花散る男女

トリヤマケイ

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第2部 名古屋編

🎵7 推しメン

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   我が目を疑うというのはこういうことなんだなと思った。






    憧れのあの人が眼の前にいる。










    頬を思い切りつねりたくなった。







 
   いったいどうして?    と頭の中はパニックだったけれど、とにかく部屋に上がってもらい、とりあえずここに座ってと、一度としてふたり並んで座られたことのない名ばかりの二人用ラブソファに座ってもらうが、なにがなんだかよくわからない。








   雲の上を歩いているように感じるし何か言うにしても、それこそフワフワしたことしか言えない。








   うれしくてたまらなかったが、しかし、なぜまた一切の連絡もなしに来たのだろうか。
 







 DMをくれたならば、駅に迎えに行ったのにと思ったところで、気がついた。







 つまり、彼女は現場で見かけるヲタクの方のレイに何か用件があって、来てくれたものらしい。







 なのでソランの垢に関しては、すっとぼけていることにした。シャルドネが、実はレイであることは秘密にしておくことにする。









    あとあとそれの方がいいような気がしたからだが、これは、ヲタクのくだらない咄嗟の思いつきで、勘と呼べるようなものではなかった。








   とりあえずは、冷蔵庫にきのうたまたま買っておいたタピオカミルクティーがあったのは、超ラッキーだった。








   なんせ今の今までタピオカミルクティーなる飲み物を飲んだことはなかったのに、きのうは帰りがけに何気なしに買ってしまったのだった。 








   さすがにGong Chaは、JKばかりなので、docomoショップのお隣にある並ばないでいい小ぢんまりしたお店にした。前々から、あそこならば気軽に入れそうだと思っていたお店だった。








   やがてレイは、極度の緊張のためなのか、はたまた昨夜麦酒のアテにしたエシャレットを調子づいて食べ過ぎたせいなのか、お腹が痛くなってきて、たまらずトイレに駆け込んだ。










   ちなみにエシャレットとエシャロットは混同しやすいが、エシャロットは、玉ねぎの一種で、エシャレットは、若いうちに収穫したらっきょう、らしい。










   囚われの身であったトイレからやっと解放され、キッチンにひとり佇みながら、ホッとひと安心するのも束の間、また夢の中にいるようなフワフワ感と、それでいてなにやらわからない胸苦しさを覚えた。









   ジュネが自分の部屋にいるという現実をとても受け入れそうになかったが、ここからは見えないが、五メートルも離れていないところにいる彼女の甘い肢体をビンビンと感じる自分もいるのだった。









   そこにいるのはわかっているのだけれど、見るのが怖いような、これが悶絶するというやつなのだろうかと、レイは心の中で七転八倒するロデオの暴れ馬のような自分自身を必死に手なずけようと、もがいていた。









   しかし、あまりにも静かなので、話しかけないのもおかしいよなと思い、おそるおそる部屋を覗き込んだ。すると、なんといえばいいのだろうか、レイは、そこに天使を見つけた。








 レモンイエローのラブソファにうずくまるようにして、スヤスヤと寝息をたてて眠っている推しメンは、紛う事なき現前する天使にちがいなかった。









   その圧倒的だけれども、か弱き仔鹿のような脆い存在感にレイはうっすらと涙した。なぜだかわからないが、そのあまりにも無防備な赤子みたいな無垢な姿に感動してしまったらしい。
 







   それはまるで、疲れた羽を休め安心して眠ることができる愛の巣に帰ってきたようではないか、とレイは思った。











   だが、冷静になって考えてみると、ただ単に昨夜オールしたので座った途端に睡魔が怒涛の如く押し寄せて来ただけに過ぎないということなのかもしれない。









 だが、たとえそうであってもレイの天にも昇るような幸せな気持ちは、揺るぎもしなかった。 
 







   そして、レイはまったくの見当違いなのかもしれないし、その資格もないだろうけれど、彼女を絶対に守ってあげなければならないと強く思うのだった。









   しかし、それにしても天使のような寝顔だった。天使を未だ見たことはないけれど。










 そして、それは天使ならば斯くも繊細でそこはかとなく漂ってくるにちがいないと思わせるような、いい匂いがしていて、改めてレイは震えるような喜びを禁じ得なかった。










    その香りは、まさしくジュネの匂いなのだ。
 










   ただ不思議なのは、なぜまたうちの住所を知っていたのかという疑問が浮かんだが、そういえば以前ライブ終わりの特典会で、ふざけて名刺を手渡したのを思い出した。











 たしかお遊び用に百枚二千五百円とかで作ったプライベート名刺で、そこにここの住所も載せてあった。











    少しだけ落ち着いてきて、この現前する奇跡を受け入れつつあるレイは、同時に何やら異変に気がつきはじめた。









   それは、何かうまくは表現できないのだが、レイの気持ちの変化とでもいうべきものだ。










    現場で推しメンのステージを観て、みんなで沸いて特典会やらチェキ会で、たとえアクリル板越しであろうとも推しメンを間近に見ながら会話してというヲタクにしてみれば、かけがえのない至高の時を好きなコと過ごせるわけだけれど、推しメンと間近で会えて話しができたのに、別れた途端にもうすぐにでも顔を見たくなるし、話がしたくなってしまう。
 









   それが、ヲタクの習性だが、今目の前にあるこの状況は、いったいなんなのだろうとレイは呆けたように遠い目をして思った。










   ジュネのことは、確かにまちがいなく愛している。なのになんだろう、現場で見るジュネとは決定的に何かがちがうのだ。









『ヲタクとアイドル』という関係性の枠組みの中で、お互いにヲタクとアイドルを演じているのであり、つまり、それを乗り越えてしまうのは、ドラマの終わりを意味している。













『ヲタクとアイドル』をそれぞれ演じている限りに於いて楽しいお祭り騒ぎは続くのかもしれない、なんてレイは思った。













   ところが眼前にあるこの状況は、どうだろう。あのまばゆいばかりにキラキラと輝いていた憧れの人が、すやすやと寝息を立てて、眠っているというこの状況。












   手を伸ばせば、すぐに触れることのできる生身の人間としてのジュネ。もしかしたなら手の届かないところにいる存在なので、輝いて見えていたのだろうか。考えてみたら、ジュネの事をほんとうになにひとつ俺は知らないとレイは思った。













   ひとりの女性として、好きだったのではなく、もしかしたらヲタクとアイドルという関係性の中だけで、ジュネを好きだったのか。 













   その枠組みがあったからこそ、結婚したいとか軽口を平気で叩いていられたのだろうか。そんな風に考えると、生身のジュネの事を知ることが、何か怖いような気がした。


















    
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