驚愕

かじ たかし

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 今年の5月は暑く日差しの強い日が多く、車好きな夏は週に2度は洗車をしていた為その肌もこんがりと黒味を帯びていた。楓とゆう女に出会った面接から、はや1週間が経とうとしていた。夏はこれまで3年近く勤めた販売業を辞め、有給消化で一ヶ月は働かなくて済んでいる。がもう残り10日を切っている。働き出さなくては生きていけない。焦る気持ちとは裏腹にこの退屈な日々に満足をしかけている。そんな時電話が鳴り合格を知らされ、6月から勤務があっさりと決定した。

 6:30に起床する。暫く目覚ましを掛けた事もない夏にとって、早すぎる行動だ。タオルとTシャツの着替えだけを鞄にも入れず颯爽と家を飛び出し、グロリアに乗り込んだ。
朝の臨海線は混雑している。電車でゆう所の通勤ラッシュだ。今日から勤務だが全然気乗りしないまま工場に到着した。警備員に誘導され駐車場ではなく、働く工場の横に路駐してくれとの事だった。どうやら事務所の前の駐車場は役職人だけが停めるスペースらしい。建物の中に入ると面接で顔を合わせらと思われる、何人かが固まって座っていた。
そこには胸をときめかした楓の姿も見受けられ、勝手に緊張する。が向こうはそんな気持ちも知らずこちらに目もくれない。誰も知人ではないようで会話もないまま、夏も部屋の端で俯いていた。スーツに作業着を羽織った男性が入ってきて、男女別々に更衣室へ案内するらしくその部屋を後にした。二階に上がる階段の手前のスペースにタイムカードがあり、それぞれ名前の書かれたカードを機械に差し込んでから階段を昇る。ロッカーがいくつも並んだだけの殺風景な更衣室だった。ここでも自分の名前があるロッカーに作業着が用意されているらしく、早速着替えてもう1度一階に集合してくれと告げられる。

 着替えを終え一階に集合した後、各班に割り振りされる。この工場では夏場に向けてエアコンを作成している。それぞれラインがあるらしく、先程の班分けはそれを意味するようだ。夏は内部の電気回路を作成する各ラインの中でも1番細かい作業に就くことになった。5人が同じラインに選ばれたが、女っ気はなくただでさえ暑いのに、それに輪をかけるかのようにむさ苦しい男だけだった。お望みの楓はどうやら塗装ラインらしい。
落ち込んでいるのもお構いなしに大広場へと移動させられ、簡単な自己紹介をさせられる。8時25分。ラジオ体操が始まる。気乗りしないまま先の見えない1日が幕を開けた。

 各作業場に移動して班長たる者が挨拶をし、作業内容が伝えられる。どうやらこのラインには既存の社員はいないらしく、先日の面接メンバーだけのようだ。いわゆる特別に設けられたライン。よくよく思い出せば短期アルバイト募集に応募したのだった。
ここでもう1度自己紹介をする。
夏の他には小島、佐藤、大国、中家の30前後と見られる陰気臭そうな奴の集まりだった。どうやら時間にかなり追われているらしく、早速作業に取り掛かるよう指示される。サンプルを予め作成しており、それを見て同じ物を作る。細かい金属パーツをこれまた小さなビスをインパクトで留めていき、配線を絡めてその上にビニールパイプのカバーを被せる。同じ物を指定された数を作成する。ホワイトボードに書き込まれたスケジュールにノルマが書いてある。
「なんて単純な作業だ」夏は独りごちた。

 何処からかチャイムが鳴り、班長が戻って来た。
「作業を止めて休憩に入ります」
11時45分。タイムカードのある横の階段を登り、大広間へと案内される。
「今日は全員分弁当を注文してあります。1日200円で注文する人は朝1番にタイムカードの裏にチェックをしてくれ、それから席は決まってない。味噌汁も前の机にあるので自分で取ってくれ」班長が言い放ちお偉い方の集まる席に腰を下ろした。
仕方なく同じラインメンバーで席を陣取る形になった。やはり何の会話も起きない。とゆうより鼻からそんな気等毛頭ない。暇を持て余した夏は室内を見回す。楓の姿を発見した。化粧をきちんとしていないが、こんなむさ苦しい工場には不釣り合いな程、整った顔立ちだ。と思った。
飯を食い終えた佐藤が弁当箱の蓋を閉じながら口を開いた。
「この中に煙草吸われる方いますか」
「俺吸いますよ」と夏。
どうやら他の3人は吸わないらしい。
「 そうなんですね。一緒に行きません?なんか1人だと心細いんで」私は人見知りですよと言わんばかりに照れながら佐藤は言った。
「いいっすよ。こんな部屋だと息苦しいし」
息苦しいのは本音だが実は1人でゆっくりしたいとゆう言葉を掻き消して言った。

 1階のラジオ体操をする大広間の一画に、喫煙スペースが設けられていた。
喫煙所にはまだ誰も居らず、夏と佐藤の2人だった。何か会話をしないといけないな。とお互い思っているのだろう、先陣を切るかのように佐藤が口を開く。
「男ばっかりですね、ただでさえ熱気が篭る室内なのに。ちょっとしたおばさんでも綺麗に見えません?」
開口1番が女の話と来たか。とまんざらでもなさそうに夏が答える。
「それは言えてますね。佐藤さんは彼女とかいないんですか?」これといって興味はないが会話を途切れさせるのも躊躇われたので、一応聞いてみた。
「いやいやいないですよ。僕なんて見た目もこんなだし、小日向君は整った顔立ちだしモテるでしょ」佐藤は大袈裟に手を振り顔を綻ばせ答える。
「全然ですよ。どうも人見知りなもんですから、男の人は勿論の事女の人に至っては到底無理です」苦笑いをしながら夏は答えた。
そんな他愛のない話をしていると扉が開く音が聞こえ目を遣る。3人が入って来て全員が女だった上に楓の姿を確認した。お互い軽く会釈を交わす。楓の方は面接会場で顔を合わした事など、覚えていないだろう。すっと自分の前を通り過ぎ、奥の席に座って内容のない話をしている。
楓が同じ室内に来た瞬間から、佐藤の事等頭の片隅にもなかった。ちらちらと楓のいる側に目を遣る。あまり長い間見ているのも気が惹ける。何度か目が合う、その度携帯に視線を逸らす。それを何度か繰り返した。
「小日向君、僕トイレ行ってからそのままラインに戻ります。お先です」灰皿で煙草を消しながら佐藤が言った。
佐藤を自分の視界に入れてなくて、驚いて夏は答える。
「わかりました。お疲れ様です」
佐藤が扉を開けて出て行くのとほぼ同時に女達も腰を上げ出て行こうとする。が楓だけはまだ残っているようだ。
あたかも周りが自分の声を聞いてるのだろうかと思えるくらい、空気を読んでの行動に1人焦る夏。密室に2人きりになって勝手に舞い上がる。遂に女2人も出ていった。
何か会話でもしなければ。と手は汗でベタついている。
楓が夏を見て口を開く。
「エレベーターでお会いした方ですよね。間違ってたらごめんなさい」
まさか覚えているとは微塵も思わなかった夏は、空調の行き届いている部屋で額に汗の粒を浮かべ答える。
「そうですそうです。覚えてくれてたんですか、嬉しいです」うんうんと首を縦に振りながら言った。
「お名前教えてもらってもいいですか」
安堵した顔を浮かべ楓が続けた。
「小日向 夏です、響野 楓さんですよね?面接の時用紙が目に入ったもので、すんません」頭を掻きながら許しを乞うように言った。
「そうだったんですね。あまりパッとしない人が多い中整った顔立ちの小日向君があまりにも印象的だったから、すごく覚えてるんですよ。ラインは違いますけどこれからもよろしくお願いしますね」満面の笑みを浮かべ人を褒める事になんの戸惑いもなく、あっさりと言った。
「こちらこそお願いします。それから…」
チャイムが鳴った。後5分で休憩が終わりだと告げる。これを聞いたら直ちに作業場に迎えと言われていた。今から会話をしようとしていた所なのに虚しくも楽しいひと時は儚く終わった。が1度話せた事から次の可能性が開けた。そう自分に言い聞かせ腰を上げながら言った。
「もう戻らないといけませんね。昼からも頑張って下さい、お疲れ様です」
「はい。小日向君も」
扉を開けお互い作業場に向かう。軽く頭を下げ別れた。
朝までの重い足取りが今はもの凄く軽い、頭の中は楓との次に交わす会話の内容を思い浮かべる事に傾いている。そのせいで午後からの仕事のノルマを達成出来ず、ラインの皆の足を引っ張り初日から残業をする事になった。
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