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不意に、加恵は背中に悪寒を覚えた。
もしや、と思ったのだ。
此処はまさか、城内ではないだろうか。
だとしたら、この中にいる若い男というのは、つまり……。
加恵の目の前で、襖が開いた。
入れと命じてからいつまで経ってもそこが開かないことに業を煮やしたのだろう。
「名は」
人を見下すことに慣れきっている声音である。
「加恵、と申します」
震えて平伏する。
間違いがない。この男は、藩主の次男の仙之介雅義だ。
震える加恵の腕を掴んで、仙之介は寝間に彼女を引きずり込んだ。行灯の薄明かりの中、細面の慎ましやかな造作の加恵の顔を見て、醜からざる仙之介の頬が笑み歪んだ。
貴種らしい端整な顔立ちだが、その表情には獣性が宿る。
剣をずいぶん修行したという仙之介は分厚い肩と胸を持っている。その胸に押し潰されて、加恵は吐息をわななかせた。その呼気を仙之介の唇が引き取った。
ここで殺されるのかと、加恵は恐怖に震えた。噂の通りであれば、この事が極まったときに、仙之介に縊り殺されるのだろう。
昨日と同じ明日が繰り返されるのなら、生きていたくもないと思う加恵ではあるが、やはり命を失うことは怖い。何より、加恵を亡くせば、立ち行かない家族が居る。
だが、既に加恵は虎口に捕らえられている。
唇を貪りながら、仙之介の手が加恵の着衣を剥ぐ。生まれてこのかた満腹という事を知らぬ身体は細い。膨らみの足らぬ乳房を、それでも興趣深く仙之介の掌が押さえつけた。
男の手を恐ろしいとはもう思いもしない加恵だが、噂に聞いているだけに仙之介のことは恐ろしかった。どうすれば逃れられるのだろう。そればかりを考えた。
だがどうしようもない。彼の太い腕は加恵の細い身体に力強く巻きつき、離す気配も無い。
「お前、身体を売っているのか?」
加恵の身体に触れながら、仙之介は嘲りを含むような声でそんなことを言う。
「この俺で、何人目の男だ?」
くく、と喉の奥で彼は酷薄に笑っている。
不意に加恵が首を反らせる。仙之介の指先が加恵の花芯を弄っている。嫌、という言葉を加恵は自分の掌の中に埋めた。
「嫌なものか」
聞きとめて、鼻先で嘲るように言いながら濡れた指先を加恵の頬に擦り付け、それを舌先で舐めた。
目に涙を溜めて戦慄する加恵を歪んだ笑みで見た仙之介のその表情が、加恵の肌の上を下降した。
そんな、と加恵は悲鳴を上げる。か細い脚を存分に左右に押し広げた上、秘所に仙之介が喰らいついている。
悪評の高い男とはいえ、殿様の子である。加恵には雲の上の存在のはずだった。そんな貴人にそのようにされたことで加恵はひどく動転し、取り乱して何度も身を捩った。
おやめ下さい、と何度も言った。
その加恵の反応を仙之介は楽しんだ。狼狽して揺らぐ身体が、えもいえぬ曲線を描き出す。耳を覆いたくなるような下卑た音を立てて、加恵を啜った。震える音色がそれに連なる。
悩乱した様子の女の身体の上に、仙之介は上体を起こした。
加恵の手を取って、自らのそれに誘う。熱く天を向いていた。加恵は絶望的な嘆息を漏らした。いよいよ来たのだと思い、目蓋を閉ざした。
加恵の手ごと己を掴んだ仙之介はそのままそれを加恵の中に沈めた。眉を寄せ、唇を震わせて泣く加恵の腰を力強く抱え、仙之介はその滑らかな坩堝を掘削する。
なかなか良い味わいだと言いながら、仙之介は加恵を堪能している。
やがて、怯え、拒んでいた加恵が、熱に酔ったような声を発し、背を撓ませ始めた。慎ましやかで貞淑な面差しの眉を寄せながら、男を受け入れる其処だけが淫らに蠢いている。倒錯した視覚と感触に、仙之介は昂ぶりきった。
やがて乱れた髪を纏いつかせた細い喉に、骨太な指が掛かった。
声にならぬ声で、加恵は喘いだ。
女の首を絞めてその呼吸を止めたときの痙攣を味わうのを、一度知って以来やめられない。
無論、毎回そうするわけではない。仙之介も一応はその仕草で命を落とした女を哀れだと思うこともあるのだ。よほど無我夢中になったときでもないと、そのようにはしない。
藤崎が居なくなったことで、女の調達が困難になった。
用人に、睦言のときに女を殺めるような真似は止めるようにと懇願されていた。周囲の状況が変わり、容易に代わりの者を探すことが出来なくなったというのだ。
まったく窮屈な話である。
癇立った仙之介が、なんとかせよと喚き散らしたために、用人が「今宵限り」と言って、辻に立つ女を連れてくると言った。
それで良い、と仙之介は頷き、その際に、もう代わりの女はいないものと心得よと用人に念を押されたのである。
であれば、これ以上加恵の首に掛けた利き手に、力を籠めてはなるまい。
仕方なく、喉元から頬へと掌を上昇させ、親指を加恵の唇に含ませた。仙之介に揺るがされる加恵の舌と歯が、時折その指先に絡んだ。存外に淫靡な感覚があるものだと知った。
仙之介に貪りつくされて朦朧となった加恵は、それでも生きながらえた安堵で、夜明けの光をひどく美しいものに見た。
朝になって昨夜の老女にまた湯殿に連れて行かれ、髪まで洗うようにといわれてその通りにした。
湯殿を出ると、今度は寝間着ではなく、しなやかな絹の襦袢と縮緬の着物を着せられた。綺麗な姿にしてもらえるのは嬉しかったが、これでは帰れないと加恵は思った。
案の定であったが、その後、加恵を此処に連れて来た用人に、家に帰さないという事を告げられた。その知らせと、代価を家のものに渡すから、ということで加恵は家族の居所を用人に伝える。
こんなことになろうとは、と呆然となった。
山の奥では既に雪が降ったらしい。
そんな噂を遠く聞きながら、登城した新兵衛は納戸方の御用部屋へ向かう
傷が快復してから、新兵衛は納戸方への出仕を命じられた。
それと同時に、また師の居る道場へと通い始めた。負傷のために養生していた月日が長く、ずいぶんと衰えたことで焦りを覚えている。
出仕を命じられる少し前から、新兵衛は自宅での鍛錬を再開している。
屋敷内を改造した道場は、留守の間は松尾の手で清められていたと見え、報国寺での養生から帰宅したときにも、板敷きの上には塵一つなく、神棚の上の榊も青々としていた。
逸の居なくなった後に下働きに雇われたのは夫婦者で、喜八とお咲と言う。二九歳と二五歳の夫婦で、六歳のミツと四歳の喜一という二人の子供があった。
喜八は僅かに脚を引きずるところがあり、動作が鈍い。
荷を大八車で運んでいたとき、誤って段差を転落し運んでいた荷車の下敷きになった傷だそうだ。その負傷の後は、そのために農家の仕事がおぼつかなかったらしい。
彼らは水城家の領地の民であり、城下の屋敷での働き手の話を、やはりその地の出身である留吉が持っていったときには、村の者達が、喜八に行かせるといいと口をそろえて言っていた。
気立てのいい朗らかな男で、頭の働きもまずくない。傷跡のために動作は鈍いものの、働き者であるのは確かなようだ。妻のお咲もそんな喜八に似て穏やかな笑顔を絶やさぬ女で、やはり身を惜しまずに働く。
二人とも日々の野良仕事のためか艶のいい小麦色の頬をしている。
ミツと喜一も、子供ながら親を手伝って働いているつもりでいるようだ。時折、新兵衛が在宅しているときに廊下を軽い足音で雑巾をかけている気配が聞こえる。ミツが掃除をしているらしい。
新兵衛が療養から帰宅して、喜八ら四人を引見した次の朝、道場で静かに木刀を振り下ろす彼を見つめる目があった。
喜一が、不思議そうな目で廊下に佇んでいた。
「何か、面白かったかね?」
主に声を掛けられて驚いたのか、幼い喜一はそのまま走って逃げてしまった。
同じ事を、逸に問い掛けたことがあった。
そんなことを思い出して、新兵衛はしばし、木刀を床に突いたまま呆然とした。
あれから、過ぎたのは一年であっただろうか。
柔らかな冬の日差しが、道場の窓から斜めに差し込んでいる。それと似た淡い陽光の中で、逸の頬の産毛が彼女の面輪を輝かせていた。
何と遠い日々となったことだろう。
この一年の間の出来事であったとは信じがたいほどに。
もしや、と思ったのだ。
此処はまさか、城内ではないだろうか。
だとしたら、この中にいる若い男というのは、つまり……。
加恵の目の前で、襖が開いた。
入れと命じてからいつまで経ってもそこが開かないことに業を煮やしたのだろう。
「名は」
人を見下すことに慣れきっている声音である。
「加恵、と申します」
震えて平伏する。
間違いがない。この男は、藩主の次男の仙之介雅義だ。
震える加恵の腕を掴んで、仙之介は寝間に彼女を引きずり込んだ。行灯の薄明かりの中、細面の慎ましやかな造作の加恵の顔を見て、醜からざる仙之介の頬が笑み歪んだ。
貴種らしい端整な顔立ちだが、その表情には獣性が宿る。
剣をずいぶん修行したという仙之介は分厚い肩と胸を持っている。その胸に押し潰されて、加恵は吐息をわななかせた。その呼気を仙之介の唇が引き取った。
ここで殺されるのかと、加恵は恐怖に震えた。噂の通りであれば、この事が極まったときに、仙之介に縊り殺されるのだろう。
昨日と同じ明日が繰り返されるのなら、生きていたくもないと思う加恵ではあるが、やはり命を失うことは怖い。何より、加恵を亡くせば、立ち行かない家族が居る。
だが、既に加恵は虎口に捕らえられている。
唇を貪りながら、仙之介の手が加恵の着衣を剥ぐ。生まれてこのかた満腹という事を知らぬ身体は細い。膨らみの足らぬ乳房を、それでも興趣深く仙之介の掌が押さえつけた。
男の手を恐ろしいとはもう思いもしない加恵だが、噂に聞いているだけに仙之介のことは恐ろしかった。どうすれば逃れられるのだろう。そればかりを考えた。
だがどうしようもない。彼の太い腕は加恵の細い身体に力強く巻きつき、離す気配も無い。
「お前、身体を売っているのか?」
加恵の身体に触れながら、仙之介は嘲りを含むような声でそんなことを言う。
「この俺で、何人目の男だ?」
くく、と喉の奥で彼は酷薄に笑っている。
不意に加恵が首を反らせる。仙之介の指先が加恵の花芯を弄っている。嫌、という言葉を加恵は自分の掌の中に埋めた。
「嫌なものか」
聞きとめて、鼻先で嘲るように言いながら濡れた指先を加恵の頬に擦り付け、それを舌先で舐めた。
目に涙を溜めて戦慄する加恵を歪んだ笑みで見た仙之介のその表情が、加恵の肌の上を下降した。
そんな、と加恵は悲鳴を上げる。か細い脚を存分に左右に押し広げた上、秘所に仙之介が喰らいついている。
悪評の高い男とはいえ、殿様の子である。加恵には雲の上の存在のはずだった。そんな貴人にそのようにされたことで加恵はひどく動転し、取り乱して何度も身を捩った。
おやめ下さい、と何度も言った。
その加恵の反応を仙之介は楽しんだ。狼狽して揺らぐ身体が、えもいえぬ曲線を描き出す。耳を覆いたくなるような下卑た音を立てて、加恵を啜った。震える音色がそれに連なる。
悩乱した様子の女の身体の上に、仙之介は上体を起こした。
加恵の手を取って、自らのそれに誘う。熱く天を向いていた。加恵は絶望的な嘆息を漏らした。いよいよ来たのだと思い、目蓋を閉ざした。
加恵の手ごと己を掴んだ仙之介はそのままそれを加恵の中に沈めた。眉を寄せ、唇を震わせて泣く加恵の腰を力強く抱え、仙之介はその滑らかな坩堝を掘削する。
なかなか良い味わいだと言いながら、仙之介は加恵を堪能している。
やがて、怯え、拒んでいた加恵が、熱に酔ったような声を発し、背を撓ませ始めた。慎ましやかで貞淑な面差しの眉を寄せながら、男を受け入れる其処だけが淫らに蠢いている。倒錯した視覚と感触に、仙之介は昂ぶりきった。
やがて乱れた髪を纏いつかせた細い喉に、骨太な指が掛かった。
声にならぬ声で、加恵は喘いだ。
女の首を絞めてその呼吸を止めたときの痙攣を味わうのを、一度知って以来やめられない。
無論、毎回そうするわけではない。仙之介も一応はその仕草で命を落とした女を哀れだと思うこともあるのだ。よほど無我夢中になったときでもないと、そのようにはしない。
藤崎が居なくなったことで、女の調達が困難になった。
用人に、睦言のときに女を殺めるような真似は止めるようにと懇願されていた。周囲の状況が変わり、容易に代わりの者を探すことが出来なくなったというのだ。
まったく窮屈な話である。
癇立った仙之介が、なんとかせよと喚き散らしたために、用人が「今宵限り」と言って、辻に立つ女を連れてくると言った。
それで良い、と仙之介は頷き、その際に、もう代わりの女はいないものと心得よと用人に念を押されたのである。
であれば、これ以上加恵の首に掛けた利き手に、力を籠めてはなるまい。
仕方なく、喉元から頬へと掌を上昇させ、親指を加恵の唇に含ませた。仙之介に揺るがされる加恵の舌と歯が、時折その指先に絡んだ。存外に淫靡な感覚があるものだと知った。
仙之介に貪りつくされて朦朧となった加恵は、それでも生きながらえた安堵で、夜明けの光をひどく美しいものに見た。
朝になって昨夜の老女にまた湯殿に連れて行かれ、髪まで洗うようにといわれてその通りにした。
湯殿を出ると、今度は寝間着ではなく、しなやかな絹の襦袢と縮緬の着物を着せられた。綺麗な姿にしてもらえるのは嬉しかったが、これでは帰れないと加恵は思った。
案の定であったが、その後、加恵を此処に連れて来た用人に、家に帰さないという事を告げられた。その知らせと、代価を家のものに渡すから、ということで加恵は家族の居所を用人に伝える。
こんなことになろうとは、と呆然となった。
山の奥では既に雪が降ったらしい。
そんな噂を遠く聞きながら、登城した新兵衛は納戸方の御用部屋へ向かう
傷が快復してから、新兵衛は納戸方への出仕を命じられた。
それと同時に、また師の居る道場へと通い始めた。負傷のために養生していた月日が長く、ずいぶんと衰えたことで焦りを覚えている。
出仕を命じられる少し前から、新兵衛は自宅での鍛錬を再開している。
屋敷内を改造した道場は、留守の間は松尾の手で清められていたと見え、報国寺での養生から帰宅したときにも、板敷きの上には塵一つなく、神棚の上の榊も青々としていた。
逸の居なくなった後に下働きに雇われたのは夫婦者で、喜八とお咲と言う。二九歳と二五歳の夫婦で、六歳のミツと四歳の喜一という二人の子供があった。
喜八は僅かに脚を引きずるところがあり、動作が鈍い。
荷を大八車で運んでいたとき、誤って段差を転落し運んでいた荷車の下敷きになった傷だそうだ。その負傷の後は、そのために農家の仕事がおぼつかなかったらしい。
彼らは水城家の領地の民であり、城下の屋敷での働き手の話を、やはりその地の出身である留吉が持っていったときには、村の者達が、喜八に行かせるといいと口をそろえて言っていた。
気立てのいい朗らかな男で、頭の働きもまずくない。傷跡のために動作は鈍いものの、働き者であるのは確かなようだ。妻のお咲もそんな喜八に似て穏やかな笑顔を絶やさぬ女で、やはり身を惜しまずに働く。
二人とも日々の野良仕事のためか艶のいい小麦色の頬をしている。
ミツと喜一も、子供ながら親を手伝って働いているつもりでいるようだ。時折、新兵衛が在宅しているときに廊下を軽い足音で雑巾をかけている気配が聞こえる。ミツが掃除をしているらしい。
新兵衛が療養から帰宅して、喜八ら四人を引見した次の朝、道場で静かに木刀を振り下ろす彼を見つめる目があった。
喜一が、不思議そうな目で廊下に佇んでいた。
「何か、面白かったかね?」
主に声を掛けられて驚いたのか、幼い喜一はそのまま走って逃げてしまった。
同じ事を、逸に問い掛けたことがあった。
そんなことを思い出して、新兵衛はしばし、木刀を床に突いたまま呆然とした。
あれから、過ぎたのは一年であっただろうか。
柔らかな冬の日差しが、道場の窓から斜めに差し込んでいる。それと似た淡い陽光の中で、逸の頬の産毛が彼女の面輪を輝かせていた。
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