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02 本番はこれから。(ルヴィ視点)
しおりを挟む世界が色褪せているように感じていた。
そんな私の視界を染めてくれたのは、彼女だ。
それは三年ほど前。
オスカルテ殿下が魔法学園に入学をして、護衛を務める私も足を運ぶことになった。
私も昔通ってはいたが、懐かしさなんてものは湧いてこない。日々、感情が薄れている気がする。
”紅蓮の騎士”ともてはやされてはいるが、そんな黄色い声援は耳障りなだけだ。希薄な好意ばかり向けられては、女性に対する興味が薄れる一方だった。
学園内を歩いているとすれ違う女子生徒達は、私を見ては頬を赤く染める。見えているのは、私の容姿だけだろう。
親に恵まれただけのこの容姿のせいか。希薄な好意や繕った笑みに嫌気がさしてしまったのは。
任務をこなすだけで、日々の生活に高揚感なんてものは感じない。
このままでいいのだろうか。
そんな疑問を片隅に持ちながら、護衛対象であるオスカルテ殿下を捜していれば、代わりに彼女を見付けた。
オスカルテ殿下の婚約者。学園の中庭に立っている。
若くして”冷笑の令嬢”と呼ばれている、レティエナ・ピースソー様。
あの黒髪は間違いなく彼女だろう。婚約者の彼女なら居場所を知っているのではないか。
尋ねようと思えば、彼女の目の前には精霊がいた。
あれは、水の精霊ヒュネロだろう。
精霊を呼び出して契約を持ち掛けている最中なのだろうか。
耳をすませば、こんな話が聞こえた。
「水遊びをするなら考えてやってもいいぞ!」
水の精霊ヒュネロはそう持ち掛けた。
水遊び。”冷笑の令嬢”というほど冷血な性格をしていると噂されている令嬢がそんなことをするはずはない。
真っ先にそう思ったが、後ろ姿しか見えない彼女はこう答えた。
「んー……いいですよ!」
それはとても弾んだ声だ。
何度か挨拶をしたが、そんな声ではなかったはず。
「場所を変えましょう。学園裏の泉に行きましょうか」
彼女と精霊は移動をした。
私は引き寄せられるように、あとを追いかけてしまう。
どんな表情をして、そんな声を出しているのだろうか。
私は確かめたくて、あとを追ったのだろう。
どんな顔をしているか、予想なんて出来ないまま……。
”冷笑の令嬢”なのだ。きっとただ精霊に愛想よくしているだけだろう。そう思っても、その目で確かめたくて木の陰から見ていた。
すぐに始まる精霊と令嬢の水遊び。
掌で掬って掛け合うような生易しいものではない。魔力で水を巻き上げて掛け合う。
バッシャン。また、バッシャン。
制服のドレスが水を吸って重くなるはずなのに、泉の中に足を踏み入れた彼女はーーーーとても楽しそうに笑っていた。
濡れた黒髪が頬に張り付いていても気にすることなく、手を振り魔力で水を巻き上げてかける。
水飛沫の向こう側で見たその表情は、無邪気な笑みだった。
見たことのある冷笑とは面影がない。まるで別人とさえ思ってしまう。しかし、細められた瞳は珍しい白だ。レティエナ・ピースソー様の容姿に間違いない。年相応の笑み。いや、年相応以上に幼く見える笑みだった。
私の目にはその光景が、彼女自身がーーーー輝いて、見えたのだ。
美しく黒に艶めく長い髪。陶器のような色白の肌。白い真珠のような瞳。
水色に輝く泉。透明の水飛沫。
なんてーーーー美しい光景なのだろうか。
世界が、色付いた瞬間だった。
胸が締め付けられるような感覚を味わう。
これは、まさか。
いつまでも見つめていたかったのに、胸を押さえて私は木に凭れた。
感動の余韻を味わうかのように、ゆっくり整理をするかのように、ぼんやりと宙を見上げる。
煌めく木の葉さえも、色鮮やかに見える。
そうすれば、話し声が聞こえてきた。どうやら精霊と契約を交わすことに成功したらしい。
精霊ヒュネロは、他の令嬢とは違うと言った。
「あ、でも、私はね、”冷笑の令嬢”なんて呼ばれている令嬢なんだよ。こんな笑みはね、家族の誰にも見せてないから秘密だよ」
「なんでだ?」
「生まれる前から婚約が決まっている王子から婚約破棄してもらうための作戦なの。まぁ、偶然そうなったんだけど」
「婚約破棄って、話し合いで解決できないのか?」
「それは難しいの、家族が私を王妃にしたいから王子が婚約破棄した方がいいの。互いに興味はないしね」
「面倒な人生なんだな」
「いいの。私の人生の本番は、婚約破棄のあとなの!」
「どういう意味なんだ?」
「そのままよ!」
そんな会話を聞いて、少し心が躍るような気分になる。
精霊ヒュネロと同じく、よく意味がわからない。けれども、今の婚約者に恋心を抱いているどころか、婚約破棄を望んでいることに希望が湧いたのだ。
婚約者のいる令嬢に、恋心を抱いても無駄だと、気持ちを押し殺そうとしていた瞬間だった。
まるで芽生えたこの想いを後押ししてもらっているかのようだ。
想ってもいいのだと、この胸の中に抱いてもいいものだと、思えたのだった。
私の世界が色付いた瞬間を、忘れないだろう。
恋をしたこの瞬間を、忘れはしない。
それから、いつかオスカルテ殿下が婚約破棄をするまで、待つことにした。
万が一、私が言い寄っているなどと目撃でもされてしまえば、悪評が立つ。
じっと待つんだ。彼女が人生の本番だと言う婚約破棄まで。
それでも、彼女を見かける度につい見つめてしまった。
その都度、彼女は嘲るような冷たい笑みを向けてくる。
”冷笑の令嬢”の偽りの仮面だと思うと、彼女の孤独を想像してしまう。
いつか、本当の笑みが出せるまでの辛抱だと、何度か見つめてしまった。真顔を保つのは苦労したものだ。
私自身が、彼女の孤独を埋めれるような存在になれるだろうか。何度も、自問自答したものだ。
レティエナ・ピースソー様は、才色兼備なお方だった。
王妃としての教育を受けたからだろうか。いやそれ以上の賜物だろう。
国でも有数のイベントとして観覧される学園の剣術大会や魔法対決大会では、優勝を勝ち取っていた。その姿はまるで冷たい黒い刃。”冷笑の令嬢”としての偽りの仮面が、より知れ渡っていたのだ。
敗北させた相手を見下して冷笑を浮かべる姿には、騎士仲間は背筋が凍ってしまいそうだと震えていた。
私だけは、優雅で美しいと称賛を送りたかったのだ。剣術も魔法も、お見事だった。洗練されていている。
自分も引けを取らないように剣術を磨かなくてはいけないと、これまで以上に努力を積み重ねて鍛錬した。
もっともっと強くなって、そして彼女を守り抜く騎士でありたい。
膨れる想いはいつしか、愛へと変わっただろう。
私は、彼女を愛してしまっている。
そして、三年が経ったある日に、オスカルテ殿下が婚約破棄をすると護衛についていく騎士仲間から耳にした。
私は迷うことなく花束を購入して、彼女を捜した。
偽りの仮面を脱ぎ捨てた彼女に会えると、胸を高鳴らせながら。
見付けた。
スキップをするような軽い足取りで歩く彼女の笑みは無邪気で嬉しそうだ。
真っ直ぐに向けられた時、私はーーーー顔を綻ばせた。
これからが、本番だ。
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