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#213 飛鳥を待ちながら
しおりを挟む夜勤の仕事が明けて、いつものバスにオレは乗り込んだ。始発なので、ゆったりと座って帰れるのは最高だった。いちばん奥のシートに座って必要な画材や、もう一度聴きたい曲等を忘れないようにiphoneにメモした。
それにしても、飛鳥の卒業を待ちながら、もう7年くらいは経っているはずだった。それでも、相変わらずオレには、これからも飛鳥を待ち続けていくのだろうなという漠然とした予感だけがある。
仕事は、原発の作業員、3.11損害賠償の交渉員、精密板金のレーザーカッターオペレータ、レンタルビデオ屋店員、役者のジャーマネ、エキストラ、風俗の呼び込み、TV局の大道具、地下アイドルのスタッフ、AVのADなんかをやりながら、なんとか食いつないできた。我ながらよくやってこれたもんだと思う。よく死ななかったなって思うのだ。
ただ、まだ夢を捨てきれずに、わけのわからない音楽をやり続けている。
7年も時が流れたいま、飛鳥をなぜ待っているのかすら、もう定かではなかった。なんの希望も願いもないが、飛鳥を待っている、その事だけが、生きるモチベーションとなっているといえるのかもしれなかった。
しかし。
オレが、会う約束もなく勝手に彼女を待っているだけなのかもしれなかった。つまり、飛鳥本人はまったくオレが彼女を待っているなんて知らないかもしれないし、そもそもオレが知る飛鳥が、オレが待っている飛鳥という人物と同一人物なのかすらわからなくなっていた。
そんな風に思ってしまうほど時は経ってしまったのだ。実は、飛鳥は誰もが知る現役バリバリのアイドルだ。
彼女は、知る人ぞ知るあのグループに在籍しているが、誰もが認める超絶美少女であり、世の男性の垂涎の的で、ヲタクに至ってはもう神格化された女神そのものだった。
そんな彼女が、オレみたいな残念なビジュアルのおっさんと結婚の約束をしているなんて知ったならヲタクたちはまちがいなく全員発狂してしまうだろう。あるいは、加齢が一気に加速してクローズドの記者会見という前代未聞の会見をやらかしてしまったボケ老人みたいなヨイヨイにみたいになってしまうかもしれない。
もう梅雨明け宣言していいくらい外は暑い。
バスを降りて薄明るい曇天の空を見上げながら思わず、呪文のようにしてマスクの下で、もしかしてあのふたりの約束は反故にされたのかもしれない、いや、あるいははじめからそんな約束はなくオレが妄想していただけなのかもしれなかった。
そう、つぶやいていた。
自分でも時間が経ちすぎて、わけがわからなくなってしまったのだ。しかし、これだけは伝えておきたい。ただのイタいホラ吹き野郎と思われるのは、さすがにいたたまれない。
彼女は、自分の親友であるケンジの妹だった。なので子どもの頃から彼女の事は知っていたわけで、一緒に遊んでいたし仲がよかったのだ。彼女は、大きくなるにつれ、隠しきれないほどの美貌の持ち主へと変貌してゆき、だからというわけでもないと思うのだが、オレは知らぬ間に彼女に恋をしていた。
このところずっと雨模様のお天気だから梅雨入りしたと勘違いするほどだ。考えたらまだ5月だった。ニュースでは沖縄がもうそろそろ梅雨入りするみたいなことをいっていた。ただ毎週のように雨が降っているので今年は空梅雨かもしれない。低気圧になると、きまって耳鳴りが始まる。花粉で目が痒い。くしゃみがとまらなくなることもある。
有無を言わさぬ未曾有の出来事に世界は震えあがり、生活様式どころか常識として罷り通っていたものが覆され、ヒトとしての生き方を根底から変えらざるをえないような世の中になってきた。
いったい誰がこんな世界を予想しただろうか。ノストラダムスも知らぬめェ。とにかく何が起こってもおかしくはない時代に世界は突入したらしい。
🦀
その日、オレは不思議な体験をした。
普段は女の子に声などかけたことはないのだが、暑さのせいでかなりイライラしていた、ということはあったかもしれない。
そこで自分の中での今日のルーティンとして、「タイプのコがいたら誘ってみる」という取り決めをなした。
それが、自分への餌だった。
ご褒美にありつけるか否か、楽しみでもあり怖いようでもある。とにかくなにがしかのバイアスをかける必要があった。
生きていくためには、その生が厳しければ厳しいほど、本人が気付かずともなんらかの形でそれが現われてくる。
刺青、ピアス、大麻、覚醒剤、万引き、窃盗、痴漢、セクハラ、不倫、いじめ、誹謗中傷、性加害...
生きていくためには、なにがしかのバイアスが必要なのだ。
飛鳥は、つまり許嫁みたいなものなのだから、新たに別な彼女を作るとなると、あるいはワンナイトラブであろうとも、それはまさに飛鳥への裏切り行為そのものであり、許されべからざる罪を構成することになる。
しかし。もうひとりのオレは、こう思う。そんな聖人君子じゃあるまいし、仮に飛鳥が約束を憶えていたとしても、恋愛に絶対などありはしないのだし、その時、ふたりの間で約束がほんとうに成されたとしても、時間の経過とともに人の心は移ろうのが常だろう。それに、その約束をしたのはいつのことなんだ? 小学生の頃よくある「絶対、結婚しようね!」じゃんか、ダサ。だが、すかさずオレは反論する。
「うるさい! 約束は約束だろ」
そんなわけで、オレは彼女がいないことを、すべて飛鳥のせいにしていた。リアルで付き合ってはいないのだけれど、心は通じ合っている。それは、実際に付き合ってはいないのだけれども、付き合っているのだ。まあ、それはすべてのヲタクに言える、ただのご都合主義な心理にすぎないのかもしれない。
それで、飛鳥に対して操を立てているような、そんなオレが、街中でナンパをするなんてありえないことなのだが、その日は職場での人間関係でむしゃくしゃしていたのだ。
さっきは、バイアスが必要などと書いたが、実のところ、罰なのかもしれない。自分を罰したいという気持ちから生まれてきた発想だという気がした。別に自分はMではないと思うのだが、自分を罰して許されたいというわけのわからない衝動にかられたのだ。
つまり、ナンパみたいなことをして、飛鳥を裏切ることで作為的に罪をつくる。それは、すなわち自分への罰なのだ。
ただなんに対する罰なのかは自分でもよくわからない。わからないけれども、罰することによって罪を赦してもらい、軽くなりたいのだった。
そして、とりあえずよさげな彼女がいたので、声をかけた。オープンカフェでお茶して、ポップコーンまで買って映画を観た。
ただそれだけの話なのだが、映画館の冷んやりとした暗がりの中で、彼女はすっかり安心したのか、化けの皮が剥がれてきたように感じた。それは猫を被って清楚なふりをしていたとかではない。文字通り物理的に彼女の容姿は変貌しかけていた。
まあ、そのくらいならどこにでもある話かもしれない。まさにスクリーンではバケモノが、血しぶきをあげながら、ヒトを喰らっていた。彼女はそのシーンに釘付けになり、怖がるのではなくニンマリと笑みを浮かべていた、そして気を抜いたのか、本来の姿がちらちらと出現していたのだった。
それは、昆虫等が擬態するように彼女もヒトに擬態しているのではないかなと思わせた。つまり彼女たちの種は変身が可能な生き物であるようなのだ。どうも気を抜くと、ほんとうの姿が稀に見えることがあるようだ。
彼女とは、映画館を出たところで、さよならした。罰を自分に与えたいなどと思いながらも、クリーチャーだか人型爬虫類のレプティリアンだか知らないが、人類ではないのはごめんだった。
オレには、オバタリアンくらいがちょうどいい。
近ごろはLGBTQ(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー・クィア)への偏見をなくすようドラマ等でもテーマとして扱われる事が当たり前となった。
そのような差別やら格差が世界から消えてなくなる日が早く来てほしいが人類ではないレプティリアンたちも人類ではないということで、もしかしたら差別されることを偏見だと思っているのかもしれない。
視線を感じた。
ねばりつくような感じで、ずっとまとわりついてくる。バスを待つ列に並んでいる時も本屋で立ち読みしている時にもそれは続いていた。
気のせいかと思っていたのだが、そうではないようで、振り返ってみるとその嫌な感じは一瞬消えるのだが、また暫くすると、見つめられている気がするのだ。
もしかしたら、昨夜の酒がまだ残っているのかもなんて思ってみたりした。そんなバカな事はないとわかってはいるのだけれど、自分が予想できるある答えに逢着したくはないから、なんだかんだ別な理由を考えている。
例えばマリファナとかやると虫が身体中を這いまわるような、幻触といわれる感覚を味わうなんてことがあるとか聞いた。聞いた話なのでホントかウソかはわからない。
あと下肢の上を虫が這いまわったり、蟻走感とかいうのを感じたりする、むずむず足症候群というのがあるらしい。
他に可能性としては統合失調症、或いは更年期障害も考えられるようだ。自分の場合やはり統合失調症くさいw
話が、いつの間にか視線から蟻走感になってるけど、ねばりつくような視線を感じるのも、肌の上を蟻が這いまわるような幻触もなんらかの病いの一環ではないのかと思っているわけだ。
でも、自分が一番気にしているというか、怖れている理由をぶっちゃけるならば、やはり彼女ではないか。
まあ、相手はヒトではないわけだけれど、その因果関係さえわかるなら対策も立てられるわけで、実はかなりスッキリした話ではあるはずなのだが、つまり触らぬ神に祟りなしというのは真理なんだと思う。触れてはいけないものに触れてしまったのだ。
幻触も粘りつくような視線も何かを伝えようとする意思をどうしても、そこに感じとってしまうのだった。
そういえば今これを歩きながら書いていて、ジム・ホールのアランフェスを聴いてるんだけれど、なぜか刺さりまくって泣きたいくらいだった。
『嘔吐』のおっちゃんも言ってたけど絶えず流転する悲喜こもごもの人生の背景で、音楽は常に美しく鳴っている。
ホンマそれやな。
スマートフォンであることないこと、とにかくメモしまくるのが、オレのルーティンだった。きょうも、ずっと視線を感じながら喫茶店をハシゴしたり作家気取りで、小説まがいの構想やら目の前で起こったこと、考えたことをメモっていた。
「何が起こってもおかしくはない時代に世界は突入したらしい」
「粘つくような視線は消えない」
そう書いた。
その視線の持ち主が飛鳥だったら、どれだけうれしいだろう。イタズラ好きの飛鳥がずっと後をつけていて、路地裏でパッと後ろを振り返ってみたら、そこに満面の笑みを浮かべた飛鳥がいたとしたら...
p.s. 飛鳥からの連絡はまだない。
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