに催眠術をかけたと説明した。
催眠術にかかったナターシャがジェラミーとの婚約を破棄したと。
ロブルは怪訝な様子でリアナの話をきいていた。
だが、ジェラミーの訴えが取りさげられたことを喜び、新しい庭師を雇い、使用人たちの俸給の金額をあげていた。
「リアナ様、わたしは使用人を辞めさせていただきます」
ノエルが不意に立ち止まりいった。
「人間がいない黒鉄島で暮らそうと思います」
ノエルがそばにいるだけで高揚していたリアナは、言葉を失った。
「晩餐会の日にわたしがジェラミーに炎の魔法をつかってから、人々の魔物への恐怖、憎しみがつよくなっています。魔人王が生きていると考え、魔物への警戒心がつよまっています」
思いつめた表情のノエルがいった。
「いつか、わたしが魔導士だと知られてしまうかもしれません」
リアナは晩餐会での人々の様子を思った。
大広間に魔物が現れたと騒ぎ、混乱、恐怖していた貴族たち。
剣と槍を手にして血眼になって魔物を探していた兵士たち。
「あなたが魔導士だとは誰も思いません。今までも疑われていないじゃない」
リアナはノエルを励ますようにいった。
「昨日、リーフの街で食料を買っていたとき、審問所の人間にでくわしました」
晩餐会の日から、街は重々しい雰囲気になっていた。
「そのとき、審問所の従者が犬を連れていました。わたしはその犬に吠えられました。従者は、犬がわたしの手にある羊の肉に反応したと思ったようでした。そのときはわたしは調べを受けることはありませんでした」
街を巡回する兵士の数が戦争のときのようにおおくなっていた。
審問所の従者は、魔物の匂いを嗅ぎつけるという犬を連れて歩いていた。
「ですが、次はどうなるかわかりません。もし、わたしが捕らえられれば、リアナ様、ご主人様にも危害がおよびます。そう考えると心苦しいのです」
(……スプリングホルムで人間として暮らしていけばノエルは危険にさらされる。ノエルは人間に危害をくわえたわけではないのに。人間は魔導士のノエルに恐怖し、憎む。ノエルにとって、それはどんなにつらいことだろう……)
魔物に憑かれたと噂されたリアナは、ノエルの人間への恐怖心が他人事だと思えなかった。
「わたしはへいき。もう魔物に憑かれたという疑いは晴れました」
ジェラミーとナターシャの婚約が解消された翌日、父親のロブルが審問所にリアナの尋問をやめるように働きかけていた。
宰相の娘の婿になりそこねたジェラミーの審問所への影響力はなくなっていた。
審問所はあっさりとリアナへの尋問をとりやめていた。
「みんなの魔物への警戒もいつまでもつづきません」
リアナはノエルが魔導士だと知った日と同じようにかれを引きとめた。
「……人々が落ち着かくか、様子をみましょう」
そのときは、リアナに元気づけられたようにノエルはほほえんだ。
だが、二日後の朝、審問所の従者が屋敷にやってきた。
まだ若い従者はノエルに審問所に出向くように淡々と命じた。
街でノエルに吠えた犬を連れていた従者は、スプリングホルムでは珍しいノエルの青い目を不審に感じていた。
ノエルに尋問をうけたさせようと思い直したのだった。
ノエルが魔物に憑かれていると疑われたことに主人のロブルは怒り、抗議をした。
だが、貴族の娘であるリアナとちがい、使用人のノエルの尋問をやめさることはできなかった。
そして、ノエルは尋問の日の前にスプリングホルムを去るときめた。
(……わたしはあなたといたい……)
リアナは唇を噛み、言葉をのみこんだ。
ノエルの身を案じると、引きとめることはできなかった。
それが昨日のことだった。
「すわりましょう。まだ、時間はあるかしら?」
リアナは部屋の戸口に立つノエルの手をとり、暖炉の側にある革の椅子まで連れていった。
ノエルとすこしでも一緒にいたいと思った。
膝を向き合わせて、並んですわった。
「ノエル、あなたには感謝してもしきれない」
リアナはノエルのあたたかい手を握った。
「バラスタ家の屋敷を売却せずにすんだのはあなたのおかげです。わたしが審問官のばかげた尋問をうけずにすんだのも」
「感謝するのはわたしのほうです」
ノエルは澄んだ青い目でリアナを見つめる。
「今までこのお屋敷に使用人としていられたのたのは、リアナ様のおかげです。もし、ここにいられなければ人間たちに捕まり、生きていなかったかもしれません」
ノエルの声には熱がこもっている。
「リアナ様と出会えて幸せでした。リアナ様といると人間への恐怖を忘れることができました。わたしは人間に魔導士であることを知られることをおそれてきました。仲間の魔物たちが兵士たちに無残に殺されるのを目のあたりにしてきました。いつか自分も同じ目にあうと恐怖し、人間の手から逃げつづけてきました」
ほほえみながら目に涙を浮かべたノエルは言葉を詰まらせる。
「……リアナ様はだれよりも優しいひとです。わたしが魔導士だと知ってからもいつものように話し、笑いかけてくれました。そのことにわたしは救われました。仲間を失ってからはじめて生きる喜びを感じられるようになりました」
「ノエル! 馬車の用意ができたぞ!」
部屋の外から使用人が呼びかけた。
「リアナ様、失礼します」
ノエルはリアナから手を離し、立ち上がった。
「ノエル、気をつけてね」
リアナは腰をあげ、いった。
「今のあなたらなら大丈夫ですね。つよい魔法をつかえる。兵士たちに捕まることもない」
「……愛しています、リアナ様」
ノエルはリアナの頬と唇にキスをした。
「愛してる、ノエル」
リアナは目に涙を浮かべながら微笑み、キスを返した。
ふたりは長いキスをした。
「さよなら」
「さよなら、リアナ様」
ノエルは床においた袋と木の杖を手にとる。
リアナとノエルはドアのほうに移動した。
「また、会いましょう」
ドアの前に立ったリアナがいった。
「わたしはリアナ様のもとに必ず戻ってきます」
スプリングホルムを離れると決めた日、ノエルがリアナにいった。
「もっと魔法がうまくつかえるようになります。兵士、審問官たちから身を守り、またこのお屋敷で暮らしていけるほど強くなります。魔法の訓練を積み、リアナ様に会いに戻ってきます」
リアナがドアをあけようとすると、不意にノエルが袋と木のステッキを床においた。
ドアのノブに手をかけたリアナを優しくだきしめる。
(ノエルは帰ってくる……)
多くの約束はあてにならないとわかっていた。
だが、リアナはノエルの言葉を信じていた。
ノエルとの別れに悲しみを感じながら、信頼できる相手、言葉があることは貴重なことだと思った。
廊下を歩くノエルを呼ぶ使用人の足音が近づいてくる。
リアナはドアのノブから手を離し、ノエルの青く澄んだ目を見つめつづける。〈了〉
リアナは背中まである髪に何回もブラシをかけていた。
花の香りがする香水を控えめにつけている。
それはノエルがいい香りだといっていた香水だった。
首にスカーフを巻き、花の刺繍の水色のガウンを着ている。
水色はノエルが好きだといっていた色だった。
ノエルが別れの挨拶にやってきたのは、ちらちらと舞っていた雪がやみ、雲の間から陽が見えた頃だった。
「リアナ様、わたしはこれから発ちます」
強い風が吹き、部屋の窓を揺らしている。
窓の外に見える庭園にはうっすらと雪が積もっている。
「ご主人様が馬車を用意してくれました。リーフの街まで送ってもらいます」
ノエルはウールのチュニックにマントを羽織っていた。
手には荷物がはいった袋と木のステッキを提げている。
(ノエルがいなくなる……)
身支度をしたノエルの姿を見たリアナは悲しみを感じた。
晩餐会から十日後の昼下がり。
リアナとノエルが庭園を並んで歩いていたときだった。
庭園はみごとに手入れがされていた。
父親のロブルが新しい腕のいい庭師を雇っていた。
リアナは父親に晩餐会での出来事を、奇術師に頼みナターシャに催眠術をかけたと説明した。
催眠術にかかったナターシャがジェラミーとの婚約を破棄したと。
ロブルは怪訝な様子でリアナの話をきいていた。
だが、ジェラミーの訴えが取りさげられたことを喜び、新しい庭師を雇い、使用人たちの俸給の金額をあげていた。
「リアナ様、わたしは使用人を辞めさせていただきます」
ノエルが不意に立ち止まりいった。
「人間がいない黒鉄島で暮らそうと思います」
ノエルがそばにいるだけで高揚していたリアナは、言葉を失った。
「晩餐会の日にわたしがジェラミーに炎の魔法をつかってから、人々の魔物への恐怖、憎しみがつよくなっています。魔人王が生きていると考え、魔物への警戒心がつよまっています」
思いつめた表情のノエルがいった。
「いつか、わたしが魔導士だと知られてしまうかもしれません」
リアナは晩餐会での人々の様子を思った。
大広間に魔物が現れたと騒ぎ、混乱、恐怖していた貴族たち。
剣と槍を手にして血眼になって魔物を探していた兵士たち。
「あなたが魔導士だとは誰も思いません。今までも疑われていないじゃない」
リアナはノエルを励ますようにいった。
「昨日、リーフの街で食料を買っていたとき、審問所の人間にでくわしました」
晩餐会の日から、街は重々しい雰囲気になっていた。
「そのとき、審問所の従者が犬を連れていました。わたしはその犬に吠えられました。従者は、犬がわたしの手にある羊の肉に反応したと思ったようでした。そのときはわたしは調べを受けることはありませんでした」
街を巡回する兵士の数が戦争のときのようにおおくなっていた。
審問所の従者は、魔物の匂いを嗅ぎつけるという犬を連れて歩いていた。
「ですが、次はどうなるかわかりません。もし、わたしが捕らえられれば、リアナ様、ご主人様にも危害がおよびます。そう考えると心苦しいのです」
(……スプリングホルムで人間として暮らしていけばノエルは危険にさらされる。ノエルは人間に危害をくわえたわけではないのに。人間は魔導士のノエルに恐怖し、憎む。ノエルにとって、それはどんなにつらいことだろう……)
魔物に憑かれたと噂されたリアナは、ノエルの人間への恐怖心が他人事だと思えなかった。
「わたしはへいき。もう魔物に憑かれたという疑いは晴れました」
ジェラミーとナターシャの婚約が解消された翌日、父親のロブルが審問所にリアナの尋問をやめるように働きかけていた。
宰相の娘の婿になりそこねたジェラミーの審問所への影響力はなくなっていた。
審問所はあっさりとリアナへの尋問をとりやめていた。
「みんなの魔物への警戒もいつまでもつづきません」
リアナはノエルが魔導士だと知った日と同じようにかれを引きとめた。
「……人々が落ち着かくか、様子をみましょう」
そのときは、リアナに元気づけられたようにノエルはほほえんだ。
だが、二日後の朝、審問所の従者が屋敷にやってきた。
まだ若い従者はノエルに審問所に出向くように淡々と命じた。
街でノエルに吠えた犬を連れていた従者は、スプリングホルムでは珍しいノエルの青い目を不審に感じていた。
ノエルに尋問をうけたさせようと思い直したのだった。
ノエルが魔物に憑かれていると疑われたことに主人のロブルは怒り、抗議をした。
だが、貴族の娘であるリアナとちがい、使用人のノエルの尋問をやめさることはできなかった。
そして、ノエルは尋問の日の前にスプリングホルムを去るときめた。
(……わたしはあなたといたい……)
リアナは唇を噛み、言葉をのみこんだ。
ノエルの身を案じると、引きとめることはできなかった。
それが昨日のことだった。
「すわりましょう。まだ、時間はあるかしら?」
リアナは部屋の戸口に立つノエルの手をとり、暖炉の側にある革の椅子まで連れていった。
ノエルとすこしでも一緒にいたいと思った。
膝を向き合わせて、並んですわった。
「ノエル、あなたには感謝してもしきれない」
リアナはノエルのあたたかい手を握った。
「バラスタ家の屋敷を売却せずにすんだのはあなたのおかげです。わたしが審問官のばかげた尋問をうけずにすんだのも」
「感謝するのはわたしのほうです」
ノエルは澄んだ青い目でリアナを見つめる。
「今までこのお屋敷に使用人としていられたのたのは、リアナ様のおかげです。もし、ここにいられなければ人間たちに捕まり、生きていなかったかもしれません」
ノエルの声には熱がこもっている。
「リアナ様と出会えて幸せでした。リアナ様といると人間への恐怖を忘れることができました。わたしは人間に魔導士であることを知られることをおそれてきました。仲間の魔物たちが兵士たちに無残に殺されるのを目のあたりにしてきました。いつか自分も同じ目にあうと恐怖し、人間の手から逃げつづけてきました」
ほほえみながら目に涙を浮かべたノエルは言葉を詰まらせる。
「……リアナ様はだれよりも優しいひとです。わたしが魔導士だと知ってからもいつものように話し、笑いかけてくれました。そのことにわたしは救われました。仲間を失ってからはじめて生きる喜びを感じられるようになりました」
「ノエル! 馬車の用意ができたぞ!」
部屋の外から使用人が呼びかけた。
「リアナ様、失礼します」
ノエルはリアナから手を離し、立ち上がった。
「ノエル、気をつけてね」
リアナは腰をあげ、いった。
「今のあなたらなら大丈夫ですね。つよい魔法をつかえる。兵士たちに捕まることもない」
「……愛しています、リアナ様」
ノエルはリアナの頬と唇にキスをした。
「愛してる、ノエル」
リアナは目に涙を浮かべながら微笑み、キスを返した。
ふたりは長いキスをした。
「さよなら」
「さよなら、リアナ様」
ノエルは床においた袋と木の杖を手にとる。
リアナとノエルはドアのほうに移動した。
「また、会いましょう」
ドアの前に立ったリアナがいった。
「わたしはリアナ様のもとに必ず戻ってきます」
スプリングホルムを離れると決めた日、ノエルがリアナにいった。
「もっと魔法がうまくつかえるようになります。兵士、審問官たちから身を守り、またこのお屋敷で暮らしていけるほど強くなります。魔法の訓練を積み、リアナ様に会いに戻ってきます」
リアナがドアをあけようとすると、不意にノエルが袋と木のステッキを床においた。
ドアのノブに手をかけたリアナを優しくだきしめる。
(ノエルは帰ってくる……)
多くの約束はあてにならないとわかっていた。
だが、リアナはノエルの言葉を信じていた。
ノエルとの別れに悲しみを感じながら、信頼できる相手、言葉があることは貴重なことだと思った。
廊下を歩くノエルを呼ぶ使用人の足音が近づいてくる。
リアナはドアのノブから手を離し、ノエルの青く澄んだ目を見つめつづける。〈了〉
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