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 秋分を過ぎて、日が落ちるのも早まってきている。

 奈恵は圭介にメールを打つ。
「今度の土日は、パパもママも留守」
 送信して、すぐに削除する。
 十月の、二週目の木曜の事だ。
 週末を思って、奈恵はちょっとだけため息をついた。

 いけないことをするのだと解っている。
 コンビニで、十八歳未満お断り、と書かれた雑誌を横目で見た。言い訳程度に局部が隠されている裸の女の人が大きく足を広げて、物欲しそうな顔をしてこちらを見ていた。
 あの夏に、奈恵はあの雑誌の女の人と同じように圭介にそんな姿をさらした。そんな自分を恥ずかしくいやらしいものに感じた。

「何時頃ならいい?」
 圭介の返信はそれだった。
「ママはお昼頃出かけて、夕方に帰ってくる。パパは朝早くからゴルフ。帰るのは遅く」
「それなら、昼ごろ行く。駅に着いたら電話する」
 全てのやり取りを、奈恵はすぐに削除した。
 はあ、と溜息をついた手元で、また携帯が振動した。
「楽しみ」
 圭介からのメールだった。
 削除。
 
 母親を、門扉のところまで送って、奈恵は家に戻った。
 胸がドキドキしている。

 奈恵の父はとある会社の取締役である。母は専業主婦だったが、奈恵が中学に入る頃にカウンセラーの勉強などを始めて、週末には研修などで不在がちだ。二人共に、とかく忙しい。
 兄弟の居ない奈恵は、時々、一人になることがある。去年までは一応はバレーボール部に所属していたから、土日でも部活動があるときは家に居なかった。それもあって、奈恵の母は、自分も何か、と勉強を始めたのだった。
 そんな事を、圭介の母に話したのだろう。姉妹は仲が良い。
 そして両親の留守を知り、圭介は奈恵の家に来るという。

 奈恵の家は駅からさほど遠くはない。線路を行きかう電車の音がよく聞こえる。
(何を期待しているの)
 自分が恥ずかしくなるようだ。奈恵は携帯電話を汗ばむほどに握り締めている。いつ、圭介から連絡が入るか、それを待っている。
 電車の音が聞こえるたびに、手元を見つめてしまう。
 叔母さんも叔父さんも居ないときに、と圭介は言った。求めていることは明瞭だ。

 どうして。
 奈恵は何度か思った。
 圭介が入院しているときにすれ違った、あのさおりという人の姿が記憶から消えない。あの人が居るのだろうと思うのに、どうして、奈恵のところに圭介は来るのだろう。さおりと付き合っているのではないのだろうか。
 圭介、さおり、と互いに呼び合っていた。親しげな雰囲気をかもし出していた。テレビで見る女優のように綺麗なさおりと、CMで見かけるアイドルのような風貌の圭介は、お互いにふさわしく見えた。何より二人が並んだ姿は自然だった。
 彼氏とか、彼女とか、そういう関係以外のものには、奈恵には見えなかった。奈恵の母もそう見たようだった。

 もういやなのに、と心の上のほうで奈恵は思う。
 嫌、と抵抗しても圭介は何も聞き入れずに、力任せに奈恵を押さえつけて、奈恵を犯した。強姦という言葉を後で知ったが、そういうものだったように思えてならない。怖かったのも確かなことだ。
 恥ずかしいところを圭介が押し広げてくちゅくちゅと音を立ててかき混ぜるのが、いやらしく思えて、嫌悪を感じる。
 それでも、それを思い出すと身体の芯が熱くなる。心の上澄みではいやらしいと嫌悪しながら、心の底の方では求めているように、鼓動が早くなる。(私がいやらしいみたいに)思うと、奈恵はうなだれたくなる。
 圭介から電話があった日に、思わず自分で自分に触れてから、今日までに同じ事を三度した。
 昨日もそうだった。明日は、と昂ぶって眠れなくなり、気づけば、奈恵は自分の中に指を沈めて身悶えていた。
 圭介が怖い。圭介が欲しい。どちらも奈恵の中にある。心の針の振幅が激しく、どちらかの思いに偏ると、反対側の自分の感情を嫌悪してしまう。小さな心の中がそのせめぎあいで苦しくなっている。
 は、と奈恵は玄関にしゃがみこんで溜息をついた。

 いずれにしても、もうすぐ圭介は来る。

 奈恵、と圭介は携帯電話に向かって言う。
「だいたい覚えてる。多分もうすぐ着く」
 返事も待たずに電話を切った。
 奈恵は何も言わなかった。ただ、息遣いだけが圭介の耳元に届いていた。

 松葉杖での歩行というものに慣れていないために、道のりはなかなか厄介だ。確か、記憶では駅を下りてから五分とかからなかったような気がする。周囲の風景には見覚えがある。だがまだたどり着かない。
 圭介は病院の帰りだった。リハビリに通っている。母が送り迎えをするというのを、リハビリの一環になるから、と今日ばかりはかたくなに断った。
 前に奈恵の家に行ったのは、と思い出す。母に連れられて、幼い頃から奈恵の家にはたびたび訪れていた。最後に訪れたのは、高校に入る前の正月くらいのことだっただろう。もう二年か、三年近く前になる。

(まさか、こんなことになるとはね……)
 そのころの奈恵を思い出すと、今のことが少し笑えてくる。
 あの頃の奈恵は、本当に子供だった。もっと髪を長く伸ばしていて、二つに不振り分けた髪を可愛らしい赤いような飾りのついたゴムで結んでいた。そのうち美人になるだろうな、とは思ったが、それだけだった。
 はきはきとしゃべる叔母の陰にこっそりと隠れて、圭介を見ていたような、年齢の割りに頼りない内気な子だと、そんな印象が残っている。
 その印象は今でも変わらない。奈恵は、内気な性質だと圭介は思う。あまり物事をはっきり言えない、そんな少女だ。
 もっとしっかりと人の目を見て話すような、明るくはきはきした性格であれば、奈恵ならばきっと男子に人気が出たに違いない。顔はかなり可愛いほうだと思うが、奈恵のようにうつむきがちでおどおどした性格では、同じ年であったら、つまらなくて面倒くさい女だと思うだろう。

 だから、確信がある。
 そういう性格である奈恵だから、決して圭介との出来事のことをこれまでも、またこの先にも誰にも言わないだろう。言わないのではない。言えない。

 そしてまた、もう一つの確信がある。
 奈恵は、求めれば断らない。断れない。

 圭介は「皆川」と表札の掛かった家の門扉を開けた。きい、と軋る。
 少し汗ばんでいた。

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