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6 人間達の話 後編
しおりを挟む眼下に広がる明るい夜の街並みを、無感情な眼が滑っていく。冷たく何処か不気味な風が朱い髪を巻き上げ、蒼い火が揺らめく。瞬間、無感情だった眼に苛烈な意志が宿った。
「……見つけた」
そう呟いて両脚に力を込める。夜空を駆ける鬼は誰にも気付かれる事無く闇に溶けた。
廃トンネルでの戦闘から三日。あれ以降何の収穫も無く捜査は難航していた。行方不明者リストを何度目か読み返していた青柳の前に、飯塚がコーヒーを置く。
「あ、ありがとうございます。すみません、俺の仕事なのに……」
「気にしないで良いよ。俺こういうの好きだし」
「そうですよ。隊長部下関係なく雑事は分担すべきです。隊長、私には紅茶を。ダージリンでお願いしますね」
「紀伊君はもう少し気にした方が良いと思うよ」
そう言いながらも飯塚は手にしていた盆から取り上げたティーカップを紀伊の前に置く。
「流石隊長分かってますねぇ」
機嫌良さげな紀伊はどこからか取り出した角砂糖をどぼどぼと投入している。この三日でかなりよく見た光景であるが、まだ少し引き気味の青柳の手元を飯塚が覗き込む。
「また行方不明者が増えたのか」
「……いえ、むしろ二日前から行方不明者の数が全く変わってないんです」
事件発生から僅か二週間で行方不明者は既に四十を超えている。しかし、廃トンネルで異形に変異した人間に襲われた次の日から、行方不明者が一人として出ていなかった。
「まだたったの二日間だけなので偶然かもしれませんが……」
「ふむ。何か他に気づいた事はないか?」
「そうですね……」
青柳は行方不明者リストに書かれた最後の目撃場所に目を通す。
「他にあるとすれば、目撃場所……でしょうか」
「ほう?」
紀伊は何も言わず二人を見ながら紅茶をちびちび啜っている。
「ある程度のまとまりがあるんですよ」
青柳はリストを結ぶ紐を解き、新しく纏める。紀伊がいつの間に持ってきたのか差し出した大きな街の地図を広げると、赤いマーカーで印を付ける。すると、大きく三箇所に赤い点が集まった。
「恐らくここまでは向こうも分かってると思いますけど」
「だろうね。この三箇所はあちらさんも血眼になって探してたようだし」
「でも何も見つからないんで関係無いだろうと適当に判断したんでしょうねぇ」
「普通の警察では分からない事が分かるんですよね、異形対策局なら」
「まぁそうだね」
「捜査は」
「したよ、もちろんね。でもその時は色々邪魔で何も出来なかったんだよね」
「……動きが止まっている今なら?」
「出来ないことも無いかもね」
「今すぐすべきです!」
勢い良く身を乗り出す青柳の肩に飯塚は手を置いて押し戻す。
「したいのは山々なんだけどね……君は刑事ドラマを観たことあるかい」
「……いえ、あまり」
「そうか。なら言い方を変えるよ。向こうにも面子とプライドがあるみたいなんだよね」
「……それは、捜査に協力してもらえない、と?」
「まぁ、かなり渋っているね」
飯塚の口ぶりに青柳は言葉を詰まらせる。それはおかしい。警察との連携はつつがなく行われているはずである。そう警察学校で習った。しかし、飯塚の言い方は、これではまるで──
「まるで連携出来ていないじゃないか、って顔だね」
図星を指されてはっとする。飯塚は苦笑しながら自分のコーヒーを啜る。紀伊は心底つまらなさそうに頬杖をついている。
「全く、警察の無能共には飽き飽きしますね。捜査結果を変えられるのが嫌なんですって」
「しかし、通常の捜査では異形事件を解決出来ないのでは」
「それはそうなんだけどね」
「そもそも異形の存在を認めたくない感じですよね」
「は……?」
十年以上も前から存在が確認されている生物を?今更?
「あはァ、失望しました?でも、これが現実ですよ。残念ながら」
「退魔師のこともいまいち信用していないみたいだしね」
「人間は理解出来ないことを無かったことにしたがりますからね」
「では、捜査は出来ないのですか」
「いや?出来るよ」
青柳の脳内で疑問符が踊り出す。飯塚は普段の表情からは想像出来ない悪い笑みを浮かべる。
「見廻りは夜にやったって問題無いだろう?」
深夜二時。完全武装をした三人は、例の三箇所の内の一つにやって来ていた。周囲に人影は無く、切れかかった街灯が三人を朧げに照らしている。
「うん、これなら問題なさそうですね……それじゃ、始めますか」
紀伊が地面に手を当て何かを唱え始める。残された二人は少し離れた場所で周囲を伺いながら紀伊を待つ。
「……隊長は退魔師ではないのですか」
「俺は違うよ。ただの一般人。君は?」
「俺も一般人です……大昔は退魔家系の分家だったらしいですが」
「そうか……君は異形をどう思う?」
唐突な質問に青柳は視線を飯塚に向けるが、飯塚は前を見据えている。
「……よく、分かりません」
「異形を殺したいとか、そういうのは無いのかい」
「……兄が居なくなったことに異形が関わっているならどんな手段を使っても見つけ出したいとは思いますが、両親が死んだことについてはあまり悲しくはありません。両親は、碌でもない奴らだったので」
「そうか」
「隊長はどうして異形討伐部隊へ?」
「俺か?俺は紀伊の付き添いだよ」
「付き添い?」
「そう。アイツが道草食わないように隣を歩くことにしただけ」
「……そうですか」
なんとなく気まずい雰囲気を知ってか知らずか、顔を上げた紀伊が二人を呼ぶ。
「異形の痕跡を見つけました。道理で街中探し回っても見つからない訳ですよ」
そう言って紀伊は足元のマンホールを踏み鳴らす。
「ほう、いいねぇ。それじゃ、お楽しみのダンジョン攻略と行こうか!」
「……了解」
この街の地下にははるか昔の水路が残っている……訳ではなく、この街が出来た時に作られた大雨などの際に排水するための非常用水路がある。普段は使われていないため多少の湿っぽさはあるが水に足を取られることも無い。入り組んだ明かりの無い地下水路を、ランタンを掲げながら進む。先頭を進むのはさっきから黙りっぱなしの紀伊だ。
「副隊長は行き先が分かっているのでしょうか、って顔だね」
「面を被っているんですから顔は見えないでしょう……でも、その通りです」
「大丈夫だよ。俺達一般人には分からないけど、紀伊君みたいな退魔師には瘴気が視えるらしいから」
瘴気とは、異形が出している特有の気配で、互いに普通にしていれば何の害も無いが、異形に敵意や悪意があると吸い込んだ人間が体調を崩したりする。特に退魔師は、捕まると術が阻害されたりするため非常に瘴気に敏感だ。そして、その瘴気を辿れば異形を追う事も出来る。
「瘴気がかなり濃くなってきてます。この先に異形がいるかもしれません……気を付けて」
紀伊が静かに言葉を発する。
「そういえば、他の二箇所の捜査はどうするんですか」
「他の隊員が向かってくれてるよ」
「えっ、他にも隊員いたんですか」
「居るよ!?」
「ちょっと二人共。異形が居るかもしれないんですから、もう少し緊張感を持ってもらえます?」
「すみません……」
「ごめんごめん。でも俺は紀伊君の索敵を信頼してるからさ」
「はぁ、都合の良い人ですねェ」
紀伊は視線を瘴気から外す事無く進み続ける。
更に奥に潜っていく。次第に空気が淀み、息が詰まる様な緊張が身体を満たしていく。
「緊張感を持てとは言いましたが、固まるのは止めてくださいよ」
「っ、はい……あの、この先に居る異形の数は分かったりしないんですか」
青柳はふと湧いた疑問を紀伊に投げかける。警察学校では退魔師についてはあまり触れてこなかった。今思えばおかしな話だが過ぎた事はどうにも出来ない。
「分かりませんね。瘴気は漂うガスの様なものなので、人間に分かるのは精々濃度と毒性くらいです。何か気になる事でも?」
「……今回の事件は異形が人間を攫っているんですよね」
「その可能性が高い、というだけです。異形の痕跡は見つけましたがそれが事件と関係しているかはこれから調べます」
「そうですよね……もし、この先に攫われた人達が居て、この前の様になっていたら」
「勿論、全て処理します。それが私達の仕事でしょう?」
「…………はい」
ランタンの光を頼りに周囲を確認しながら慎重に歩を進める。突如、目の前が大きく開け、真っ暗で巨大な空間が姿を表した。恐らくここは水槽の一つだろう。紀伊がランタンを高く掲げると、光が大きくなり遠くまで照らし出す。そしてそこには──
「な、んだ、これは……巣?」
──あちこちに糸が張り巡らされた、異様な光景が広がっていた。四方にある高い天井を支える柱から白く輝く異様に太い糸が無数に垂れ視界を遮り、全貌は伺い知れない。その空間の中央には、遠目から見ても大きいと分かる繭の様な物体がざっと数えて二十はある。明らかに人間やただの動植物の仕業ではない。しかし、肝心の本体はどこにも見当たらなかった。
三人が言葉を失って立ち尽くしていると、中央の繭の一つが動き出した。息を潜めて観察していると、その繭は音を立てて割れ、中から以前対峙した人間の顔をした異形と同じ姿の異形が呻き声と共に這い出してきた。
「……あの異形の顔を確認出来るか」
飯塚が小声で紀伊に指示する。双眼鏡を覗いた紀伊は即座に飯塚に報告する。
「変形していますがリストにあった顔です。間違いありません」
「そうか……残念だが、あの繭全部に元人間が入っていると考えた方が良さそうだな」
想定していた最悪の事態に、拳銃のグリップを握りしめる手に力が篭る。
「どうします?このまま突入するか、応援を待つか……あまり突っ込むのはオススメしませんが」
「ああ、今連絡した。他のポイントからこっちに向かってきているだろう。突入は合流を待ってからにしよう」
「了解」
飯塚と紀伊が作戦を練るのを余所に、青柳は遥かに高い天井を見つめている。
「青柳、聞いていたか」
「待ってください……今、何か……」
「おい、指示を」
「……っ来ます!上!」
飯塚の言葉を遮って、青柳が声を張り上げる。
瞬間、轟音がして中央の天井が崩れ巨大な塊が落ちてきた。それは上から叩き落とされた様に床に激突し、真下にあった繭を先程産まれた異形諸共押し潰す。天井が落ち、空気が震える。柱が倒れ、振動が床を伝い埃と糸が舞い上がる。
視界が酷く悪い中、落ちてきた肉塊の上に歪んだ人影が立ち上がるのが見える。しばらく辺りを見回す様な素振りをした後、身体から激烈な火熱が放たれる。
「捕まえた、大蜘蛛。もう少し大人しくしていれば見逃してやったかも知れないのに」
大蜘蛛と呼ばれた巨大な異形が吠える。
「黙れ、混じり物の零れ鬼風情が!人間に媚を売る雑魚の分際でェ……!」
「……くだらない。死ね」
人影が言い放つと、大蜘蛛から激しい火柱が立ち上る。蒼い火はあっという間に糸や繭へと燃え移り、一帯は火の海と化した。
目の前の人智を超えた出来事に人間である三人は声も出せず、衝撃によって叩きつけられる風と瓦礫から身を守るのがやっとだった。轟々と燃え盛る炎が異形の断末魔すらかき消して、全てを灰に変えていく。本能的に三人はあの炎の異形に見つからないように息を殺す。見つかれば殺される。漠然と、だが確信を持ってそう思えた。しかし、無情にも飛んできた瓦礫がランタンに衝突し大きな音を立てて割れる。
「しまっ……」
思わず声を上げた紀伊が、次の瞬間目の前から消えた。鈍い音を立てて水路の壁に叩きつけられ、力無く倒れ込む。
「なっ……!?」
青柳が振り返った先で見たのは、悠然と朱い髪を靡かせる、鬼だった。
「クソッ……!」
咄嗟に懐から拳銃を引き抜く飯塚を横目で見た異形は瞬きの間に距離を詰め、異常に発達した腕で飯塚の腕を払った。腕から嫌な音がして、飯塚の顔が面の下で苦痛に歪む。
「まさか人間が此処まで来るとは……嗚呼、御前達が異形殺しか」
人間の子供程の背丈をした異形は、独り言の様に言葉を発する。そして、ゆっくりと青柳の方を見た。
「……!」
途端に心臓が早鐘を打つ。腰に差した刀を振り抜くより速く、異形の腕が青柳の身体を吹き飛ばす。
「がはっ……」
壁に激突した拍子に、留め具が壊れ面が落ちる。追撃しようとした異形はその顔を見ると突然動きを止めた。
壁伝いに座り込んだ青柳にゆっくりと歩み寄り、青柳の顎を大きな手で掴むと異形は顔を近付ける。青柳は意識が朦朧としながらも、覗き込んでくる化物の瞳から目が離せない。
「その眼、この匂い…………ねぇ、御前は、あの時の……」
そこで異形は口を噤む。遠くから走ってくる複数の人間の気配を察知した為だ。異形は静かに青柳から身を離すと、そのまま闇に紛れて消えた。
(あの時……?あれは、一体……)
異形が消え去った闇に声にならない疑問を投げかけながら、青柳は意識を手放した。
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