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5 人間達の話 前編
しおりを挟む勢い良く振り抜いた刀身が強い光に反射して煌めく。耳障りな断末魔の叫びを残して崩れ去る異形を、軍服を身に纏い、刀を鞘に収めた青年は何の感情も籠らない目で見下ろしていた。
十数年前、人間社会に突如として現れ瞬く間に脅威となった異形に対抗するべく、政府は対異形に特化した組織を作り出した。所謂”その筋”の者達を寄せ集めたのだ。その組織は警察に属してはいるが、異形事件に対して独自の権限を持ち、ほぼ独立して活動を行っている。設立当初は宗派の違いだの警察との連携不足だのとごたごたしていたが、対異形に有効な武器・装置の開発や人員育成の成果もあり、現在では一般人も所属する人類の希望となりうる存在である──。
「その通り。よく出来ました」
警察学校で習った事をそのまま諳んじてみせた青年に、腰まで届く烏羽色の長髪を後ろで一つに纏めた若そうな男がぱちぱちと拍手をする。そしてゆっくりと黒革の張られた立派な椅子から立ち上がると、青年に右手を差し出した。
「ようこそ、警察庁異形対策局討伐一課第二部隊へ。私は副隊長の紀伊と申します。どうぞよろしく」
青年は紀伊と名乗る男を訝しげに見ながらその手を握る。そこに大きな音を立てながら短髪の男が転がり込んで来た。
「はぁ、ちょっと、なに、勝手に始めちゃってるの、紀伊君……!」
「あはァ、遅いですよ、隊長。既に自己紹介も終わってしまいましたよ」
紀伊は肩で息をする男に返すと、どかりと黒革の椅子に腰を下ろした。
「待っててよ、それくらい……!しかもその椅子、俺のだよね……!?」
「良いじゃないですか、たまには。私も上に立つ人間の目線というものを感じたいのですよ……そんな事より、新人君が待ってますよ」
「そうだな、挨拶はちゃんとしないと失礼だよな」
そう言って大柄だが柔和な表情の男は青年に向き直る。青年は姿勢を正し、敬礼をする。
「本日付けで配属されました、青柳陽斗巡査です。よろしくお願いします」
「初めまして、俺が第二部隊隊長の飯塚智也だ。ようこそ、第二部隊へ。君を歓迎するよ、青柳君」
二人が固い握手を交わすのを、紀伊は笑みを浮かべて眺めていた。
「早速だが、君は異形と関わったことがあるかい?」
青柳を向かいの椅子に座らせると、飯塚は単刀直入に切り出した。
「いいえ、直接関わったことはありません」
「直接、というと?」
飯塚が聞き返すと、青柳は鋭い視線を飯塚に向ける。
「……幼い頃、異形に家族を殺されました」
「そうか、それは残念だったな……。君はその現場に居なかったって事かい?」
「俺は一人で家に居ました。夜が明けても誰も帰って来なかったところに警察から連絡が来て」
「ナルホド。貴方が討伐部隊に志願したのは仇討ちの為ですか」
茶を抱えて戻ってきた紀伊が口を挟むと、青柳は首を振る。
「俺は、兄を探すために志願しました」
「お兄さんを?」
「兄は両親と一緒に車に乗り込んで、そのまま行方不明になりました」
「行方不明?殺されたのではなく?」
「ちょっと紀伊君」
紀伊は青柳の隣に座ると顔を覗き込む。青柳は一瞬紀伊を見ると、すぐに飯塚に視線を戻す。
「両親の死体は街外れの廃工場にあったそうです。でも、兄の痕跡はどこにも無くて」
「衣服や血痕も?」
「ありませんでした、何一つ」
「だから行方不明、と」
飯塚は腕を組みながら背もたれに身を預ける。
「確かに、異形に食われたにしては綺麗すぎるか。しかしなぁ」
「行方不明にしても、手掛かりが無さすぎて手のつけようがありませんね」
紀伊も肩を竦めて座り直す。
「君のご両親を殺した犯人に聞けば多少分かるかもしれないが……」
「そもそも、異形に食われていただけでそれが犯人とも限りませんしね」
「紀伊君」
「分かっています」
青柳は視線を落として自分の握りこんだ手を見る。二人の視線が青柳に向けられる。
「本当は人間が両親を殺し、兄を誘拐したのかもしれません。でも俺は、両親を殺したのも、兄がいなくなったのも、異形が関わっていると思っています」
「それは勘?」
「勘です」
言い切った青柳に、思わずといった風に紀伊が噴き出す。
「きいくーん?」
「すみません、ふふっ、勘です、って……くくっ」
「はぁ……すまないな、青柳君」
「……いえ」
小刻みに肩を揺らす紀伊に冷めた視線を送っていた青柳だが、ふと湧いた疑問を飯塚に尋ねる。
「今更ですけどどうしてこんな事を訊くんですか。何か疑われてるんですか、俺」
「いやいやいや!そういう訳じゃないよ!ごめんね、怪しかったかな!」
慌て出す飯塚に代わって、やっと笑いが収まったらしい紀伊が疑問に答える。
「最近、奇妙な事件があちこちで増えているらしくて、その為の確認のようなものです。あまり意味はないと思いますけど」
「事件……?」
首を傾げる青柳に、居住まいを正した飯塚が真剣な表情で話し出す。
「これからちゃんと説明するよ。きっとこれが君の初めての仕事になるだろうから」
ここ数日、奇妙な事件が続いている。それは、人が忽然と消えるという事件だ。老若男女、場所も時間も問わずに消える。数年前にも、とある一人の人間がばら撒いた中途半端な異形を祓う御札によってたくさんの人間が食われるという悲惨な事件があったが割愛する。
今回の事件は痕跡が残らない、というのが大きな特徴だ。その人が最後に居たとされる現場には血痕も、靴跡も、髪の毛一本でさえ見つからないのだ。その為、普通の警察の捜査では何の手掛かりも掴めなかった。そうなると、異形の仕業という線が濃厚になってくる。
「ここで、さっきの君の話が出てくる訳だよ、青柳君」
飯塚が少し芝居がかった口調で締め括る。
「兄の時と似ている、という事ですか」
「そういうこと。まぁ、厳密には違うけど、何かヒントがあるかもって話ね」
飯塚が頷いていると、いつの間にか居なくなっていた紀伊がひょっこりと扉から顔を覗かせる。
「お二人共、そろそろ時間なので準備してください」
「あぁ、分かった。ありがとう、紀伊君」
「あの、時間とは……」
青柳が尋ねると、飯塚は当然だと言わんばかりの顔で告げる。
「見廻りの時間だよ、青柳君」
人気も明かりも無い暗い自動車用トンネルを歩く。視界の確保は飯塚の持つランタンのみで賄っている。
「見廻りと言っても、普通の警察の巡回みたいなもんだよ」
静かで冷たい廃トンネルに、三人分の足音が反響してまるで唸り声のような音がする。
「人の多い街中を歩いたりはしないんだ。大体はこういう人が使わなくなった暗くてじめじめした場所を廻っているね。どうしてか分かるかい?」
「……異形は光を嫌い、暗闇を好む習性があるから、ですよね」
「その通り。で、この廃トンネルの近くには主要な道路がある」
「ここに住み着いている異形がいないか確認している、ということですか」
「正解」
「もし異形がいた場合は、どうするんですか」
青柳の少し緊張した声音の問いに、飯塚は至極淡々と答える。
「どうするって、討伐するよ、もちろん。なんたって討伐部隊だからね、俺達」
「それは、そうですが……」
歯切れの悪い青柳に、紀伊が面白そうに近寄る。身に着けた装備がぶつかって、腰に下げた刀が軽く音を立てる。
「おやおや、初めての実戦で弱気になってますか?聞きましたよ、模擬戦闘では優秀だったらしいですね」
「いえ、そんな事は……」
言葉が途切れる。咄嗟に横にいる紀伊を見ると彼は頷き、そのまま歩き続ける。
……足音が一つ、増えている。
誰一人として口を開かず、前を見据えて歩く。増えた足音は依然として三人の後を付いてくる。一定の距離を保ちながら、確実に。
トンネルの少し開けた部分に出ると、中央付近で先頭を歩いていた飯塚が足を止める。手を軽く振ると、素早く面を装着する。装着完了を確認した彼はランタンを高く掲げる。すると突然ランタンが宙に浮き、眩い光が溢れ出した。
「戦闘準備!」
合図と共に背を合わせて武器を構える。このランタンは対異形を想定して開発された装置で、強い光を発して異形の動きを鈍らせる効果を持つ。しかし、その光はそのまま人間の目も潰す。その為戦闘員は瘴気避けも兼ねた、呪力の込められた面を装着する事を義務付けられている。
周囲を注意深く見渡す。息を殺して気配を探る。だが何処にも敵の姿はない。
「どこだ……?」
飯塚が呟いた瞬間、青柳は直感的に叫ぶ。
「上です!」
三人が同時に前に飛び出すと、その中央に大きな影が落ちてきた。ゆっくりと起き上がるその姿はとても異様だった。人の形をしているが明らかに人間ではない。三メートルはある身体は細いが腹だけは丸く膨らんでいる。腕は地面につくほどに長く、鋭い爪が生えている。全身が弛んだ皮膚で覆われ、しかし頭部は皮膚が引き攣り大きな牙が剥き出しになっている。低い唸り声を上げる異形は閃光を放つランタンを叩き潰そうとするが、その腕を飯塚が放った弾丸が吹き飛ばす。
「紀伊!」
腕を飛ばされバランスを崩した異形の懐に紀伊が跳躍して鋭い蹴りを入れる。が、激昂した異形の咆哮に弾き飛ばされる。追撃を仕掛ける異形のもう片腕を、青柳が刀で斬り飛ばす。飛ばされた箇所からどす黒い血が噴出する。
「グアァァァァァァア!」
両腕を失った異形が吼える。その足に紀伊が杭を投擲し、縫い止める。
「殺れ!」
飯塚の声と同時に、青柳は異形の胴を横一閃に薙ぎ払った。
「二人共、怪我はないか」
異形が完全に死んだことを確認して、飯塚は二人に声をかける。
「はい、ありません」
「えぇ、私も特に問題はありません。……成程、この皮膚では打撃は通りませんか。……っ!隊長!」
異形に近付いて観察していた紀伊が突然弾かれたように顔を上げる。
「見てください、この異形の顔……」
「……これは……行方不明になった人間、か……!?」
「人間!?」
覗き込んだ異形の顔は酷く歪んでいたが、人間の面影が残っている。
「どういうことだ……?居なくなった人間が、異形になっている……?」
冷たい廃トンネルの中に、唸り声のような音が響いている。突然突き付けられた事実を目の当たりにした三人は、驚愕と緊張が綯い交ぜになった顔を見合わせることしか出来なかった。
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