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#178 クネクネチンドン
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前から歩いてくるのは、どうみても、クネクネチンドン野郎にちがいなかった
すると、たぶん字面から脳が勝手に連想したのだろう、アネクドテンの『Sad rain』が脳内で流れはじめた
雨は降ってない
だいぶ前のことだが、アキヨシアキオ定信は、三軒茶屋のキャロットタワーの裏あたりの踏切りでアイツに遭遇したことがあった
アキオは後でその時の摩訶不思議というか、衝撃的なキショいそいつのエピソードを思い起こして、クネクネチンドンと命名したのだった
「あァァァ、アスカと一緒にニコ玉でケーキ食べたかったなぁ、あーアスカぁ」
ソイツは、身体をクネクネさせて、そう心底哀しげに嘆きつつ踏切りを渡っていた
彼の背中には風鈴だの風ぐるま、風船やヨーヨーでデコレートされた巨大なオブジェが乗っていて、彼がクネクネ歩く度に、風鈴が騒音のように盛大に鳴っていた
アキオは、あ、クネクネチンドンや! そう思って反射的に鋪道から路地へと逃げるように入ってしまったのだけれど、ソイツはほんとうに、ニコ玉でケーキを食べたかったとかいう、あのクネクネ野郎と同一人物だったのだろうか?
すぐに、そうではないかもしれないとアキオは思い直した
というのも、近ごろは東京のあちこちで都市伝説から抜け出してきたような、バケモノやらパラサイトに追いかけられた、あるいは襲われたという事件がネットニュースで散見されるような時代なのだから、様々な人類以外の生き物がいてもおかしくはない
つまり、あの独特なクネクネ歩きは、見間違えようがないとは思うが、欧米人が、日本人と中国人を識別できないように、クネクネ歩く種族がいろいろあるのかもしれない、だから簡単に個体を特定できない
ならば、どうするかと言うと、クネクネではなく、動くオブジェの観点から考えたならばいい
オブジェのデザインを確認すれば、踏切りですれ違ったクネクネチンドンか否かを判断できるはず
まさか、出かけるごとに異なるオブジェを背負ってるなんてことはまずないだろうと、アキオは踏んだのだ
そして、あの、ケーキを食べたかったという嘆きのセリフも、固定のフレーズであり、変わらないと判断してもいいだろうと考えた
アキオは、そう結論づけたが、なぜまたクネクネチンドンを見た途端に逃げようと思ったのか、そこはよくわからなかった
そんなことを考えながらも、迷路のような路地を奥へ奥へと何かに急かされるみたいに足を進めた
路地裏の空き地では、数匹の猫が日向ぼっこをしていた
モフモフして、ノドをゴロゴロいわせたかった
ラビリンスをさらに気の向くまま進んでいくと、小学校の時に絶対結婚しようねと固く約束したはずの、みよちゃんがやってきた
やってきたという表現は、少し語弊があるかもしれない、まるでプレアデス星人が、眼前にフッと現われるみたいに、みよちゃんは路地の角を曲がって不意に現われたのだ
そして、みよちゃんはにこやかにこう言った
「おかえりなさい、てか、どこ行ってたの?」
「え?」
「えじゃなくて、まさか忘れてないよね?」
「あ、忘れてない忘れてない」
「あっそ、ならいいけど、で、まだなの? ずっと待ってるんだけど」
「それな! 俺も気になってたんだけど、わかるだろ? 大人になるといろいろ、しがらみがあってさ」
「わかった、でも早くしてよね、あたし、おばあちゃんになっちゃうじゃん」
「ごめん、ごめん、ハネムーンはみよちゃんの行きたいところでいいから、考えといてよ」
「ハッ、その台詞、何回聞かされたか知ってる?」
「それな!」
「バカなの?」
「だから、どこ行きたい?」
「珊瑚礁の島」
「モルディブか!」
「島の8割が海抜1メートル以下なんだもん、早く行かないと沈んでなくなっちゃうかも」
「それな! 行くしか!」
「ゼッテーぶっ◯す」
「わかった、いや、わからないけれど、今ちょっとヤバいから、またね、みよちゃん」
アキオは、そう言い残しみよちゃんの絨毯爆撃のような執拗な攻撃をかいくぐり、脱兎の如く逃げ出した
それにしても、小学校卒業以来、会うたびに結婚を迫られているアキオは、そろそろ年貢の納め時なのかなあと思ったり、思わなかったり
と、不意に路地は終わり、広いバス道路に出てしまった
アキオにしてみれば、もっと迷路を彷徨っていたかったというのが、正直なところだった
アキオには、そういうところがあった、敢えて見知らぬ道を選んで道に迷ってみるとか、そのさ迷っている宙ぶらりんの時間が結構好きだった
もしかしたら、迷路から抜け出せないかもしれないという恐怖と宙ぶらりんの自由さのせめぎ合いが心地よかったのかもしれない
しばらく、広い歩道を歩いていくと、アキオの眼前に見たこともない奇異なフォルムの巨大なビルディングが現われた
カメラが趣味だったアキオは、以前、非日常を求めて京浜工業地帯に行った際、石油精製工場やらのタンクやポンプ、パイプラインといった石油コンビナートの巨大な建造物に恐怖し歓喜したことがあった
いま、アキオの前に聳える巨大で奇妙な建物は、そのときの感覚を少しだけ思い起こさせた
アキオはたぶん、美術館だろうとあたりをつけ、ビルのエントランスへとつづく、ひとっこひとりいないプロムナードをビルへと歩きはじめた
あのとき、工業地帯のインダストリアルな森を彷徨い歩き、わけもわからぬまま、やっと抜けのいい千鳥橋に辿り着いた時には、アキオは安堵し、少しだけ涙ぐんでいた
そしていまもまた、アキオはあの時のように、なぜか感極まって涙ぐんでいるのだった
なぜなのか理由などまったくわからない
すると、巨大なビルから誰かが出てきた
アキオは、目を凝らして見た
それは、あのクネクネチンドンだった、アキオは逃げることも出来ぬまま、その場で硬直してしまう
やがて、騒音のような例の風鈴の音が風に乗り聞こえてきた
アキオは金縛りの直立不動のまま、クネクネ野郎が通り過ぎていくのを待った
そして、しっかりとゴリゴリにデコった背中のオブジェを確認した
予想通り、それは見覚えのあるオブジェだった
すると、アキオはなぜか安堵し、意味もなく腕を突き上げて、快哉を叫んだ
「ヨッシャー!」
しかし
そのクネクネチンドンは、アキオからゆっくりと離れていきながら、こう言ったのだ
「艱難、汝を玉にす、リノ俺の目を見ながら服を脱げ」
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