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4 日陰者達の話
しおりを挟む僕達は、光の中では生きられない。見つからない様に、息を殺して、身を潜めて。全てを覆い隠す闇の中でしか眠る事すら儘ならない。人間は恐ろしい生き物だから。見つかれば、殺されてしまうから。
「それはたぁいへんだなぁ」
その人間はあっけらかんとした様子で相槌を打ちながら草木やごみを掻き集めて小山を築いている。
「ほい、ここにちょいと火ィくれや」
「……聞いていた?僕の話」
「聞いてた聞いてた、ほら早く」
「……鬼火でも構わないよね」
「何でも良いよぉ」
思わずまた溜息が漏れる。蒼い火を纏う右の掌を小山に翳すと、瞬く間に燃え上がった。
「おぉ、青い焚き火なんて初めて見たわ」
人間は差程驚く素振りも見せず、せっせと何処からとも無く食材を取り出して焼き始める。僕は何かを言おうとして、止めた。呆れて物が言えないとはこの事だろう。僕が黙って蒼く燃える小山を眺めていると、人間が焼けた串を差し出してくる。
「ほれ、お前も食いな。焚き火とさっきの礼だ」
「要らない」
「そう言うなよぉ、な?」
押し付ける様に差し出されて仕方無く受け取る。炎に照らされた明らかに人間では無い僕を見ても、その人間は動じる事無く自分の串に齧り付く。
「かぁーっ、やっぱり久しぶりの肉はうめぇなァ!お前も早く食べな!冷めちまうぞ」
渡された串には少し溶けて焼き色の付いた白くて丸い物体が連なっている。このままにしていても如何にも出来ないので一口齧る。途端に口一杯に広がる甘さに固まっていると人間が面白そうに此方を見る。
「甘くてうめぇだろ、それ。マシュマロって言うんだぜ」
「……ましゅまろ」
「初めて食べる焼きマシュマロは格別にうめぇよな。俺もうまかった」
うんうん、と一人で納得している人間を後目に、僕は何回目か知れない溜息を吐いた。
今日は狐の婆に指示されて、寝床の廃工場から遠く離れた土地で人間を脅かす異形を始末した。くだらない村の風習だか何だか知らないが、異形に人間を差し出して安寧を得られる筈が無い。案の定付け上がった異形が騒ぎを大きくする前に片付けたという訳だ。その帰りにまさか道端の茂みで人間を拾う事になるとは思ってもみなかったが。
「いやぁ悪いねぇ、助けてもらった上に運んでもらっちゃって」
河川敷の橋の下を住処にしていると言う人間はそう言いながら笑っている。髭と汚れに塗れた人間からは饐えた臭いがして、伸ばし放題の髪が風に靡く。
「御前の様な人間は見た事があるが、僕を見ても驚かない人間は初めて見た」
「俺も異形ってのは何回も見たことあるぜ。お前みてぇに話せるヤツは初めてだけど」
小脇に抱えた人間に視線をやると目が合った。着地した勢いそのままに大きく跳躍すると人間が騒ぐ。
「おわぁ!?危ねぇ!」
「黙っていろ、舌を噛む」
慌てて口を両手で押さえる人間を横目で見ながら人気の無い道を駆けた。
「御前が異形について知りたいと言うから教えてやったのに」
「ちゃんと聞いてるって。暗いとこが好きなんだろ、要するに」
人間は淡々と火の始末をしながら続ける。
「俺も日陰者だから分かるぜ、なんとなくだけど。だからよくちっこい異形を見かけんだなぁ」
うんうん、とまた一人で納得している人間にはまるで警戒心や恐怖心が無い。
「おい、今バカを見るような目ェしてるだろ」
「馬鹿だろう、仕方が無い」
「なにをぉ?」
人間は寝床を整えながら僕の方を見る。微かな街の灯りだけでは人間の目は僕を捉えられない。異形は闇に溶ける生き物だ。
「御前は馬鹿だ。僕を嫌悪する所か警戒すらしない。その調子では、何時か痛い目を見る」
「……そうだなァ、そういう点では既に痛い目見ちゃってるんだけどよぉ……でもよ」
薄汚れた身形の人間は意志の籠った目で僕を見据える。僕と、目を合わせる。
「人間だろうが異形だろうが、助けてもらった相手を信じないでどうするってんだよ。それすら忘れたらもうそれは人間じゃねぇよ」
今日はありがとな。そう言って人間は朗らかに笑った。
知っている。僕達異形と人間は決して相容れる事は無い。知っている。理解している。それなのに、僕はまた、期待をしている。また、裏切られる事も分かっているのに。
左の人差し指に触れる。自分の愚かさを思い出す。
「……馬鹿は僕か」
深呼吸をして眼を閉じる。寝床の中で小さく身を縮こませる。……次も、何か食べさせてくれるだろうか。
暗闇に鮮血が飛び散る。肉片が曇った夜空に舞う。何も考えられない。何も考えたくない。それでも身体は正直で、只管に命を奪う動作を繰り返す。最後の人間を腕を振って引き千切ると、橋の下で倒れ込んでいる人間に近寄る。その人間は頭部から血が流れ、手足が在らぬ方向に曲がってしまっている。辛うじて息はある様だが、もう長くは無いだろう。
「……だから言ったのに。何時か痛い目を見ると」
まさか人間相手だとは思わなかったけれど。
小さく呟くと、人間がゆっくりと目を開ける。その目は曇って、もう僕を見る事は無い。
「だれか、いる、のか……?」
「……御前を喰らう異形が一匹、此処に居る」
「…………そう、か………」
人間が咳き込んで血を吐く。命の火が消えていく。最期に人間が口元を歪めて、僕を、見た。
「────────」
灯火が消える。餌と成り果てたその眼に、僕は何時までも囚われたままだった。
「……で、お前さんは派手に人間を殺して食い散らかしてしもうたと」
「食べたのはあの人間だけだ。他に興味は無い」
「ほぉん。お前さんらしくないのぉ、全く、激情に身を任せるなど」
「……激情?」
鬼が首を傾げると狐は頷く。
「怒っとったんじゃろ?その大事な人間を傷付けられた事に」
「……成程、僕は怒っていたのか。……何故?」
「ハァ?」
狐は呆れた様に首を振ると、大きなディスプレイに流れるニュースを眺める。
『──昨日未明、××川の河川敷で、5人の遺体が発見されました。遺体には引き裂かれた様な傷痕があり、警察は異形の犯行とみて捜査しています。現在は被害者の身元を確認しており──』
「ふぅ、益々動きにくくなるのぉ」
狐はそれほど気にした風も無く欠伸をすると、眼下に広がる街を睨みつける。
光の中でしか生きられない人間達は、余りの明るさに目を潰してしまったのだろうか。暗闇に潜む者達の方が余程優れた目を持っている。それは日陰に生きる人間も同じ。
「貴様ら人間の濁りきった目では妾達を捉える事は出来んよ」
狐は静かに呟くと大きく伸びをして立ち上がる。
「さて、そこの糞餓鬼。折角じゃ、妾が口直しに何か奢ってやろう。何が良い?」
「……ましゅまろ」
「ん?」
「ましゅまろが良い」
もう彼の味には有り付けないだろうけれど。鬼は燦々と地上を照らす太陽を見上げて、眩しそうに目を細めた。
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