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8 御伽噺と雪の話
しおりを挟むシンデレラのお話を知ってる?継母達からいじめられてるシンデレラが優しい魔女の魔法で美しく着飾って、舞踏会で王子様と踊るの。でも魔法は夜の十二時には解けてしまうからシンデレラは慌てて帰るのだけど、その時履いていた靴を片方落としてしまうの。彼女を諦めきれない王子様は片方だけ残ったガラスの靴を頼りに見事シンデレラを捜し出して結ばれる。めでたしめでたし。とっても素敵だと思わない?シンデレラは私の憧れなの。
──あ、そろそろ夜の十二時になるね……ねぇ、あなたがわたしをシンデレラにしてくれる運命の王子様……?
空は薄らと曇り、埃の様に雪が舞う。街灯に照らされた静まり返った小さな公園から耳障りな悲鳴が上がる。半狂乱になって飛び出した男は叫びながら住宅街を走り去る。
呆然と立ち尽くす女に溜息を吐きながら声を掛ける。
「……また逃げられた。これで何度目だろう」
錆び付いた遊具の上から男が逃げていった方を見遣る。返事は無い。暫くの静寂の後、公園の中心で佇んでいた影が突如大きな音を立てて崩れ落ちた。
「うわぁぁん!またダメだったよぉぉ!うえぇぇぇん!」
甲高い声が反響して鼓膜を潰さんとする。思わず耳を掌で塞いだ。
「嗚呼、煩い。目的は果たした。僕は帰る」
「あ゛ぁぁぁまってよぉぉ!なぐさめてよぉぉごぼれぢゃぁぁん!」
キーキーと泣き喚く彼女は僕を両手で掴んで離さない。喚き声で視界が回る。掴まれた身体から骨の軋む音がする。
「分かった、待つから……帰らないから黙って離して……殺しそう……」
すぐに静かに解放された。
積もる雪に反射した光が寝静まった街を淡く照らす。寒々しい深夜の公園にある古びた滑り台に凭れ掛かった彼女は、薄汚れた絵本を閉じ大きく伸びをして僕に笑顔を向ける。
「ふぅ、なんとか立ち直ったよ。ありがとね、零れちゃん!」
「嗚呼そう。僕は頭が痛い」
「あぅ、それは本当にごめんね。でもこれが私の声だもん、変えようがないよ」
「一々喚かなければもう少しましになる。それとその呼び方は止めろ」
「それは無理だね。だって悲しいものは悲しいもの。それに零れちゃんは零れちゃんだからね、零れ鬼の零れちゃん。だから、ね!仕方ないね!」
彼女は即答すると、何度も読み返されて今にも剥がれ落ちそうな絵本を大事そうに抱える。僕は彼女に積もっていく雪を眺める。十二時の魔法が解ける度に傷付くこの愚かな異形を、傍らで見ているだけの非合理しか無い関係が僕達だ。
彼女に関わってしまったのは偶然だった。寝床の古びた廃工場には小物の異形だけでなく、穢れた人間も稀にやって来る。それらは小物共の腹に収まるのが通例だが、例外も有る。
その日は酷い雨で、僕の調子も頗る悪かった。醜い男共が引き摺ってきた女は弱々しく震え、今にも食われそうだった。何が如何なろうが所詮は肉なので如何でも良いかと傍観していると、震えていた女が突然膨れ上がった。
服が裂け皮膚が灰色に変色する。爪が伸び鋭い牙が大きく開いた赤い口から覗く。人間の倍以上の背丈に蝙蝠の頭を乗せた異形は、酷く不快な音を発しながら発達した腕で男共を横薙ぎに払う。人間は悲鳴を上げる間も無くひしゃげて落ちた。
そこからが大変だった。完璧に人間に擬態できる異形に少し驚いて反応が遅れたのが良くなかった。蝙蝠頭の異形は脳に響く超音波で喚いて喚いて喚き散らして、人間だった残骸を狙って近寄る雑魚をその図体で磨り潰し、正に癇癪を起こした餓鬼の様に暴れた。色々と酷かったが兎に角煩い。雨も相俟って脳が弾けるかと思った。気が触れそうなので黙らせなければならないが、聴覚が掻き乱されて上手く動けない。そこで上から彼女に声を掛け、話を聞きなんとか宥め賺して鎮めた。そして何時の間にか懐かれ掴まれ縋られて、今に至る。全く理不尽な話だ、僕はただ寝床で大人しく眠っていただけなのに。
御伽噺。空想、妄想、ファンタジーとも言う、人間が作り出した架空の物語。現実では有り得ない現象や展開を敢えて用いて紡ぐ、人間の欲望と夢と理想の世界。
彼女は人間に逃げられる度、傍らで始終寸劇を見せられていた僕に御伽噺を語って聞かせた。特に姫と王子の恋物語が好きらしく、様々な御伽噺を聴いた。彼女の声は猛毒だけれどすぐに死ぬ訳でも無いからと、騒がれたくない一心で好きにさせる事にした。
シンデレラに成りたいのだと彼女は言った。例え美しい魔法が解けたとしても追いかけてくれる王子様と結ばれる結末が羨ましいのだと。聞いてもいない事を淀みなく話し続ける彼女の表情は絵本の中の夢見る少女そのもので、所詮人間は外見だけだろうとか大前提としてシンデレラは美しい人間の女だろうとか、思う事は有ったがまた暴れられても嫌なので大人しく飲み込んだ。
一度、何故御伽噺に拘るのかと訊ねた事が有る。人間と異形は決して相容れない。御前がどんなに歩み寄ろうとも、本来の姿を見せれば人間は恐れて逃げていく。王子様が欲しいなら異形の御前を見せなければ良い。すると彼女は馬鹿を見る様な目を僕に向けて言った。
『何言ってるの?それじゃ真実の愛は得られないじゃない。零れちゃん大丈夫?』
何時の間にか物思いに耽っていたらしい。僕にも僅かに雪が積もっている。
「ねぇー零れちゃーん?聞いてるー?」
「あ?何?」
吐いた息が白い。彼女は異形の癖に逞しい二の腕を擦っている。
「聞いてなかったの!?ひどい!」
「騒ぐな煩い」
頭に彼女の声が響く。思わず頭部を押さえると彼女が僕を心配そうに下から覗き込んでくる。
「零れちゃん機嫌悪い?どうしたの?」
「何も無い。それで?」
視線だけ向けると、彼女は思い詰めた顔で僕を見上げる。
「うん、あのね……もう、やめようかなって思って……」
「止める?何を」
「だから、もう終わりにしようと思うの。シンデレラになるのは諦める」
「そう。好きにすれば良い」
長い沈黙が降りる。彼女は呆けた顔で目を瞬かせている。
「……えぇ?」
「好きにすればって言ったの。聞こえなかったのか」
「聞こえたけど……それだけ?」
「それだけって言われても。御前が始めた事を御前が止めると決めたのなら、外野が口出しするのは御門違いだと思うけれど。嗚呼、それとも引き留めて欲しかったの」
「そうじゃなくて!理由を聞いてくれたりとか!」
「嗚呼そういう事……如何して?」
面倒臭いが取り敢えず訊いておく。彼女は満足そうに頷きながら顔を曇らせるという無駄に器用な事をする。
「今までたくさん人間の男が寄ってきたけど、いつも本当の私を見るとバケモノって叫んで逃げていくの。私はただシンデレラになりたかっただけなのに。魔法が解けた醜い私でも素敵な王子様と結ばれるって、真実の愛は芽生えるんだって信じて頑張ったのに、結局真実の愛なんてどこにもなかった。王子様なんていなかったんだ。それが辛くて、悲しくて……どうして私の努力は報われないんだろうって」
「そう。本音は?」
「どいつもこいつも顔、顔、顔!あげくの果てにはオッパイがあればいいって!なんなの!?人間の雄ってこんなにつまらない生き物なの!?最低!幻滅!おとぎ話なんてやっぱりただのウソじゃん!」
彼女は溜め続けた鬱憤を僕にぶち撒け出した。本来の彼女の声は甲高くて人間には全く聞こえない。幾ら声を荒らげても聞こえるのは異形だけ。
「そりゃあ人間にしたら私なんて化け物だろうけど!でも会話出来たじゃない!一緒に遊んだじゃない!それでもダメなの!?ホントにひどいと思わない!?思うでしょ零れちゃん!」
「そうかな。人間なんて所詮その程度だろう?」
「あぁー!?零れちゃんの裏切り者ぉ!」
空が白み始める。何時の間にか雪は止み、錆びた遊具に降りた霜が淡く輝く。
「うーん、愚痴ったらスッキリした!ありがとう零れちゃん!」
「はぁ、疲れた……」
鼓膜への集中攻撃にげんなりしていると、彼女は穏やかなのだろう声音で僕に話し掛けてくる。
「零れちゃんは優しいんだね」
「……優しい?僕が?」
「そうだよ。私の話をちゃんと全部聞いてくれるんだもん、優しいよ」
「それは御前の声が耳障りで本調子が出ないだけ」
「えへへ、知ってる。ずっと言われてきたもん。でもどこにも行かずにこうやって私と話してくれるの、零れちゃんが初めてだったからとっても嬉しいの」
「初めて?」
「うん。本当はね、異形からも嫌われてたんだ、私。一緒にいると耳が痛いって」
「まぁそうだろうね」
見も知らない異形に同意すると、彼女は一瞬僕を睨んで話し続ける。
「誰もそばにいてくれなかったから、人間なら私を見てくれるんじゃないかって思ったの。人間の声なら耳は痛くならないでしょ?頑張って擬態を覚えて、人間の女の子の仕草をマネしたの。絵本はたまたま拾って、文字を読む練習に使ったんだ。始めはよく分からなかったけど、やっと全部読めた時に、人間はこんなに素敵な結ばれ方で番になれるんだってびっくりしちゃった。だから私もおとぎ話のお姫様みたいに綺麗なドレスを着て、王子様みたいな勇敢で誠実で真っ直ぐに私を見てくれる人間と結ばれたいって思った。結局ムリだったけどね」
彼女は自嘲する。
「零れちゃんの言うとおり、人間は異形が大嫌いなんだね。私は人間を傷つけたりしないのに」
「嘘。あの時御前潰して──」
「あれは仕方なかったの!いきなり車に押し込まれそうになったから逃げたら追いかけられて捕まったの!不可抗力!正当防衛!」
「嗚呼、そう……」
彼女は咳払いの様に息を吐き、気を取り直して続ける。
「だからもう終わり。夢を追いかけるのはやめにする。これからもずっと一人で生きる決心はついたから。零れちゃんともこれでお別れだよ」
「はぁ、やっと頭痛から解放される」
「もぉーそうじゃないでしょー」
彼女は穏やかに笑っている。全く、調子が狂う奴だ。
「……この街から出るのか」
「そのつもり。私ってばやり過ぎて結構有名になっちゃったみたいだし?口裂け女とコウモリ女で同列らしいよ!」
「……ふぅん?」
意味が分からなくて首を傾げていると、彼女が右の手を差し出してくる。
「私のワガママに付き合ってくれてありがとう。初めて自由にお話ができて、すごく楽しかった!」
手を差し出された時の返し方は知っている。僕は暫く迷って、結局両の手で握った。如何様にも形を変えられる歪な僕の手を、彼女も両の手で握り返した。手の大きさは彼女の方が少し大きい位で、不思議と嫌な感じはしなかった。
「身も軽いし、いろんな所を旅していろんな物を見てくるよ。いつかまた会えたら、いっぱい私の話をしてあげる!今度はウソじゃない、本当のお話だからね!」
夜が明けて、少しずつ太陽が顔を出す。彼女が笑う。僕は眩しさに眼を細める。
「……僕は此処に居る。御前が望むなら何時だって話せるよ。御前が生きていれば、だけど」
「やっぱりひどいなぁ!零れちゃんは!ちゃんと生きてるよ!」
「そう、そうだね」
手を離す。彼女の身体が影に溶けていく。
「それじゃあ、またね!零れちゃん!」
「また何時か......あ、ねぇやっぱりその呼び名は…………まぁ、良いか」
涔涔と雪の降る街は何処も彼処も灰を被っている様だ。幾分か膨れて見える人間達が何時も通り足早に歩いてはすっ転んでいる。
何時だったか黒狐が持って来た分厚い古びた本では、シンデレラは硝子の靴を履こうとした従姉妹に足指や踵を切り落とせと助言をしたり、報復を受けた継母や従姉妹を見て高笑いしたり、碌な奴では無かった。人間の本性が醜い事には変わりない。結局御伽噺は人間の都合で出来ているだけに過ぎないのだ。どの道彼女はシンデレラには成れなかっただろう。
街に蝙蝠女の面影はもう無い。異形は闇に、影に溶ける。その性質上、例え人間に遭遇してもやがて記憶から消えていく。人間の記憶力程度では何もせずとも忘れるだろう。僕は未だ覚えている。多分ずっと待っている。約束なんて言う程確かな物でも無いけれど。何時かまた逢えたなら、その時は────
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