元探偵助手、転生先の異世界で令嬢探偵になる。

町川未沙

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元探偵の回顧録⑤

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 死んでいたはずの黒瀬の意識が、ある日突然目を覚ました。

 その瞬間は、あまりに混乱した。

 何故意識がある。何故死んでいない。そう思ってぱっと両手を見た。
 そしてさらに混乱した。目に映った自分の手はずいぶんと小さく、明らかに子どものものだった。


「俺はいったい……」


 独り言の声も、黒瀬のものとは別物で、やはり子供らしい高めの声だった。

 その時、どこかから大人の女性の声がした。


「ルシウス?すごい音がしたけれど大丈夫ですか?」

「少し頭を打っただけです。問題ありませんシスター」


 知らないはずの外国人の名前に、何故か自分は当たり前のように返事をした。

 そして、その返事をした瞬間に、脳内に別の記憶が入り込んできた。


 思い出した。

 自分はルシウスという名前で、物心ついた頃からこの孤児院で生活してきた。現在は7歳。

 いつものように孤児院内を掃除していた最中に、転んで頭をぶつけた。そして頭を打った衝撃で、黒瀬蒼也の記憶が目覚めたのだ。

 二つの記憶が同時にある状態だった。今まで7歳だったのに突然25歳になったかのようにも、今まで25歳だったのに突然7歳になったかのようにも思えた。

 普通なら、大いに狼狽え、熱でも出して三日ほど寝込んでもいいような状況だ。
 しかしそうはならなかったのは、もっと別のショックを受けたからだった。


「そうか。俺は生まれ変わったのか。──はは、なるほど。あの世へ行って静奈くんと再会することは許されなかったわけですか」


 そのことに気付いて自然と涙が溢れそうになったのは、やはり子どもらしく涙腺が緩かったからかもしれない。

 黒瀬蒼也の記憶を取り戻したこと。きっとこれは罰なのだろうと思った。
 静奈がいないどころか、静奈が生きていたという痕跡すらないこの世界。ここで生きていかなければならないという罰。

 当然だ。黒瀬のせいで死ななくていい静奈が死んでしまったというのに、都合よく再会させてもらえるわけがない。

 もし一度死んだ記憶のある黒瀬の記憶だけだったのなら、静奈のいない世界で生きても仕方がないと、すぐにでも自ら命を絶っていたかもしれない。

 だが、純粋にルシウスとして生きた7年分の記憶は、死ぬことを拒否した。
 体は7年生きたルシウスのものであるが故に、その意思を無視することは不可能。だから何が何でも、その罰は受けなければならなかった。


 ──精神的には辛い選択であったが、「生きていく」と決めた以上、黒瀬蒼也の25年分の記憶を活用しない手はなかった。

 黒瀬の記憶と共に、一度覚えたことを忘れない、そして短時間で論理的考えを導き出すことのできる天才的頭脳も、ルシウスに引き継がれていた。
 特に目立たなかった子どもが突然天才児になったらさすがに怪しまれるため、知識をひけらかすことのないよう気を付け、勉強好きになったふりをして、徐々に賢くなっていった風を装った。

 そうしてルシウスは、あくまで常識的なレベルで「天才的に頭の良い子ども」という地位を確立し、9歳になった頃、偶然後継者にする子どもを探していたクレイトン商会の商会長と出会い、引き取られた。


 ルシウスを引き取った男は、女性を愛することができず子どもがいなかったため、優秀な子どもを養子に迎えるべく探していたのだと言った。

 特にこの世界でやりたいこともなかったルシウスは、素直に商会の後継者としての教育を受けることにした。経営というものはしっかりと勉強したことのなかったものだったので、意外と面白かった。

 そして勉強するうちにすぐ商会の経営についての最適解がわかるようになっていき、孤児院にいた頃よりも油断して、子どもらしからぬ視点から養父に意見を出すようになった。

 養父は細かいことを気にしない性格で、そんなルシウスを特に気味悪がることもなく、純粋に天才児を引き取ることができて幸運だと思っていたようだった。


 ルシウスが経営に口を出すようになって以降、クレイトン商会の業績は目に見えて上がっていった。
 16歳にもなると、商会の中で養父に次ぐ地位になっていた。

 そしてその頃、わかったことがあった。

 ルシウスは、黒瀬蒼也と同じくらい、女性受けする整った顔をしている。


 商売である以上、ルシウスは様々な人間相手に愛想よく振る舞うことが要求された。整った顔立ち、新進気鋭の商会のナンバー2、外面が良い……という条件がそろったせいで、かなりの女性から言い寄られるようになった。
 しかしルシウスは、それらの女性たちに全くもって興味を持つことができなかった。物は試しと適当な女性と付き合ってみたこともあったが、触れたいという欲望が驚くほど起こらなかった。


 無論、原因はわかりきっていた。
 養父からは、自分と同じように異性を愛せないのではないかと言われたが、そうではない。ある意味もっと厄介だった。

 静奈しか、愛することができない。

 別の人間に生まれ変わり、長い年月が経ってなお、彼女にとらわれ続けている。

 もし他人がルシウスの心の内を知ったら、それはもはや呪いだと思うかもしれない。
 だが、これで良かった。それなりに充実したルシウスとしての人生を送るうちに忘れかけていたが、これは罰なのだ。彼女にとらわれている状態が正常なのだ。


 そう考えることで、未練がましく静奈を想い続けることを正当化していたのかもしれない。


 ──その後、年齢よりだいぶ幼く見えるスリの少年を商会に引き入れたり、この世界でずいぶんと世話になった養父が亡くなったり、実に様々なことがあった。

 静奈のことを引きずっているということ以外は、それなりに真っ当な日々を過ごしてきた。


 ある一冊の本と出会ったのは、亡くなった養父から商会長の座を継ぎ、その新しい環境もだいぶ落ち着いた頃のことだった。

 巷で少し話題の大衆向け小説。客と話すときに何度か話題に出たことがあったため、雑談のネタになるかと気まぐれで手に取ってみただけだった。

 しかし数ページ読んだだけで、ルシウスは黒瀬の記憶を取り戻した時以来の強い衝撃を受けた。


 小説の主人公は、裏で探偵を生業としている貴族令嬢。その主人公の決め台詞が、


 偶然にしてはあまりに一致しすぎている。そう思いながら読み進め、一冊全部読み終わると、ルシウスの目からは一筋の涙が流れた。


 恐らくこの喜劇小説を読んで涙を流す人間は、後にも先にもルシウスだけだろう。

 黒瀬の口癖を度々口にする主人公の令嬢は、記憶の中にある御園静奈そのものだった。

 その日からルシウスは、この小説を常に持ち歩くようになった。作者についても調べ、実際に会いに行った。
 その作者は、この小説にはモデルがいるのだと教えてくれた。ルシウスは知らなかったが、一部ではそこそこ有名な、“令嬢探偵”という二つ名を持つ伯爵令嬢なのだそうだ。


 自分が前世の記憶を持ったままに転生している以上、静奈が同じである可能性だってゼロではない。
 天文学的に低い確率であることは承知していた。それでも、もしかしたらと思った。


 シエラ・ダグラスに会ってみたい。

 そう思う一方でなかなか行動に移さなかったのは、期待して違っていた場合、果たして自分は立ち直れるのかという不安があったからだ。


 だがそんなある日、ルシウスが拾った元スリの少年、レオンが偶然シエラと接触した。

 それを知ったときにルシウスの中で湧き上がったのは、強い嫉妬心だった。

 何だ、自分は会うのが不安だと言いながら、シエラ・ダグラスに会いたくてたまらないのではないか。
 そうわかって、笑いが込み上げてきた。ようやく決心がついたのだ。その決心が変わらないうちに、ルシウスは急いでシエラ宛ての手紙をしたためた。



 そして、彼女に会ってみるという判断が正しかったのだということは、シエラと初めて目を合わせたその瞬間にわかった。

 確かな証拠があったわけではなく、あくまで感覚に過ぎない。



 ……世界に、色が付いた感覚。

 それは前世で静奈と出会った時に感じたものと全く同じだった。

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