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阿久津末丸から連絡があったのは、前回、打ち合わせしてから3日後のことだった。見せたいものがあるから都合のいいときに来て。というので事務所に足を運んだ。
「君がこないだ言ってた子ってさ、もしかしてこの子?」
パソコンにDVDをセットする。だだっ広い室内が映し出された。来栖は眼鏡をかけた。
ピアノの前に少年が一人佇んでいる。春馬だ。今よりも少しだけ幼くて、いっそうたおやかで少女そのものだった。
ピアノの席には「mpdw」のお抱え楽団でピアノを担当している立花秀明が納まっている。春馬は立花と何事か親しげに会話を交わした後、軽く足を開いてリズムを取り始めた。ピアノの緩やかな旋律にのせて紡ぎ出されたメロディーは来栖にとってあまりにも懐かしい曲だった。
ヘンデル作曲のオペラ曲「オンブラ・マイ・フ」をメインメロディーにオリジナルの歌詞を重ねて展開していくその楽曲は紛れもなく、かつて自分が広瀬静香とともに制作した曲であり「来栖静香」としてのデビュー曲だった。
遠い昔に硬く鎖して封印したはずの思い出が曲と共に堰を切ってあふれ出す。静香と過ごしたむせ返るほど色鮮やかな日々がまぶたの裏に蘇って来栖はめまいを覚えた。視界がかすむ。揺らぐ世界にそれでもしがみついていられたのは画面の中の春馬の歌声があまりにもひたむきで胸に染み入るから。
素直な歌声で紡がれるメロディーは昼間に見る夢のように優しげで儚い。ガラスの震えるような声音は高音に行くほど伸びが良く、安定感を増していく。
口元に微かに浮かべる笑みは、開き始めた花に似てなんて可憐な。歌うことが楽しくてしょうがない。音楽が好きでしょうがない。そんな思いを歌声に変えて。
最後は余韻を残し、短くも感じる映像はそこで途切れた。
「本人だった?」
「えぇ、間違いないです」
自分でもわかるくらいに声が震えていた。
「ちょ、来栖君、大丈夫?真っ青だよ」
この曲はあまりに刺激が強すぎる。来栖にとってのパンドラの箱だった。
なるほど春馬が現在の声音に不自由を感じるのも頷ける。
「よく似てるだろ、君に」
似ているなどというものじゃない。完全なる複製だ。画面の中での春馬のこだわりが歌唱力でないことは明らかだった。クセもしぐさも外し方まですべて「来栖静香」を真似ている。
「この映像をどこで?」
「立花君が面白い子がいる。て持ってきたんだよ。オレ、当時、アリスプロジェクトの役者を一般から募ってたのさ。7番目のアリスは男の娘にしようと思ってたんだけど、高野君はまさにイメージ通りでね、オーディション受けてみないかって誘ったんだけど」
「受からなかった?」
「いや。声が出なくなったとかでオーディションどころじゃなくなったって聞いた。そのへんは俺に聞くより立花君に聞いてみたら?」
「今日、来てる?」
「まだ稽古場にいるよ」
来栖が稽古場に向かうと、研究生たちはまだちらほらと残っており、講師に個人レッスンを受けていた。ピアノの周りにも数人、研究生が集まっていたが、練習しているというよりは立花を囲んで雑談を交わしているようだった。そのうちの一人がこちらに気づいて笑いを引きずったまま、気さくに挨拶してきた。
「あ、来栖さん、いいところに。来栖さんも一緒に行きましょうよ、美味しそうなパスタの店、みつけたんです」
「今日はこれから予定があるの。また今度、誘ってね」
「あらぁ、残念です!」
お疲れさまでした。と去っていく彼女達の話題はすでに別の話へ移っている。来栖はそれを見送ってから立花に向き直った。
「来栖さん、それ毎回言ってる。誘いにのったことあるんですか?」
「ないねぇ。単なる社交辞令だと受け取ってるよ」
「それ自虐的過ぎ。あの子達はあなたが思ってるより純粋ですよ」
「いちいち真に受けてたら身が持たないよ。それより聞きたいことあるんだけど」
はい、なんでしょう。と立花はせわしなく瞬きをする。
「高野春馬君て知ってる?」
明らかに一瞬、表情をこわばらせてから、どうしてあなたの口からその名が、と言いたげな視線を向けてきた。
「えぇ、一時期、一緒に音楽活動をしていましたよ」
「ユニット組んでたんだって?どんな曲をやってたの?」
立花は酷く言いにくそうに視線をそらせた。
「『来栖静香』のコピーバンドをしてました。すみません。あ、でも表立って活動してたわけじゃないんです。動画サイトに演奏を投稿してたくらいで」
「別に謝る必要ないよ。それで、どうだった?」
「どう、とは」
「春馬君の歌声」
「そうですね。並々ならぬ才能を感じましたよ」
ただ、と鍵盤に視線を落とす。
「あまりにもあなたの影響を受けすぎてました。春馬君はあなたを目標とするあまり、あなたになろうとした。より完璧に来栖静香を模倣することにはまり込んでしまったんです」
これ以上、歌わせたら個性を殺しかねないと危惧し、活動休止に踏み切った。おりしも声変わりの壁にぶち当たり苦しんでいる春馬には休養が必要であり、今は音楽と離れることこそがまた音楽に復帰できる近道だと考えたうえでのことだ。
たぶん、それらの思惑はことごとく当の本人には裏目に伝わっている。
見放されたと思ったのだろう。
もう少し早く春馬と出会えていたらと考えて、結果は変わらないのだと来栖は思い直した。己が立花の立場でも同じことをするだろう。声変わりの最中はなるべくのどを休めたほうが良い。少なくとも本格的な歌唱は避けるべきだ。
いずれにしろいつまでも仮初めの歌声にしがみついていたのでは先に進めない。
「突っ込んだこと聞くようで申し訳ないけど、君と春馬君て、どういう関係?」
「僕が直接、関わっていたのは広瀬先輩のほうです。先輩に春馬君を紹介してもらったんです」
「広瀬、先輩」
「ご存じですよね。広瀬静香さんの娘さんの」
「あぁ、あの子、麻衣の息子だったんだ」
「えっ」
何か焦った様子の立花と少しの間、みつめあった。
「あの、僕、何かまずいこと言っちゃいましたかね?」
「?いや?」
初耳ではあったけれど、あぁ、どおりで。と腑に落ちた。初めてあの子に会った時から感じていたなつかしさは気のせいじゃなかった。
彼の血が流れているのならば似ていて当然だと。
「広瀬先輩とは大学の頃の先輩後輩にあたるんです」
当時、ピアニストとしての己の才能に見切りをつけて音楽の教師の道を歩んだ立花は、心のどこかで夢をあきらめきれずにいた。そこで大学時代に交流のあった先輩のもとへ行き、今後のことについて相談したという。すると麻衣は「この子を一人前の歌い手に育てあげることが出来たら、自信もつくでしょ」と自分の息子を差し出してきたらしい。
「素っ頓狂な子ねぇ」
「あの人は昔から破天荒な人です」
相談する相手を間違えたかとも思ったが、結果として荒療治は功を奏した。務めていた中学校を辞め、地元の楽団に入団した。
「春馬君は・・・、有栖は僕の力を引き出してくれた。なのに僕はあの子を壊してしまったんです。もういい。歌わなくていいからって」
それは、本人にすれば死の宣告に等しいのかもしれない。けれど、本当に声を潰してしまう。今を耐え忍ばなければ将来に繋がる可能性さえも断たれてしまう。
そんな思いからきた言葉。
「あのときの有栖の絶望的な表情を忘れることが出来ません」
「君がこないだ言ってた子ってさ、もしかしてこの子?」
パソコンにDVDをセットする。だだっ広い室内が映し出された。来栖は眼鏡をかけた。
ピアノの前に少年が一人佇んでいる。春馬だ。今よりも少しだけ幼くて、いっそうたおやかで少女そのものだった。
ピアノの席には「mpdw」のお抱え楽団でピアノを担当している立花秀明が納まっている。春馬は立花と何事か親しげに会話を交わした後、軽く足を開いてリズムを取り始めた。ピアノの緩やかな旋律にのせて紡ぎ出されたメロディーは来栖にとってあまりにも懐かしい曲だった。
ヘンデル作曲のオペラ曲「オンブラ・マイ・フ」をメインメロディーにオリジナルの歌詞を重ねて展開していくその楽曲は紛れもなく、かつて自分が広瀬静香とともに制作した曲であり「来栖静香」としてのデビュー曲だった。
遠い昔に硬く鎖して封印したはずの思い出が曲と共に堰を切ってあふれ出す。静香と過ごしたむせ返るほど色鮮やかな日々がまぶたの裏に蘇って来栖はめまいを覚えた。視界がかすむ。揺らぐ世界にそれでもしがみついていられたのは画面の中の春馬の歌声があまりにもひたむきで胸に染み入るから。
素直な歌声で紡がれるメロディーは昼間に見る夢のように優しげで儚い。ガラスの震えるような声音は高音に行くほど伸びが良く、安定感を増していく。
口元に微かに浮かべる笑みは、開き始めた花に似てなんて可憐な。歌うことが楽しくてしょうがない。音楽が好きでしょうがない。そんな思いを歌声に変えて。
最後は余韻を残し、短くも感じる映像はそこで途切れた。
「本人だった?」
「えぇ、間違いないです」
自分でもわかるくらいに声が震えていた。
「ちょ、来栖君、大丈夫?真っ青だよ」
この曲はあまりに刺激が強すぎる。来栖にとってのパンドラの箱だった。
なるほど春馬が現在の声音に不自由を感じるのも頷ける。
「よく似てるだろ、君に」
似ているなどというものじゃない。完全なる複製だ。画面の中での春馬のこだわりが歌唱力でないことは明らかだった。クセもしぐさも外し方まですべて「来栖静香」を真似ている。
「この映像をどこで?」
「立花君が面白い子がいる。て持ってきたんだよ。オレ、当時、アリスプロジェクトの役者を一般から募ってたのさ。7番目のアリスは男の娘にしようと思ってたんだけど、高野君はまさにイメージ通りでね、オーディション受けてみないかって誘ったんだけど」
「受からなかった?」
「いや。声が出なくなったとかでオーディションどころじゃなくなったって聞いた。そのへんは俺に聞くより立花君に聞いてみたら?」
「今日、来てる?」
「まだ稽古場にいるよ」
来栖が稽古場に向かうと、研究生たちはまだちらほらと残っており、講師に個人レッスンを受けていた。ピアノの周りにも数人、研究生が集まっていたが、練習しているというよりは立花を囲んで雑談を交わしているようだった。そのうちの一人がこちらに気づいて笑いを引きずったまま、気さくに挨拶してきた。
「あ、来栖さん、いいところに。来栖さんも一緒に行きましょうよ、美味しそうなパスタの店、みつけたんです」
「今日はこれから予定があるの。また今度、誘ってね」
「あらぁ、残念です!」
お疲れさまでした。と去っていく彼女達の話題はすでに別の話へ移っている。来栖はそれを見送ってから立花に向き直った。
「来栖さん、それ毎回言ってる。誘いにのったことあるんですか?」
「ないねぇ。単なる社交辞令だと受け取ってるよ」
「それ自虐的過ぎ。あの子達はあなたが思ってるより純粋ですよ」
「いちいち真に受けてたら身が持たないよ。それより聞きたいことあるんだけど」
はい、なんでしょう。と立花はせわしなく瞬きをする。
「高野春馬君て知ってる?」
明らかに一瞬、表情をこわばらせてから、どうしてあなたの口からその名が、と言いたげな視線を向けてきた。
「えぇ、一時期、一緒に音楽活動をしていましたよ」
「ユニット組んでたんだって?どんな曲をやってたの?」
立花は酷く言いにくそうに視線をそらせた。
「『来栖静香』のコピーバンドをしてました。すみません。あ、でも表立って活動してたわけじゃないんです。動画サイトに演奏を投稿してたくらいで」
「別に謝る必要ないよ。それで、どうだった?」
「どう、とは」
「春馬君の歌声」
「そうですね。並々ならぬ才能を感じましたよ」
ただ、と鍵盤に視線を落とす。
「あまりにもあなたの影響を受けすぎてました。春馬君はあなたを目標とするあまり、あなたになろうとした。より完璧に来栖静香を模倣することにはまり込んでしまったんです」
これ以上、歌わせたら個性を殺しかねないと危惧し、活動休止に踏み切った。おりしも声変わりの壁にぶち当たり苦しんでいる春馬には休養が必要であり、今は音楽と離れることこそがまた音楽に復帰できる近道だと考えたうえでのことだ。
たぶん、それらの思惑はことごとく当の本人には裏目に伝わっている。
見放されたと思ったのだろう。
もう少し早く春馬と出会えていたらと考えて、結果は変わらないのだと来栖は思い直した。己が立花の立場でも同じことをするだろう。声変わりの最中はなるべくのどを休めたほうが良い。少なくとも本格的な歌唱は避けるべきだ。
いずれにしろいつまでも仮初めの歌声にしがみついていたのでは先に進めない。
「突っ込んだこと聞くようで申し訳ないけど、君と春馬君て、どういう関係?」
「僕が直接、関わっていたのは広瀬先輩のほうです。先輩に春馬君を紹介してもらったんです」
「広瀬、先輩」
「ご存じですよね。広瀬静香さんの娘さんの」
「あぁ、あの子、麻衣の息子だったんだ」
「えっ」
何か焦った様子の立花と少しの間、みつめあった。
「あの、僕、何かまずいこと言っちゃいましたかね?」
「?いや?」
初耳ではあったけれど、あぁ、どおりで。と腑に落ちた。初めてあの子に会った時から感じていたなつかしさは気のせいじゃなかった。
彼の血が流れているのならば似ていて当然だと。
「広瀬先輩とは大学の頃の先輩後輩にあたるんです」
当時、ピアニストとしての己の才能に見切りをつけて音楽の教師の道を歩んだ立花は、心のどこかで夢をあきらめきれずにいた。そこで大学時代に交流のあった先輩のもとへ行き、今後のことについて相談したという。すると麻衣は「この子を一人前の歌い手に育てあげることが出来たら、自信もつくでしょ」と自分の息子を差し出してきたらしい。
「素っ頓狂な子ねぇ」
「あの人は昔から破天荒な人です」
相談する相手を間違えたかとも思ったが、結果として荒療治は功を奏した。務めていた中学校を辞め、地元の楽団に入団した。
「春馬君は・・・、有栖は僕の力を引き出してくれた。なのに僕はあの子を壊してしまったんです。もういい。歌わなくていいからって」
それは、本人にすれば死の宣告に等しいのかもしれない。けれど、本当に声を潰してしまう。今を耐え忍ばなければ将来に繋がる可能性さえも断たれてしまう。
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