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3巻
3-3
しおりを挟むコーヒーの香りを楽しんでくれるオルヴィアス様を、カウンター越しに見る。
お客さん達の目は、まだオルヴィアス様に釘付けだ。けれど誰も彼に話しかけようとはしない。それどころか、エルフの美しさに圧倒されたように息を潜めている。
そんな中、オルヴィアス様はとても静かに、ゆっくりと味わってチョコレートケーキを食べていく。
お店の中は静まり返り、お客さんは一人また一人と席を立つ。そうしてとうとう、オルヴィアス様一人だけになってしまった。
「すまない。営業の邪魔になってしまったようだな。……目立たないようにしたのだが」
「いえ、オルヴィアス様に謝っていただくことではありません。この街の人は皆さんフレンドリーなのですが……」
オルヴィアス様は、充分気を遣ってくれている。
「あの、それで……」
二人きりになったので、疑問を口にしようとした。でも何から聞こう。ここに来た理由? この店を知っていた理由?
「オルヴィアス様は、どうして私がここにいることをご存じだったのですか?」
「しばらく前、この街を覆うほどの結界の魔法を使っただろう。その時俺はあの蓮華草の丘にいて、そなたの魔力だと気付いた」
あの魔法か、と私は苦笑いしそうになるのを堪えた。
以前、このドムスカーザの街を盗賊の魔法攻撃が襲った。その時私は結界魔法で街を守って被害を最小限にとどめ、獣人傭兵団が盗賊を追い払ったのだ。
「そなたの無事を確認しに一度この街に来て、喫茶店をやっていると知った。だが、どうしてもあの丘で想いを打ち明けたかったので、声はかけずにあそこで待っていたのだ」
オルヴィアス様がここに来た理由はきっと――求婚の件。そう予想して、私はごくりと唾を呑み込んだ。
「……随分と待ったがな。もうあそこには来ないのかと、少し不安に思っていた」
「あ、それはおそらく……ロト達が気を遣ってくれていたからです。私が新しい生活に慣れるまで、手伝ってほしいと言わないようにしてくれていたようで――」
学園に通っていた時も、ロト達はまず私が忙しくしていないかを確認してくれていた。
「申し訳ありません、お待たせしてしまって」
「い、いや……そなたが謝ることではない。俺が勝手に待っていたんだ……」
オルヴィアス様は俯いて口ごもってしまう。それから言葉を選ぶように、再び口を開いた。
「……ラベンダーティーを頼む」
「はい」
見ると、コーヒーが入っていたカップは空になっている。
すぐにラベンダーティーを用意して、空になったカップと交換した。
ラベンダーティーに浮かぶ青い星形の花を見つめ、オルヴィアス様が口元を緩める。
「姉上が気に入りそうだ……」
「実はルナテオーラ様が紅茶に花を浮かべていたことを思い出して、それをヒントに作ってみたのです」
「……なるほど。いつまでもカップの中を見つめていたくなる。素晴らしい」
「ありがとうございます」
オルヴィアス様に褒められて、嬉しくなる。
「あ、よろしければ、ルナテオーラ様にお一つどうですか?」
「いや……姉上にはまだ……」
オルヴィアス様は、迷うようにそう言って口を閉じた。
気軽におすすめしてしまったが、さすがに女王様には持っていけないかと申し訳なくなる。そんなことを考えていると、オルヴィアス様は、真剣な面差しで口を開いた。
「……身を隠したいのならば、大きな魔法を使うべきではない。迂闊だぞ。もしあの時付近に悪魔がうろついていたら、そなたは見つかっている。それに、そなたの兄は追跡に長けている。こういった喫茶店の品が彼の手に渡れば、そなたの作ったものだと気付き、あっという間にここに辿り着いてしまうだろう」
オルヴィアス様は淡々と私の迂闊さを指摘した。
ロバルトお兄様は道具に込められたわずかな魔力からでさえ、持ち主を特定することができる。
ロバルトお兄様がこんな最果ての街のお茶を手にするなんてことは絶対にないと思うけれど、想像するだけで血の気が引いて、身震いしてしまう。
「っ! すまない。またそなたを傷付けるようなことを言ってしまったのか?」
「いえ! お兄様に見つかった時を想像してしまっただけです」
オルヴィアス様に言われて、私は慌てて説明した。
「あの、私のほうこそ、昨日はオルヴィアス様を傷付けてしまい、申し訳ありません……」
申し訳なさから目を伏せた私に、オルヴィアス様は優しく声をかけてくれる。
「……次の客が来るまで、座って話を聞いてくれないか?」
入口のドアを気にしながら、オルヴィアス様は私に隣に座るよう促した。心配しなくとも、もうすぐお昼になるので、新しいお客さんは来ないだろう。
私は頷いて、隣の椅子に腰を下ろし、彼のほうを見た。オルヴィアス様は再び話し始める。
「そなたが正直に話してくれてよかった。想い人を傷付ける言葉を吐くような男のままではいたくはない。誰に対しても……罵倒しないよう努力する。直す」
オルヴィアス様は真剣な瞳で私を見つめて告げた。
「昨日は急に求婚して、驚かせてしまっただろう。……そなたを目にした瞬間、想いが溢れて堪え切れなかったのだ」
「あ……ありがとうございます、オルヴィアス様」
甘い言葉に思わず惚けそうになりながら、私は言いそびれていたお礼を伝える。
すると彼は私の右手を取って言葉を続けた。
「そなたと過ごした時間はわずかだったが、幸福と安らぎに満ちていた。穏やかに輝く、光の花のような人。瞼を閉じてそなたを思い浮かべるだけで、この胸が高鳴る。俺が愛する唯一の人」
熱い眼差しが、私の手に注がれた。そうやって見つめられるだけで、肌から熱が伝わってくるように感じる。
「変わってみせる。生涯連れ添う相手として見てもらえるまで努力する。だから、もう一度考えてほしい。時間がかかっても、俺は諦めない。俺がそなたを幸せにしてみせる」
オルヴィアス様が顔を上げると、藍色の瞳が見える。
「オルヴィアス様……」
なんと言葉をかけていいかわからない。
オルヴィアス様が変わったからといって、私の気持ちが変わる保証はできないし、また彼を傷付けてしまうかもしれない。
そう思って戸惑っていると、オルヴィアス様は口の端を吊り上げて、ちょっぴり不敵な笑みを浮かべた。
「そなたへの想いを認めた時に、永遠に片想いをする覚悟はできている」
オルヴィアス様の藍色の瞳が、きらりと瞬いた気がする。
彼は離れがたそうに私の指先に触れて、そっと手を離した。
「よい時間をありがとう、ローニャ。また来る」
不思議な輝きを放つ長い髪をなびかせて、オルヴィアス様はローブからお金を取り出してカウンターに置き、白いドアを開けて帰っていく。
じんわりと熱を帯びた頬を押さえた私は、椅子から立ち上がることさえできなかった。
第2章 ❖ もふもふ。
1 まったり療養。
目を覚ますと、私はベッドの中でラクレインの翼に包まれていた。気持ちが良い。
「起きたか。昨日から一向に目覚めず、心配していたところだ」
「ん……?」
まだ眠いけれど、ラクレインの言葉に耳を傾ける。
「もう昼になったぞ」
「……そんなに?」
長く眠っていたらしい。でも、まだ眠っていたい。
「オルヴィアスの名前を口にしていたが……奴の夢を見ていたのか?」
「オルヴィアス様?」
私は眠気たっぷりの声を出してしまう。
「まぁいい。下でシゼが待っているぞ。何か食べておけ。我も食事をして森で休む。何かあれば呼ぶがいい」
ラクレインは、私を起き上がらせる。
そうね、何か食べなくちゃ。いそいそと身支度していると、ラクレインは私の耳に羽根を挟んで颯爽と帰っていった。
この羽根は、幻獣を瞬時に呼び出せるアイテムだ。
オフホワイトのレースをたくさんあしらった空色のドレスを着て、もらった羽根はピンでしっかり髪に留めた。
ふわふわした足取りで一階に下りようとすれば、階段のところに男の人がいた。人間の姿を取ったシゼさんだ。
彼は琥珀色の瞳で私を見上げ、無言で手を差し出してくれる。その手に支えられながらゆっくりと一階に下りていく。
「あら……このサンドイッチは一体誰が作ったのですか?」
カウンターテーブルの上に、作った覚えのないサンドイッチがあった。レタスとベーコン、スクランブルエッグが挟んである。テーブルの端には、何やら酒瓶のようなものまで置いてあった。
「オレだ。食え」
「え? シゼさんが作ってくださったんですか?」
「これくらい作れる」
「わぁ……嬉しいです、シゼさんのサンド。ふふ」
口元を押さえながら笑って椅子に座り、いただきますと手を合わせた。そしてサンドイッチをゆっくり噛んで味わう。美味しい。
「他の皆さんは?」
「仕事に行った。今日はオレがつきっきりで警護する」
「警護?」
私が首を傾げると、いつもの席に座ったシゼさんは静かに答えた。
「悪魔は魔導師が来る前に逃げた」
警護とは、悪魔が再び現れた時に備えて、ということらしい。
ともあれ、こんな状態ではお店を営業できないと、閉店の看板を出すために入口のドアを開ける。けれどそれはすでにドアにかけてあった。
いろいろと皆さんに手伝ってもらってしまい、申し訳なくなる。何かお礼ができないかと考えながら時計を見ると、もう二時を回っていた。甘いものが食べたくなってきて、いい案が浮かぶ。
「シゼさん、ケーキを作ろうと思うのですが、いかがですか?」
「……休んだらどうなんだ」
「私が食べたいんです。ほら、三時のおやつにチョコレートケーキ」
シゼさんはしぶしぶといった様子で許可してくれたので、さっそく取りかかった。
二層のチョコレートケーキをビターチョコレートでコーティングしていく。
この国の子守唄を歌いながら作業していると、あっという間に一ホール完成。
それを切り分けて、シゼさんと向かい合って食べた。濃厚なチョコケーキは、我ながら上出来だと思う。ニコニコしている私の前で、シゼさんは黙々とそれを食べていった。
二つめを食べようとしたけれど、お腹周りがきついと感じて手を止める。いつも通りのコルセットの締め方なのに……
「はっ! 太ったのかしら……」
思わず、ポロッと口に出してしまう。
いつも、ついつい残りもののケーキを食べてしまうし、味見もよくするし、それなのに運動量は以前と比べて減ってしまった。学園にいた頃は授業で剣術や魔法を使った戦闘の練習をしていたけれど、最近した運動といったら悪魔から走って逃げたことくらい。これはまずい。
「運動しなくちゃ……」
「……オレとするか? 剣で」
シゼさんが提案してくれたけれど、腕力の強い獣人であるシゼさんと手合わせすると、私が飛んでいってしまいそうだ。
「……剣はやめておきます」
「なら、散歩でもするか? 精霊の森なら安全だろう。ちょうどオリフェドートに酒をやろうと思って持ってきている。森を散歩して、陽が暮れたら飲もう」
「それはいいですね。んーでも……」
テーブルの端っこに酒瓶らしきものがあると思ったら、そういうことだったのか。オリフェドートが喜ぶと思う。
でも運動はもう少し手軽にできるものにしたい。
何かないかしら。うーんと唸りながら考えて、思いついた。
立ち上がってシゼさんの隣に立ち、手を差し出す。
「私と踊ってください、シゼさん」
久しぶりにダンスがしたい。一緒に踊りましょう。
2 絆。* シゼ *
オレは今日一日、魔法治療の副作用で気が緩み切っているローニャの警護をすることになった。
昼すぎに起きてきてから、ローニャは終始ニコニコしていた。心が穏やかである証拠なのだろう。
サンドイッチを作っただけで、はしゃいだような笑みになる。無邪気な少女そのものだ。
こんなに無防備なくせに、よく一人で最果ての街で暮らすと決めたものだ。いくら自立していて、強力な魔法を扱えても、当人がこれではこちらは気が抜けない。
悪魔に狙われているというにもかかわらず、警戒した素振りも見せずにケーキを作ったり、挙句の果てには一緒に踊りたいなどと言い始めた。
オレは少し間を空けてから断る。
「踊りなんて知らないぞ」
昔世話をしていた子どもにせがまれたことはあったが、オレは踊り方など知らない。
「簡単ですよ。お相手お願いします」
ローニャはオレの言うことも聞かずに手を掴んだ。仕方なく腰を上げる。
「左手は私の手を握って、右手は私の腰に当てるんです」
そう言いながらオレの手を移動させて、ローニャが向かいに立つ。腰に手を当ててしまえば、身体が触れそうなほど近い。
「こうして、こうやって、ステップするだけです」
ローニャの言う通りに足を動かす。確かに簡単だが、これで踊っていることになっているのか。
「そうです、お上手ですね。踊れるじゃないですか」
ローニャは変わらずニコニコしている。そうして二人、店の真ん中でステップを繰り返して踊った。足元を見ていたローニャがふと顔を上げ、オレと目を合わせて微笑む。楽しそうだ。それを見て、もう少しだけ付き合ってやろうと思った。
ローニャの微笑みは美しい。青い目を細めて頬を緩める、大人の女の表情。八歳も年下の娘が、美しい女に見える。
時折見せるその顔に、オレは見惚れた。
ローニャがオレと手を繋いだまま離れてくるりと回ると、空色のドレスの裾が舞い上がる。そうしてまた、くるりと回ってオレの胸に飛び込んできた。
どちらからともなくステップを踏むのをやめ、お互いに見つめ合う。
「楽しいですね」
無邪気な子どものように声を弾ませ、ローニャは笑みを浮かべた。先ほどとは違う緩み切った笑み。
こうした表情をしている時は子ども扱いしたくなるが、そうでない時はゆっくり時間をかけて口説きたくなる。特別な女。
おそらく、ローニャ以上にいい女はいないだろう。ローニャを傷付けたバカな男とは違い、オレは彼女をこのまま放っておくつもりはない。ただ、ローニャは今、恋愛するつもりがないと言っていた。けれど傷を癒した時には……
「ローニャ。コーヒー」
「あ、はい。今淹れますのでお待ちください」
ローニャはぱっと手を離してキッチンに向かった。オレはいつもの席に座って、コーヒーを待つ。
この心地いい居場所は、今となってはかけがえのないものだ。オレ達にとって、必要不可欠な場所だと言える。
ローニャはオレ達を怖がりもせずに、店に受け入れてくれた。それだけでなく、精霊や幻獣との新しい絆も与えてくれた。
それに、ここで過ごす時間が増えるにつれて、ローニャとの絆も深くなっていく。
「お待たせしました」
ローニャがコーヒーをテーブルに置こうとした時、カランと音がしてドアが開いた。それから、コーヒーカップが床に落ちる音が響き渡る。
彼女がカップを落とすなど、珍しい。驚いてローニャの顔を見れば、彼女は青ざめて立ち尽くしていた。その視線の先には――
「こんな最果ての街で呑気に喫茶店だと? 愚かな妹め」
白銀の短い髪に、青い瞳の男が入ってくる。ローニャによく似ている容姿から、彼女の身内だと理解した。だが、その男の眼差しはローニャとは似ても似つかないほど鋭く、彼女をまっすぐ射抜く。
高価に見えるローブが、男の身分の高さを物語っている。その男を、ローニャは震える声で呼んだ。
「お、お兄様」
兄との再会にしては、ローニャは怯えている。こんな姿、初めて見た。足元に落ちたカップに意識を向けることもなく、彼女は後退りしていく。
「よくも家の名に傷を付けてくれたな、この面汚しめ! その上謝罪もなしに逃亡する卑怯者ときたか! どこまでお前は愚かなんだ! 昔から努力をせずに怠けてばかり!」
「わ、私は努力をしましたっ」
「足りないと言っているんだ! 口答えするな!!」
「っ!」
いきなり現れて怒鳴る兄に、ローニャは震え上がって壁に身を寄せる。
「この親不孝者め!! 反発ばかりして失望させたばかりか、家の名に泥を塗って逃げるなんて、お前はクズで最低だ!!」
「わ、私はっ」
「黙れ!! 才能があるのに活かしもしない、好機があっても逃した! 努力が足りなかったから、男にも逃げられたんだろう! とんだバカだ!! 悪魔にも襲われたそうじゃないか! それもこれも、怠けてばかりいるからだ、この愚か者!!」
ローニャがふらりと傾くのを見てとっさに駆け寄り、倒れる前に受け止めた。
腕の中のローニャは意識がなかった。彼女にかけられている治療魔法によって、強制的に眠らされたようだ。そんなローニャに、兄が触れる。
「……チッ。グレイティアめ」
触れただけで魔導師グレイティアの魔力を感知したのか、彼は舌打ちをした。それからオレを一瞥し、気絶した妹をまた罵る。
「新しい男か……男の支えがなければ生きていけないのか……どこまでもバカな妹だ」
そうして兄は妹を心配する素振りもなく、店から去っていった。
家族の問題に首を突っ込むべきではないと思ったが、仲裁すべきだったと反省する。ローニャにとって、相当苦痛だっただろう。
今のやり取りだけで、ローニャがどんな家庭で育ったのか容易に想像がつく。功績を評価してもらえず過剰な要求をされ続けて、ローニャは逃げてきたのだろう。
「ローニャ。おい、ローニャ」
そっと身体を揺するが、彼女は起きない。この様子だと、当分目覚めないだろう。ベッドに運んでやるしかないと、抱え上げる。
その時ふと、ある考えが頭をよぎった。
ローニャは精霊に向かって言っていた。兄に見つかった時は、精霊の森に移り住む、と。
ローニャに、ここを離れてほしくない。
身勝手だが、精霊達に兄がやってきたことを知られないように、ローニャを自分達の家に運ぶことにした。
そこでちょうどよく、妖精ロト達が現れた。ローニャの顔を見に来たのだろう。ロト達はローニャを抱えたオレをぽけっと見上げている。
人間の姿では、オレが誰か認識できないらしい。そう察して、獣人の姿に変化してやった。
「今夜はオレの家で預かるとラクレインに伝えてくれ。それと、ここの掃除も頼んだ」
「あいっ!」
敬礼して返事したロト達にあとを任せ、ローニャを抱えて陽が暮れた街を歩く。
やがて街の少し外れた場所にある古びた屋敷が見えてきた。街の住人はまず近寄らない場所だ。
十三年前、持ち主がいなくなったこの屋敷を買い取って家にしたが、使っている部屋以外は手入れをしていないので、客室としてすぐに用意できる部屋はない。
一番片付いていそうな部屋に寝かせてやろうと、セナの弟であるセスの部屋へ向かう。
「セス」
扉の前で呼んでみるが、返事がない。どこをほっつき歩いているのか。
ローニャを見下ろして、少し考える。結局、オレの部屋に寝かせてやることにした。
オレが使っているのは、この屋敷にある居室で一番広い部屋だ。けれど古い家具と、ベッド代わりにしている大きなクッションしかない。そのクッションにローニャを下ろす。彼女は寝息を立てていて、ちっとも起きそうにない。
「ふわふわ……」
かと思いきや、寝言を言いながらオレの首に手を伸ばしてきた。首に回された腕が、オレを引き寄せる。
ローニャはオレの鬣に顔を埋め、すりすりと頬ずりまでしてくる。……気持ちが良い。
ローニャにがっしりとしがみ付かれて、立ち上がるのが面倒になり、オレも彼女と一緒に横になる。……離したくなかったという理由もあるが。
「もふ……んー」
鼻を首筋にすり寄せると、ローニャはまた頬ずりをしてきた。オレの鬣を気に入ったらしい。初めて会った時から思っていたが、彼女は動物好きなのだろう。
息を吸い込めば、甘いラベンダーの香りがした。肌を舐めると甘い味がしそうだが、我慢する。
こっちは食べてしまいたいというのに、ローニャは無防備に眠っている。だが、心地いい。オレも眠くなってきた。たまにはいいかと、ローニャの首の下に腕を通してオレも眠ることにした。
頭を撫でて、髪の柔らかさを味わう。その髪からもラベンダーの香りがして、余計に眠たくなった。
目覚めたら、彼女はどんな反応をするだろうか。少し楽しみだ。
額に一つ口付けを落とすと、くすぐったかったのかわずかに顔をしかめ、また静かに寝息を立て始める。そんなローニャをそっと抱きしめた。
この絆を手放す気はない。だが、ローニャがもしも離れようとするのなら、オレが引き留めてみせる。逃がさない。
「んー……」
ローニャがもぞもぞと動き始めた。かと思いきや、ちゅっとオレの頬にキスをする。何か夢でも見ているのか、またニコニコと笑みを浮かべた。
オレの鬣を握ったまま離さないローニャの顎を掴み、衝動的に唇を近付けた。けれど寸前でやめて、耳元で甘く囁く。
「――覚悟しろよ」
身じろぎするローニャを再び抱きしめ、その温もりと匂いを堪能しながら眠りに落ちていった。
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