ホワイトデーまでに突き止めたい

つきこ

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番外編

晦日前の一騒動

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  テレビに見入っていると「もーらい」と前方から伸びてきた箸が俺の卵焼きを掠め取った。
「ぁにふぉうけてん、だよ?男のアイドルの結婚がそんなに面白いか?」
  しっかり卵焼きを飲み込んでから光司はからかうように言った。
「何故お前がここで朝食を食べているんだろうな」
「今更それは追及なしこちゃんよ」
  軽くかわした光司は、重ねて俺が芸能人の入籍話に食い付いていた理由を聞いてきた。
「結香が好きなグループの一人なんだ」
「朝からブレない男だな、お前。彼女ちゃんだって女の子だぞ。好きな芸能人の一人や二人、許してやれよ。ウチの姉貴を見てみろ。常に『心のエッセンス』と呼んでる芸能人が五、六人姉貴の中でキープされてるんだぞ?一方的に。彼らもそれが商売とはいえ不憫なことだ」
  相変わらず朝からよく廻る口だ。
  そして、聞かれてないのを良いことに好き勝手言っている。バレたら拳で制裁されるのは解っているだろうに、懲りない男だ。
「田部井さんにもいるのか、好きな芸能人が」
「あー………笹良はなー」
  言いよどむと光司はわざわざ箸を置いてうーんと唸った。
「笹良はなんつーか……白黒映画の俳優だとかうんとお爺ちゃんなのにきゃあきゃあ言ってる……もしかして、ジジ専なんかな?」
「知らん」
  俺の一言は聞こえていないようで、光司はぶちぶちと愚痴りながら納豆をかき混ぜた。
「それで、何故ここで飯を食っているんだ」
  朝から取り合うのも面倒なので聞いてみると、「バイト帰りだから」と聞かなくても解る答えを投げて寄越した。
「家に戻って食べれば良いだろう」
「だから何でよ?」
  気が弛んでいるのか、光司はゴムの音に気付かない。
  やんわりと窘めようと俺が口を開く前に、光司は禁句を口にした。
「朝から疲れてんだから、確実に最高に旨い飯にありつきたいと思うのは当然だろ?ここで食って家ではがっつり寝た方が効率的ってもんだし」
「そーぉおお。それは悪うございましたねぇぇぇぇ?」
  「ぉおわっ!!?笹良っ!??」と驚愕の声と音を立てて立ち上がる光司と、朝から怒り狂う田部井さんに嘆息すると、俺はテーブルを光司から少々引き離し、自分の食器を持って立ち上がった。


  そもそも、入籍と挙式を済ませたとはいえ光司たちは夫婦として過ごす時間があまりにも少ない夫婦だ。光司が基本県外の大学に通っている以上仕方無いことだが。
  だが、週末毎に実家に光司が帰ることですれ違いの問題も多少は緩和されるだろう、と践んでいた。
  が、ここで問題だったのが光司が光司だったことだ。
  さすがに高校時代のように闇雲に異性にモテたいという発言はしなくなったものの、言動や習慣自体は婚前のそれと何ら変わらなかった。
  週末を自分の為に使わせているという負い目から我慢していた田部井さんも、流石に腹に据えかねたらしい。
  斯くして、わざわざ我が家で新婚夫婦は盛大な夫婦喧嘩を始めたのだった。


  俺の説明を聞いた結香は「話は解ったんですけど」と困ったように首を傾げた。
「こ、この状況でなんで先輩は平気なんですか………?」
「俺には関係ない騒ぎだからな」
  来るなり目前で繰り広げられていた光景に目を白黒させる結香に、自分と無関係の騒動だから動じる必要が無いと説明すると、何故か結香は呆けたように、はぁ、と呟いた。
「………あの………夏目先輩が合図送ってきてますよ………?」
「気のせいだ」
  確かに話の節目節目でやたらこちらを見詰めてきたり無駄に手を振ったりしているが、自業自得なので放置することにしよう。
  無関心で茶を飲む俺を見て困ったように首を竦めた結香は、光司の視線に堪えかねたように申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「聞いてるのっ」
  結香を困らせるなと俺が睨む前に余所見を見咎められた光司は、「はいぃっっっ」と背筋を伸ばす。
  光司が正面を向いたことでホッと息をついた結香に、俺は「そもそも」と口を開く。
「田部井さんの為に帰省する筈なのに、光司は一人で自由に彷徨き廻っていることが問題なんだ」
「ヒトを徘徊老人のように言うなよな」
  恨みがましいツッコみが聞こえたが、田部井さんの「なぁぁぁに?」の一言で止むのだからさして取り合う必要も無いだろう。
  帰省代の捻出の為にバイトの紹介はしたのは俺だ。
  だが、バイト後に毎回俺の家に寄っては飯を食っていくとは想定していなかった。
  田部井さんが母さんに習いつつ家でも料理を作っていることを伝え聞いていた故に、何度か家に帰るように言っても光司は自分の行動を振り返ることはしなかった。
  婚前と同じペースでウチに来て飯を食っていたのである。
「………それは、嫌かも」
  飯を作って待っていても毎回他所で食べてこられる悔しさに共感したのか、結香が小さく呟くのに「だろう?」と頷く。
  結香は目を閉じると両手で頭を伸ばした支えて、小さく呟き出した。口に出すことで、考えを纏めているらしい。
  結香自身、田部井さんと交流がある。
  光司が居ない時間を田部井さんがどう過ごし、如何に努力しているかを見聞きしている側としては、どうしても田部井さんに共感してしまうのだろう。
「免許を取って毎週迎えに行ってるのに一緒にいてくれないなんて、ちょっと哀しいです」
「免許?」
  意外な言葉に聞くと、先輩は知りませんでしたか、と説明してくれた。
  婆さんに連れ回されて多少やる気になった田部井さんは、障害を持つ身でも取得出来る資格を取ろうと考えた。
  そしてまず最初に取ったのが運転免許だった。
  事故に遭う前には取得していなかった免許を取る為に、田部井さんは懸命に教習所へ通った。そして取得した免許で光司の送り迎えを毎週しているという。
  つまり、俺がバイトを紹介しなくても光司は帰省出来たわけだ。
「光司にバイトを紹介したのは、余計な真似だったな」
「それは違うわよ」
  俺の嘆息に結香が首を必死に横に振ると共に、案外落ち着いた声が飛んできた。
  田部井さんは車椅子を小刻みに動かして俺を振り返った。
「車で行き来するにもガソリン代と高速代は高くつくんだから。稼いでもらわないと、私の貯金がリアルに底をつくし。だからバイトにはきちんと行ってもらわないと困るんだけど、ね」
  俺に向かっては至って普通の口調だったが、言葉の終わりになるにつれ声に怒りが滲み出た。
  表情にも現れているようで「ね?」と振り返られた光司は「はぃぃっ」と背筋を伸ばした。
「朝バイトに行くって出てったっきり、夜まで連絡もなく帰ってこない。しかも夕食まで余所のお家で食べてくるって、どういうつもりなのかな?」
「それは、ですね………」
  返事を濁した光司がこちらを見たような気もするが、構わず茶を啜る。
  以前もこのようなやり取りを見た記憶があるが、いつの頃だったか。
  ぼんやりと考えながら、結香に茶を勧めた。


「ーーーそうだった。美紅ちゃんを長野へ送って行った時だったな」
  漸く思いだし呟くと結香が、はい?と首を傾げた。
「美紅ちゃんを長野へ送って行った日、茜さんが結香のお祖父さんに説教していただろう?」
「そいえばそだったね」
  あんな風に、と指差すと、光景が光景だけに賛同しにくそうに苦笑している結香と違い、美紅ちゃんはあっさり頷いて茶を飲んだ。
  ジュースでも持ってこようかと言ったが、お茶で良いと断られた。
「もでるはおはだもだいじだから、とぉぶんばっかりとるのはダメなのよ」
  だそうだ。
「はいささんにいくのやだもん」
  と子どもらしい言い訳も付け加えながらも、大学芋をもぐもぐ食べている。
  せっかく遊びに来たのに煩くて悪いと謝ると、心から不思議そうな表情でこてんと首を傾げた。
「なんでゆじゅぅおにぃちゃんがあやまぅの?」
  その点をあまり重要視してなかったらしく、美紅ちゃんは何故二人がここで言い争いをしているのか聞いてきた。
  噛み砕いて説明すると、ふぅんと相槌を打った美紅ちゃんは一言で結論付けた。
「それは、こーじおにぃちゃんがわるいね」
「そうだな」
「美紅ちゃんまで笹良の味方っ?」
  悲鳴染みた声を上げる光司に、だって、と美紅ちゃんは逆に首を倒した。
「おうちでごはんちゅくってまってぅのに、どぉしてごはんたべちゃうの?」
「ぐっっっ」
  その指摘は田部井さんからもされていたが、子どもからされると堪えるらしい。
  突かれたように胸を抑えて俯いた光司だったが、直ぐに加尾を上げてにへらと笑い顔を作った。
「いやな?どうしてもと誘われるのを辞退するのは人として」
「俺は飯を勧めた記憶は微塵も無いが」
  少なくともウチでは勧めた記憶等無い事実を言ったまでだが、笑い顔のまま光司は俺を睨んできた。
「夕弦………お前は余計なことを」
「ナニが余計なことなのっ」
  田部井さんが膝を叩いて叫ぶと光司は小さく舌打ちした。
「ほらっ、やっぱりそうじゃない!招待なんてされてないのに!どうせあなたが入り浸ってるんでしょっ」
  いやだの何だの光司が言いよどむ間に、「まったく!」と田部井さんは先に口を開いた。
「あなたってヒトは調子の良いフリしてあっちこっちでちゃっかりご飯貰って!そんなに私のご飯が不味いっての!?」
「そんなこと言ってないだろうがっ」
  とうとう堪えかねたのか光司が大声を出した。
  美紅ちゃんが叱られたように身を縮めたが、それ以上に結香が「ひっ!」と耳を押さえて縮こまった。
  今更だが部屋を移るかと提案する声が、恐怖で固まる結香には聞こえないようだ。
  仕方無い。後で光司に謝らせよう。
  美紅ちゃんに声をかけると、二人の喧騒が邪魔なのか耳をこちらに向けて軽く跳び跳ねる。
  何度目かで聞き取った美紅ちゃんは「いーけど」と件の二人を眺めた。
「とめなくていーの?」
「今止めようとしても無駄だ」
  美紅ちゃんが来たことで一時沈静化していただけであって、その前から言い合いをしていた二人だ。
  ここで止めに入ったところで素直に止まる筈がない。それよりは不満を訴えて直接ぶつかった方が良い。
  光司の人柄上、これで二人が別れるということは無いだろうことは確かだと確信している。
  俺の説明を真面目な表情で聞いていた美紅ちゃんは解ったと頷くと、ニコリと笑った。
「ゆじゅぅおにぃちゃん、こーじおにぃちゃんのことしんじてるんだ?」
  不承不承頷くと、ふふふーとくすぐったそうに笑ってから、でも、と困ったようにまた二人を見た。
「じぶんのおうちでけんかすればいーのにねー」
「そうだな」
  至極全うな意見に頷く。
  結婚話でもめた時もそうだが、何故この二人はこの家で騒ぎたがるのだろう。
  思わず嘆息すると、「ゆじゅぅおにぃちゃんもたいへんね?」と頭を撫でられた。
  まぁな、と口を開く前にガンっと硬質の音がした。
「ーーーっ!もういい!私、出てくから!」
  田部井さんだった。
  先程の音は、車椅子の手摺を殴った音らしい。手摺の上の拳が震えている。
  流石に頭から血が引いたのか、ちょっと待てよ、と光司が多少は理性的な声を出した。
「出ていくったって、その足で」
「足足足足煩いのよっ!行こうと思えばどこへだって行けるんだから!」
  今にも飛び出さん勢いの田部井さんを止めようと光司が手を伸ばした。
  頭に熱が昇っている割には、「触らないでよっ」と田部井さんは正確にその手を叩き落とした。
  その力は大したものでもないだろうが叩かれた手をそのままに呆然と佇む光司と、車椅子に座ったまま肩で息をする田部井さんとの間でカラリと障子が開いた。
「ーーーぁ。さき、さん………ごめんなさ、い」
「ねぇねぇ、笹良さん」
  今更ながら騒いだことを謝ろうとしたらしい田部井さんを遮って、母さんは何故か楽しそうに田部井さんに話しかけた。
「家出するの?」
「「「………………は?」」」
  田部井さんだけでなく、何人かの戸惑いの声が重なった。
  すくんでいた筈の結香も呆然と母さんを見上げている。
  皆の戸惑いに構わず、母さんはころころ笑うと「だって」と言うと田部井さんと話がしやすいように車椅子の傍らに座り込んだ。
「出てくって、光司くんの家から出るってことでしょ?それって家出でしょう?」
  引き気味に「はぁ、まぁ……」と頷く田部井さんに、やっぱり!と何故か楽しそうに母さんは手を叩いて喜んだ。
  母さんがこんなにはしゃぐ時には大抵面倒が起こる。
  話しかける前に、「それならっ」と勢いよく手を打った。
「ここの離れに家出しましょう!」
「「「「……………………は?」」」」
  再び戸惑いの声が重なっても、母さんはころころと笑いながら、だって、と言った。
「離れなら中から鍵がかけられるし、お台所とトイレもついてるから安全に家出できるじゃない?」
  安全な家出とは何だ。
  問いたい気持ちには駆られたが、確かに車椅子で闇雲に動き廻られるよりはマシだと思える。
「大丈夫!私も一緒に家出するから!」
  自信満々に胸を叩くが、そもそもここは母さんの家である。その一部に家出するとは子どもでもあるまいに。
  頭を抱えたい衝動には駆られたが、考えてみなくても母さんが一緒に居た方が何かと便利だろうと耐える。
  呼吸で気を落ち着けている間に、そうそう、と再び母さんは手を叩いた。
「結香ちゃんと美紅ちゃんも一緒に家出しないっ?」
「何故そうなる」
  思わずツッコむと、何故か母さんはぷぅと頬を膨らませた。
「良いじゃないの。その方が面白いでしょ。夕弦ったら楽しい女子会を邪魔しないでっ」
「いつの間に女子会に変わったんだ」
  女子会への期待で頭が一杯になっている母さんには俺の声が聞こえていないようだ。
  年甲斐もなく「ねぇねぇ、そうしましょ」と二人の袖を引いている。
  相手が俺の母親とあって、結香が困ったように俺を見る。
「ねぇ、美紅ちゃん?久しぶりにウチにお泊まりしましょ?あの畳のお部屋よー?」
  夏にお泊まりしたでしょう?あのお部屋よー、と誘われた美紅ちゃんはこてんと首を傾けてから、うん、と頷いた。
「みく、おとまりしてもいーよ」
  美紅ちゃんが泊ることに同意した以上、保護者代わりとして結香も離れに泊ることになる。
  やったと手を打った母さんは、早速田部井さんの車椅子を動かしつつ二人を離れへと急かした。
「さぁさ、二人とも。そうと決まったら早速離れへ行きましょうね。お台所の調子をみたりお布団を干したり。やることたくさんあるもの」
  忙しくなるわよ、と物凄く上機嫌で移動する母さんを呼び止めると、至極にこやかに振り返られた。
「夕弦?お母さんたち、離れで過ごすから。結香ちゃんの家に行って、二人は今夜お預かりしますって言ってきて。あと、お泊まりの服とかも預かってきてね」
  よろしくねーと言うなり母さんは今度こそ三人を離れへと連れ去ってしまった。
「………………………………………」
「……………うん。まぁ、悪かったよ」
  とりあえず込み上げる苛立ちのまま光司の胸倉を掴み上げると、流石の光司も素直に謝罪の言葉を口にした。


  牧野家から戻ると、離れへ通じる渡り廊下を光司が塞いでいた。
「邪魔だ。そこで何をしている」
「………夕弦よ。とにかく謝るから話しかける前に蹴りを入れるのは止めねぇか………?」
  後頭部を擦りながら立ち上がった光司は俺の顔を見て察したのかやれやれと首を振りつつ、脇へ退いた。
  呼び鈴を押してみるが、応答は無い。
  ドアの向こうでは物音がしているし、忙しく動き廻っていて気付いていないか、長いこと使っていない為に呼び鈴が故障しているのかもしれない。
「電話かけてみたらどうかな?結香ちゃんに」
  背後から提案してきた高原さんに、一瞬訝しげに首を捻った光司は、直ぐに、あぁ!と手を打った。
「彼女ちゃんの美人だけどおっかねぇお姉さんの、ツワモノ旦那、だっ!??」
「すみません、素直過ぎる質で」
  光司の額に凸ピンを放ちつつ謝ると、高原さんは苦笑して首を振った。
  ここで何をしていると問うと光司は首を竦めて、だってよぅ、と同情を請うような声を出す。付き合いが長いとはいえ、この状況で何故光司に俺が同情すると考えるのだろう。
「さっさと風呂掃除に戻れ。その前に高原さんにお茶を出せ」
  ヘイヘイと立ち上がりながら光司が不満を呟いている。
「……………この事態を引き起こしたのは何処のどいつだ?」
「ささっ。どうぞこちらへっ」
  そそくさと高原さんを案内する光司の背中を見送ると、俺はスマホを取り出した。


  家出しているのは田部井さん一人なので、結香は至って普通に呼び出しに応じて通路に出てきた。
  いきなり慣れない場所で煮炊きすることになって不便は無いかと聞くと、結香はふるふると首を振って、先輩、と呼んだ。
「ここに釜戸があるなんて、どうして教えてくれなかったんですか?」
  旧式過ぎて使えないと怒っているのかと思いきや、頬はうっすら紅く染めつつ何か期待するように目が輝いている。
  怒っている訳では無いのかと内心安堵しながら、今まで物置きと認識していたので忘れていたと言うと、紅い頬を両手で押さえてぴょんぴょん跳び跳ねた。
「お婆ちゃんの村でもすごいと思ったけど、まさかここにあったなんて!灯台もと暗しです!」
「……………改築したばかりだから大丈夫だとは思うが、夜寒かったら母さんに言えよ。中に火鉢がある筈だ」
  火鉢が何なのか瞬時に思い出せない結香に大まかな説明を聞かせると、「火鉢までここに!」とまた跳び跳ねる。
  母さんではないが、結香も離れでの寝泊まりを多少は楽しんでいるらしい。
  こっそり苦笑しつつ田部井さんの様子を聞くと、結香は少し困ったように微笑んだ。
「お母さんの話に驚いています」
  母さんならあり得る流れだが、相手をする田部井さんと結香にとっては戸惑うことだろう。
「母さんの我が儘に付き合わせて悪いな」
  謝ると、一瞬きょとんと俺を見上げた目が柔らかく微笑んで頭を振った。
  テスト勉強も付き合う筈だったのに、と付け加えると大丈夫ですと微笑む。
「お母さんが、存分に勉強しなさいと机を貸してくれてますから」
「そうか。何かあったら電話してこい」
  待ってるから、と女々しい一言を付け加えてしまうが、ありがとうございます、と結香はふわりと笑う。
  早く離れの中へ戻さなければと思いつつも、つい手を伸ばして白く柔らかい頬を触る。
  手の熱が心地好かったのか、ふわりと結香が微笑むと、そっと俺の手にすり寄るように首を傾げた。
  柔らかいかがやはり少し冷たい。中へ入れないと。
  もう戻れと囁くと、頷きながら、先輩?と再び呼んだ。
「夏目先輩のこと、あんまり怒らないでください、ね?」
  即答出来ない俺を窺うように見上げた結香は「ね?」と首を傾げる。
  非常に可愛いが、光司を庇うような言葉はいただけない。
「テストが終わったら、出掛けようか。二人で」
  二人で、を強調して誘うと、ポッと紅みを増した顔で微かに頷いたので、満足して俺は結香を離れへ促した。


  居間に戻ると、おかしくは無いのだが珍しい人物が場を陣取っていた。
「親父、帰っていたのか」
  おかえりと言うと、返事代わりに頷いた親父は部屋を見渡す。おそらく目的の人物が居ないことを悟ったのか、その視線は光司に止まった。
  珍しく親父相手に首を竦めた光司は、小さく俺を呼んだ。
「俺、帰るわ」
「帰る?」
  光司の性格上、此処に居座って田部井さんと話をつけようとするだろうと思っていた。
  ありがたいが帰るという意外な宣言に目を見張る。
  うん、帰るわ。と光司はやたら大人しく繰り返した。
「ちょっと、禊受けてくる。笹良のこと、頼むな」
  田部井さんとの言い合いから鑑みるに、敢えて家に戻って説教を喰らうつもりだろう。
  格好はつけているものの、素直に説教されようとは珍しい。
  瞠目する俺に、自分もお暇するよと高原さんが言ってくる。
  高原さんの希望通り家に連れてきただけで何ももてなし出来ていないことを詫びると、気にするなと笑顔で首を振った。
「俺の用事は終わったから。いきなり家へお邪魔させてくれなんて、悪かったね」
  茜に説教されるかな、と至って普通にあたまを掻いて苦笑した高原さんは、「じゃ、行こうか」と光司を振り返った。
  光司は頷くばかりか、「はい、高原さん」と至極珍しく殊勝な返事をした。
  数分席を外している間に、この二人に何があったのか。
  二人の背中を見送りながら首を捻る俺に、親父はぼそりと言った。
「咲は」
  外出せず此処に居なければ自ずと解るだろうに、珍しく何処だと聞いてくる。
  解っているなら自分で迎えに行けば良いのに。
  離れへ向かう道すがら、嘆息しつつ俺はまたスマホを取り出したのであった。



  ◆ 結香side ◆

  私も圧倒されたけど、笹良さんは本当に驚いたみたいで、さっきからずっと大人しく車椅子に収まっている。
  夏目先輩と喧嘩していた筈がいきなりここへ連れてこられたんだから、しょうがないよね。
  空気の入れ換えや布団干しを指示していたお母さんは、そうそうと手を叩いた。
「釜戸が使えるか早めにチェックしておかないとね。あれが使えないとなると、ごはんを作るのがちょっと大変になっちゃうから」
「か、かまど?」
  釜戸ってあの時代劇に出てくるような?と目を白黒させる私を放っておいて、お母さんは釜戸を知らない美紅ちゃんに「昔のガスコンロなのよー」と合ってるような間違っているような説明をした。
  想像はできないけどなんだかすごそう、と目を輝かせた美紅ちゃんの手を引いてお母さんが立ち上がった。
「早速見に行きましょうねー」
  お布団よろしくねーとお母さんと美紅ちゃんは何処かへ行ってしまった。学生時代はともかく今は何のスポーツもしてないから体力には自信がないのよー、なんて言ってるお母さんだけど、こういうときの素早さというか行動力がすごいと思う。
  はい、と呆けた声で返事をして見送ると、やっぱり呆然としてた笹良さんと目が合った。
「笹良、さん。その……大丈夫、ですか?」
  とりあえず何かを言わなきゃと聞いてみると、えぇ、と頷きながら小さく笑った。
「まさか、こんな形で家出できちゃうなんてね」
  思い出したら可笑しくなってきたみたいで、車椅子の中で身を捩って笹良さんが笑う。
  苦しそうに笑ってるから、笹良さん?と呼ぶと息を切らしながらごめんごめんと言った。
「ごめんね、今日、デートだったでしょ?」
「ち、違いますっ。全然っ」
  申し訳なさそうにする笹良さんに、慌てて教科書を見せて説明するけど、やっぱり笹良さんはため息をついた。
  釜戸に興奮した美紅ちゃんが走ってきてくれたから、笹良さんの表情が明るくなって、私は心からホッとした。


「………本っ当に釜戸だわね」
  笹良さんも間近で見るのは初めてだったみたいで、ついさっきまで落ち込んでたのも忘れてしげしげと見ている。
  私もお婆ちゃんの村では遠目にしか見れなかったから興味津々。
「私が子どもの頃はね、こっち側が母屋だったのよ。あっちは結婚前に増やしたのよね」
  説明しながら点検していたお母さんは、嬉しそうに笑った。
「ーーーうん、使えそう。良かったわ、囲炉裏は塞いじゃったから。これ使えなかったら七輪でどうにかしないといけなかったものね」
  七輪もあるんだ、と呟いた声が笹良さんに聞こえていたみたいで、「みたいね」と小さく返された。
  戸惑う私たちと違ってお母さんはすごく楽しそうで嬉しそう。
「ふふ、これ使うの久しぶりだわ。ナオさんはねぇ、これで炊いたお米のおにぎりが大好きなの。久しぶりに食べて貰えないかしら」
  すごくはしゃいでいるけど、ナオさんって誰だろう?
  首を傾げる私たちに、「おじちゃんのおなまえよ?」とあっさり美紅ちゃんが教えてくれた。
  そうだっとお母さんは嬉しそうに手を叩いた。
「お茄子をたくさん頂いたのよ。煮浸しと味噌炒めを作りましょう!ナオさんの大好物なの」
  台所から取ってくるわねーと今度は勝手口から駆けていってしまうお母さんを見送って、はぁ、と返事なのかため息なのか解らない息を笹良さんがついた。
「咲さんは、本当に心から旦那様が大事ね」
  少し羨ましそうに言う笹良さんに、美紅ちゃんが首を傾げた。
「おねぇちゃんは、こーじおにぃちゃんのことだいじじゃないの?」
  まっすぐな問いに笹良さんは困ったように微笑んだ。


  ねぇねぇおばちゃん、と美紅ちゃんが話しかけると息を吹き込みながらお母さんがなぁにーと応えた。
「おばちゃんはおじちゃんがだいじー?」
「大事よー」
  私なら面食らってまともに答えるまでに時間がかかる質問に、お母さんはあっさり答えた。
「ナオさんは、私がここにいる理由と権利をくれた人だもの」
  美紅ちゃんはちょっと首を捻ったけど、「ナオさんは大事で大好きな旦那様なのよー」とお母さんが笑顔で言うと嬉しそうに笑った。
  始めちょろちょろ中ぱっぱ、なんて聞いたことはあるけど実際に炊いてみるのは難しい。
  美紅ちゃんと楽しそうにお喋りしながら火加減をみているお母さんに見入っていると、スマホが音をたてて震えた。
  先輩からだ。
  お母さんに言うと、「今はここ離れられないから行ってきて」と手を振られた。


  スマホを確認してから、笹良さんの様子がおかしい。話しかけると普通に返事してくれるけど、ちょっとボーッとしてる。
「笹良さん、寒いですか?」
  私の質問に、あら大変と反応したのはお母さんだった。
「えぇと、火鉢はどこにしまったかしら……」
「だ、大丈夫です、大丈夫!」
  お母さんを止めた笹良さんは、実は、とスマホを握りしめた。
「光司が、家へ帰ったそうで」
「あら、そうなの」
  頷いたお母さんは一つ瞬きするとゆっくり首を傾げた。
「笹良ちゃんも、帰りたくなった?」
  困ったように眉尻を下げた笹良さんは、「解りません」とぽつりと呟いた。
「ここに居座ることは良くないと解っていても、今帰っても問題は解決しないし……でも、私がここに逃げ込んでいても、解決しないし」
「良いじゃない、逃げても?」
  お母さんは本当にあっさりと言った。
「ずっと逃げるのはダメだけど。ちょっと逃げて休むくらい良いじゃない。ここは立て籠るにはおあつらえの場所だしね」
  そう言ってお母さんは満足そうに周りを見渡した。
「本当に素敵な隠れ家だわ。さすがナオさんね」
  頬に手を添えてうっとりとお父さんを思うお母さんに、私も笹良さんも話しかける言葉が見つからなくてお互いにちょっと困ったように首をすくめた。
  スマホが鳴った。私のだ。
  画面を見ると、ついさっきまで一緒にいた先輩だった。
  先輩?と呟くと、夕弦?とお母さんもこちらに気づく。
「何かしら。とりあえず出てみたら?」
  すみませんと頭を下げつつ、もしもし、と出ると『結香』と先輩の声が聞こえる。さっきはちょっと疲れてるように見えたけど、なんだか今の声は楽しそう。
「お待たせしてごめんなさい。先輩、何かありましたか?」
  『うん。実はな』
  伝言を聞いた私は通話口をちょっと押さえてお母さんを呼んだ。
「あの、お父さんが帰ってきたそうなんです」
「あら!まぁ、大変っ」
  小さく跳び跳ねたお母さんは、廊下へ出るドアに向かって小走りに歩きだした。
「結香ちゃん、笹良ちゃん。おかずはお皿にあげといてね。ご飯はもう少しそのままにしておいてーーー蓋開けないでね」
  早口で言う頃にはもうかけ足になっていて、ドアが閉まると軽い足音がすぐに小さくなった。
「お母さん。そっちに行ったみたいです」
  呆けた声で報告すると、みたいだな、と楽しそうな声で言われた。
  『助かった。ありがとう、結香』
  お礼を言われるようなことは何もしていないのだけど、先輩が嬉しそうだから私も嬉しい。
  すごく嬉しいからスマホを切ってにへっと笑うと、笹良さんにちょっと笑われてしまった。



  ◆ 後日談・禊といえば ◆

  名前を呼ばれたので振り返ると、やはり光司だった。
「懲りずにまた出歩いているのか」
「違うわっ。買い物だっつの」
  ほら見ろと両のビニール袋を持ち上げてみせる光司は、珍しく帽子を被っている。
「ハゲは男の沽券に関わるから絶対帽子は被らないんじゃなかったのか」
「それは小学校の通学帽の話だってのに、お前は良く覚えてるよな」
  呆れた声で言った光司が帽子を外す。
  見事な毬栗頭がそこにあった。
「……………流行っているのか?」
「違うわっ。禊だっつの」
  あの日、田部井さんを家に置いて帰った光司に、勿論女性陣の雷が落ちた。
  この毬栗頭はその一つなのだそうだ。
「滝行はしないのか?」
「お前は俺を殺す気か」
  禊といえば滝行だろうと問うと、何故か至極仏頂面で光司は言い、「笹良待たせてるから帰る」と珍しく早々に帰っていったのであった
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