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第1部 奈美編
♬ 22 アウフヘーベン
しおりを挟む京は言葉がなかった。絶句するとはまさにこのことだと思った。この理不尽さは、壮絶だ。突き抜けている。
遠雷が聞こえるなどという程度ではなく、落雷をまともに受けた感じ。凄まじいまでの不条理である。
もしかしたなら、これには何か哲学的な意味でもあるんじゃなかろうかとすら想えるほどなのだった。
いったいヨネクラシルベは、なにがいいたいんだろう。あるいは、どうだろう? ほんとうにそういうことだと仮定したならば、なにか見えてくるものがあるのかもしれないなどと京は思った。
苦し紛れのその場限りの言い逃れとしても、あまりにも杜撰な言い逃れだ。非をこちらに向けてくるとは、夢にも思わなかった。
この展開は、まったく読めなかった。もしかしたら、俺がほんとうの父親なのかもしれない。
という風に先ずは相手の言い分を肯定しなくては、ただの水掛け論になるばかりだ。そして、京はあることに思い至った。
シルベがいくら言い張ったとしても、当の本人が否定するとなるとシルベのデタラメは、一気に効力を失ってしまう。
だが……と、京は思う。
シルベの、彼女のお腹の子は……清水、実はおまえの子なんだよ! という発言により、この自由が丘駅前のトポスは、一気に異次元ポケットへと迷い込んでしまったのではないのか。
空恐ろしいまでの不条理な発言によって、この世界に歪が生じたのではないか、ということなのだ。
つまり、そうなるともう後戻りはできないってことだ。そして、その想像は、図らずも当たっていたことが時間を移さず証明されることになるのではないのかと、うなだれるシルベを尻目にまたぞろ京は、ラノベな妄想をしはじめる。
◇
独りぽつねんと佇む彼女のところへと移動した京とシルベのふたり。京はうつむき加減で、当の本人である初対面のシルベの彼女に、それとなく探りを入れてみた。
「あれ? あの……初対面ですよね?」
「そ、そんなあ……」というや、いきなり泣き出す彼女。
やはり、そうだった。京は、まったく星のない自由が丘の暗黒の空をあおいで途方に暮れる。
そうなのだ。これは、シルベとシルベの彼女が口裏を合わせているなどといった次元のお話では全然ないのだ。
シルベの口から出まかせの途方もない大法螺によって、この現象世界に亀裂が生じ、京がヨネクラの彼女を孕ませる世界という並行世界へと迷い込んでしまったらしい。
シルベの彼女を孕ませてしまったこともむろんかなりヤバイにはちがいないけれども、どうやって元の世界に戻れるのか、というか、そもそも戻れるのか否かがとっても、気になる。
対岸の火災視してた京に火の粉が降りかかるなどというレヴェルではなく、出火元は、おまえなのだというのだからたまらない。
嘘もここまで凄いと真実を遥かに凌駕して真実のなかの真実と呼ぶものへと止揚しているのかもしれない。
―――などと、お得意の妄想炸裂の京であったけれど、そんな馬鹿なことがあるわけもないのだった。
◇
「おい、シルベ。困ってるのはわかるが、それはちょっと無理がありすぎるんじゃないのか?」
現実に立ち返った京は、そういった。
「そ、そう? 結構いい線いってると思ったんだけどな。やっぱダメぽ?」
「で、どうすんだよ。いつまでも彼女待たせるわけにもいかないぞ、てかさ、思い出したけどあの子、この前の合コンの時の子だろ、飛鳥ちゃんたちとやった?」
「えへへ。そうなんだよね」
「ちゃっかりLINEで盛り上がっちゃったんだ?」
「そうなんだよね。まさか、マジに処女だとは思ってなかったから、驚いた」
「オマエは、やっぱり人間のクズだな、やるだけやって、はいさようならかよ」
「いや、おかしいんだよ、それが。ちゃんと避妊したんだからさ」
「おまえさ、全然好きとかないの? 愛はないのかよ? これを期にきっちりケジメつけて結婚するというのも、賢明な選択かもよ」
「いやあ。勘弁してマジに困った。もう逃げも隠れもできないもんね。でさ。ものは相談なんだけど?」
「金だろ? 仕方ねーな。半分なら貸してやってもいいけど」
「わるいな京。恩に着るよ」
というわけで、京はその場でATMからお金を下ろしてシルベに手渡した。
「飲むのは、またな。金だけ渡してハイ、サヨウナラじゃ、あまりにも誠意がなさすぎるだろ。今夜は、ちゃんと送っていってあげろよな」
「わかった。ありがとう」
「でもさ、もう一度よく考えてみろよ。堕胎は殺人だよ?」
なかなかやることが憎いね、と京は思う。マジに困っているのは確かだが、その様をしっかりと見てもらって、金の工面を頼むなんてきっちり計算しているところが、憎い。
まあ、あとは自分たちで考えるんだな。
京は、ひとり電車に乗ったが、シルベの人騒がせな騒動に、忘れていたあの時の合コンを思い出していた。つまり、飛鳥ちゃんのことをまた京は思い出していた。
やはり、飛鳥ちゃんのことが忘れられないのだろうか。自問自答しても心は、もやもやするだけだった。
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