零れ鬼

戦うぴっき

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9 死にたがりの話

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 衝撃。
 全身が潰れたような、バラバラに千切れたような感覚。景色がぐるんと回って、べちゃりと背中から地面にぶつかる。痛みは不思議と無いが、指一本も動かせる気がしない──俺今どうなってるんだろ。流れる雲をぼんやり眺めていると頭の上から影が落ちた。
 頬をくすぐる真っ赤な髪。俺を覗き込む充血しまくった目。額からは小さなツノが生えて…………つのぉ!?


「全く、意識が有るならそう言え、危ないな。ぶつかって痛いのは御前だ」
「は、はぁ……すんません……?」
 飛び起きた俺を間一髪で躱したソレは、まるでゲームに出てくるモンスターそのものだった。二本のツノに尖った耳、灰色の肌。ファンタジーな服装にぐるぐる巻きのアンバランスに大きな腕。ぐにぐに動くグロテスクな腹から伸びる触手、燃えながらふよふよ浮く手。ベースは人間の子供のようだし色々盛られてるが間違いない。コレは、ゴブ──
「異形の僕を見ても怖がらない人間は、もう珍しくも無くなってきたな」
「へ、異形……?異形って、あの異形?」
「その異形だ」
「はぁ?嘘つけ」
「本当」
「だって、異形って言ったら人間を食べる化け物のことだろ。夜に活動するって学校で勉強した」
「間違いでは無い。正解でも無いけど」
「異形は人間を見つけたら襲いかかってくるって書いてた」
「僕達は獣か何かか?他には?」
「気持ち悪い見た目をしてる」
「何せ"異形"だからね。人間様からすれば不快な姿なんだろう」
「いや全然。カッコイイじゃん、ゲームに出てきそうで」
「は?」
「ん?」
 ゴブリ……自称異形の子供はぽかんとした顔で首を傾げている。年相応の間抜け面に思わず笑うと、今度は睨んできた。
「何が可笑しいの」
「だってさぁ。全然怖くない異形なんて居るんだなって思ってさ」
 全く攻撃してこないし、会話もできる。普通の人間の子供と大して変わらないように見える。俺がニヤニヤしながら見ていると、自称異形の子供はため息をついて俺を覗き込んできた。
「はぁ、もう良い……本題だけど、さっき何しようとしてたの、御前。人間が巫山戯て良い高さでは無いだろう」
「…………あ」
 そうだった。急に周りが鮮明に見え始める。遠くに見えるビル群。何も無い屋上。さっき乗り越えたはずのフェンスがガシャンと音を立てる。今更ながらに全身がガタガタと震えて止まらない。空が近くてとても青い。冷たい風が汗でぐっしょり濡れた身体を突き刺す。


 俺は死にたかった。死にたい理由なんていくらでもあって、言い出したらキリがない上どれもこれも理由というにはしょうもないものだ。仕事がうまくいかなかったとか、友人が出来ないだとか、親がうるさいとか金がないとか。学生時代に描いた理想の社会人生活は砂のように崩れ去った。朝から晩までパソコンとにらめっこで休む時間なんてありやしない。やっと片付いたと思ったら倍以上の仕事が降ってくる。夢も趣味も何も無い。ひたすらに働いてクソ上司に怒鳴られてを繰り返す毎日。女はどいつもこいつもイケメンエリートのタマを追いかけて俺のような底辺には見向きもしない。だからといって見返してやろうという気概もなく、立ち上がる勇気もなく、ただ与えられる物をヘコヘコ頭を下げて受け入れるだけ。奨学金返済と親への仕送りでなけなしの給料は飛んでいくし、そもそも時間がないから金の使いどころもない。
 そんなつまらない生活を続けて二年、我慢できなくて奮い立たせた勇気でするのは紐無しバンジー。でも結局ビビって引き返そうとしたらバランスを崩して、あぁこれは終わったと思った。そしたらいきなりものすごい力で引っ張られて、今に至る。


「俺、何しようとしてたんだろ……」
「死のうとしたんだろう。とびこみじさつ」
「……飛び降りな。飛び込みは電車」
「そう。何方でも構わないけど。兎に角僕は邪魔をしたって認識で良いの」
「…………邪魔じゃないです……」
「何故?御前の死ぬ邪魔をした」
「死にたくなかったから邪魔じゃない!むしろ命の恩人!ありがとうございます!」
「死にたくないのに死にたいの?理解出来ないな」
「……そうだなー、なんかこう、突然?ドーンって爆発するっていうか、こう、死にてぇー!って思う時があるっていうか」
「ふぅん?」
 自称異形は本当に分からないという顔で俺の話を聞いている。そりゃそうだ、俺も分からない。
「ほんとは死にたくなんかないと思う。まだ何もしてないし。でも死にたいんだよ。何もできる気がしないから」
「生きる為に何かを成す必要が有るの?」
「ある。何も無かったら生きてる意味ないって思うワケ」
「生きる事に意味が要るのか」
「そりゃそうだろ。生きてる事に意味がなかったら死んでもいいやって思うだろ」
「思わない」
「……お前はそうだろうけどさぁ、俺たち人間は思うんだよ。生きてる意味とか価値とか言っちゃうの」
「鬱陶しいな」
「バッサリ切り捨てられるととても困る」
「なら如何すれば死にたくなくなる?」
「それは……」
どうすればいいんだろう。死にたいとずっと思ってきて、どうすれば楽に死ねるかは考えたけど、どうすれば死にたくなくなるかは考えてこなかった。
「好きな物があるとか?恋人がいるとか?したい事があるとかじゃねぇかな」
あぁ、言ってて悲しくなってきた。特大ブーメランがぶっ刺さる。死にたい。
「死にたくない理由が要るのか」
「まぁそうだろ。思いとどまって頑張ろうと思える理由が必要だろ」
「ふぅん……なら御前は何か死にたくない理由が有ったのか」
「いや?特にねぇけど」
「は?」
「え?」
 自称異形が凄まじい顔で俺を見下してくる。バカを見る目だ。
「な、ん……何なんだ御前。言っている事が滅茶苦茶だ。馬鹿にしてるのか」
「してねぇよ!?俺はビビっただけ!ちょっと勇気が足りなかっただけ!」
「恐怖で止めただけか」
「……多分、本当に死にたいヤツは恐怖なんて感じないんだろうな。だから死ねるんだ」
「御前は本当に死にたい訳では無かったと?」
「本当に死にたかった。でもいざ死ぬとなると、本当にこれでいいのかなって思って……死ぬ以外にも方法あるんじゃねって」
「その方法は?」
「わかんね」
「んん……?」
 自称異ぎょ……ゴブリンはいつの間にやら俺の隣に座り込んで難しい顔をしている。切り揃えられた赤い髪が風にサラサラとなびいて、灰色の横顔が見える。
 ふとイタズラ心が顔を出して、ゴブリンの頬をつついてみた……反応はない。もう一度つついてみた。無視された。指を頬に突き刺した。思ったより柔らかい。結構沈む……っ!
「いっっってぇ……!噛んだ!?俺の指!」
「巫山戯ているからだ。加減はした。それより、死にたい人間は何をしている?」
「へぇ?」
「色々と聞きたい。それなりに興味が有る」


「だぁー!疲れた!何コレ拷問!?」
「煩いな。拷問なんてしていない」
「俺の黒歴史から何から根掘り葉掘り聞いといて!?やだよもう地獄だ……!」
「御前も色々しただろう?好きにさせてやっただろう」
「……」
 ツノはとても硬かった。腹の触手はむにむにしてて若干湿ってた。
「だって飽きたんだもん!つまんね!フモウだ!」
 いつの間にか日は傾いている。あーあ、昼飯食いそびれた。俺は胸ポケットからタバコを取り出してくわえる。ライターは確かズボンに……あった。火をつけようとしたが、何回やってもライターはうんともすんとも言わない。俺の代わりに逝ってしまったか。


「……埒が明かないな」
「んぇ?」
 そろそろ暗くなろうかという頃、ゴブリンは突然立ち上がって俺を見下ろしてきた。その目はひどく冷たくて、突き放されたような気がした。
「僕には人間の考えは理解出来なかった。死にたがる人間なんて尚更理解出来ない。それを再認識しただけだった。時間の無駄」
「じゃあ今までのはなんだったんだ?」
「見分ける術を知りたかった。見分けられれば無闇に他の異形を絞めて廻らずに済む」
「は……?」
「意味だの何だのと下らない思想に取り憑かれた人間が自ら死を選ぼうが異形に喰われようが、結果は同じだ」
 化け物のようなことを言い出したゴブリンについていけない俺はあたふたするしかない。
「はぁ?いきなり何言ってんの?」
「生きる気の無い人間が喰われて死んだって問題無いだろう?」
「いやあるだろ!」
「何故」
「なぜって、そりゃあ誰も殺されたくはないからな!」
「死ぬ事には変わり無い」
「違うだろ!それ、死のうとして死ぬ訳じゃないんだろ。殺されそうだけどどうせ死にたがってるし別にいいか、みたいなノリってことだろ。そんなの誰も望まないに決まってる」
「…………嗚呼、成程。そう言う事」
 ゴブリン野郎は俺をじっと見つめてくる。目を逸らせば負けな気がして、思いっきり睨みつけてやる。
「御前、明日を疑った事は有る?」
「…………はぁ?何?いきなりポエム?」
「教えてあげる、明日が有る事の難しさを」


 振り下ろされた腕から逃げようとして思いっきりこけた。ブォンと良い音をさせて空振った腕がより大きく見える。踏み潰そうとしてくる足をゴロゴロ転がって避けた。今の映画みたいじゃね!?っていやいやちょっと待て!展開が急すぎる!ゴブリンに助けられたと思ったら今度は殺されそうになってるとか何それ草、いや笑えないんだけど!
 慌てて立ち上がって距離を取る。じりじり後ずさるとゴブリンがその分前に出る。
「やっと理解出来た。人間は生きている事を当然だと思ってるんだ。死ぬかも知れないなんて思っても無いんだ。だから死にたいだなんて言えるんだ。自分が死なないと思っているから」
ゴブリンは止まらない。ぶつぶつ言いながらどんどん近づいてくる。
「死に怯えず生きられる癖に、生きる事に怯えている。苦しまずに生きられる癖に、生きる事に苦しみを探している。何て傲慢。反吐が出る」
ぎらついた目が俺を捉えて離さない。フェンスが背中にぶつかって抗議の声を上げる。
「生きる事の意味?生きている事が意味、価値だ。それ以上が必要か?」
腕の形が変わっていく。細く、鋭く……殺す為の形になる。
「己の力で生きていると思っているのか?御前達は生かされているだけだ。揺籃に護られた赤子と何が違う?何も違わない」
 化け物が目の前に立つ。全身が震えて声も出ない。フェンスを乗り越えた時より怖い。
「明日が有ると疑わず生きられる事が幸福と言わずに何と言う?」
ゆっくりと腕が引かれていく。思わず目を強く瞑ってしゃがみ込む。どうしたらいいのか分からない。このまま終わってしまうのか?
「御前達の思い通りに生きられると思うなよ、人間如きが」
 どうすればいい?謝ったら許される?
 まだやりたいことがあるんだ。見たいテレビもあるし、欲しいものも割とある。彼女だって欲しいし、母さんが悲しむからこんなとこで死ねない。
 それ以上に、ただ死にたくない。いやだ、こわい、おねがい、やめて、ころさないで。
「────生きたい────」


 衝撃。
 全身が潰れたような、バラバラに千切れたような感覚。体がぐるんと回って、べちゃりと地面に背中をぶつける。かなり痛い。指一本動かせる気がしない。
 ──俺、死んだのかな……それにしては──
 閉じていた目をゆっくり開ける。映るのは白い天井と、くしゃくしゃになった親の顔。消毒液の匂いと、規則正しい電子音。背中には地面じゃなくて硬いマットの感触。
 あれ、俺今まで何してたんだっけ……確か死のうとしてビルの屋上に行って……あれ?思い出せない。すごく怖い夢を見た気がする。何だっけ、化け物に襲われる夢?
 鳥のさえずりが聞こえる。朝日が柔らかく差し込んでいる。白衣を着た男がやってきて俺を見、モニターを見、笑顔を見せる。親が泣きながら怒ってくる。はいはいごめんって、もうしないから、大丈夫。ちゃんと生きるから。
 あぁそうだ、ライター買い換えないと。明日、は流石に無理か。じゃあ明後日、明後日買いに行こう。
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