正義の剣は闘いを欲する

水杜 抄

文字の大きさ
上 下
120 / 127
第三章 生きることの罪

微かな望み

しおりを挟む
 後味の悪い飲み会がお開きになった、午後九刻半から少し回った頃――。

 エフェルローンは数本の蝋燭と、ひとつの卓上ランタンの明かりだけが頼りの薄暗い部屋の中で、一人、革張りの椅子に深く腰掛け物思いに耽っていた。

 飲み会の席の、ユーイングのあの言葉――。

――悪いこたぁ言わない。止めとけ。

「分かってはいる、分かってはいるんです、先輩。でも――」

 首元の翡翠のブローチが、クローディアの耳元で輝いていたピアスが……エフェルローンに微かな望みを抱かせてしまった。

――もう自分を、誤魔化すことも偽ることも出来ない。

 そんな、どうにもコントロールが効かない自分自身の心に、エフェルローンは得体のしれない恐怖を感じていた。

(父さん、母さん……俺は、どうしたら――)

 椅子から体を起こし、机に伏せると。
 エフェルローンは、そんな不毛な考えを脳裏から一掃するため、何気なく、執務机に整えられた日記の調査資料に手を伸ばし、その資料をパラパラとめくる。

――自分の手を汚さず、不幸な事故で事件を片付け、自らの名誉と地位を守り、尚且つ、グランシール兵をも壊滅させ、武勲も立てる。

(あの、正義感の塊のような人が、なぜこんな回りくどいことを……)

 元々、権力に物を言わせ、事件を握りつぶすよう圧力を掛けてくる貴族や、賄賂をちらつけせ、減刑を求める商人たちにも屈することなく、真っ向から立ち向かい、臆せず刑罰を下してきた男である。
 その男がなぜ、自分の手を血と罪に染めてまでこの陰謀劇を企て、実行に移す必要があったのか。

「なぜだ――」

 資料を机の上に放り出し、エフェルローンは椅子に寄り掛かる。 
 そして、机の上に両足を投げ出すと、深いため息と共に腕を組んだ。

(何よりも正義を愛する男が、こんな正義に真っ向から反するような計略をそう簡単に思いつくものだろうか)

 もし仮に、この計略がバックランド候の手によるものではないとしたならば。
 この事件の背後には、実行犯であるバックランド候の他に、もう一人、計略を仕込んだ黒幕がいる、ということにならないか。

 もし、そうなら――。

(一体、誰が何のために……?)

 計略の内容が内容である。
 そんな軽々しく実行できるようなものではない。

(バックランド候が動く理由、か……)

 正義の為ならどんなことをしてでも貫き通す。
 そうであるならば、その行動理由は[正義]に根差している必要がある。
 
([爆弾娘リズ・ボマー事件]の正義、か……)

 それは、グランシール帝国に勝つこと。
 グランシール兵を殲滅させること。
 グランシール兵を領土から追い出すこと。

 つまりそれは、アルカサール王国をグランシール帝国から守ること――。
 
「アルカサール王国を、守る……」

 戦争を望まないアルカサールに戦争を仕掛けて来るグランシールを悪とみなすなら、これは、バックランド候が動くには十分な理由とならないだろうか。

(理由が、『善であるアルカサールを悪であるグランシールから守る為』というのならば、一体誰がこの計略をバックランド候に――?)

 国王が絡む、国家ぐるみの陰謀なのか。
 アルカサールの三大貴族――ジュノバ公、ノリス候、タリス候の内の誰か、もしくは二人以上が結託しての、バックランド候への入れ知恵なのか。
 それとも、個人的に何かを企む人物――上級貴族や商人、または個人が、巧みに教唆したのか――。

([爆弾娘リズ・ボマー]は、国王の叔母に当たる。叔母を犯罪者にしてまで国を守ろうとはしないだろう。これでまず、国家ぐるみの陰謀説は消える)

 アルカサールの三大貴族――ジュノバ公、ノリス候、タリス候はどうだろうか。

(ジュノバ公は、国王の叔父に当たられ、[爆弾娘リズ・ボマー]の義兄に当たる。そして、アルカサール王国の最高軍司令官でもある。そんな男が、グランシールの攻撃如きにそのような卑劣でえぐい手を使うだろうか。そうするぐらいなら、彼の場合、正々堂々と真っ向勝負を挑むだろう)

 ジュノバ公に関し、そう推測すると。
 エフェルローンは、更に考えを深めていく。

(ノリス候、タリス候はどうだろうか。タリス候レスターは理性的で誠実な男だと聞く。そんな男はまずそのような計略を持ち掛けられたとしても、それ自体に興味を示さないだろう。そして、もう一人のノリス候ウォレス。彼は元々計略に長けた男で有名だ。あるとするなら、彼の教唆……ということになるかも知れない。だが、このノリス候ウォレスという男、自身の利益と自身の危険にはことさら敏感な男だとも聞く。自分に何らメリットをもたらさない計略を、わざわざ時間をかけて練ったりするだろうか――)

 ここまでで、バックランド候に計略を教唆したかも知れない人物を、自分なりに想定してみたものの、これと云った人物は思い当たらない。
 
(そうなると、個人的に何かを企んでいた人物ということになる、か……)

「絞り込みが難しくなるな……」

 エフェルローンは、思わず片手で顎を扱いた。
 数百人は存在するであろう貴族たちに商人たち、そして、何かの組織や一般庶民諸々である。
 その中から、犯人を捜すというのは並大抵のことではない。

「この辺で摘みそうだけど、取り敢えず絞り込みだけでもしてみるか」

 エフェルローンはそう決めると、犯人かも知れない人物像を少しずつ絞り込んでいく。

(べトフォードが消えたことにより、べトフォードの復興は必須となった。これにより、得をするのは商人たちだ。べトフォード復興に資金提供をしている商人たちは一応、調べてみても損はないかもしれない。あとは、その商人と繋がっている貴族だが……これも調べてみる価値はありそうだ。後は世界に散らばる組織の動きだが、彼らにとって、べトフォードの消滅は、活動の場が減るというデメリットはそこそこあるにしろ、さして意味のない事だろう。そう考えると、組織ぐるみの犯行説もあまり現実的ではないかもしれない。そうなると、後は、一般庶民説ということになる訳だが……)

 そうして、心の中で言葉を切ると。
 エフェルローンは、大きなため息をひとつ吐き、顔を歪める。

「こればっかりは、理由が五万とあり過ぎて見当もつかないな……」

 とはいえ、バックランド候の近くにいる人物から絞っていけば、何か出るかもしれない。
 バックランと候と面識のある一般庶民と言えば、まず、バックランド領の文官や軍人、それに使用人たちだろう。
 そして付け加えるなら、バックランド候が数年前まで長官をしていた憲兵庁の憲兵たちもそれに当たるかもしれない。

 エフェルローンは頭をすっきりさせる為、珈琲を入れに席を立つ。
 
(ルイーズには口うるさく罵らせそうだが、朝までにカップを洗って証拠隠滅しておけば、まあ、問題はないだろう)

 そう瞬時に判断すると。
 エフェルローンは、引いた珈琲豆をステンレスのティーバッグに入れると、魔法石(魔魂石のグレードがかなり落ちたもの。家庭で使われる魔法機器全般などに使われている)を動力とした、簡易レンジで湯を沸かす。
 そして、珈琲に湯を注ぐと、それを手に持って、また自分の椅子に深く腰掛ける。
 手に持ったカップから、珈琲の香ばしい香りが鼻孔くすぐり、頭を徐々にすっきりさせていく。
 そうして、頭をすっきりさせると。
 エフェルローンは、早速、思考作業に取り掛かる。

「まずは、バックランド候の使用人たちだが……」

(彼らは役人を除き、ほぼバックランド領の出身だ。そんな彼らが、自らの故郷を破壊するような計略を、命を張って故郷を守る自らのあるじに向かって、胸を張って提案することなど出来るものだろうか)

 エフェルローンは、温かいコーヒーを一口啜る。
 珈琲の温かさが、体全体に染み渡り、エフェルローンは思わずほっと溜息を吐く。

(もし、そうできる人間がいたとしても、正義感の強いバックランド候の出方によっては、候に命を奪われる危険性もある。何か大きな後ろ盾――たとえば、権力や金などと云ったものがなければ、その計略を提案するのはかなり難しいだろう。となると、残るは役人だが……)

 そう心の中で呟くと、エフェルローンはカップを机の上に置き、引き出しの中にあるアダムの父の日記を徐に手に取る。

(アダムの父のように、その計略に心を痛める者が居たということは、そう思っている人間が三分の一ぐらいは居たことになる。そして、どっち付かずの人間が三分の一……)

「残る三分の一の[賛成派]の中に、その計略の提案者がいた、のか……」

 エフェルローンはそう言ってふっと黙ると、椅子に背を預け、まだ両腕を組む。
 
「もしそうだとして、その人物の目的は何だったんだろう。バックランド候と同じ[正義]に基ずく理由なのか、それとも何か別の、例えば自らの[地位]や[名誉]にに基ずく理由だったのか……」

 前者ならば、取引の要素はないだろうが、後者ならば、何らかの取引をしたこととなる。
 ということは、[爆弾娘リズ・ボマー]の事件後、明らかに何らかの大きな変化がその人間にあったかもしれない、ということになる。

「[爆弾娘リズ・ボマー]の事件後、大きな変化があったバックランド候の近くの人間、か。近くの……」

 その瞬間――。

 脳裏に一人の人物の顔が浮かび、エフェルローンの心臓はドキッとする。
 流れるような銀色の長い髪に、不透明な闇のような黒い瞳を持つ、恐ろしい程の野心に満ちた男――。
 
「……イライアス・フォン・キースリー」

 犯人像のプロファイルに、あまりにぴったりと当てまることに、エフェルローンは体中に鳥肌が立つのを覚える。

「いや、まさか……」

 だが、バックランド候が憲兵庁長官を務めていた時期の元部下であったという状況的にも、[爆弾娘リズ・ボマー]事件の後に、バックランド候とノリス候の推薦の元、過去の功績を評価され、貴族の称号を得たというタイミング的にも、指摘される矛盾点は何ひとつとしてない。

「嘘、だろ……」

 そう呟くと。
 エフェルローンは自らが導き出したその衝撃の事実に、思わず口元を片手で覆うのであった。
しおりを挟む

処理中です...