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7 昔話
しおりを挟む草木も眠る丑三つ時。……ほ?知らん?知らんのか!?丑三つ時を!?丁度今くらいの時間の事を指すんじゃ、覚えておいて損は無いぞ、小僧。 ……そうか、もうこの言葉も使わんのか。人間の時は早いのぉ、流行り廃りに追い付けなんだ。……だぁれが婆じゃ、はっ倒すぞ、お前の連れの様にな!……おぉそうじゃ、どれ、婆ついでに一つ、昔話をしてやろう。他人の為に生き、そして死んだ憐れな人の子の話じゃ──
むかしむかし、ある山の麓に、それはそれは小さく貧しい人里がありました。土地は豊かであったが、採れた作物は毎度外から略奪され、人々は娯楽も無い、今を生きるのがやっとの生活を送っていました。
そんなある日、里長の末の娘が突然孕み、子を産みました。赤子は玉のように白い肌に、燃えるような朱の髪と翡翠色の目をしており、人々の度肝を抜きました。
忌み子、禍の子と騒ぐ人々に、母となった娘は言います。
「これは私が山の神より授かった神子でございます。必ずや里の礎となりましょう」
娘の言い分に里の人々は半信半疑ながらも、赤子を神子として育てました。
すくすくと育った赤子は、それはそれは美しい子供になりました。里のために生きよと教えられて育った神子は、それは一生懸命働きました。人間離れした力で土を耕し水を汲み、木を切り倒し獲物を狩りました。食糧を狙う略奪者を追い払い、里を護りました。
里は見る見るうちに豊かになり、始めは全く信じていなかった里長も、神子の働きぶりを見て大層喜びました。
人々は山の神と神子に深く感謝し、山に社を建てました。人々は社に神子を住まわせ、供物を供え里の繁栄を願うようになりました。不老の神子は人々の願いを聞き入れ、里を守り繁栄のために力を惜しみませんでした。
神子は実に数百年にも渡り里を守り続けました。見返りも求めず、里が栄えていくのを山の中の社から見守り続けました。
やがて、かつて貧しかった小さな里はたくさんの人と物に溢れる美しい都へと成長しました。華やかな建物、行き交う人々。誰もが幸せそうに笑っています。けれど誰も神子のことなど知りません。いつの間にか神子や山神の存在は人々から忘れられてしまったのです。
誰も訪れなくなって、社が廃れ果ててしまっても神子は決して人々を恨まず、山から下りることもしませんでした。課せられた務めを果たすことだけが神子の生きる理由で、それ以外の生き方を神子は知りませんでした。
そうして神子は、いつまでも果たされることのない願いのために生きました。
ある時、都に化け物の噂が流れました。血の色の長い髪を引きずる人のようなものが、山を徘徊しているという噂です。それは髪を伸ばし放題にしていた神子が食べ物を探していただけですが、神子を知らない人間には分かりません。人々は討伐隊を編成し、山へ入っていきました。
神子は数百年ぶりに社へ訪れた人間が武器を持ち突然襲いかかってきたことに驚き、思わず返り討ちにしてしまいました。すぐに神子は人々に謝りましたが、化け物に襲われたと人間は聞く耳を持ちません。たくさんの屈強な男達が山へ押し入り、社に火をつけ、無抵抗の神子の両腕を切り落とし、最後に腹を大きく切り裂いて殺してしまいました。
男達が化け物退治の勝ち鬨を上げていると、倒れ臥した神子の切り裂かれた腹から赤黒い、内臓とは違う何かが溢れ出しました。それは見る見るうちに膨れ上がり、大きな角の生えた恐ろしい化け物の姿になりました。
化け物は神子を悲しげに見下ろして言います。
「吾は鬼。神子の心より出づる化身。憐れな神子、吾が半身よ。御前の怒りも悲しみも、全て吾が引き受けよう……今は眠ると良い」
怒りに満ちた鬼の咆哮で木が倒れ、男達の頭が割れていきます。鬼はそのまま都に下りると蒼い炎を吐き、人間も家も何もかもを火の海へと沈めました。
蒼き火は三日三晩都を燃やし尽くし、全てを灰に帰して静かに消えていきました。
「こうして、神子は死に、都は滅びてしまいましたとさ。めでたしめでたし」
「……何がめでたいのか知らないけど、誰に向かって何を話してるの、御前」
降ってきた声に視線を上げれば、室外機にしゃがみ込んでこちらを見下ろす鬼と目が合う。
「なぁに、ちと昔話をしておっただけじゃ」
「そう。御前の話は大袈裟だから殆ど嘘だろうけど」
「なにおぅ!?聞いておらんくせに決めつけるな!純度百ぱーせんとの真実じゃ……多分。そこな人間共に教えてやっただけじゃ。最近の人間は昔の事を知らなすぎるからの」
「ふぅん。もしその人間が今下敷きにしている奴の事を言ってるなら、其奴は話を聞いてないよ」
指を指されて見てみれば、婆と罵ってきた小僧はすっかり伸びていた。
「おや、おかしいのぉ。妾が語り始めた時はぴんぴんしとったんじゃが」
「一体何時から話してたの」
溜息を吐きながら地面に降り立った鬼はそこらに転がる人間を眺める。
「異形殺しの連中……全部御前がやったのか」
「然り。安心せい、死んどらんよ」
「そう」
「そうじゃ。して、お前さんはどうじゃった?大蜘蛛の始末は出来たのか?」
「うん、終わった。色々と壊してしまったけど」
「ほぉーそれはさぞかし後始末が大変じゃろうなぁ」
心做しか落ち込んだ風の鬼を盗み見る。
かつて神だった人の子は鬼へ堕ちた。しかし、なけなしの感情すら壊され幾星霜の果てに記憶を置き去りにしてしまっても、この子はまだ里を護り続けている。栄枯盛衰を繰り返す人間の営みを、ずっと同じ場所で見続けている。もうその山すら切り崩されて跡形も無いというのに。忘れてしまった約束に縛られて、どこにも行けないでいる。……なんて憐れで愚かな子だろう。
「……それに付き合う妾も大概阿呆じゃな」
「御前が阿呆なのは知ってる」
「なんじゃとぉ!それならお前は痴呆じゃろうが!」
「あながち間違っては無いかも知れない」
「そこは否定せんか!言った妾が悲しくなるわ!……大体、お前さんが大蜘蛛を始末している近くで人間がうろちょろしておったから相手してやったのに、感謝のひとつも無いとは!」
「嗚呼、そう。有難う。だけど近くに居たな、人間。取り零しているよ」
「嘘ぉ!?妾とした事が!」
街が目覚め始める。狭い空が白んでいくのを見上げながら、願わずにはいられない。
どうか、この憐れな鬼の子が穏やかに生きられる日が訪れんことを。呪縛から解き放たれ、己の為に生きる喜びを知らんことを。
お前が幸せだとまた笑ってくれるその時まで、共に在らんことを。
むかしむかしある山の麓に、一人の人の子が護る、小さくも豊かな里がありました。その子供には、一匹の狐の友がおりました──
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