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仮録りをした曲のチェックを入れてもらいに「mpdw」の事務所に顔を出した来栖は、相談ごとも兼ねて座長の阿久津末丸を飲みに誘った。なじみの居酒屋の暖簾をくぐると女将さんが「いらっしゃい」と気さくな笑みをこちらに向けた。
「とりあえず生?」と聞く阿久津に「明日、レコーディングあるから」と来栖は断りを入れた。烏龍茶で乾杯してから「早速なんだけど」と切り出した。
「えー、ダメだよぉ」
出鼻をくじく勢いで却下され、困惑した。
「まだ何も言ってませんが」
「だってウチと縁切りたいとか言い出すんでしょ?」
「あれ違った?」と阿久津は身を引いてこちらの様子を窺う。
「もうそろそろ、お前の指示細かすぎるんだよってブチギレる頃かと思ったんだけど」
「自覚あったんですねぇ。まぁ、それは置いといて。以前、阿久津さん、深夜枠のドラマの脚本、書いたじゃない。30分の短いやつ」
「あぁ。『アリスプロジェクト』?」
「そう。あの中に目につく鏡をペンキで塗りまくる女の子いたでしょ。ああいう子って実際いるの?」
「あれはさ、他人が難なく乗り越えられるような壁につまずいて、一人の力じゃ大人になりきれない子供達を扱ってるわけだけど」
作り手がこんなネタ明かしするのは非常に口幅ったいものがあるんだけどね。と言いながら、阿久津は焼き鳥に手を伸ばす。
常に愛用の毛布を手放せない子、問いに対して問いで返してくるオウム返しの子、自分を植物だと思い込んでいる子、キス魔の子―――、など奇妙なクセを持った少女たちが主人公のオムニバス式の物語「アリスプロジェクト」の脚本を書くにあたって阿久津は思春期外来へ実際に取材を試みたらしい。
「あれは物語にするに当たって多少脚色した例だけどさ、身近にいたのよ。親戚の子でね、カメラを極端に嫌う子が。実はその子がモデルの一人だったり。その子はカメラを向けるとすぐ逃げる。で、面白がって追いかけまわしたら、終いには泣き出したよ」
「それセクハラ。きっと何かよからぬことをされると思ったんでしょ。女の子が正解」
「悪かったと思ってるよ。専門家によるとそういう例は少なくないらしい」
醜形恐怖症というのだそうだ。
「まぁ、そうやって型にはめ込むのは良くないんだろうけどさ、あれはコンプレックスだとか、己の理想とするイメージと現実の間に齟齬がないか鏡を見て何回も何時間でも確認したり、逆に避けたりするのね。鏡てのは真実の姿を否が応でも見せつけられるじゃない。鏡やら写真てのは反転した像だから余計に違和感を覚えるイコール姿が歪んで見える。という風に認識するんではないかなと俺は思うのよ」
「自分の声が醜く感じるってこともあるんだろうかね」
「聞いたことないけど。あれか?自分で思ってる声と客観的に聞いた声が違うみたいな?オレもさ、テレビに出るようになってから自分の声ってこんなにヘボかったのかと幻滅したけどね。そんなレベルじゃあない?顔やら体じゃなく声にコンプレックスを持ってるんじゃないのか」
「そうなのかしらねぇ。私からすれば気にしすぎなだけのような気がするけど」
「それがさ、この病の困難なところで他人に理解してもらえないのな。何しろ本人の思い込みによる部分が大きいから。けれどそれで思い悩んで死を選ぶケースがあるらしいのよ」
理解しにくい?と尋ねる阿久津に、理屈はなんとなくわかるが想像しにくいと来栖は答えた。
「私にとっては心地の良い声なんだけどね」
「客観的に聞いてみて、どう感じるかが重要になってくると思うよ。具体的な相手がいるの?」
「うん」
「ふぅん。珍しいよね、来栖君がこうやって誰かのこと親身になって相談するって」
「私って冷たいイメージ?」
「冷たいというか孤高かな。その人、歌手でも目指してるの?どんな子?君が目をつけるくらいだからちょっと気になるね」
会ってみたい。と阿久津は言い出した。
「もしかしてウチの劇団の子じゃないよね。勘弁してよぉ、手は出さないでね」
「違いますよ。高野春馬君ていう男の子です」
高野春馬?と呟いて、阿久津は記憶の糸を手繰るように、どこかしら一点をみつめた。
バスに揺られながら、コバルトブルーから深い藍色に変わる空のあってないような境界線の辺りを春馬は窓ガラス越しにぼんやりと眺めていた。
今日はバイトが休みなので書店に寄り道してみたら、好きな漫画の新刊が出ていた。バスの中で読もうと思ったものの気が散って1ページたりとも進められない。
あきらめてスマートフォンを開くとメッセージが入っていた。勢いこんで開いてみると母親からで「牛乳買ってきて」とある。なんともいえない動作で蠢く宇宙人のスタンプつきだ。たぶん意味はない。
スマートフォンをしまいながら今日も来栖さんから連絡がなかったな。と肩を落とした。
気まずい雰囲気で来栖と別れてからすでに3週間が過ぎた。知り合ってからというもの、日に2、3回は交わしていたやりとりがぱったり止むと不安なもので、なぜあの時、ムキになったのだろうと後悔するばかりだった。せめて弁明の余地を。他人に対してこれほど自分を理解して欲しいと望んだことはかつてなかった。まして嫌われたくないなどという身勝手な感情が来栖に対して芽生えることが驚きだった。
なけなしの勇気を振り絞って一度だけ、来栖にメッセージを打った。自分から彼に連絡するのは初めてだった。こちらからは連絡しないというのが己に課した最低限のけじめだったから。けれど今回ばかりは自分の態度に端を発したことだから。
来栖からの返信はすぐにあった。今、立て込んでるから改めてゆっくり話しましょう。とのことだった。
次の停留所を案内する静かなアナウンスが聞こえてきた。ボタンを押そうと腕を伸ばした拍子にひざの上の本をうっかり床に落としてしまった。
春馬が拾うよりも早く、向かいの席の青年が拾い上げてくれた。
「ありがとうございます」
反応はない。表紙にぽとりと水滴が垂れた。
「君はどうして歌うことをやめたの」
え、と思いつつ改めて見た彼の身なりがあまりにも異様で息をのんだ。
青年のルーズに束ねた髪の毛先から、濡れそぼって張りついた衣服から、まるで今、水から上がったばかりみたいにシートまでもがしとどに濡れて色が変わっていた。
「オレは声枯れるまで歌い続けたよ」
まっすぐに向けられたまなざしにどことなく責められている気がして胸が苦しくなった。それでいて視線をそらせない。
「降りないのなら発車しますよ」
運転手の呼びかけにあわてて降ります。と答えてバスを降り窓を見上げると、さっきまで座っていたその場所にはすでに青年の姿はなかった。間近で見たはずの顔さえももう思い出せない。
声だけがやたら耳に残っていた。叫び疲れて枯れ果てたような出がらしの声音だった。
白昼夢でも見た気分でしばらくぼぅ、と立ち尽くしてからとぼとぼと歩き出した。あたりは闇に包まれて静まり返っており、田んぼを渡る風のざわめきばかりが聞こえてくる。
「とりあえず生?」と聞く阿久津に「明日、レコーディングあるから」と来栖は断りを入れた。烏龍茶で乾杯してから「早速なんだけど」と切り出した。
「えー、ダメだよぉ」
出鼻をくじく勢いで却下され、困惑した。
「まだ何も言ってませんが」
「だってウチと縁切りたいとか言い出すんでしょ?」
「あれ違った?」と阿久津は身を引いてこちらの様子を窺う。
「もうそろそろ、お前の指示細かすぎるんだよってブチギレる頃かと思ったんだけど」
「自覚あったんですねぇ。まぁ、それは置いといて。以前、阿久津さん、深夜枠のドラマの脚本、書いたじゃない。30分の短いやつ」
「あぁ。『アリスプロジェクト』?」
「そう。あの中に目につく鏡をペンキで塗りまくる女の子いたでしょ。ああいう子って実際いるの?」
「あれはさ、他人が難なく乗り越えられるような壁につまずいて、一人の力じゃ大人になりきれない子供達を扱ってるわけだけど」
作り手がこんなネタ明かしするのは非常に口幅ったいものがあるんだけどね。と言いながら、阿久津は焼き鳥に手を伸ばす。
常に愛用の毛布を手放せない子、問いに対して問いで返してくるオウム返しの子、自分を植物だと思い込んでいる子、キス魔の子―――、など奇妙なクセを持った少女たちが主人公のオムニバス式の物語「アリスプロジェクト」の脚本を書くにあたって阿久津は思春期外来へ実際に取材を試みたらしい。
「あれは物語にするに当たって多少脚色した例だけどさ、身近にいたのよ。親戚の子でね、カメラを極端に嫌う子が。実はその子がモデルの一人だったり。その子はカメラを向けるとすぐ逃げる。で、面白がって追いかけまわしたら、終いには泣き出したよ」
「それセクハラ。きっと何かよからぬことをされると思ったんでしょ。女の子が正解」
「悪かったと思ってるよ。専門家によるとそういう例は少なくないらしい」
醜形恐怖症というのだそうだ。
「まぁ、そうやって型にはめ込むのは良くないんだろうけどさ、あれはコンプレックスだとか、己の理想とするイメージと現実の間に齟齬がないか鏡を見て何回も何時間でも確認したり、逆に避けたりするのね。鏡てのは真実の姿を否が応でも見せつけられるじゃない。鏡やら写真てのは反転した像だから余計に違和感を覚えるイコール姿が歪んで見える。という風に認識するんではないかなと俺は思うのよ」
「自分の声が醜く感じるってこともあるんだろうかね」
「聞いたことないけど。あれか?自分で思ってる声と客観的に聞いた声が違うみたいな?オレもさ、テレビに出るようになってから自分の声ってこんなにヘボかったのかと幻滅したけどね。そんなレベルじゃあない?顔やら体じゃなく声にコンプレックスを持ってるんじゃないのか」
「そうなのかしらねぇ。私からすれば気にしすぎなだけのような気がするけど」
「それがさ、この病の困難なところで他人に理解してもらえないのな。何しろ本人の思い込みによる部分が大きいから。けれどそれで思い悩んで死を選ぶケースがあるらしいのよ」
理解しにくい?と尋ねる阿久津に、理屈はなんとなくわかるが想像しにくいと来栖は答えた。
「私にとっては心地の良い声なんだけどね」
「客観的に聞いてみて、どう感じるかが重要になってくると思うよ。具体的な相手がいるの?」
「うん」
「ふぅん。珍しいよね、来栖君がこうやって誰かのこと親身になって相談するって」
「私って冷たいイメージ?」
「冷たいというか孤高かな。その人、歌手でも目指してるの?どんな子?君が目をつけるくらいだからちょっと気になるね」
会ってみたい。と阿久津は言い出した。
「もしかしてウチの劇団の子じゃないよね。勘弁してよぉ、手は出さないでね」
「違いますよ。高野春馬君ていう男の子です」
高野春馬?と呟いて、阿久津は記憶の糸を手繰るように、どこかしら一点をみつめた。
バスに揺られながら、コバルトブルーから深い藍色に変わる空のあってないような境界線の辺りを春馬は窓ガラス越しにぼんやりと眺めていた。
今日はバイトが休みなので書店に寄り道してみたら、好きな漫画の新刊が出ていた。バスの中で読もうと思ったものの気が散って1ページたりとも進められない。
あきらめてスマートフォンを開くとメッセージが入っていた。勢いこんで開いてみると母親からで「牛乳買ってきて」とある。なんともいえない動作で蠢く宇宙人のスタンプつきだ。たぶん意味はない。
スマートフォンをしまいながら今日も来栖さんから連絡がなかったな。と肩を落とした。
気まずい雰囲気で来栖と別れてからすでに3週間が過ぎた。知り合ってからというもの、日に2、3回は交わしていたやりとりがぱったり止むと不安なもので、なぜあの時、ムキになったのだろうと後悔するばかりだった。せめて弁明の余地を。他人に対してこれほど自分を理解して欲しいと望んだことはかつてなかった。まして嫌われたくないなどという身勝手な感情が来栖に対して芽生えることが驚きだった。
なけなしの勇気を振り絞って一度だけ、来栖にメッセージを打った。自分から彼に連絡するのは初めてだった。こちらからは連絡しないというのが己に課した最低限のけじめだったから。けれど今回ばかりは自分の態度に端を発したことだから。
来栖からの返信はすぐにあった。今、立て込んでるから改めてゆっくり話しましょう。とのことだった。
次の停留所を案内する静かなアナウンスが聞こえてきた。ボタンを押そうと腕を伸ばした拍子にひざの上の本をうっかり床に落としてしまった。
春馬が拾うよりも早く、向かいの席の青年が拾い上げてくれた。
「ありがとうございます」
反応はない。表紙にぽとりと水滴が垂れた。
「君はどうして歌うことをやめたの」
え、と思いつつ改めて見た彼の身なりがあまりにも異様で息をのんだ。
青年のルーズに束ねた髪の毛先から、濡れそぼって張りついた衣服から、まるで今、水から上がったばかりみたいにシートまでもがしとどに濡れて色が変わっていた。
「オレは声枯れるまで歌い続けたよ」
まっすぐに向けられたまなざしにどことなく責められている気がして胸が苦しくなった。それでいて視線をそらせない。
「降りないのなら発車しますよ」
運転手の呼びかけにあわてて降ります。と答えてバスを降り窓を見上げると、さっきまで座っていたその場所にはすでに青年の姿はなかった。間近で見たはずの顔さえももう思い出せない。
声だけがやたら耳に残っていた。叫び疲れて枯れ果てたような出がらしの声音だった。
白昼夢でも見た気分でしばらくぼぅ、と立ち尽くしてからとぼとぼと歩き出した。あたりは闇に包まれて静まり返っており、田んぼを渡る風のざわめきばかりが聞こえてくる。
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