【完結】あなたは僕のお父さんですか?

ちょー子

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 彼に、初めて会ったときのことをよく覚えている。
 場所は駅前。地下街の、市役所方面にむかう通路の途中だった。そのころはまだストリートミュージシャンが流行っていた。
 仲間たちがよく集う場所には二人のミュージシャンが女子高生連中とおしゃべりしつつ、リクエストに応えている最中だった。そのうちのニット帽をかぶった若者、日下が広瀬の姿に気づき、あ、と声をあげた。
「静香さん、久しぶりじゃないすか!!」
 もう一人の口ひげの青年、矢島も驚いたように顔を跳ね上げて会釈した。
「どうしたんすか、何やってんのー。最近、全然、見かけないから心配だね。って言ってたんすよ、今も」
「うん、娘がだいぶ手がかからなくなったからね。艶子さんに預けて久々にやろうかな、なんて」
 あー、そっかぁ、そうだったと得心顔で二人はうなずいた。
「麻衣ちゃんでしたっけ、もう何歳になったんですか」
「10歳だよ」
 月日の流れるのは早いものだと広瀬静香はしみじみと思った。妻が亡くなってもう10年も経つのだ。妻の麻夜は娘を産んで間もなく、持病を悪化させて亡くなった。それだから妻の分と合わせて娘が愛しい。
 観客の子達がこの人、誰、という風に顔を見合わせる。そのうちの一人がシンガーソングライターの広瀬静香さんだよとささやいていた。よく知ってるね。と広瀬が笑みを送るとはにかんだ笑みを返してきた。
「どう、近頃、変わったことあった?」
 ケースからギターを取り出しながら広瀬は問うた。
 特にないっすねー。変わりませんよ。オレら、いつもだらだら流してる。と日下が笑う。
「最近だとアキラと久美ちゃんが結婚したくらいかなぁ」
「おお、ついに。長かったよねぇ、あの二人も」
「まぁ、もう別れたんですけどね。待たせすぎたんすよ、アキラは。何かにつけて優柔不断なところがダメだったみたい」
「あ、あぁそうなんだ。そりゃ残念だったねぇ」
 とりとめもない会話が続く。慣れ親しんだ空気にすっと入り込めるのが心地よい。
「あと他に変わったことといえば、最近、ここらにすげー子が現れた」
「地下街の夜啼鳥な」
「ナイチンゲール?」
「とにかく良い声でさえずるんだって。広瀬さんも聴いたら鳥肌立つと思う。今日、土曜日でしょ?そろそろ来るんじゃないかなと思って、実は俺たちも張ってるんですよ」
 ふぅん。とイマイチピンと来ず、その場は受け流した。
 三人でまったりとセッションをはじめて小一時間ほど経った頃だろうか。
「・・・来た」
 日下の声に広瀬は顔を上げた。すたすたと向こうから子供が近づいてくるのが見えた。制服姿だ。いわゆる名門といわれる高校の制服で、おとなしそうなやせぎすの少年。くりくりの天使のような天然パーマが目を引く。その子は遠慮がちに広瀬らから微妙に離れたところに立ち、壁側に鞄を置くと挙動不審ぎみにあたりを見回した。
 学校帰りなんだろうな。という印象しか受けない。彼はふっと声に出して短く息を吐き出し、肩の力を抜くとおもむろに息を吸い上げ、次の瞬間、
 声とも鳥のさえずりともつかない音をほとばしらせた。
 人間離れした声音に、とっさに通行人が天井を見回したのを広瀬は確かに見た。それは驚くだろう、こんな地下街に鳥が入り込むはずもないのだから。
 天使というものがいるとしたらこんな声でさえずるのではないかとぼんやり思った。
 それは独自の発声練習だったらしい。
 天使に似た者は、空気の状態に合わせてチューニングする楽器のように声の調子を整えると「スカボローフェア」をゆったりと歌いだした。
 かすれそうな高音を平然と歌う。少なくともそんな風に見える。むしろ高音になるほどに磨きがかかる。引き絞って、極限まで引き絞ってそして解き放たれた鏑矢のごとく、けれど空間を切り裂くのではなく、ひゅん、とまっすぐに尾を引いて最後には空にとけていくそんな歌声。歌うのが好きでたまらないと言う喜びに満ちた歌声のくせに眉根を寄せた表情はゆく時を惜しむかのように切羽詰まっており、魂を搾り出すかのように歌い上げる。こんな歌い方をする歌い手というのを初めて見た。なんてあんまりな。
 聴く者に痛ましいほどの感動を与える。
 くすんだ景色の中で彼だけが色づいて見えた。子供のときペット屋さんで見た毒々しいほどに色鮮やかな瑠璃色の鳥のように。
 生きた色をしている。けれどあくまで鳥はカゴの中。彼もまた、地下街という箱の中に閉じ込められたカゴの中の鳥。
 歌声は、低い天井に邪魔されて固い地面に跳ね返される。
 彼の歌声は際限のない空の下でこそ、発揮されるのではないかと思った。
 ここから彼を連れ出したい思いに駆られた。
「こっからがすごいんですよ」
 おどおどとした登場から見違えるほどにのびのびとした歌い口に広瀬はただただ、言葉もなく聴き入った。曲調が一変した。同じスカボローフェアの歌詞でもアレンジがまるで違う。やたら早いリズムのラテンの曲調だった。
 彼の歌声に合わせて脳内で音楽が流れ始める。彼の歌声を支えるギターのパートの譜面が頭の中で書きあがっていく。オレならできるのに。この子をバックアップすることが出来るのに。
 一緒に歌いたい。突如、芽生えた思いを止められなかった。
「オレ、ちょっと誘ってくる」
 熱に浮かされたようにそちらに歩き出した広瀬に矢島が「駄目っすよ」と鋭い声をあげる。
「声をかけたら逃げちゃうんです。すごい怯えてる」
 今までに何人も声をかけたが泣きそうになりながら逃げてったという。
 曲は変わって「異邦人」をさらりと流し、3曲目に入った。広瀬にはそれが何の曲かはわからない。日本語ではない。
 イメージするのは木漏れ日。大きな木の下でまどろむ我が子に歌って聴かせるような優しげで温かな曲だった。
 一曲終われば神がかり的なカリスマ性はなりを潜め、壁際によってペットボトルのお茶を飲みながら周囲の気配を窺う。集まってきた観客の一人が「もっと何か歌って」と声をかけるのが聞こえた。誰それの曲を歌って、とリクエストするが微かに首を振るのが見えた。
 リクエストは受け付けないのか、そもそも知らないのかはわからない。再びマイペースに歌い始めた。
 いったい度胸があるのかないのかわからない不可解な行動。
 ただただ圧倒されて、その日は終わったが。

 その日から彼のことが頭から離れなかった。出勤途中、帰り道、地下街に寄り彼の姿を探したが見当たらず、そういえば今日は土曜日だから。と日下が言っていたのを思い出し、早速次の土曜日、地下街へ向かおうとしていた―――。ら、
 階段を下りる途中で話し声が聞こえてきた。
「これでどう?・・・こっちに来て」
 踊り場を一つ置いた下の階。降りていくと、夏服の制服と巻き毛の後ろ姿が見えた。それを連れ立って歩くスーツ姿の男の姿が。何か予感めいたものを感じ、しばし間をおいてから広瀬は後をつけた。最下層まで降りたところで姿が見えなくなった。
 扉の向こうは地下街に繋がっている。その手前。トイレへと続く脇道が伸びている。
(こっちか)
 直感的に脇道に入りトイレに向かうと、個室が一室だけ閉まっていた。
 他人のふんばる音に聴き入る趣味はなかったが、この時は耳をそばだててドア越しに様子を窺った。と、そのうち、明らかに一人分ではない、暴れるような衣擦れの音と押し殺したような、苦しげな喘ぎ声が聞こえてきた。
「大丈夫、痛いことはしないから」
 もう、決定的だろう。
 広瀬はドアを破る勢いでケリをがすがす入れ、脅迫的にドアを叩いた。
「あー!やべぇ!もう、うんこ漏れそう!!おっさん、早く出てくんないかなぁ!!他のとこ全部閉まっててよぉ!!」
 うわぁとかおお、とか中で叫び声が上がった。それからあわてて衣服を整える気配のあと、中からものすごい勢いでドアが開き、したたかに体をぶつけた広瀬は2、3歩たたらを踏んだ。その隙に男は逃げていく。後は追わずに中を覗き込むと、あられもない姿をした例の少年がいた。
 呆然としている。
「とりあえず服を着て」広瀬に言われてようやく自分の身なりを見回し、ズボンを履いた。
 手には一万円札が握られており、彼の身に起きたことをほぼ把握した。広瀬はトイレの前まで少年を連れ出した上で叱りつけた。
「お前、自分が何やったかわかってんの!?」
 突如、怒鳴られて少年は大きく目を見開いた。
「金めあてに自分を売るなんて最低だぞ。お前を生んだ親に申し訳ないと思わないのか」
 行為の善悪より、頭ごなしに叱られたことにショックを覚えたようでみるみるうちに少年の両目から涙があふれてくる。広瀬ははっと我に返った。
「ごめん、いきなり怒鳴って悪かったよ。大丈夫か?どこか痛いとこないか?」
 少年はゆるく首を振った。
「そう。よかった。よくねぇか。ヤられたんじゃあなぁ。今までもこんなことあったのか」
 少年はぎこちなく首を縦に振った。
「おまえなぁ」説教しようとして、ふと相手が一言も口を利いていないことに気づいた。
「お前、名前は?」
 もどかしそうに少年は口ごもった。
 しゃべれないのかと一瞬思った。が、それはありえない。あんなに散々さえずっていたじゃないか。
 人の言葉が話せないのか、鳥だから。とありえもしない想像をした。
「クルス」
 打てば跳ね返すような、硬質な硝子の声音が返ってきた。
「・・・柿崎来栖。高校2年生です」
 そのまま面接に突入するかのような馬鹿丁寧な自己紹介。男にしても女にしても変わった名前だな。と思ったが口にしない。自分とて人のことを言えた名前じゃないから。
「オレの名前は広瀬静香。クルス、もう体は売るな。おまえはそんな安いやつじゃないだろう?」
「体を、売る・・・?」
「そうだよ。お前はさっきの男に自分の体を好きにさせる代わりにそのお金を受け取ったんだろう?」
 広瀬に示されて来栖は実に困ったように己の手の中にある一万円札を見た。
「金に困ってるわけでもないんだろう?」
 困っていたらやってもいいというわけじゃないが。
「このお金、・・・どうしたらいい?」
 そもそもなんでこんなものを持たされたのかわからないというように。受け取ったわけではないのか。勝手に握らされて連れ込まれた?どうも本気で何が起きたのかわからないような反応でかえって広瀬のほうが戸惑ってしまった。
「け、警察に届けるべき??」
 その発想はなかったが、どのみち警察には行かねばならない。自覚はないようだけど紛れもなく性犯罪に遭ったわけだから届を出したほうがいいと説明すると激しく嫌がった。
 放課後の自由時間が許されているのは問題行動を起こさないことが条件なので警察のお世話になるようなことがあれば二度と歌えなくなってしまう。
 話を聞く限りではケガはなく、未遂で済んだようなのでそこはほっとした。
「あー・・・、そしたらぁ、ぱっと使っちまうか?メシでも食いに行く?オレ、つきあうよ?」
「お母さんが夕ご飯用意してるから」
 あぁ、それはそうだろう。結局、お金は広瀬が預かっておくことになった。
「これから歌いに行くの?」
「うん」
「こんな時間までやってて親に怒られないの?」
「土曜はお母さんの恋人が家に来るから、外で遊んでなさいって」
 何か入り組んだ家庭の事情がありそうだが、突っ込んで聞くことは憚られた。
「なぁ、この前歌ってた曲の三曲目、なんて曲?」
「この前?」
「先週の。ゆーったりした曲」
「Ombra Mai Fu」
「オンブラ・マイ・フー?なぁ、その曲、やらせてくれないか」
「勝手にやればいいと思う」
 怪訝そうな顔をしている。どうも言葉が足りなかったようだ。
「なぁ、クルス。オレと一緒に組まないか?オレが曲を弾いてお前が歌うの、面白いと思わない?」
 想像がつかないのだろうか、来栖の反応はイマイチだった。
「絶対にお前の邪魔はしないから。クルスはオレが支えるから」
 広瀬は来栖に向かって手を差し伸べた。
「二人でみんなを驚かせてやろう。クルス、お前の歌声はみんなを幸せにする」
「僕が、みんなを幸せにする・・・?」
 来栖の瞳が驚きに見開かれる。吸い寄せられるように腕をこちらへ伸ばす。
「一緒に行こう。地下だけじゃなく、もっと広い世界へ」
 こちらへ伸びてきた手を静香はしっかりと包み込んだ。

 だからそう、はじめは彼を思いっきりさえずらせてやりたい一心で始めたことだった。
 実の娘と、実の息子のように愛しい子と、ずっとこの幸福が続くことをひたすらに願った。
 それが儚い願いであるほどに。不安は常につきまとっていた。だからこそつかんでおきたかったんだ。
 握ったその手を。幸せを。
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