【完結】あなたは僕のお父さんですか?

ちょー子

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 アルバムを無事、完成させた来栖から会いたいと連絡が入ったのは2日前のことである。久しぶりに自宅を訪れた春馬は玄関が開くや否や、持ってきた手土産を来栖に差し出して詫びた。
「来栖さん、この前は怒鳴ってごめんなさい!お詫びにこれ受け取ってください」
「いいよ、気にしないで。私も無神経だったね」
 気を使わせてしまったね。と言いつつ、手土産のケーキを快く受け取ってくれたのでほっとした。
 ケーキは来栖お手製の昼食の後に一緒に食べた。
「立花君に会ったよ」
「秀明に?」
「うん。君を傷つけるつもりはなかったって。君はパートナーに見捨てられたと思ったんでしょう?でもそれは」
「違うんです」
 すべてを言い切らないうちに春馬は無理やりに言葉を重ねた。
「秀明に見放されたわけじゃないってわかってます。自分らしさをみつけなさい。ってことだったんだと思う。でも僕は来栖さんの歌声が好きだったから」
 好きだったのに。
「歌わなくていい。て言われたときほっとしたんです」
 風邪で声が出なくなったとき、ようやく音楽から解放されたと思った。そのことが一番堪えた。もしかしたら歌えなくなることを心のどこかで望んでいたのではないかと、音楽から逃げ出したがっている自分に気づいて心底、自分に幻滅したのだ。
「これで私も人並みな努力はしてきたつもりだからね。そうそう努力して真似したところで私の声は奪えないよ」
 返す言葉もなかった。本当にその通りだと思ってるから今は猛反省している。
 あの頃の自分はどうかしていた。決して憧れだけではなかった気がする。なぜあんなにも来栖を模倣することに執着したのか、今となっては思い出せない。
「君は難しく考えすぎよ。疲れたのなら休めばいいし、歌いたくないなら歌わなければいい。音楽を楽しむ心さえあればいつでも帰って来れるんだから」
 音楽を楽しむ、心。
 そんな時期もあったなと、遠いどこかに置き忘れてきた感覚が淡く蘇った。
「君の歌っている姿を見たとき、うらやましかったよ」
「僕の、・・・見たんですか」
「うん。阿久津君に見せてもらった。君は楽しそうに歌ってたよ。私は歌を楽しいと感じたことがないんだ」
 意外な告白だった。
 アーティストが音楽を楽しいと感じたことがないのなら何を理由に歌い続けているというのか。それってアーティストとしての自分に対する根幹的な矛盾じゃないのだろうか。自分の知らない陰影を帯びた来栖の側面を垣間見たような気がした。
「私もね、一時期、声変わりで悩んでいたことがあったんだ」
「そうなの?」
「うん。母がね、お前の声が死んでしまう、ってよく嘆いてたよ」
 私ね、もう少しでチンコ失うところだったのよ。と笑い混じりの爆弾発言を受けて春馬は思わず、来栖の股間に目をやった。
「え?ぇえ?!なんっ何で?!」
「カストラートって聞いたことある?」
「え、あ、はい。・・・ああっ」
 確か去勢した男性ソプラノ歌手だったはず・・・、と、そこまで聞いて勘づいた。
「母はね、私をカストラートにするつもりだったのよ。去勢したら声変わりが収まるから。あの人は私のソプラノヴォイスを愛してたのね」
 もともとオペラ歌手だった母親がのどの病気により道を断たれたことから、来栖への英才教育が始まったのだという。
「よほど私が成長するのがいやだったのね。教育上よくないからってアニメとか漫画の類は禁止されていたし、友達と遊ぶことも嫌がってた」
 聞きながら極端すぎる話だと春馬はあきれた。どれだけ親が成長を妨げたところで、放っておいても子供は成長するものだ。それは春馬が最近、身を持って体験したばかりだ。
「それまで私はただの歌う楽器だった。母の教えは厳しかったからねぇ。けれど君のお祖父様が血の通った人間なんだって教えてくれたよ」
「僕の、お祖父ちゃん」
「広瀬静香でしょう?」
「知ってたんですか」
 何となく、祖父の名前は出さないようにしてきたつもりだった。祖父の存在を理由にして近づいてきたと思われたくなかったから。 
「立花君に教えてもらったよ」
 静香のすごいところは、来栖の母の教えを何一つ否定せずに、この体この心すべてが命という音を奏でる楽器なんだと教えてくれたことだと来栖は語る。
 ―――どんなに高価な楽器でも心がなければ響かないだろう?
 遠い日を懐かしむように目を細めて語る来栖の表情はどこか切なげで、広瀬静香がどれほど大きな存在だったのかと胸が痛くなった。

 来栖はいったん席を立ち、次の間へと続く両開きの扉を開いた。ちらっと見た感じ、自室であるようだった。
 数分とたないうちに彼は戻ってきた。
「これ、おぼえてる?」
 こちらへ開いて見せたのは、一枚の楽譜だった。
 古びた五線譜にはミミズの這ったような走り書きの文字が綴られていた。「木漏れ日」と題されたそれは音符を頭の中で追う限り、春馬の良く知っているクラシックの曲をアレンジした楽曲だった。
 確か「オンブラ・マイ・フ」といったか。
「この曲はね、私が初めて作った曲なんです」
「そうなの?」
「うん。君のお祖父さまと一緒に初めて作った曲なんだ。・・・君にあげるよ」
「いいんですか?大切なものなんじゃないの?」
「だからもらってほしいんだ。この曲は親が子へ託すみたいに大切な人へ連綿と受け継がれる子守歌をイメージして作られたんだよ」
 春馬が楽譜を受け取ると、来栖は満面の笑みを浮かべた。時折、来栖は今みたいに幼子のような反応を見せることがある。大人の来栖の中に少年のままの来栖が同居しているような、奇妙な感覚になる。
 そして小さな来栖は今、すこぶる機嫌がよさそうだ。好きな友達に宝物をあげるような感覚だろうか。ならば自分も何かお返しがしたいと思うけれどあげられるものが何も思い当たらない。楽譜に見合うようなお返しといったら―――。
 あぁ、ある。一つだけ。というかそれしかない。歌。
「また、歌えるようになれるかな」
 自分のためじゃなく、来栖のために。来栖に聴かせるために歌いたい。それで彼が喜んでくれるなら。
「僕、もう一度、歌えるようになれるかな」
「出来るよ。君はまた歌える。私がついてる」
 来栖の腕が伸びてきて優しく髪に触れる。そのまま頭部を抱き寄せられ、
 すっぽりと彼の腕の中に包み込まれた。
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