風が泣いた日

つきこ

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私の太陽

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  太陽だと思った。
  ぽかぽか暖かい太陽。
  真っ暗で冷えきった私の世界に突然現れて、光と温もりをくれた。
  あまりに突然で、私は間抜け面のまま固まってしまったけど。


  行かなきゃいけないこともやらなきゃいけないことも解ってた。
  でも出来なくて。
  今日も泣いてたら、ザクッと草を踏む音が間近で聞こえた。
  しゃくりあげながら横目で見ると、黒いズボンの裾が目に入った。おずおずと見上げると白いブレザーが。
  近くの有名な男子校の制服だ。こちらを見下ろす顔は影になっててよく見えないけど。
  その男の子は、無言で私をしばらく眺めていた。
  私も、なにも言えないまま見返していた。
  泣きすぎてまともに声を出せなかったし、何を言えばいいのか解らなかったから。

  泣き声煩かったかな?ここからどけ?
  なんで何も言わないんだろ。

  戸惑っているうちに、その子は私の横に座ってしまった。
  「……せ…ふく、よご…ぅよ…?」
  ちゃんと喋れなかったけど、意味は通じたらしい。ふふっと笑って言う。
  「そっちだって、座ってるだろ」
  そうだけど。
  バーゲン品のスカートと有名私立校のお高い制服を一緒にしちゃいけないと思う。
  それ以上その子は黙って座っていた。
  私も時々嗚咽を洩らすだけで、何も言えなかった。
  隣の存在が気になって、次第に嗚咽も治まってくる。ズッと鼻をすすり上げると、緑色のハンカチが横から差し出された。
  少し悩んでから、受け取って軽く目を拭く。

  ええと、このまま返すのはダメだよね。
  でも、洗って返すっていうのは、あざとく思われる?

  ハンカチを見つめていると、横から手が延びて取り返される。
  お礼を言わなきゃ。
  顔を上げると、思った以上に綺麗な顔だったので驚きで固まる。

  なんでこんな綺麗な人が、わざわざこんな地べたに座ってこんな私にハンカチを差し出してんだろ………
  あ。私、そういえば今すごい顔汚れてる。
  恥ずかしいけど、まぁいいや。

  ぼけーっと面前の綺麗な顔を見つめていると、彼は軽く眉をひそめる。
  あ。不躾に見すぎたかな?
  思っていると、いきなりゴシゴシと顔を拭かれる。
  「むぶぶぶぶっ!」
  情けない声を上げて顔を振って逃れようとしても、いつの間にか逆の手で顎を抑えられているので無理だった。
  やっと顔を放されて必死に息継ぎしながら彼を見ると、涼しい顔でハンカチをたたみ直し、ポケットに仕舞ってしまった。

  拭いてくれてありがとう?ちょっと、いや、結構痛かった?
  どっち言えばいいのか解らない。
  結構手荒だったんだけど、イケメンだから許されるの?いや、痛かったんだけど。

  「あの自転車、お前の?」
  「え?うん」
  そこら辺に乗り捨てた自転車を視線で示されたので頷く。
  痛くされたことに文句を言いたかったけど、もういいや。
  「あれ、通学に使ってる?」
  「うん」
  頷くと、ふぅん、と何かを考えているようだった。
  どうしたんだろ?
  不思議に思って見上げていると、真っ直ぐな目で顔だけじゃなくて全身を見られてぎゅっと身を竦める。

  なんか観察されてる?
  全身バーゲン品だけど。
  最近オシャレなんて気にしてる状況じゃなかったけど、洗濯はちゃんとしてるはず………ここに座ってるからもう汚れてるか。

  「高校生だろ。学校、どこ?」
  学校名を答えると、あぁ、あそこか、と頷く。
  「もうすぐ辞めるかもしれないけど」
  情けなくて小さな声で言うと、少し目を見開く。
  「どうして」
  それが興味本位じゃないと感じられて、隣から伝わる体温が暖かくて、つい話してしまった。

  自分が他県の出身で、今学校の寮に入ってること。
  お嬢様学校に通う家柄じゃないけど、陸上の推薦で通ってること。
  両親は子供の頃に亡くなっていて、地元に残してきた祖父もこの間亡くなったこと。

  途中話が戻ったり、詰まったりして上手く話せなかったけど、彼は黙って聞いてくれた。
  「祖父の葬儀も終わったし、部活にも出ないと学校にも通えなくなるって解ってるんだけど、前みたいに走れなくなっちゃって。寮にも居づらくて、ついここで時間潰しちゃってたの」
  ふぅん、とだけだったけど、適当さがなくて安心した。
  「お祖父さんて、どんな人」
  聞かれて思い出すままに連ねる。

  厳しいけど、優しい人だった。
  身体は小さめだったけど、背筋が真っ直ぐで、私にも姿勢は真っ直ぐにと度々言っていた。
  すぐ泣くくせに両親の話をせがむ私を抱えて、穏やかな声で話してくれた。結局泣いてしまうと、優しく背中を撫でてくれた。
  私が生まれる前に亡くなった祖母の話はあまりしなかったけど、何かと花を飾りたがるところや料理や掃除の仕方には、祖母の影響を感じた。

  「―――――羨ましいな」
  祖父を思い出していると、風の音の隙間に彼の声が混じって聞こえた気がした。
  「え?」
  見上げると、なんでもないと首を振られる。
  「墓って、地元?」
  「うん」
  「墓参りした?」
  首を横に振る。この間納骨したばかりだし、あまり学校休めなかったから。
  彼は少し首を捻って何かを考えているようだった。
  地べたに座って考えこむ姿も絵になっていて、つい見入ってしまった。

  同じ高校生でも、まるっきり違うなぁ。
  イケメンでお金持ちで頭もいい。
  ………なんか弱点ないのかな。

  ほげーっと眺めていると、サッと立ち上がった彼が私の腕を掴み引っ張りあげる。
  「えっ。なにっ?」
  「行くぞ」
  短く言うと、私の自転車を立たせ、籠に自分の鞄を突っこみさっさと押して行ってしまう。
  「ま、待って」
  慌てて追いかける。
  私の自転車を押して歩く彼とその後ろをこそこそ身を小さくしながら小走りに歩く私。

  着いたのは、私が今住んでいる寮だった。

  ………寮まで送ってくれたのかな?

  ぼぉぉっとしている私に、彼は自転車を押し付けた。
  「自転車停めて、一泊する仕度してきて」
  「へ?」
  混乱している私を、早くと急き立てる。
  のろのろと自転車を押す私を、後ろから彼が呼び止めた。
  「服、一応変えとけよ。汚れ目立つから」
  「は、はい」
  特にしっかり汚れているであろうお尻を見られるのが恥ずかしくて、小走りで自転車を押した。

  わけが解らないまま、着替えをバックに詰め、服を着替える。久しぶりに姿見で全身を見た。

  なんか、だいぶ痩せた気がする。
  あ!顔も汚れてたんだった!

  慌てて顔を洗い、鏡の自分をまじまじと見つめた。

  元々自分の顔は平凡だと思ってたけど。
  ちょっとこれは酷いかな。

  ため息が出たけど、クラスメイトみたいにお化粧が出来るわけでもないし、バックを掴んで寮を出た。
  門に珍しく人集りができていて、なんとなく立ち止まって眺めていると、その中心に彼がいることに気付く。

  イケメンだもんねぇ。
  お嬢様も逆ナンとかするんだー………

  ほげーっと眺めていると、人集りが割れて彼がこちらに歩み寄る。心なしか眉がぎゅっと狭まっている気がした。
  「なに呆けてるんだよ。用意できたなら声かけろ」
  「ご、ごめん………?」
  彼は呆れたようにため息をつくと、私からバックを取って自分の鞄と一纏めにして持ち、逆の手で私の手を握ると「行くぞ」と一声かけて歩き出した。
  皆の黄色いざわめきに、私の戸惑いの声はかきけされた。

  駅まで歩いて電車を乗り継いで。

  「な、なんでここ………?」
  戸惑う私の手を引いて、彼はいくぶんゆっくり歩く。
  見慣れた風景だけど、人気が少なく彼に手を引かれているというあり得ない状況のせいで、どこか夢の中を漂っているようだった。
  花屋から出てきた彼を見て、今度は私が彼の手を引く。
  彼が二人ぶんのバックを持って。
  私がお花を持って。
  空いた手を繋いで、ただ歩いた。

  つい最近来たばかりなのに、だいぶ久しぶりに来た気がした。お墓の周りがすっかり草に覆われてるからかもしれない。
  何も言わずに二人で草をとり、墓石を浄めてお花をあげた。
  手をあわせて心のなかで呼びかける。

  お祖父ちゃん、なんかよく解らないうちに連れてこられたよ。
  この人のこと、あまり、ていうか全く知らないんだけど、悪い人じゃないとは思うんだ。
  次に来るときには、もう少しちゃんとしていたいな。

  いっぱいあったはずだけど上手くまとまらなくて、とりあえず目を開けて隣を見上げると、彼はまだ合掌したまま目を閉じていた。
  その姿をぼんやり見ていると、目を開けた彼と目が合い、なんとなく微笑み合う。
  「ありがとね」
  手を繋いで寺から出ながらぽつりと言うと、うん、と返される。
  ちょっとすっきりした頭で周りを見渡し、だいぶ時間が経っていたと気付く。
  「門限、過ぎちゃうなー………」
  後悔はないけど。
  学校を休んで無断外泊までしたら、さすがにペナルティあるかも。
  繋いだ手に力をこめて、彼が言う。
  「外泊許可取ったから、大丈夫だろ」
  「は?」
  ぽかんと口を開けて、綺麗な顔で真っ直ぐこちらを見る彼を呆然と見上げる。
  「外泊許可って………私の?」
  他に誰がいるんだよ、と呆れたように私を見る。
  「お前が仕度してる間に申請しておいた」
  「そんな………勝手にできないでしょ?普通」
  私が詰め寄っても、彼は穏やかに微笑んで手を引く。

  つまり、普通じゃない方法で許可をもらった、てこと。
  そこまでして、こんな田舎までお墓参りに連れてくるってどういうつもりなんだろう。
  頭のいい人の考えることはよく解らない………

  ため息をついて、前を歩く彼を見上げる。
  「で、今夜はどこに泊まれというの?」
  「お前の家があるだろ」
  あっさり言う。
  「あなたは?」
  一応聞いてみる。こちらを向いた目が答えを物語っていて、軽くため息をついて手を引っ張った。
  「家ならこっちなんだけど」
  そうか、と頷いて前後が逆になる。
  なんだか無性にわくわくして、笑いを堪えながら歩いた。


  途中でコンビニに寄って夕御飯を買う。
  久しぶりに家で食べるご飯が、今日初めて会った人となんて不思議だ。
  「どうした?」
  声をかけられて、慌てて首を振る。
  つい、ぼーっとしていたみたいだ。
  「早く食べないと冷めるぞ」
  うん、と頷いて食べるけど、やはり気になって見ていると、目が合って慌てて言う。
  「あ、コンビニのご飯食べるんだね」
  は?と首を傾げるけど、私の言おうとしたことが解ったらしく、軽く頷いた。
  「食うよ。作るのが面倒な時とか」
  「自炊するの?」
  「するよ。一人暮らしだから」
  彼はマンションで一人暮らしをしているらしい。
  家族は?と気になったけど、聞かなかった。
  高校生が一人でマンション暮らし、でお金持ちなのは変わらないし。
  「お金持ちだから、毎日外食かと思った」
  「高校生がそんなことするか。一人で外食なんて、周りが煩くて飯どころじゃねぇよ」
  彼の一言に寮で見た人集りを思い出す。

  立ってるだけでアレだもんなぁ。
  イケメンも大変だ………

  「お前は?」
  「へ?」
  「料理出来るの?」
  「一応出来るよ。お祖父ちゃんに習ったから、和食ばかりだけど」
  「じゃ、向こう戻ったら食わせてよ」
  少し固まるけど、冗談だろうと思って答える。
  「いいけど。老人食ってガッカリしても知らないから」
  「別にいいよ」
  思いのほか穏やかに微笑むから、少しの間何も言えなくなった。

  交代でお風呂に入る。
  コンビニのシャツを着ていても、イケメンはイケメンだった。
  「安物でも清潔なんだからいいだろ」
  軽くおでこをつつかれた。地味に痛い。
  「肌荒れたりしない?」
  するか。とため息をついた彼から、自分と同じシャンプーの匂いがして、ちょっとドキドキしたのは、気のせいと思いこんだ。


  ぼやけている視界に、時おり誰かの顔が出て、消えて、が繰り返される。
  「現金なものねぇ、生まれた時は男じゃないってごねてたくせに」
  「そう言うな。キャッチボールを教えたかったんだよ」
  あ。これはお祖父ちゃんだ。
  さっきのはお母さんかな。
  「今はいろんなゲームとかおもちゃが流行ってるもの。すぐに相手にしてもらえなくなるわよ………あなたも。いつまで見てるの?」
  「可愛いよなぁ。絶対嫁になんかやらないぞ」
  「ウチはお婿さんなんてとるようなお家柄じゃないでしょ」
  「婿なんていらない!」
  「今のうちからそんなこと言ってどうするの」
  お祖父ちゃんが、両親は仲良かったって言ってたけど、こういう掛け合いしてたんだ。意外。
  せっかくだからよく聞こうと集中するけど、お父さんとお母さんの声はどんどん小さくなっていく。
  気付けば、目の前にぼんやり見えていた顔もいなくなっていた。
  探そうとするけど、身体が動かない。
  「お母さんが羨ましがるような佳い男じゃないか」
  そんなからかうようなお祖父ちゃんの声が、やけにはっきりと聞こえた。
  お祖父ちゃん、どこ?
  「ちゃんといるよ、ここにね」
  胸の辺りが暖かくなったような気がした。
  「お祖父ちゃんもお母さんもお父さんもいるよ。見守ってるよ」
  今の情けない私も見てるの?
  「情けないなんて思わないよ。一人にしてごめんね。いっぱい泣かせてごめんね。生まれて来てくれてありがとう。お祖父ちゃんのこと大好きでいてくれてありがとう」
  私、女の子で良かった?
  「無事に生まれてくれただけでいいんだよ。一緒にいれて、お祖父ちゃんは幸せだった。君もいっぱい走って、走って、走り抜いてごらん。ちゃんと見てるから」
  ちゃんと走れるかな。
  「上手じゃなくてもいいよ。思いきりやってごらん」
  うん。やってみる。
  「思い出すことがあったらまたおいで。お父さんはちゃんと宥めておいてあげるから」
  からかうような声が遠のいて、背中を暖かい何かが上下に動いた。


  目を開けると、まだ辺りは真っ暗だった。
  そっと布団を抜け出して音をたてないように顔を洗う。
  隣の布団に変化がないことに安心して布団に潜り込み、目を閉じる。
  最近では珍しくすぐに眠気が訪れた。


  寝間着のまま玄関で立っている彼に驚く。
  「そんなとこでどうしたの?」
  「どうしたの、じゃない!断りなくどこに行っていた?」
  心配してくれていたらしい。
  「コンビニだよ。朝御飯買ってなかったでしょ」
  靴を脱いで上がりながら答えると、ちょっとむすっとする。
  「それに、あなた寝てたじゃない」
  そうだけど、と拗ねる顔がどこか可愛らしくてちょっと笑ってしまった。
  「怒らないでよ。お味噌汁つけてあげるから」
  振り返りながら言うと、驚いたように目を見開いた彼と目が合う。
  「作るのか?」
  「買ってきた」
  袋からカップを出して振って見せると、インスタントかよ、とぼやく彼が面白くて、また笑ってしまった。

  「お前、ちゃんと寝たのかよ。目が腫れてるぞ」
  素直にお味噌汁を啜りながら言われる。
  「寝たよ。あなたも隈できてない?やっぱり普通の布団だから………」
  「そんな繊細じゃねぇ」
  ぶすりと言って、しょうが焼きを頬張る。
  「―――にしても、やたら買ってきたな」
  「うーん………走ってたときの感覚で買っちゃったみたいね。あなた、食べれる?」
  「食えるけど」
  「ありがと。今大量に食べちゃうと、走れなくなるからね」
  真っ直ぐ私の目を見る。
  「走るのか」
  「とりあえず、思いきり走ってみようかなと思って」
  ふぅん、とだけだけど、その目が優しく弧を描いていて、私はヘヘーッと笑ってしまった。
  「帰る前に、もう一度墓参りするか?昨日は線香あげなかっただろ」
  気遣うように聞かれるけど、私はゆっくり首を振った。
  「今日はいいよ。もっとしっかりしてからにする」
  そうか、と頷かれ、穏やかにご飯を食べた。


  帰りの電車は、空いていた。
  横座りの椅子に並んで座る。
  日当たりがよくて、ついあくびが出る。
  「着いたら起こすから、寝てれば」
  「大丈夫。なんか久しぶりにしっかり食べたから、ちょっとあくびが出ただけ」
  久しぶりに気分がすっきりしている。
  「あなたこそ寝たら?人の家なんて、寝づらかったんじゃない?」
  答えがないので顔を見ると、まじまじとこちらを見ていて驚いた。
  「な、なに?」
  いや、と首を振って彼は穏やかな表情を浮かべた。
  「お前の家さ、暖かかったな」
  「え?」
  「家族って、暖かいんだな」
  そう言った彼の表情が優しくて寂しそうで、それでも綺麗で。
  つい見入ってしまいそうで、慌てて前を向いた。
  「あの、ありがとね」
  視界の隅で不思議そうな目でこちらを覗きこむ彼が見える。
  「なんか、スランプ抜け出せそう。わざわざ連れてきてくれて、ありがとう」
  「別にいいよ。勝手にやっことだから」

  お礼をしたいけど、庶民の私に出来るお礼なんてあるかな………

  「豚汁とハンバーグ」
  「へ?」
  見上げると、期待するようにじぃっと見ている。
  「作れる?」
  「作れる、けど」
  「じゃ、作って」
  いつの間にやら約束し、いつの間にやら連絡先を交換してしまった。


  そして、私は元の生活に戻った。
  初めはなかなか思うように走れなくてイライラすることもあったけど、お祖父ちゃんの言葉と彼とのメールが支えになってくれた。

  彼はたまに寮の門にぶらりと現れ、何気ない話をしたり、トレーニングがない日は私を連れてあちこち出歩いたりする。
  出歩く度に、やたら優しい目で見られたり人前でも構わず手を繋がれたり、隙あらば私に何かを買おうとするので、私は挙動不審になったり百面相したり忙しい。
  そんな私を見て彼は時には嬉しそうに、時には悪戯っ子のように笑う。
  悔しくはあるけど、結局最後には優しく微笑むから、いいかなって思ってしまう自分に苦笑してしまう。

  そうして一ヶ月が過ぎた。
  「やっとスランプ前のタイムに戻ったか。次は自己新だな」
  差し入れだとお菓子の箱を持って、今日も彼は休憩時間にやって来た。
  復帰後直後はきゃあきゃあとクラスメイトや部活仲間に囲まれていたけど、最近はなぜか遠巻きにされている。
  馴れたのかな。
  「気軽に言わないでよ。それが大変で皆苦しんでるんじゃない」
  「お前なら出来るさ」
  この人は、女の子に絡まれるのが嫌いだと言うわりにはこんなに優しい目で私を見る。

  そういう目をするから勘違いされるんじゃないかなぁ。
  イケメンは罪作りだー。

  顔を見るのが気恥ずかしくて、俯いてお菓子の袋をのろのろと開ける。。
  「今の調子でタイム縮めれば、秋の大会出れるって」
  良かったな、と頭を撫でられた。
  「じゃあ、応援行かないとな」
  「他校の女の子にも囲まれて大変なんじゃない?」
  「大丈夫だ」
  あっさり言う。
  「え。もしかして女嫌い治った?」
  少し首を傾げて彼は言う。
  「女嫌い………ではないんだが。まぁ、お前を婚約者と発表したから、多少は楽になったかな」

  ぐふっ

  慌ててドリンクを飲んで窒息死を逃れる。
  「大丈夫か?」
  私の口元についたお菓子を指で取り、そのまま―――食べた。

  ぎゃぁぁぁぁっ?
  何なの、この展開!

  「こんやくしゃってなに?」
  「結婚を決めた相手」

  いや。意味合いは解るけど!

  「いつのまにそぉゆぅことになってんの」
  「外泊許可取ったとき。他人が勝手に外泊許可取れないだろ」

  そんな前から?
  彼が来ても皆が来ないのは、その発表のせいってこと?

  「あれだけデートしといて解らなかったのか」
  呆れたように言われる。

  あの連れ出されてたアレ、デートだったの?

  「私は、庶民なんですけど」
  「知ってる」
  「身寄りもいないんですけど」
  「知ってる」
  短く答えられる。
  「お前は不満か?」
  言われて首を傾げる。

  いきなり嫁とか婚約者とか驚くけど。
  嫌ってわけでもないんだよね。
  たまに手荒だけど、優しいし。話してるときにたまに見せる笑顔は可愛いし。
  スランプ乗りきるの助けてくれたし。
  デートって解ってなかったけど、出掛けてるときはうんと気を遣ってくれたし。くれるお菓子は私の好きなものばかりだし。
  あれ?餌付けされてる?

  「なんで私なんか婚約者にしたいの?」
  聞くと、彼は優しく私の目を覗きこむ。
  「風だから」
  「は?」
  よく解らない答えに戸惑う私を、蕩けるような目で見つめる。

  見惚れるほど綺麗な顔の呆れるほどお金持ちで優秀なこの人は。
  ………とんでもなく趣味が悪いらしい………


  私のスランプをあっさり解決したこの人に、なんだかんだと丸め込まれ餌付けされ。
  彼の十八歳の誕生日に入籍し、彼の実家だの彼個人の収入源だの総資産だので気絶するのは、また別の話。


  「えーっと………一応聞くけど、ナニきっかけで私を婚約者にしたのかな?」
  「自転車で上り坂かけ上がるとこ」
  「……………………………………………………
   (やっぱり頭がいい人の考えることって解らない!)」





fin.
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