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第4章
異邦人の足跡
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1
午後三時三十六分。フランス国鉄が運行する高速鉄道TGVのナント発パリ行き便は定刻より約三十分遅れでモンパルナス駅に到着した。
行き止まりの頭端式ホーム三番線に車両が停車し、ドアが開くと、ランドロー警部補は大きく息を吐いてホームに降り立った。左右を見ると、同じく降車した大勢の乗客たちが北側の出口に向かって歩いている。
「思ったより、遅れずに到着できましたね」
ランドローの後に続いて降りたブスケ刑事が声をかけた。
「そうだな。大統領選挙が近いこともあって、国鉄のストライキが心配だったが、少なくとも今日は通常通りの運行でよかったよ」
来月の大統領選挙で、大きな争点の一つとなっている国鉄の改革が労組の反発を呼んでおり、大規模なストライキの決行が懸念されていたのだ。この国では業界を問わず、労働者の権利保護のためのストは珍しくないが、今回は国鉄職員の優遇措置を撤廃する抜本的な制度改革を推進する候補者が、世論調査で支持を得ていることもあり、フランス各地で抗議デモが開かれるほど緊迫する事態となっている。
「警部補は、パリは久しぶりなんですか?」
「ああ。前回、訪れたのは三年ほど前だ。やはり事件の捜査でね。プライベートでは、あまり来ようとは思わないな」
「パリがお嫌いなんですか」
「パリが、というよりパリ市民が苦手なんだ。彼らは態度がそっけないし、愛想もよくない。いつも何かに追われるように、忙しく動いていて、ゆとりが感じられない。大都会に暮らすと自然にそうなるのかもしれないが、我々のような地方からの人間を見下すような目で見るのは、あまり愉快ではないね」
「それは、警部補が会った方が、たまたまそういう人だったんじゃないですか?」
ブスケが笑いながら言った。
「そうかもしれん。いずれにせよ、あまり長居したい街とは思わないよ。さっさと目的地に向かうとしよう」
ランドローは移動する乗客たちの流れに加わって、出口へと向かっていった。
昨日、日本から来た結城杏子という探偵がもたらした情報によって、ランドローの担当する事件は大きく進捗した。不明だった被害者の身元が、金村良純という日本人男性である可能性が極めて高いこと。さらに金村は死亡直前までパリに在住しており、その住所も判明した。
いずれも、事件解決への大きな手掛かりになりそうだが、ランドローにとって、一つ想定外だったのは結城杏子が捜査への協力を申し出たことだ。いくら元警察官とは言え、フランスでは、あくまで観光客に過ぎない外国人に勝手に現場を動き回られるのは、はなはだ迷惑である。まして、昨日会ったばかりの人間に捜査情報や証拠を提供するなど、下手をすれば服務規程に抵触する行為だ。上司であるガルニエ警部の要請がなければ、とても承服できなかっただろう。
(国際探偵協会だか何だか知らんが、面倒な連中をよこしてくれたもんだ――)
ランドローは心の中で愚痴を呟いた。
結城杏子の存在は気がかりではあるが、現時点で捜査課が彼女の行動を制限できる余地はない。とりあえずは、同行しているファビエに監視を任せるしかないだろう。今は金村の住所を調べることが先決だ。
2
モンパルナス駅を出たランドローたちは、駅前でタクシーを拾うことにした。目指す目的地は十一区のバスティーユ広場である。
疾走する車内から外の景色を見ると、やはりナントと同じく街中が選挙ムードに包まれている印象を受ける。バス停やビルの広告スペースには候補者のポスターが貼られているが、落書きで汚れているものも多い。
今回の大統領選挙は中道右派、極右、左派政党の候補者による三つ巴の混戦状態だが、現時点では左派政党の新進社会党が世論調査で一歩リードしていると言われる。
中道右派は国鉄改革の推進で、極右は国内で相次ぐテロ事件に便乗して移民排斥など人種差別的な政策を訴えている点で、それぞれ不支持層を抱えているのに対し、新進社会党は主に福祉拡張や所得分配など労働者受けする政策を重点的に打ち出したことが功を奏している。
ランドローも昔から新進社会党の支持者で、今回の選挙でも同党に投票するつもりだ。第一回投票は十日後に迫っている。
五区の高級商店街と言われるサンジェルマン大通りを抜けると、タクシーはセーヌ川に架かるシュリー橋を渡り始めた。川の中州であるサン・ルイ島の右端をかすめる形で右岸へとつながっている橋で、橋上からは遠方にあるノートルダム大聖堂が視界に入る。
「ロワール川より幅が狭いですね」
ブスケがセーヌ川を見ながら呟いた。
「パリのほうが建物が密集しているせいか、余計に狭く感じるな。その分、観光名所と一緒に収まって絵になる風景だとは思うがね」
橋を抜けて、そのまま大通りをまっすぐ進むとバスティーユ広場が見えてきた。
中世の時代、この場所にはパリの防衛拠点であるバスティーユ要塞が建てられた。要塞はその後、政治犯などを収容する牢獄として改造され、フランス革命時には怒りに燃えた民衆により、圧制の象徴として襲撃の対象となった。
現在の広場は、中央に十九世紀の七月革命を記念する柱のオブジェがそびえ立っており、その周囲を自動車が円形に通行するラウンドアバウトとなっている。
ランドローはラウンドアバウトの一角にタクシーを停車するよう運転手に頼んだ。
タクシーを降りて、放射線状に分かれた道の一つに入っていく。この辺りはどうやら繁華街のようで、通りにはカフェやレストラン、個人経営の店などが軒を連ねているが、平日だからか人通りはさほど多くない。
道なりに少し歩いたところで、
「どうやら、ここですね」
スマートフォンで地図を確認していたブスケが、歩を止めて目の前のビルを見上げた。パリではごく普通と言える、白塗り四階建てのアパルトマンである。
ランドローが玄関横にあるブザーを鳴らすと、野太い男の声が応答した。
「どちら様かね?」
「ナント中央署のランドローだ。大家のジュベールさんだね? 昨夜、お宅のところに事件の捜査協力で連絡を入れたと思うが、開けてもらえるかな」
ランドローがインターホンのカメラに警察手帳を見せながら答えると、受話口の向こうで「ハア」とため息が聞こえ、インターホンが切れた。そのまま一、二分ほど待ったところで、玄関の扉が音を立てて開いた。出てきたのは五十代後半くらいの、眼鏡をかけた小太りの白人男性だった。あからさまに不機嫌な表情で、睨みつけるようにランドローを見ながら口を開く。
「捜査令状はあるのか?」
ランドローはジャケットのポケットから令状を取り出し、大家に渡した。
「ムッシュ・カネムラが殺人事件に巻き込まれたってのは本当なのかね?」
「昨夜も言ったが、遺体の特徴から被害者が彼である可能性が極めて高いんだ。はっきり断定するためにはDNA鑑定が必要になる。そのサンプルの採取と、手がかりの捜索のために、彼の部屋を調べさせてもらいたい」
ジュベールと呼ばれた大家は、「まいったな」と頭をかきながら呟いたが、
「他の住人に目立つようなことは、しないでくださいよ」
玄関の奥へと下がり、ランドローたちを中へ招き入れた。
そのまま上階へと続く階段を、大家と共に上がっていく。
「彼の部屋は、確か三階だったね?」
「ああ、でもここ一カ月くらいは、全然姿を見かけなかったよ」
「大家であるあなたや、ビルの管理員はそのことを不思議に感じなかったのかな?」
そう聞くと、大家は肩をすくめた。
「うちの場合、外国人に部屋を貸す時は、一年分の家賃を前払いしてもらう決まりでね。払ってくれさえすれば、住人が何ヵ月、家を空けようが文句は言わんし、干渉もしない。それにムッシュ・カネムラは仕事を退職して、パリで定年後の生活を送ってたんだろう? それなら数週間くらい旅行に出てもおかしくはないさ。少なくともフランス人ならそうするね」
「なるほど。ちなみに彼を訪ねにきた人間はいなかったかね?」
「さあ、知らんね。私も四六時中ここにいるわけじゃないからな」
話すうちに三階にたどり着くと、大家は廊下を通って突き当りのドアの前に立った。
「あまり長く時間をかけないでくださいよ」
「分かっているよ」
大家がポケットから鍵を取り出し、施錠を解いてドアを開くと、ランドローたちは中へと足を進めた。
部屋はごく普通の1DKで、白を基調としたシンプルな内装だった。玄関を入るとまずダイニングがあり、その向こうにはソファとガラステーブル、壁には薄型テレビが掛かっている。さらに奥の引き戸を開くと寝室があった。
「ずいぶん、すっきりしてますね」
ブスケがキッチンの冷蔵庫を開けながら言った。中を見ると、ミルクのボトルと冷凍のピザのほかにはバターなどの調味料しか入っていない。
部屋全体を見回しても、特に目立った汚れなどはないが、生活品の散らかりなどもなく、その清潔ぶりが生活感のなさを醸し出している。
「まあ、単身男の暮らしなんてそんなものさ。はとりあえず、ブスケはサンプルを回収してくれ。洗面所か浴室に毛髪が残っていれば、それがベストだ」
「分かりました」と言ってブスケはキッチン横の洗面室へ消えた。
ランドローは寝室の片隅にある机を調べてみた。引き出しを開けると、
パスポート、アルバム、筆記用具、ノートが一冊あった。ノートを手に取って開くと、フランス語の文章や単語が羅列されており、その横には日本語らしき文字の注釈が書かれてある。どうやら学習用に使われていたようだ。
続けてアルバムを開いてみると、妻や息子と思わしき人物と写っている写真や、旅行写真、白い制服を着こんで男たちと笑顔で並んでいる写真が複数入っている。これは自衛官時代のものだろう。
次にベッド脇のクローゼットをのぞいてみたが、衣装ケースやハンガーにかかっている数着のジャケットがあるだけで、こちらも質素な様相であった。足元には大きな紺色のスーツケースが二つあり、どちらもロックはかかっていなかったが、特筆すべき物は入っていなかった。
念のため、机の横の本棚も一通り調べたが、フランス語の教本や日本の小説などで特に怪しい物はなかった。
(それにしても、何かが足りない気がする――)
ランドローは改めて部屋を眺め、違和感の正体を探ろうとした。
「警部補、毛髪の採取が終わりました」
ブスケが小さなビニール袋を持って戻ってきた。
「ご苦労さん、洗面所は様子はどうだった?」
「被害者の物と思われる歯ブラシやヒゲソリなどがありましたが、特に怪しい点は見られません。警部補のほうはいかがです?」
「この寝室も整然としていて、一見不自然な点はないように思えるんだが、何かが欠けているような気がしてならなくてね。それが何なのか考えてるんだが…」
「先ほど、大家から聞いたんですが、カネムラは生活上のトラブルは特に起こしていないそうです。一度、部屋のインターネットが全くつながらないと苦情を言いにきたくらいで…」
その言葉に、はっとランドローが反応した。
「そうか」
「どうしたんです?」
「違和感の正体さ。パソコンだよ。カネムラは日本の友人とメールでやりとりしていたとマドモアゼル・ユウキが言っていただろう。メールだけならスマートフォンでも可能だが、彼の年齢を考えると、パソコンのほうが慣れ親しんでると思ってね。ネット環境の苦情を言ったということは、やはり持っていたはずだ。それが、この部屋にはない」
「カネムラが、持ち出したということでは?」
「これから自殺をしようとする人間が、わざわざそんなことをするかね」
「それは…考えにくいと思います」
「だが他殺であれば、一つの可能性が浮かび上がる。カネムラを殺害した犯人がこの部屋に侵入し、何らかの理由でパソコンを持ち去ったんだ」
「そうなると、カネムラの部屋の鍵は、犯人が殺害時に奪ったことになりますね」
「ブスケ、急いで大家を含むアパルトマンの住人全員に聞き込みをしよう。ここ一、二週間の間に見慣れない人物が屋内にいなかったか確認するんだ」
3
ランドローたちがパリへ発った同日、結城とファビエは街でレンタカーを借り、事件が起きたボート保管所へと足を運んでいた。
警察によると、現場検証はすでに終わっているとのことで、二人が到着した時には警官の姿もなく、保管所は通常通りに営業していた。
「本当に乗る気なのかい?」
ファビエは、レンタカーの運転席を降りながら言った。
「ええ。被害者の足跡を可能な限りたどるのが、私のやり方なので」
同じく助手席から降りた結城が、辺りを見回しながら答える。
「船を出してくれる方を見つけてくれたんですよね?」
「僕が、というよりランドロー警部補がね。パリへ出発する前に無理やり頼み込んだから、かなり嫌そうな顔をされたよ。あとでよく感謝しておいたほうがいいね」
「そうします。それで、その方はどちらに?」
「あそこに立っている男が、そうじゃないのかな」
ファビエが指差した方向にはボート倉庫があり、その扉の前に立っている六十代くらいの茶髪の男が、こちらを見ているのが分かった。
「聞いてみましょう」
結城たちが男のそばへ行ってみると、向こうから尋ねてきた。
「君たちが、ドミニクの言っていた船に乗りたいって人たちかね?」
「ドミニク?」と結城が聞き返すと、
「ランドロー警部補の名前だよ。俺は、彼の叔父のガストンだ。よろしく」
差し出された手に、結城とファビエがそれぞれ握手で返す。
「本日は、急なお願いで申し訳ありません」
結城がお辞儀をして礼をした。
「かまわんよ。俺も定年退職して、今は暇でね。趣味のボート釣りに明け暮れる毎日だ。ちょうど、今日も繰り出そうと思ってたところさ」
「恐縮です。それで早速、出発したいのですが…」
「もう、船の準備はできてる。こっちだ」
ガストンが案内した先は船を進水させるスロープで、そこに小型クルーザーが停泊してあった。
結城とファビエがクルーザーに乗り込むと、ガストンは操縦席の装置を作動させ、船を出航させた。
「ロワール川を上る形で、進めばいいんだな?」
ガストンが聞いてきた。
「ええ、ナント市の中心を通り抜けるようにお願いします」
4
市の西外れにある保管所を出発したクルーザーは、逆方向の東をゆっくりと進んでいく。
午後二時を回った今日の天気は快晴で、川の流れも穏やかであった。
結城は船尾側甲板の座席に座りながら、周囲の眺めをぐるりと見渡してみた。
川幅は、おおよそ二百メートルくらいだろうか。両岸には近代的なオフィスビルや工場、散歩道や住宅街など多様な風景が広がる。
高い木々やオスマン様式のアパルトマンばかりの、どちらかと言えば画一的な風景が続くセーヌ川からの眺めとは、ある意味で対照的に感じられた。
このあたりは、街の景観を重視した都市計画が立てられたパリと、十九世紀に入り急速に工業都市化したナントの歴史の違いだろう。
航行の途中ではクルーザーから貨物船まで、大小様々な船とすれ違ったが、取り分け目を引いたのは「NAVIBUS」と書かれた中型の船だった。ガストンの話では、一般市民が移動用に使う、いわゆる公共の水上バスらしい。
「それで、ご感想は?」
隣に座っているファビエが声をかけてきた。
「想像していたよりも広い運河という印象ですね。ヒトやモノの移動という意味で、重要な役割を担っているのが見てとれます。この街は、まさにロワール川と共に発展してきたんですね」
「ロワール川だけじゃなくて、エルドル川とかマドレーヌ川など、いろんな川が合流しているらしい。それによって、運河だけじゃなく大小の水路も形成されている。だから昔から、この街は『西のヴェネツィア』って呼ばれてたんだぜ」
結城の感想に応えたのは、操縦席にいるガストンだった。
「これだけ広い上に、水路まで存在するとなると、犯人が死体を遺棄したポイントを特定するのは、とても困難に思えますね」
「そもそも、犯人は本当にここで遺棄したのかね? 例えばもっと上流で死体を捨てたかもしれないじゃないか」
ファビエの意見に、結城は首を横に振った。
「その可能性は極めて低いと思います」
「なぜ?」
「私も昨日調べて分かったんですが、ロワール川の水深は、都市部をのぞくと、とても浅いそうです。平均で一・五メートル、場所によっては三十センチ程度で、船は通れず、人が歩いて渡れるくらいだとか。そうなると、もしここより上流で遺棄したとしても、死体は川底に引っ掛かり、ナントの西外れで発見されることはなかったでしょう」
「なるほどね」
「…それにしても、犯人はなぜ川を選んだんでしょうか」
つぶやくような結城の疑問に、ファビエはいぶかしげな表情を作った。
「どういうことだい?」
「人が人を殺す時、最も頭を悩ませるのが死体の処理です。殺人犯にしてみれば、死体が発見されてしまうのは絶対に避けたいはずで、それだけに死体を遺棄する場所の選択には慎重にならざるを得ません」
「まあ、普通に考えれば、そうだろうね」
「近年、日本で起きた殺人事件で言うと二つのパターンがあります。一つは犯人が自分の家に隠しておく。一見すると、この方法が一番安全に思えますが、死体はやがて腐乱して異臭を放つので近隣に気づかれる可能性がある。だから極端な例では死体を自宅内でバラバラにして、ゴミとして捨てた者もいました」
そこまで言うと、ファビエは顔をしかめた。女性との会話としては、内容が陰惨すぎると思っているのかもしれない。
「もう一つは、やはり死体を解体したうえで山や海に遺棄するケースです。どうせ処分するなら、なるべく自分の環境から遠く離れた場所へ捨てたいという心理が働くのでしょうね」
「犯罪心理学としては興味深いね。だが、そのことが川に遺棄された今回の件と、どう結びつくんだい?」
「今言った二つのパターンに比べると、死体を徹底的に隠ぺいしようとする意志が弱いように思えるんですよ」
結城は改めて周囲を見回した。
「確かに川に沈めるというのは、発見されにくい方法に見えます。ですが郊外の川ならいざ知らず、ここは街の中心を流れる運河です。こうして眺めると分かりますが、見晴らしがよく、両岸の様子もよく見える。人や船の往来も盛んです。おそらく犯行は夜に行われたのでしょう。それでも大人の男性の、解体もされていない死体を運ぶとなれば手間がかかりますし、誰かに見られるリスクも相応にあると思います」
「だが、今のところ犯人の目撃情報はない。ということは、犯行はうまくいったということじゃないのか?」
ファビエの反論に、結城は素直に頷いた。
「その通りです。結果的に死体は発見されてしまいましたが、犯行そのものは見られずに済みました。ただ、私が問題にしたいのは、なぜ、犯人があえてリスクの高い場所を選んだかということなんです」
「それで、君はなぜだと思うんだ?」
「可能性の一つは単純に、犯人が思慮の浅い人物だからです。行き当たりばったりの犯行で、リスクを計算に入れていなかった」
「それじゃ、推理とは言えないんじゃないかね?」
ファビエは苦笑したが、結城は構わず続けた。
「もう一つ考えられます。犯人には、被害者を殺害してから死体を処理するまでの時間的余裕がなかったんです。死体を解体したり、人里離れた場所へ運ぶ時間がなかった。だから街中の川へ遺棄するという、中途半端な方法を選択せざるを得なかったんです」
「なぜ、時間がなかったんだ?」
「そこまでは分かりません。ただ、そう考えると犯行現場は犯人の自宅ではなかったのかもしれません。自分の家なら、もう少し慎重になるでしょうから」
「うーん…」
ファビエは腕組みをしながら、難しい表情を浮かべて天を仰いだ。
「まあ、言わんとすることは分かったが、犯人像のプロファイリングとしては、まだ漠然としすぎている気がするな」
「そうですね。今の段階では単なる『点』 です。けれど、この後いくつもの『点』を探し出して、それらを結び、『線』にしていけば具体的な犯人像が浮かび上がると思います」
「ふむ…しかし犯人像に関しては、もう一つ可能性があるぞ」
「何です?」
「被害者のカネムラ自身さ。やはり自殺だったということだよ。もしそうなら、君の推理はすべて的外れということになる」
「確かに、そうですね」
結城は苦笑して、遠くを見つめるような表情を浮かべた。
「そのあたりは、ランドロー警部補が、パリの金村さんの自宅を調べることで、はっきりしてくるでしょう。それと今頃、日本にいる私の同僚が、金村さんの息子さんに話を聞きに行っています。彼からも、何か重要な手がかりを得られることを期待しましょう」
「話が盛り上がってるところ悪いが、そろそろ引き返すかね?」
操縦席のガストンが尋ねてきた。
気づけば、船はすでに街の東外れに差し掛かろうとしていた。
「ええ、もう十分です。ありがとうございます」
船がゆっくりと旋回し、元来た航路を戻っていく。
ふと腕時計を見ると、午後三時を回ろうとしていた。かれこれ一時間近く、クルージングしていたことになる。
日本との時差は八時間なので、日本は現在夜の十一時近くだ。今朝がた連絡してきた佐伯の話によれば、神崎が明日の朝一番で、金村の息子の所在地へ向かうことになっている。
神崎とランドローの調査結果次第で、次の自分の行動が決まるだろう。
(とにかく、今は彼らの報告を待つしかないか)
日に照らされて輝く水面を見ながら、結城はパリと東京に思いを馳せた。
午後三時三十六分。フランス国鉄が運行する高速鉄道TGVのナント発パリ行き便は定刻より約三十分遅れでモンパルナス駅に到着した。
行き止まりの頭端式ホーム三番線に車両が停車し、ドアが開くと、ランドロー警部補は大きく息を吐いてホームに降り立った。左右を見ると、同じく降車した大勢の乗客たちが北側の出口に向かって歩いている。
「思ったより、遅れずに到着できましたね」
ランドローの後に続いて降りたブスケ刑事が声をかけた。
「そうだな。大統領選挙が近いこともあって、国鉄のストライキが心配だったが、少なくとも今日は通常通りの運行でよかったよ」
来月の大統領選挙で、大きな争点の一つとなっている国鉄の改革が労組の反発を呼んでおり、大規模なストライキの決行が懸念されていたのだ。この国では業界を問わず、労働者の権利保護のためのストは珍しくないが、今回は国鉄職員の優遇措置を撤廃する抜本的な制度改革を推進する候補者が、世論調査で支持を得ていることもあり、フランス各地で抗議デモが開かれるほど緊迫する事態となっている。
「警部補は、パリは久しぶりなんですか?」
「ああ。前回、訪れたのは三年ほど前だ。やはり事件の捜査でね。プライベートでは、あまり来ようとは思わないな」
「パリがお嫌いなんですか」
「パリが、というよりパリ市民が苦手なんだ。彼らは態度がそっけないし、愛想もよくない。いつも何かに追われるように、忙しく動いていて、ゆとりが感じられない。大都会に暮らすと自然にそうなるのかもしれないが、我々のような地方からの人間を見下すような目で見るのは、あまり愉快ではないね」
「それは、警部補が会った方が、たまたまそういう人だったんじゃないですか?」
ブスケが笑いながら言った。
「そうかもしれん。いずれにせよ、あまり長居したい街とは思わないよ。さっさと目的地に向かうとしよう」
ランドローは移動する乗客たちの流れに加わって、出口へと向かっていった。
昨日、日本から来た結城杏子という探偵がもたらした情報によって、ランドローの担当する事件は大きく進捗した。不明だった被害者の身元が、金村良純という日本人男性である可能性が極めて高いこと。さらに金村は死亡直前までパリに在住しており、その住所も判明した。
いずれも、事件解決への大きな手掛かりになりそうだが、ランドローにとって、一つ想定外だったのは結城杏子が捜査への協力を申し出たことだ。いくら元警察官とは言え、フランスでは、あくまで観光客に過ぎない外国人に勝手に現場を動き回られるのは、はなはだ迷惑である。まして、昨日会ったばかりの人間に捜査情報や証拠を提供するなど、下手をすれば服務規程に抵触する行為だ。上司であるガルニエ警部の要請がなければ、とても承服できなかっただろう。
(国際探偵協会だか何だか知らんが、面倒な連中をよこしてくれたもんだ――)
ランドローは心の中で愚痴を呟いた。
結城杏子の存在は気がかりではあるが、現時点で捜査課が彼女の行動を制限できる余地はない。とりあえずは、同行しているファビエに監視を任せるしかないだろう。今は金村の住所を調べることが先決だ。
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モンパルナス駅を出たランドローたちは、駅前でタクシーを拾うことにした。目指す目的地は十一区のバスティーユ広場である。
疾走する車内から外の景色を見ると、やはりナントと同じく街中が選挙ムードに包まれている印象を受ける。バス停やビルの広告スペースには候補者のポスターが貼られているが、落書きで汚れているものも多い。
今回の大統領選挙は中道右派、極右、左派政党の候補者による三つ巴の混戦状態だが、現時点では左派政党の新進社会党が世論調査で一歩リードしていると言われる。
中道右派は国鉄改革の推進で、極右は国内で相次ぐテロ事件に便乗して移民排斥など人種差別的な政策を訴えている点で、それぞれ不支持層を抱えているのに対し、新進社会党は主に福祉拡張や所得分配など労働者受けする政策を重点的に打ち出したことが功を奏している。
ランドローも昔から新進社会党の支持者で、今回の選挙でも同党に投票するつもりだ。第一回投票は十日後に迫っている。
五区の高級商店街と言われるサンジェルマン大通りを抜けると、タクシーはセーヌ川に架かるシュリー橋を渡り始めた。川の中州であるサン・ルイ島の右端をかすめる形で右岸へとつながっている橋で、橋上からは遠方にあるノートルダム大聖堂が視界に入る。
「ロワール川より幅が狭いですね」
ブスケがセーヌ川を見ながら呟いた。
「パリのほうが建物が密集しているせいか、余計に狭く感じるな。その分、観光名所と一緒に収まって絵になる風景だとは思うがね」
橋を抜けて、そのまま大通りをまっすぐ進むとバスティーユ広場が見えてきた。
中世の時代、この場所にはパリの防衛拠点であるバスティーユ要塞が建てられた。要塞はその後、政治犯などを収容する牢獄として改造され、フランス革命時には怒りに燃えた民衆により、圧制の象徴として襲撃の対象となった。
現在の広場は、中央に十九世紀の七月革命を記念する柱のオブジェがそびえ立っており、その周囲を自動車が円形に通行するラウンドアバウトとなっている。
ランドローはラウンドアバウトの一角にタクシーを停車するよう運転手に頼んだ。
タクシーを降りて、放射線状に分かれた道の一つに入っていく。この辺りはどうやら繁華街のようで、通りにはカフェやレストラン、個人経営の店などが軒を連ねているが、平日だからか人通りはさほど多くない。
道なりに少し歩いたところで、
「どうやら、ここですね」
スマートフォンで地図を確認していたブスケが、歩を止めて目の前のビルを見上げた。パリではごく普通と言える、白塗り四階建てのアパルトマンである。
ランドローが玄関横にあるブザーを鳴らすと、野太い男の声が応答した。
「どちら様かね?」
「ナント中央署のランドローだ。大家のジュベールさんだね? 昨夜、お宅のところに事件の捜査協力で連絡を入れたと思うが、開けてもらえるかな」
ランドローがインターホンのカメラに警察手帳を見せながら答えると、受話口の向こうで「ハア」とため息が聞こえ、インターホンが切れた。そのまま一、二分ほど待ったところで、玄関の扉が音を立てて開いた。出てきたのは五十代後半くらいの、眼鏡をかけた小太りの白人男性だった。あからさまに不機嫌な表情で、睨みつけるようにランドローを見ながら口を開く。
「捜査令状はあるのか?」
ランドローはジャケットのポケットから令状を取り出し、大家に渡した。
「ムッシュ・カネムラが殺人事件に巻き込まれたってのは本当なのかね?」
「昨夜も言ったが、遺体の特徴から被害者が彼である可能性が極めて高いんだ。はっきり断定するためにはDNA鑑定が必要になる。そのサンプルの採取と、手がかりの捜索のために、彼の部屋を調べさせてもらいたい」
ジュベールと呼ばれた大家は、「まいったな」と頭をかきながら呟いたが、
「他の住人に目立つようなことは、しないでくださいよ」
玄関の奥へと下がり、ランドローたちを中へ招き入れた。
そのまま上階へと続く階段を、大家と共に上がっていく。
「彼の部屋は、確か三階だったね?」
「ああ、でもここ一カ月くらいは、全然姿を見かけなかったよ」
「大家であるあなたや、ビルの管理員はそのことを不思議に感じなかったのかな?」
そう聞くと、大家は肩をすくめた。
「うちの場合、外国人に部屋を貸す時は、一年分の家賃を前払いしてもらう決まりでね。払ってくれさえすれば、住人が何ヵ月、家を空けようが文句は言わんし、干渉もしない。それにムッシュ・カネムラは仕事を退職して、パリで定年後の生活を送ってたんだろう? それなら数週間くらい旅行に出てもおかしくはないさ。少なくともフランス人ならそうするね」
「なるほど。ちなみに彼を訪ねにきた人間はいなかったかね?」
「さあ、知らんね。私も四六時中ここにいるわけじゃないからな」
話すうちに三階にたどり着くと、大家は廊下を通って突き当りのドアの前に立った。
「あまり長く時間をかけないでくださいよ」
「分かっているよ」
大家がポケットから鍵を取り出し、施錠を解いてドアを開くと、ランドローたちは中へと足を進めた。
部屋はごく普通の1DKで、白を基調としたシンプルな内装だった。玄関を入るとまずダイニングがあり、その向こうにはソファとガラステーブル、壁には薄型テレビが掛かっている。さらに奥の引き戸を開くと寝室があった。
「ずいぶん、すっきりしてますね」
ブスケがキッチンの冷蔵庫を開けながら言った。中を見ると、ミルクのボトルと冷凍のピザのほかにはバターなどの調味料しか入っていない。
部屋全体を見回しても、特に目立った汚れなどはないが、生活品の散らかりなどもなく、その清潔ぶりが生活感のなさを醸し出している。
「まあ、単身男の暮らしなんてそんなものさ。はとりあえず、ブスケはサンプルを回収してくれ。洗面所か浴室に毛髪が残っていれば、それがベストだ」
「分かりました」と言ってブスケはキッチン横の洗面室へ消えた。
ランドローは寝室の片隅にある机を調べてみた。引き出しを開けると、
パスポート、アルバム、筆記用具、ノートが一冊あった。ノートを手に取って開くと、フランス語の文章や単語が羅列されており、その横には日本語らしき文字の注釈が書かれてある。どうやら学習用に使われていたようだ。
続けてアルバムを開いてみると、妻や息子と思わしき人物と写っている写真や、旅行写真、白い制服を着こんで男たちと笑顔で並んでいる写真が複数入っている。これは自衛官時代のものだろう。
次にベッド脇のクローゼットをのぞいてみたが、衣装ケースやハンガーにかかっている数着のジャケットがあるだけで、こちらも質素な様相であった。足元には大きな紺色のスーツケースが二つあり、どちらもロックはかかっていなかったが、特筆すべき物は入っていなかった。
念のため、机の横の本棚も一通り調べたが、フランス語の教本や日本の小説などで特に怪しい物はなかった。
(それにしても、何かが足りない気がする――)
ランドローは改めて部屋を眺め、違和感の正体を探ろうとした。
「警部補、毛髪の採取が終わりました」
ブスケが小さなビニール袋を持って戻ってきた。
「ご苦労さん、洗面所は様子はどうだった?」
「被害者の物と思われる歯ブラシやヒゲソリなどがありましたが、特に怪しい点は見られません。警部補のほうはいかがです?」
「この寝室も整然としていて、一見不自然な点はないように思えるんだが、何かが欠けているような気がしてならなくてね。それが何なのか考えてるんだが…」
「先ほど、大家から聞いたんですが、カネムラは生活上のトラブルは特に起こしていないそうです。一度、部屋のインターネットが全くつながらないと苦情を言いにきたくらいで…」
その言葉に、はっとランドローが反応した。
「そうか」
「どうしたんです?」
「違和感の正体さ。パソコンだよ。カネムラは日本の友人とメールでやりとりしていたとマドモアゼル・ユウキが言っていただろう。メールだけならスマートフォンでも可能だが、彼の年齢を考えると、パソコンのほうが慣れ親しんでると思ってね。ネット環境の苦情を言ったということは、やはり持っていたはずだ。それが、この部屋にはない」
「カネムラが、持ち出したということでは?」
「これから自殺をしようとする人間が、わざわざそんなことをするかね」
「それは…考えにくいと思います」
「だが他殺であれば、一つの可能性が浮かび上がる。カネムラを殺害した犯人がこの部屋に侵入し、何らかの理由でパソコンを持ち去ったんだ」
「そうなると、カネムラの部屋の鍵は、犯人が殺害時に奪ったことになりますね」
「ブスケ、急いで大家を含むアパルトマンの住人全員に聞き込みをしよう。ここ一、二週間の間に見慣れない人物が屋内にいなかったか確認するんだ」
3
ランドローたちがパリへ発った同日、結城とファビエは街でレンタカーを借り、事件が起きたボート保管所へと足を運んでいた。
警察によると、現場検証はすでに終わっているとのことで、二人が到着した時には警官の姿もなく、保管所は通常通りに営業していた。
「本当に乗る気なのかい?」
ファビエは、レンタカーの運転席を降りながら言った。
「ええ。被害者の足跡を可能な限りたどるのが、私のやり方なので」
同じく助手席から降りた結城が、辺りを見回しながら答える。
「船を出してくれる方を見つけてくれたんですよね?」
「僕が、というよりランドロー警部補がね。パリへ出発する前に無理やり頼み込んだから、かなり嫌そうな顔をされたよ。あとでよく感謝しておいたほうがいいね」
「そうします。それで、その方はどちらに?」
「あそこに立っている男が、そうじゃないのかな」
ファビエが指差した方向にはボート倉庫があり、その扉の前に立っている六十代くらいの茶髪の男が、こちらを見ているのが分かった。
「聞いてみましょう」
結城たちが男のそばへ行ってみると、向こうから尋ねてきた。
「君たちが、ドミニクの言っていた船に乗りたいって人たちかね?」
「ドミニク?」と結城が聞き返すと、
「ランドロー警部補の名前だよ。俺は、彼の叔父のガストンだ。よろしく」
差し出された手に、結城とファビエがそれぞれ握手で返す。
「本日は、急なお願いで申し訳ありません」
結城がお辞儀をして礼をした。
「かまわんよ。俺も定年退職して、今は暇でね。趣味のボート釣りに明け暮れる毎日だ。ちょうど、今日も繰り出そうと思ってたところさ」
「恐縮です。それで早速、出発したいのですが…」
「もう、船の準備はできてる。こっちだ」
ガストンが案内した先は船を進水させるスロープで、そこに小型クルーザーが停泊してあった。
結城とファビエがクルーザーに乗り込むと、ガストンは操縦席の装置を作動させ、船を出航させた。
「ロワール川を上る形で、進めばいいんだな?」
ガストンが聞いてきた。
「ええ、ナント市の中心を通り抜けるようにお願いします」
4
市の西外れにある保管所を出発したクルーザーは、逆方向の東をゆっくりと進んでいく。
午後二時を回った今日の天気は快晴で、川の流れも穏やかであった。
結城は船尾側甲板の座席に座りながら、周囲の眺めをぐるりと見渡してみた。
川幅は、おおよそ二百メートルくらいだろうか。両岸には近代的なオフィスビルや工場、散歩道や住宅街など多様な風景が広がる。
高い木々やオスマン様式のアパルトマンばかりの、どちらかと言えば画一的な風景が続くセーヌ川からの眺めとは、ある意味で対照的に感じられた。
このあたりは、街の景観を重視した都市計画が立てられたパリと、十九世紀に入り急速に工業都市化したナントの歴史の違いだろう。
航行の途中ではクルーザーから貨物船まで、大小様々な船とすれ違ったが、取り分け目を引いたのは「NAVIBUS」と書かれた中型の船だった。ガストンの話では、一般市民が移動用に使う、いわゆる公共の水上バスらしい。
「それで、ご感想は?」
隣に座っているファビエが声をかけてきた。
「想像していたよりも広い運河という印象ですね。ヒトやモノの移動という意味で、重要な役割を担っているのが見てとれます。この街は、まさにロワール川と共に発展してきたんですね」
「ロワール川だけじゃなくて、エルドル川とかマドレーヌ川など、いろんな川が合流しているらしい。それによって、運河だけじゃなく大小の水路も形成されている。だから昔から、この街は『西のヴェネツィア』って呼ばれてたんだぜ」
結城の感想に応えたのは、操縦席にいるガストンだった。
「これだけ広い上に、水路まで存在するとなると、犯人が死体を遺棄したポイントを特定するのは、とても困難に思えますね」
「そもそも、犯人は本当にここで遺棄したのかね? 例えばもっと上流で死体を捨てたかもしれないじゃないか」
ファビエの意見に、結城は首を横に振った。
「その可能性は極めて低いと思います」
「なぜ?」
「私も昨日調べて分かったんですが、ロワール川の水深は、都市部をのぞくと、とても浅いそうです。平均で一・五メートル、場所によっては三十センチ程度で、船は通れず、人が歩いて渡れるくらいだとか。そうなると、もしここより上流で遺棄したとしても、死体は川底に引っ掛かり、ナントの西外れで発見されることはなかったでしょう」
「なるほどね」
「…それにしても、犯人はなぜ川を選んだんでしょうか」
つぶやくような結城の疑問に、ファビエはいぶかしげな表情を作った。
「どういうことだい?」
「人が人を殺す時、最も頭を悩ませるのが死体の処理です。殺人犯にしてみれば、死体が発見されてしまうのは絶対に避けたいはずで、それだけに死体を遺棄する場所の選択には慎重にならざるを得ません」
「まあ、普通に考えれば、そうだろうね」
「近年、日本で起きた殺人事件で言うと二つのパターンがあります。一つは犯人が自分の家に隠しておく。一見すると、この方法が一番安全に思えますが、死体はやがて腐乱して異臭を放つので近隣に気づかれる可能性がある。だから極端な例では死体を自宅内でバラバラにして、ゴミとして捨てた者もいました」
そこまで言うと、ファビエは顔をしかめた。女性との会話としては、内容が陰惨すぎると思っているのかもしれない。
「もう一つは、やはり死体を解体したうえで山や海に遺棄するケースです。どうせ処分するなら、なるべく自分の環境から遠く離れた場所へ捨てたいという心理が働くのでしょうね」
「犯罪心理学としては興味深いね。だが、そのことが川に遺棄された今回の件と、どう結びつくんだい?」
「今言った二つのパターンに比べると、死体を徹底的に隠ぺいしようとする意志が弱いように思えるんですよ」
結城は改めて周囲を見回した。
「確かに川に沈めるというのは、発見されにくい方法に見えます。ですが郊外の川ならいざ知らず、ここは街の中心を流れる運河です。こうして眺めると分かりますが、見晴らしがよく、両岸の様子もよく見える。人や船の往来も盛んです。おそらく犯行は夜に行われたのでしょう。それでも大人の男性の、解体もされていない死体を運ぶとなれば手間がかかりますし、誰かに見られるリスクも相応にあると思います」
「だが、今のところ犯人の目撃情報はない。ということは、犯行はうまくいったということじゃないのか?」
ファビエの反論に、結城は素直に頷いた。
「その通りです。結果的に死体は発見されてしまいましたが、犯行そのものは見られずに済みました。ただ、私が問題にしたいのは、なぜ、犯人があえてリスクの高い場所を選んだかということなんです」
「それで、君はなぜだと思うんだ?」
「可能性の一つは単純に、犯人が思慮の浅い人物だからです。行き当たりばったりの犯行で、リスクを計算に入れていなかった」
「それじゃ、推理とは言えないんじゃないかね?」
ファビエは苦笑したが、結城は構わず続けた。
「もう一つ考えられます。犯人には、被害者を殺害してから死体を処理するまでの時間的余裕がなかったんです。死体を解体したり、人里離れた場所へ運ぶ時間がなかった。だから街中の川へ遺棄するという、中途半端な方法を選択せざるを得なかったんです」
「なぜ、時間がなかったんだ?」
「そこまでは分かりません。ただ、そう考えると犯行現場は犯人の自宅ではなかったのかもしれません。自分の家なら、もう少し慎重になるでしょうから」
「うーん…」
ファビエは腕組みをしながら、難しい表情を浮かべて天を仰いだ。
「まあ、言わんとすることは分かったが、犯人像のプロファイリングとしては、まだ漠然としすぎている気がするな」
「そうですね。今の段階では単なる『点』 です。けれど、この後いくつもの『点』を探し出して、それらを結び、『線』にしていけば具体的な犯人像が浮かび上がると思います」
「ふむ…しかし犯人像に関しては、もう一つ可能性があるぞ」
「何です?」
「被害者のカネムラ自身さ。やはり自殺だったということだよ。もしそうなら、君の推理はすべて的外れということになる」
「確かに、そうですね」
結城は苦笑して、遠くを見つめるような表情を浮かべた。
「そのあたりは、ランドロー警部補が、パリの金村さんの自宅を調べることで、はっきりしてくるでしょう。それと今頃、日本にいる私の同僚が、金村さんの息子さんに話を聞きに行っています。彼からも、何か重要な手がかりを得られることを期待しましょう」
「話が盛り上がってるところ悪いが、そろそろ引き返すかね?」
操縦席のガストンが尋ねてきた。
気づけば、船はすでに街の東外れに差し掛かろうとしていた。
「ええ、もう十分です。ありがとうございます」
船がゆっくりと旋回し、元来た航路を戻っていく。
ふと腕時計を見ると、午後三時を回ろうとしていた。かれこれ一時間近く、クルージングしていたことになる。
日本との時差は八時間なので、日本は現在夜の十一時近くだ。今朝がた連絡してきた佐伯の話によれば、神崎が明日の朝一番で、金村の息子の所在地へ向かうことになっている。
神崎とランドローの調査結果次第で、次の自分の行動が決まるだろう。
(とにかく、今は彼らの報告を待つしかないか)
日に照らされて輝く水面を見ながら、結城はパリと東京に思いを馳せた。
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