【完結】あなたは僕のお父さんですか?

ちょー子

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「あぢぃぃいいい~~~」
 うめいて京子はシャツの胸元をばたばたと扇いだ。
 久しぶりにオフ会に参加した帰り道、春馬と京子は夕暮れの街並みを二人並んで歩いていた。昼間の日差しはいくらか和らいでいたが根強い熱気と湿度の高さで不快感はMAX値を跳ね上げていた。
「もう10月だよ?どんだけ今年、暑くなるんだよ」
「夜から雨が降るって。ちょっとは涼しくなるかも」
 春馬が頭上を見上げながら言うと、本当かねぇと京子も空を仰いだ。塩素焼けした色素の薄い短髪の耳元で、銀色のピアスがキラリと光る。
「どうだった?オフ会。楽しかった?」
「うん、楽しかった」
 といっても春馬が歌ったのは一曲だけで後はひたすら仲間たちと雑談を交わしていただけだけど。年代も性別も違うメンバーと交流を持てるのは刺激になるし楽しかった。
「そろそろ歌いたくなったんじゃないのぉ?」と京子が変な節をつけておどける。
「どうかな。まだちょっと自信がなくて」
「そうなんだ?・・・実はさ、有栖君が歌ってるとこ、録ったんだけど見る?」
 怖い気もしたが客観的に自分の声を聞くいい機会だと思ったので見せてもらうことにした。ボーカル上達の為の一歩として自分の録音した声を聞いてみることはおおいに有効だと来栖も言っていたし。
 自分の声を聞くことは春馬にとって苦行でしかなかった。喩えるならばそれは鏡に映った自分を見る行為。コンプレックスな部分ほど何度も見返してしまう。
 それを自分の意思で、意識してやるとなると苦痛以外の何者でもない。
 あくまでも客観的に。と脳内で唱えながら久しぶりに自分の歌声を聴いてみて思ったのは、以前よりかは声のざらつき感が緩和されただろうか。けれどもそのぶん、体の内側で響くようなこもった感じが強まった気がする。
 これ、悪化してない?と不安になった。
「なんか、まろやかになったよね」
「えっそう?」
「うん。ちょっと歌い方変わった?」
「あ、変わったかも。裏声、使うようになったよ」
「え!本格的じゃん!ボイトレしてるの?」
「うん」
「ねぇ。もしかしてそれって・・・、来栖さんに習ってるとか」
「うん」
「強すぎるぅ。鬼に金棒じゃん!」
 そこからどうやって来栖と知り合ったのかとか、どういうおつきあいをしているかなど、根掘り葉掘りタイムに突入した。

 現在、春馬は来栖のもとでボイストレーニングを受けている。内容は主に裏声について。その概念、必要性から学んだ。
 というのも、これまでの春馬は高音を地声で歌っていた。これは意思をもってそうしようとしていたわけではなく、これで歌えているから歌ってる。という程度の意識でしかなかった。
 そのほうが奇跡だよ。自分の声の特性に頼ってちゃダメ。技術を磨かなきゃ。と来栖は言う。
 彼曰く、歌声に完成なんてものはなくて、長い年月をかけて少しずつ変わっていくものだから、ゆっくりと焦らずに慣れていくことが大切なのだとも教えてくれた。
 来栖の指導により裏声の出し方はなんとなくわかった。ただそれを実践で活かそうとするとなかなかに困難で油断すると喉が絞まって声がかすれてしまう。
 上手くできるようになるまではまだまだ時間がかかりそう。
「けっこうコツを掴むの難しいって言うもんね。でも、安心したよ。有栖君がまた音楽に戻ってきてくれてよかった」
「心配かけてごめんね」
 いやいやいいんだよ!と京子は胸の前でぱたぱたと手を振った。
「ほら、私は有栖君のファンだからさ、また有栖君の歌声が聴けるのが本当にうれしいんだ。前の透き通るような歌声も良かったけど、今の渋みのあるちょっとエロい歌声も素敵だと思う」
 今、エロいとか聞こえた気がするけどそんなわけがないし気のせいだと思ったので聞き流した。
「でも、ちょっと寂しいかな」
「寂しい?どうして?」
「有栖君は声変わりで苦しかったかもだけど、私は好きだったよ、君の声。静香さんによく似てた」
 京子は生粋の広瀬静香ファンである。ユニット活動以前の、一人でシンガーソングライターをやっていたころからの筋金入りであるらしい。京子がカラオケで歌った曲を通して、春馬は祖父の曲を知った。
 しかし本人が歌っているところを見たことはない。
 そういえば「来栖静香」名義のアルバムにも彼の曲は一曲も入ってなかった。
「そらぁ、来栖さんを全力で推してたんでしょうよ。でも私はあの人のさ、酸欠寸前みたいな?魂振り絞って歌ってる感じがすっごい好きよ。魂を奮い立たせてくれるっていうか。勇気が湧いてくる。私さ、ある時期、部活のことですっごい悩んでてもうやめようかって思ってたの」
「水泳部の?」
「そう。なかなかタイムが伸びなくてね。自分にイラついてて、腐ってた。そんな時に静香さんの曲がラジオから流れてきたよ。「他の誰かと比べんな。昨日の自分を超えていけ」って。あぁ、ホントその通りだなって。あの頃は本当に静香さんの歌声に支えられたよ」
「・・・ありがと」
 自分のことをほめられたみたいで照れくさくなった。なんで有栖君がお礼を言うの。と京子は笑った。

 京子と別れた後も、しばらく彼女と話した内容が頭を巡って離れなかった。
 こもっているようにしか聞こえない自分の声を京子がまろやかだと表現したのは単なるお世辞かもしれない。けれど、ただただ不快でしかない自分の声が他人の耳には違って聞こえる。なんてことはありえないだろうから、間違っているのはもしかして自分の認識のほうかもしれない。
(確かこういうの、認知の歪みっていうんだっけ)
 自分の声が嫌いすぎて正しく認識できない。それって歌う上で致命的だけど、そんな僕の声を素敵だと言ってくれた京子の言葉を信じてもいいだろうか。
 大勢じゃなくてもいい。お祖父ちゃんの歌声が京子を奮い立たせたように、今の、この声で、たった一人だけでも心に響く歌を歌うことができるというのならば、やってみたいことがある。
(僕は来栖さんのために歌いたい)
 春馬は机の引き出しから楽譜を取り出した。リビングでゲームをしている妹にキーボードを借りる旨を伝えて彼女の部屋へ向かった。
「木漏れ日」をかつて春馬は原曲のキーで歌っていた。それがちょうどよかったから。
 今はもう歌えない。だからもうあきらめていたけれど。
(キーを変えたらいけるんじゃね?!)
 最も出しにくい高音を鍵盤で叩いてみる。そこから出しやすい音域までキーを6つ下げてみたところ、今度は普通の音が低すぎて2つ戻した。出だしの音を声に出してみると相変わらず雑音交じりの耳障りな声。でもそれでいい。音程もちゃんと取れているから問題ない。
 キーを調整しつつ何度も繰り返しながら少しずつ歌い進めていく。
 この楽譜を来栖が自分に託したことに意味があるとしたら、やっぱり歌ってほしいってことなんじゃないかなと勝手に解釈してみた。
 だってこの曲は親が子へ歌って聴かせるように、大切な人へと語り継ぐ曲だから。

『歌い手のいなくなった曲は死んだ我が子と同じ』

 そんな言葉が頭をよぎった。どこで聞いた言葉だったか、誰の言葉だったかは思い出せない。
 油断をすると記憶の中の幼い来栖の歌声に引きずられてしまいそうになる。時々声がかすれそうになるけれどかまわずに歌い続けた。ただひたすらに「歌いたい」という己の内側から湧き上がる欲求に突き動かされるままに。
 ふいに、視線を落とした楽譜の紙面に影が落ちた。背後から照らしているはずの照明の光が遮られたのを不審に思い振り返ると、触れられるほどの至近距離に男が立っていた。驚きすぎて声も出ない。とっさに後ずさった拍子にキーボードにしたたかに体をぶつけた。
 見覚えのある青年だった。季節外れの夏服。無造作に束ねた髪。いつだったかバスの中で出会った青年だ。
「続けて」
 一重のすっきりとした目元。優しげなまなざしで促されて春馬は小さく頷いた。
 相変わらず、ずぶ濡れだけど本人は気にしていないようだった。
 いったい、いつから佇んでいたのだろう。床には雫が落ちており、いくつかは血が混ざっていた。
 この人は、たぶんこの世の者ではないのだろうけど、不思議と恐ろしいとは思わなかった。
 むしろ、ずっと前からよく知っている。一緒に育ってきたような不思議な親近感を覚えた。
 男は、最初のうちこそおとなしく春馬の歌声に聴き入っていたようだが、次第にノってきたらしく途中から一緒に歌いだした。
 くっそデカい声で。
 裏声の出し方で四苦八苦する春馬をあざ笑うかのように、出がらしの地声一本で押し通すその朗らかな歌声は聞いていて、いっそ気持ちがよい。
 自然と元気が湧いてくる。
 あぁ、この人は自分の声が気に入ってるんだ。ありのままの自分を受け入れているんだな。とそう思えた。
 お世辞にも綺麗な声とは言い難いけれど、なんならたまに音程外すけど、これはこれで味があって面白いかも。
 お前ももっとがんばれよと言いたげに、リズムに合わせて両方の指でこちらを指し、煽ってくる。
 人懐っこそうなその笑顔につられて、春馬も負けじと歌声を響かせた。

 そうして歌いきったころにはわずかに息が上がっていた。おかしい。原曲はもっと静かで緩やかで、こんな熱量で歌う曲じゃないのに。
 でもこんなアレンジで歌うのも面白いかも。そう思った。
 ドアを叩く小さな音がした。隙間からおずおずといった感じで母がこちらに顔をのぞかせる。
「ごめん、うるさかったよね」
「ううん、いいの。・・・今、誰かいた?」
 母親に気を取られているうちに男はいなくなっていた。気持ちよく歌えたから、満足して帰ったのだろうか。
「・・・いや、いないよ。僕だけよ」
「ううん、絶対いた」
 お父さんが歌ってたと母は言う。
「僕の声と聞き間違えたんじゃない?」
「違う違う。あんたとは別に聞こえたの!あの調子っぱずれなダミ声は絶対お父さんだった!」
 お父さんが帰ってきたのかと思った。
 そう言って母は子供のようにしゃくりあげると涙をこぼし始めた。
 歌声で感動させるどころか泣かせてどうするんだよ。
「お母さん、泣かないで。お祖父ちゃんはきっとお母さんのそばにいつもいて、見守ってくれてるよ」
「嬉しいけど、早く成仏してぇ・・・」
「そうだよね。ごめんね」
 ティッシュを差し出して、母が落ち着くまで待った。
「驚いた。あんた、声の伸びがすごく良くなってる。誰かに習ってるの?」
「うん、まぁね」
「そう、いい先生に出会えたのね」
 祖父の元相方と息子が会っていることを母は知らない。発端となったDVDをみつけた状況がいかにもいわくありげだったからなんとなく言えずにいた。
 ダンボールの中にあった品物は保管というよりはただ乱雑に来栖静香に関わるグッズを放り込んだだけのように見えた。
 仮にもファンがこんな風にぞんざいに関連グッズを扱ったりするだろうか?
 それでいて手放すこともできない。持ち主の心境を思うと何か因縁の深さを感じた。
 良い機会だと思ったので、思い切って気になっていたことを尋ねてみた。
「お母さんは来栖さんに会ったことがあるの?」
「あるわよ。ていうか、一時期、一緒に住んでた」
「え?!そうなんだ。なんで?」
「来栖の母親に問題があってね、一時期、父さんが預かってたのよ。途中で来栖が親の介護でユニットを抜けたから一緒にいられた時間は短かったけど」
 それって母親による偏った英才教育が原因だったのかなと考えはしたけど、あえて追究はしなかった。
 一緒にいられた。ということは、母親としてはもっと一緒にいたかったということだろうか。
「ねぇ。来栖さんってどんな人だった?」
「テレビで見たままよ。浮世離れしてるっていうか、どっかズレてて。でも優しくて穏やかで、面倒見の良い人よ」
 来栖を語る母の表情はどことなく切なげで、それでいて―――愛しそうな?
 見ていると少し胸がざわついた。こんな表情、お父さんにも見せたことないのに。
「お母さんは来栖さんのことが好きだったの?」
「もうこの話はやめましょう」
 ぴしゃりと跳ねつけられて黙るしかなかった。部屋を出ていこうとする母の視線が楽譜を捉えたのを春馬は見逃さなかった。
「これ、父さんの楽譜よね・・・。どうしてあんたが持ってるの」
 見る間に母の表情が強張っていく。
「もらったんだよ」
「もらったって。・・・誰に」
「来栖さんに」
「来栖て、あの来栖?柿崎来栖?あの人に会ったの?!」
 一言発するごとに怒気を孕んでいく。かつて見たことのない母の豹変ぶりに夕夜はいくぶん委縮した。
「・・・そうだよ」
「なんで?!どこで会ったの?!」
「バイト先の常連さんだから」
「常連って。どういうこと?あんたに会いにきたの?!」
「ちがうよ。僕が会いに行ったんだよ」
 来栖はSNSで地元のおススメの店やお気に入りの場所をよく紹介していた。「松虫堂」も彼のお気に入りのお店の一つだった。通学路の途中にあったし、ちょうどバイトを探していたところだったので、店内の求人の張り紙を見て直接、店長に交渉したところ、その場でほぼ採用が決まった。
「松虫堂」以外でも行ける範囲内で彼が訪れたことのある場所は行ってみた。
 痕跡をたどるように、彼が見たであろう同じ景色を眺めているだけで幸せな気分になれた。
 あわよくばいつか会えるといいなと願ってもいた。
「そこまでして会いたかったの?」
「うん」
 呆れと苛立ちがないまぜになった様子で母は首を振った。
「あんたが最近、会ってる人って来栖なの」
「・・・そうだけど」
「だめよ。もう二度と会っちゃだめ」
「どうして」
「どうしてもよ。もうあの男と会っちゃダメ!!」
 有無を言わさぬ強引な言い草にカチンと来た。母には軽いパニックの傾向がある。同レベルで言い争いをしちゃいけないと日頃から父に言われているけれど反論せずにはいられない。
「なんでそんなことお母さんに指図されなくちゃいけないの。僕が誰を好きになったって関係ないじゃないか!」
 言葉にして今、気づいた。僕は来栖さんが好きなんだと。こんな状況で気づきたくなかった。
「好きって。仮にも一流のアーティストがあんたみたいな一般人、本気で相手にするわけないでしょう?」
「そうだと思うよ」
 何も期待してはいけないといつも自分に言い聞かせてきた。後で傷つくかもしれないけどそんなこと今はどうでもいい。
 たとえ暇つぶしの相手であったとしてもそばにいられるならそれでいい。
「あんた、そこまであの男を愛してるの、まさか・・・、体の関係も」
 そんなものはないけれど、母の過剰な反応の裏側に何か真実が隠されているように思えて、春馬はあえて答えをはぐらかした。
「だったらどうなの」
「駄目!!!」
 空気が裂けた。それが一体どれほどの音量で発せられたものかわからなかったが、空気の振動を伝って聞く者を退かせるほどのパワーがあった。
 春馬の鼓膜は未だに余韻で震えている。
「それが男であっても女であっても他の人ならいい。でも来栖とだけは駄目よ。あの人は、あなたの」
「聞きたくないよ!」
 いざとなると本能が真相を知ることを拒んで思わず叫んだ。聞けば後悔する。何か言い知れぬ予感のようなものが働いて急速に安定感を失っていく。普段、大声を出し慣れていないせいか息があがった。全身の血流がすべてこめかみの辺りに集中しているかのようで目の奥が熱を孕み、視界がくらくらする。頭に血が上っている、今の春馬はまさにそれだ。
 踵を返すと紗夜が不安そうな顔でこちらを見上げていた。あえて気づかぬふりで二階へとあがった。
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