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#214 カゲロウ
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線路のずっと向こうで陽炎が、ゆらゆらと揺らめいている。
まるでそこだけ、凹凸のあるガラスをあてたようにイビツな世界がみえる。ゆらゆらと揺らぐそのさまは、束の間に燃えあがる恋の炎のようだ。
やがてあっけなく消えてしまう、そのあるかなきかの儚げな揺らめきは、あるいは、人の生にもたとえられるだろうか。
桐島(きりしま)は、かつての恋人、小比類巻あゆみのことを想い出していた。桐島とあゆみが別れた日も、陽炎立つこんな暑い日のことだった。
桐島は、あゆみと別れ話を一度もしたことなどなかった。ふたりは、なしくずし的に、終ってしまったのだ。
突然にやってくる別れも、生木を裂かれるように辛いと思う。だが、別れというゴールが見えているにもかかわらず、ずるずると地を這うように愛の残骸を引きずっていくことも、また辛い。
しかし、そんな終焉もあるのだ。
あゆみは、大阪の生まれだったが、桐島の前では一度も大阪弁を喋ったことがなかった。それが、どういうことなのか、桐島にはよくわからないが敢えて喋らなかったということではないような気がする。
大阪で生まれ育って東京にやってきたあゆみ。あゆみとは、大学で知り合った。最初は、大学がいやでいやで仕方ないようだった。自分が望んだ学校に入れたのよかったけれども、自分が描いていたキャンパスライフとはだいぶ異なっていたらしい。
桐島と付き合うようになってからも、とりあえずあゆみは講義を受けていたが、いつ大学を辞めてもおかしくはないといった様子だった。
それから二年間ほど、桐島はあゆみとつき合ったわけだけれども、ずっといつかは俺達は別れるんだろうな、という予感めいたものが桐島にはあった。
たとえいくら好きでも、男と女が一緒に生きていくとなると不可抗力的な様々な障害があるものなのだ。つまり、桐島たちはそれを乗り越えられなかった。
自然消滅みたいにして別れてから、二年ほどたったある日。突然、あゆみから実家の方に電話がかかってきた。母親から、そのことを聞かされ、桐島はほんとうに驚いた。
忘れもしないあゆみの実家の電話番号。いったいどうしたのかと電話してみると、あゆみ本人がすぐに出た。
「借りているCDを返したいの」
あゆみはそう言った。
桐島は、別に断る理由もないから、待ち合わせはどこにすると言われて、咄嗟に渋谷と答えていた。
桐島は、いつもあゆみと渋谷で待ち合わせをしていたことを思い出した。今はもうなくなってしまった、かつての東横線の改札。そのプラットフォームからの眺めが桐島は好きだった。あゆみは、横浜に住んでいるから、桐島が以前住んでいた吉祥寺との中間地点が渋谷だった。
そうして、ふたりは、想い出がいっぱい詰まっている渋谷で二年ぶりに再会したのだけれど、なんとあゆみは妊娠していた。
もうはっきりと、そうとわかるほどお腹は大きくなっていた。
入ったこともないパスタ屋さんで、お昼を食べながらふたりは、とりとめのないことを喋った。
主に、桐島は聞き役だったけれど、あゆみの近況を聞きながら、この女性が俺のかつての恋人だったんだな、なんて他人事のように思った。あれほど、こいつとなら死んでもいいと思っていた女性だったのに、こんなにも人の心とは変わるものなんだなぁと、感慨深くそう思った。
そして、お昼を食べ終わって、ちょっとお茶してから、ふたりはまた別れた。
あゆみは、横浜へ。
桐島は、吉祥寺へ。
以前には、東横の改札まで送りにいったものだったが、桐島はそれもおかしいと思って、渋谷のスクランブルのところで、あゆみと別れた。
そうして、別れてから、あっ、と気が付いた。CDを返して貰っていなかった。だが、あゆみもむろん忘れてきたわけではないだろう。
井の頭線の電車に揺られながら桐島は思った。あゆみは、もしかしたら、妊娠した自分を見せたかったのかもしれない。
でも、なぜ?
桐島には、わからなかった。
まるでそこだけ、凹凸のあるガラスをあてたようにイビツな世界がみえる。ゆらゆらと揺らぐそのさまは、束の間に燃えあがる恋の炎のようだ。
やがてあっけなく消えてしまう、そのあるかなきかの儚げな揺らめきは、あるいは、人の生にもたとえられるだろうか。
桐島(きりしま)は、かつての恋人、小比類巻あゆみのことを想い出していた。桐島とあゆみが別れた日も、陽炎立つこんな暑い日のことだった。
桐島は、あゆみと別れ話を一度もしたことなどなかった。ふたりは、なしくずし的に、終ってしまったのだ。
突然にやってくる別れも、生木を裂かれるように辛いと思う。だが、別れというゴールが見えているにもかかわらず、ずるずると地を這うように愛の残骸を引きずっていくことも、また辛い。
しかし、そんな終焉もあるのだ。
あゆみは、大阪の生まれだったが、桐島の前では一度も大阪弁を喋ったことがなかった。それが、どういうことなのか、桐島にはよくわからないが敢えて喋らなかったということではないような気がする。
大阪で生まれ育って東京にやってきたあゆみ。あゆみとは、大学で知り合った。最初は、大学がいやでいやで仕方ないようだった。自分が望んだ学校に入れたのよかったけれども、自分が描いていたキャンパスライフとはだいぶ異なっていたらしい。
桐島と付き合うようになってからも、とりあえずあゆみは講義を受けていたが、いつ大学を辞めてもおかしくはないといった様子だった。
それから二年間ほど、桐島はあゆみとつき合ったわけだけれども、ずっといつかは俺達は別れるんだろうな、という予感めいたものが桐島にはあった。
たとえいくら好きでも、男と女が一緒に生きていくとなると不可抗力的な様々な障害があるものなのだ。つまり、桐島たちはそれを乗り越えられなかった。
自然消滅みたいにして別れてから、二年ほどたったある日。突然、あゆみから実家の方に電話がかかってきた。母親から、そのことを聞かされ、桐島はほんとうに驚いた。
忘れもしないあゆみの実家の電話番号。いったいどうしたのかと電話してみると、あゆみ本人がすぐに出た。
「借りているCDを返したいの」
あゆみはそう言った。
桐島は、別に断る理由もないから、待ち合わせはどこにすると言われて、咄嗟に渋谷と答えていた。
桐島は、いつもあゆみと渋谷で待ち合わせをしていたことを思い出した。今はもうなくなってしまった、かつての東横線の改札。そのプラットフォームからの眺めが桐島は好きだった。あゆみは、横浜に住んでいるから、桐島が以前住んでいた吉祥寺との中間地点が渋谷だった。
そうして、ふたりは、想い出がいっぱい詰まっている渋谷で二年ぶりに再会したのだけれど、なんとあゆみは妊娠していた。
もうはっきりと、そうとわかるほどお腹は大きくなっていた。
入ったこともないパスタ屋さんで、お昼を食べながらふたりは、とりとめのないことを喋った。
主に、桐島は聞き役だったけれど、あゆみの近況を聞きながら、この女性が俺のかつての恋人だったんだな、なんて他人事のように思った。あれほど、こいつとなら死んでもいいと思っていた女性だったのに、こんなにも人の心とは変わるものなんだなぁと、感慨深くそう思った。
そして、お昼を食べ終わって、ちょっとお茶してから、ふたりはまた別れた。
あゆみは、横浜へ。
桐島は、吉祥寺へ。
以前には、東横の改札まで送りにいったものだったが、桐島はそれもおかしいと思って、渋谷のスクランブルのところで、あゆみと別れた。
そうして、別れてから、あっ、と気が付いた。CDを返して貰っていなかった。だが、あゆみもむろん忘れてきたわけではないだろう。
井の頭線の電車に揺られながら桐島は思った。あゆみは、もしかしたら、妊娠した自分を見せたかったのかもしれない。
でも、なぜ?
桐島には、わからなかった。
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