漆黒鴉学園

三月べに

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2巻

2-1

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 第一章 魅惑的な声


   一話 無関係


 そこは漆黒鴉学園しっこくからすがくえんの中庭の隅。ほとんどの生徒が既に下校している今、白金髪プラチナブロンドよう姿たんれいな青年が、黒髪の男子生徒の首を絞めている光景を目撃した者はいなかった。

「うー、ほんとーに、俺は犯人を見てません。うー、俺が駆け付けた時にはもう宮崎みやざきさんは階段で倒れてました、げほっ」

 苦しげにうめきながら生徒会庶務の黒巣漆くろすななは、自分の首を絞める青年に告げる。

「君には、彼女が一人の時は見張っているよう頼んだはずですよね? 君が不用意に現場に踏み込んだせいで、彼女を階段から突き落とした犯人の匂いが掻き消されてしまいましたよ」

 吸血鬼の容赦ない力で首を締め上げてくる青年――ヴィンセント・ジェン・シルベルは、冷たい青い瞳で黒巣を見据えた。その眼差しは、ちょうあいする宮崎音恋ねれんには決して向けないものだ。
 彼女に嫌がらせをしていた犯人が、彼女を階段から突き落として怪我をさせた。一歩間違えれば命も危うかった。その犯人に対するヴィンセントの怒りを黒巣はぶつけられていた。

「うー、宮崎さんは、直前まで屋上でだいだい先輩といたんですよー。見張ってたら橙先輩に追い払われて……うー、そのすぐあとに事件が起きたんですよ。俺は匂いとかわかんないので、そこまで考えがいかなくってですねぇ……うー……怒るなら橙先輩を怒ってくださいよ……」

 黒巣は罪を橙に押し付けた。あながち嘘ではない。
 うるさく吠える橙を避けて校内に戻ってみれば、音恋は犯人といた。だから黒巣は音恋が犯人を挑発し階段から突き落とされる一部始終を見ていたのだが、それをヴィンセントに告げるつもりはない。吸血鬼であるヴィンセントに嘘は通用しないが、首を締め付けられて上手く呼吸ができない今、嘘による脈の乱れは相手には伝わらない。
 彼は黒巣の嘘に気付くことなく、屋上を見上げる。屋上ではまだ橙が昼寝をしているはずだ。

「もし次があったら、ただじゃ済みませんよ」
「……絶対に怪我させません」

 冷たく見下ろすヴィンセントにそう誓うと、やっと首を解放されて黒巣は一息ついた。

「ヴィンセントせんせぇ」

 屋上に向かうヴィンセントに声をかける。

「宮崎さんに、秘密を明かしたんですかー?」
「ええ。試験が終わったあとと思っていましたが、彼女は私の正体に薄々気が付いていましたし、もう隠す必要はないでしょう」

 ヴィンセントの口元に、自然と笑みが浮かぶ。
 黒巣はそんなヴィンセントの顔を見て、うんざりしたような表情をする。

「犯人はどうするんですかー? ゆうをあげるとか話してたみたいですけど」
「猶予を与えますよ。音恋さんは犯人が考えを改めたら許すつもりですから」
「宮崎さんが許したら、処罰なしですか?」
「まさか」

 ヴィンセントは冷笑を浮かべて黒巣を振り返った。

「初めから許すつもりなどありません」

 氷のような青い瞳孔が鋭く尖る。モンスターの頂点に立つ純血の吸血鬼は、ただの人間に対してもまったく容赦はしないようだ。それはひとえに、彼がちょうあいする少女に対するよくと独占欲からくるものだろう。
 ヴィンセントは今度こそ、その場から音もなく消えた。完全に気配が消えたのを確認すると、黒巣もすぐに移動する。保健室の中が覗ける木の枝に座り、窓の向こうの会話に耳を澄ませる。そこには階段から落ちたあと、怪我の治療のために運び込まれた宮崎音恋がいる。黒巣は聞こえてくる会話の内容に、不機嫌そうに顔をしかめた。

「普通がいい? ぶぁっかじゃねーの。無関係を貫くなんて不可能なんだよ」

 黒巣は木の枝から飛び降りると、保健室の窓を見てニヤリ、と笑った。

「神様が決めた運命には逆らえないんだよ――宮崎音恋」


   二話 有害な煙


 漆黒鴉学園高等部の保健室は静まり返っていた。
 私、宮崎音恋はちらりと、目の前に立ち尽くす養護教諭のささがわじん先生に目を向ける。癖のある茶髪と無精髭ぶしょうひげのハンサムな白衣の先生は、唖然としていた。
 私の担任教師であるヴィンセント先生が、自分の正体が吸血鬼であるということを暴露して去って行ったからだ。
 けれど私は、ヴィンセント先生に暴露される前から、彼が吸血鬼であると知っていた。それどころか、もっと大きな秘密も知っている。
 創立六十六年になるこの漆黒鴉学園には、ある秘密があった。生徒会メンバー全員がモンスターという秘密。彼らは正体を隠し、人間の姿で人間と共に学園生活を送っている。知っているのは、ごく一部の関係者だけ。その秘密を、私は最初から知っているのだ。
 なぜなら、私には前世の記憶がある。なんとこの世界は、私が前世でプレイしていた乙女ゲームの世界だった。学園の秘密を知ったヒロインがモンスターと禁断の恋を繰り広げるという恋愛ゲーム。そこに自分が、脇役の宮崎音恋として生まれ変わっていたことに、私は高等部の入学式の最中に気が付いたのだ。
 けれど、たとえこの世界が乙女ゲームの世界だったとしても、私は普通に自分の人生を生きたい。前世で早くに病死した私の願いはただそれだけなのに、何故か人生がシナリオに呑まれていく。
 もとのゲームシナリオに、脇役の宮崎音恋が学園の秘密を知るような展開はないはずなのに。
 第一、ゲームで悪役として登場した純血の吸血鬼ヴィンセント・ジェン・シルベルが、教師になる展開なんてなかった。まして、脇役に好意を寄せるなんてあるはずもない。
 私に前世の記憶があるせいで、イレギュラーが発生しているのかもしれない。けれど、これ以上イレギュラーによって、本来のゲームヒロインであり、私の親友でもある姫宮ひめみや桜子さくらこの幸せを邪魔するわけにはいかない。
 私は自分の願いと桜子の幸せのために、ゲームの当事者にはなりたくない。それなのに、うるわしい担任教師が自分の正体を隠すことをやめてしまったせいで、私は今、窮地に立たされていた。

「びんすせんせ、なにいってるんでしょうね」
「棒読みだ!」
「私には、何を言っているかわかりません」
「気付いてんだな? 気付いちゃったんだな、音恋ちゃん」
「何も聞こえません」
「なんでそういうとこだけ子どもなんだっ!」

 私は耳をふさいでそっぽを向く。なんとかすことはできないかと、パニックで止まりそうな思考を必死に働かせた。私はどうにかして、この場を切り抜けなければならない。

「私にはヴィンス先生が何を言っているのか、さっぱりです。理解できません」
往生際おうじょうぎわ悪いぞ。テスト直前でくタイプだろ」
「違います。ところで笹川先生」
「わざとらしく話題を変えるな」

 笹川先生は、再び私と向き合うように椅子に座る。ベッドに座っていた私は、笹川先生を真っ直ぐ見つめて口を開いた。

「養護教諭の自覚が足りないと思います」
「なんだいきなり」
「せめて勤務中は喫煙を控えるべきです。喫煙しない人間は煙草の煙と匂いに敏感です。養護教諭が保健室で生徒に不快感を与えるのはいかがなものかと」
「す、すまない……」

 きつい口調で言えば、笹川先生は口元を引きつらせて自分の白衣の匂いを確認した。

「そもそも煙草は人体に害を及ぼすものです。生徒に示しがつきませんよ。二十歳過ぎたら煙草を勧めるつもりですか? それでも心身の健康をつかさどる養護教諭ですか?」
「これでも養護教諭ですが、以後気を付けます……」
「気を付けるだけですか? 禁煙を誓うくらいのことをしてほしいのですが」
「なんでそこまで誓わなきゃならないんだい、音恋ちゃん」

 笹川先生はしおらしく項垂うなだれたけれど、私が求める言葉はそれではない。禁煙の二文字です。
 いかに煙草が有害か、罪悪感を刺激する言葉を選び淡々とした口調で延々と責め続ければ、みるみる青ざめた笹川先生が「禁煙するっ!! 禁煙しますっ!!」と懐から煙草の箱を取り出してゴミ箱に投げ入れた。ナイスシュート。

「俺、なんか音恋ちゃんを怒らせることしたか……? 敵意き出しだな、おい」
「ただの煙草嫌いです」
「はは、そういえば女の子の煙草嫌いは生理的に受け付けられないって理由もあるらしいぜ」
「そうでしたか」

 少しでも寿命を伸ばしたい私からしたら、健康を損なう恐れのあるものは、嫌って当然でしょう。他人のせいで私の寿命が削られるなんて、まっぴら御免です。

「そんな風に犯人に噛み付いたから、階段から突き落とされたのかい?」

 そう言いながら、笹川先生は私の手首のかすり傷を消毒し始める。

「いいえ。突き落とされたあとに言ったら、悔しそうな顔をして去って行きました」
「なに言ったんだよ……」
「ただ、貴女がやっていることは間違っていると……みじめだと言って笑っただけです」
「音恋ちゃん、怖いぞ」
「そうですね……もう少しオブラートに包んでけなすべきでした」
「待て、言ってることがすげぇ怖いぞ!」

 ツッコミがいると、ついボケをかましたくなりますよね。こういうやり取り、好きです。

「笹川先生みたいに、考え直してくれるといいのですがね……」
「……随分と相手を気にかけてるんだな。音恋ちゃんは」

 そう見えますか? 
 私は、手当てを終えた笹川先生を見上げる。

「笹川先生みたいに、やり直すチャンスを与えてあげたいじゃないですか」
「俺はチャンスをいただいたのかい……」

 笹川先生は苦笑した。

「犯人もチャンスを掴めればいいな」

 ニッ、と笑ってみせると笹川先生はライターをゴミ箱に投げ入れる。またナイスシュート。ここは笹川先生をかっこいいと思うシーンかもしれませんが……

「笹川先生、ゴミはちゃんと分別してください」
「……はい」

 かっこつけたところ悪いですが、ライターは燃えるゴミに入れてはいけません。
 しおれた背中の笹川先生はゴミ箱に向かい、ライターを拾った。

「犯人がチャンス掴まなきゃ、吸血鬼にやられちまうよな!」

 笹川先生は勢いよく振り返ると、大人げなく笑った。
 私にしては珍しく長々としゃべって、話をヴィンス先生の正体かららしたというのに。私の努力を一瞬で水の泡にした笹川先生を、恨めしく見上げる。

「音恋ちゃんはほんと、肝が据わってんなぁ。階段から突き落とされようが、担任が吸血鬼だろうが、今までと変わらず冷静でいられるなんて、すげぇな」

 笹川先生はやれやれと肩をすくめると、私の目の前の椅子まで戻ってきた。
 この人相手に言い逃れはできそうにない。今でこそ学園の養護教諭だが、以前は最強のハンターだった笹川先生を前に、私は密かに緊張する。下手をすると、私の人生が劇的に変わってしまうかもしれない瞬間に、ゴクリと唾を呑み込んだ。
 けれども、私が知っているのはヴィンス先生の正体だけだと思われている。
 私がヴィンス先生以外にもモンスターが存在するという、この学園の秘密を知っていることまでは気付かれていない。ならば、開き直ってヴィンス先生の正体を知ったことだけを認めよう。

「冷静なのは私の取り柄です。ヴィンス先生には、初めて会った時に血をめられましたし、正体に繋がるようなヒントを出されたりしたので、そうかもしれないと思っていました。では本当にヴィンス先生は吸血鬼なのですね」

 淡々といつも通りに言葉を並べる。嘘をつくコツは、それを嘘だと思わないこと。口から出た言葉があたかも本心であるかのように言う。
 わずかな心音や呼吸の乱れを聞き逃さない吸血鬼と違って、人間相手なら通じるはずだ。

ちなみに俺は人間だぜ」

 私の言葉に、そう言って笑う笹川先生は嘘を信じたようだ。

「んで? 吸血鬼をどう思うよ、音恋ちゃん」
「どう、と言いますと?」

 実は吸血鬼の他にも……、と言い出されなかったことに、私は内心ほっとする。

「吸血鬼、つまりは不老不死だ。なりたいと思うかい? ヴィンセント先生の血は、音恋ちゃんの健康を守ることもできるし、怪我だって治せる万能薬だ。人間がその血を体内に残したまま死ぬと……吸血鬼になれるんだぜ。音恋ちゃんは、吸血鬼になりたいかい?」

 頬杖をついて笹川先生は薄く笑った。
 吸血鬼の血を体内に残したまま死ぬと、吸血鬼になる。しかし大半は自我のないグールと呼ばれる怪物になるのだ。そのことを、ハンターである笹川先生は当然知っているはず。
 何故こんな質問をするのだろうか。もしかして私を試している?

「……私は人並みに生きたいです」
「人並みに?」
「はい、八十歳まで生きることが私の人生の目標です」

 そう答えると、笹川先生はぱちくりと目を丸めた。

「おかしいですか?」
「いや……いいんじゃね? ちょっと平凡な気もするが」
「平凡がいいです。普通がいいのです。その方が長生きできるじゃないですか。私は長生きがしたいのです」

 ただ長生きがしたい。永遠の命は望まない。ただ人並みに生きたいだけだ。

「それって、ヴィンセント先生の気持ちはお断りって意味かい?」

 笹川先生は率直に問う。彼の目から見ても、ヴィンス先生の気持ちはいちもく瞭然りょうぜんなのでしょうか。
 私は拒絶を込めて頷く。
 ゲームの彼は悲しみに狂った悪役だったけれど、この世界のヴィンス先生はとてもいい先生だと思う。私を守るために誰かを傷付けてほしくない。優しくしてくれる彼が苦しむ姿は見たくない。
 だからといって人並みに生きたいという目標がある限り、吸血鬼であるヴィンス先生の気持ちは受け入れられないし、受け入れるつもりもない。ゲームのシナリオとは関係ない普通の人生を送るために、私の考えは揺るがない。

「そっかそっか」

 そう言って、大きな手で私の頭をポンポンと撫でる笹川先生の顔には、満面の笑みが浮かんでいる。

「普通が一番だ。長く生きたいならアイツとは仲良くしない方がいい」

 私に顔を近付けて、誰にも聞こえないように耳元でそっと囁く。至近距離で煙草の匂いがした。

「煙草の煙と同じで、アイツは有害だ。気を付けろよ……他人のせいで死にたくないもんな?」

 私から身体を離すと、笹川先生はニコリと笑ってみせた。
 笹川先生はハンターでありながら、モンスターにも理解があると思っていた。だから有害だと言われて、なんだか意外に感じる。普通の人生を望む生徒を思っての、優しい忠告なのだろうか。

「ネレンー!」

 そこで明るい声を上げながら、親友のサクラが保健室に飛び込んできた。栗色の髪を舞い上げて私の隣に勢いよく座る。
 乙女ゲームのヒロイン、姫宮桜子。天真爛漫てんしんらんまんな彼女は誰にでも明るい笑顔で接する子。私が密かに憧れている女の子だ。

「あたし……ネレンのことが好きかもしれない人と会っちゃった!」
「……はい?」

 ブラウンの瞳を輝かせて私の手を握り締めてくるサクラを、私はポカーンとして見つめる。
 まばたきを三つしてから思い出した。そういえば先程、風紀委員のくさなぎ先輩と二人で庭園にいたけど、まさか草薙先輩のことを言っているのでしょうか。

「なに言っているの、サクラ。私を好きになる男子なんていないよ」
「いるよ!! あの人絶対ネレンが好きだよ!」

 断言しました。なにを根拠にそんなことを言い切れるのでしょうか。

「ネレンは自分を下降評価しすぎっ!! あたしが男なら絶対ネレンを好きになるもん!」
「下降評価ではなく、過小評価ね」

 私の自己評価は下降してません。
 笹川先生はお腹と口を押さえて笑いをこらえていた。

「いい人みたいだから今度話しかけてみよう? あたしも一緒に行ってあげるから!」
「遠慮します」
「ネレン! 勉強ばっかりしてちゃだめだよ! 恋しよ恋!」
「勉強も大事だよ。サクラは、テスト勉強すべきだよ」
「うん、決めた! あたし、ネレンと先輩を応援するから!」

 桜子さん、私の話を聞いてください。
 あらぬ方向にサクラの思考が働いて、暴走を始めてしまった。
 私はサクラにゲームのシナリオのような恋愛をしてほしい。それはサクラの幸せに繋がるからだ。姫宮桜子は、トラウマにより男性と触れ合えない。けれど、恋愛をすることによって、そのトラウマを克服することができるのだ。
 そのためにも、私の恋愛より、自分の恋愛を気にしてほしいのだけれど。
 そう思っていると、目の前の笹川先生が、ついに堪えきれず笑い声を響かせ、保健室から出て行きました。


   三話 中間試験


 中間試験三日前の朝。私は普段より三十分早く、寮のラウンジに行った。この時間に朝食をとる生徒はあまりいないため、ラウンジはがらんとしていていた。
 私は朝食のトレイを持って、定位置となった入り口近くの窓際の席に座る。そこには、いつも笑顔で迎えてくれる桃塚ももづか先輩の姿はない。
 桃塚星司せいじ先輩は、愛くるしい容姿で女子生徒に人気のある、この学園の生徒会長だ。ゲームではヒロインである桜子の攻略対象のひとりで、正体は九尾きゅうびよう
 私と朝食をとるようになったきっかけは、桃塚先輩が私から桜子の情報を聞き出そうしたことだけど、いつの間にか一緒に朝食をとるのが日常となっていた。
 しかしそのことで、私は桃塚先輩に好意を寄せるはなぞのれい先輩に嫉妬され、嫌がらせを受けるようになった。花園先輩はゲームヒロインのライバルキャラであり、本来なら嫉妬のほこさきはサクラに向けられるはずだった。それがイレギュラーで私に。
 花園先輩が勘違いから私をどう思おうと別にどうでもいい。だけど、つい先日、げっこうした花園先輩に階段から突き落とされてしまった。そのせいで、ヴィンス先生が暴走し、私はますますゲームの当事者に近付いてしまったのだが。
 花園さんを守る義理はないけれど、ヴィンス先生には誰も傷付けてほしくないから犯人の名前は言わない。彼女が考え直して嫌がらせを止め、桃塚先輩に告白する気になってくれるのならそれが一番いい。そのためにも私はしばらく桃塚先輩の近くにいない方がいい。私がいなくとも恋敵は多いけれど、そこまで世話をする気はないです。
 三十分早く朝食をとった分、朝の時間が三十分いたので、その時間を使って試験勉強をした。
 学校に登校して靴箱を覗くと、上履きの中にびょうは入っていなかった。


 それから試験までの間に、花園さんからの嫌がらせはなかった。
 おかげで私は、しっかり勉強に集中できて自信満々で中間試験を迎えることができた。手応えあり。結果発表の来週が楽しみです。
 浮かれていたのもつかの間、約束を破って怪我をした私への罰であるヴィンス先生との課外授業を、来週やると宣言された。

「テストも終わったことですし、小説の続きを忘れず読んでくださいね」

 いつもの庭園でのランチタイムに、さらりと言われた台詞セリフに一時停止する。すっかり記憶の彼方かなたに追いやっていた存在が舞い戻ってきてしまった。私は返答に困ってうつむく。

「あの小説は実話をもとにして書かれた物語なのです。必ず最後まで読んでください。私を避けるのは、それからでも遅くないですよ」

 二人きりのランチタイム。普段通りの穏やかな口調で、ヴィンス先生はそう言った。
 私が避けたがっていることは、しっかり伝わっていたようです。
 返事をしない私に、気にした素振りも見せずヴィンス先生は話題を変えた。

「そういえば、来月には体育祭がありますね」
「……ですね」

 六月の大きな学校行事は体育祭。つまりは私の死亡フラグです。ま、おおな言い方ですがね。体育祭にはまったくと言っていいほどいい思い出がない。
 中学の体育祭は三年連続保健室に運ばれて早退した。一年の時は熱中症、二年の時は転倒、三年の時は再び熱中症。
 六月に入ると体育祭の練習三昧の日々が始まるから、今から気が重くて仕方ない。

「そんなに嫌な顔をしないでください。音恋さんが望むなら多めに入れておきますよ?」
「お断りします。……顔に出ていましたか?」

 クスリと笑うヴィンス先生が、誘惑するけれど負けません。純血の吸血鬼の血で身体能力を上げなくても結構です。
 顔に出しているつもりはなかったのに、指摘されて思わず頬を両手で押さえる。

「よく見ればわかりますよ。わずかですが、感情が出ています。音恋さんの表情は、見ていて飽きません」

 優雅に微笑んでみせるヴィンス先生。そういう風に見ていたのか。全然気付かなかった。

「ずっと見つめていたいほどです」

 青い瞳の優しげな眼差しが私に向けられる。思わず目を伏せた。ヴィンス先生はただ笑うだけ。
 私は目を伏せたまま、ヴィンス先生のお弁当を口に運んだ。
 どんなにヴィンス先生が私に優しさをそそいでくれても、私はその想いを受け入れられない。

『役を演じるならきっちり演じろよ、ぶぁーか!』

 以前黒巣くんに言われた言葉が脳裏をよぎった。


 試験終了から数日。学園の正面玄関にある掲示板に、中間試験の結果が一斉に張り出された。

「おい、まじかよ。この一年の一位」
「すげぇ高得点じゃん」

 登校してすぐ、私は順位を確認しにきた生徒の間を苦労して進み、男子生徒が指差す方を見る。
 一年生の一位の欄には──私の名前があった。私の中に喜びが込みあげる。けれども……総合点数を見た瞬間、その気持ちがきゅっとしぼむ。
 今回の中間試験は、全七教科。私の名前の下にある総合点数は、六九八点。
 返された答案を見てわかってはいたけれど、やっぱり悔しい。あと二点。あと二点!
 数学で一問間違えたせいで、目標の全教科満点を達成できなかった。物凄く悔しい。

「宮崎って誰?」
「さぁ?」
「俺知ってる。一年の姫宮のダチだよ」
「姫宮って、あの一年の美少女か。宮崎も可愛かったりするのか?」
「いや、遠目にしか見たことがないからわかんね」
「どうせガリ勉だろ」

 宮崎音恋なら貴方達の目の前にいますが。真後ろで三年生と思われる男子生徒が自分の話をしているのを聞きつつ、一年の欄を順に見ていく。
 そこですぐに違和感に気付く。ゲームのシナリオでは、中間試験の一位は生徒会書記のみどりばしくん。今回私が一位をとったなら、緑橋くんは二位のはずなのに、二位には別の人の名前が載っていた。どんどん横に目を動かしていくと、六位に黒巣くんの名前。これはゲームと同じ。そこから少し先に進んだ十位に緑橋くんの名前はあった。
 どうしたのだろう、緑橋くん。首をかしげつつ視線を上げて、私は三年生の順位を見た。
 なんと一位には、あかがみ先輩の名前。これもゲームと違う。副生徒会長の赤神先輩は会長の桃塚先輩の顔を立てるため、いつも試験は桃塚先輩より下の順位を取る。なのに、今回は赤神先輩が一位で桃塚先輩が二位だ。ヒロインの攻略対象である生徒会メンバーがゲームと違う順位だなんて。これもイレギュラー? ……ま、いっか。それよりも早く報告しなきゃ。

「……?」

 報告しなきゃ、と自然と頭に浮かんできたけれども、一体誰に報告をしようとしたのだろうか。
 自分の行動にきょとんとしてしまう。両親? 二人は今パリ旅行中だから連絡はできない。
 じゃあ誰に? 誰に報告をしようとしたんだろう。
 誰に報告を、したいんだろう。
 張り出された自分の名前を見つめながら、私はただ立ち尽くした。

「勉強教えてネレンー!!」

 そんな私に真横からタックルしてきたのは、サクラだ。痛い。

「補習組になっちゃったよぉ……勉強教えて、ネレンー」
「だからちゃんと勉強した方がいいと言ったでしょ」
「勉強苦手なんだもん、ネレンー教えてくださぁい!」


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