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詠海
しおりを挟む箱根はやたらと坂が多い。あまりに急な場所は階段になっていることも少なくない
「いつまでついてくるんだよ……」
俺は階段をのぼる途中で、さっと振り返って少女の方を見た。
少女は杖で階段をかつかつと叩きながら、俺の後をつけてきている。
もう三十分近くもこんな調子が続いていた。
何度か足音を消そうとしたが、こんな重装備ではどだい無理な話だ。ガチャガチャ軋んで、ご丁寧に居場所を教えているに等しい。
かといって走って逃げるにも鎧が重すぎる。たとえ多少なり距離を離せたとしても、俺の体力は間もなく尽きるだろう。
だから早歩きをするしかないわけだ。
「ねぇ、待ってよ」
「なぜ待つ必要がある。いい子はもう家に帰りなさい」
「私いい子じゃないもん。家に居てもつまらないし」
「ん、それじゃあ。友だちと遊べばいいだろう」
「友だちいない」
そこまで断言されると返答に困る。それに冗談とは思えない口ぶりだった。
階段をのぼり終えた俺は、そこで立ち止まることにした。
振り返り、器用に足を運ぶ少女の姿を見つめる。その背中で広大な海を背負っているようだった。
「ねえ、どこ行くつもりなの?」
制服のスカートが風に揺れていた。
少し高度が上がり、涼しい風を感じられるようになっていた。
俺は呼吸を整えるついでに、
「それは長期的な展望の話か? それとも刹那的な話か?」
「そうね、人生の話かな。あなたはどこから来て、どこに向かっているの?」
「まさか本当にそんな話を聞きたいのか」
「うそ」
「なんだ嘘か……」
「今の話に決まってるじゃん。あなた旅館の帰りじゃないの?」
「いや……」
そこまで言って俺は少し考え込んでしまった。
何を真面目にとりあっているんだ。
適当に話をするなり、無視するなりすれば良いいじゃないか。
……まさか調子を狂わされているだと?
こんな生意気な小娘ごときに。魔王や竜王を脅かした一級の冒険者である俺が。正気か。
「旅館が埋まってたんだ。あちらの手違いでな」
結局、俺は本当のことを話していた。
この少女特有の気だるい猫のような表情で見つめられると何故か嘘がつけなくなる。おまけに、がらにもなく聞かれてもないことまで喋り過ぎてしまうらしい。
「時期が悪かった。さすが人気の観光地なだけはある」
「どこにも泊まれないの?」
「そういうこと。んで、宿無しは困るから駅前に向かっているというわけだ。これで謎は解けただろ」
「宿がないならうちに泊まってもいいよ」
「はっ?」
唐突な提案に俺は固まった。
そして呆れ心が遅れてやってくる。
説教する気にもなれなかった。
「あのなぁ……まぁ、いい。その優しい心に感謝するよ。ありがとな」
「本気で提案しているんだけど」
「まったく……」
「名前も知らない相手の家に泊まれるかって思ったの? 私の名前は、詠海《エイミ》」
「そういうことじゃなくてだな……」
いい響きの名前だ。サイダーの泡のように、自然と素直な感想が心に浮かび上がる。
「あなたは?」
「俺の話を聞け。見ず知らずの男をいきなり家に呼ぶって何を考えているんだ。さっき会ったばかりだぞ」
「別にタダとは言ってないよ」
少女は反論でもするように口を尖らした。
瞬きを繰り返す俺は、状況を飲み込もうと必死に頭を回転させる。
ぱんと俺の中で答えがひらめいた。
「ははん、そういうことか。観光客を狙ったやり口だな。なかなか賢いじゃないか。結局は金か、金が欲しんだな」
「そんなんじゃない」
「なら俺を犯罪に巻き込んでからの示談金が目当てか」
「違うよ。魔王を倒した時の話を聞かせてくれたら泊まらしてあげる」
「なんだって?」
「鎧の話とか、剣の話とか聞かせて」
なんなんだ。本気なのか。
転生前の話を聞かせろということか。
この少女はそんなに暇なのか。
そもそも警戒心というものはないのだろうか。他の観光客にもそんなことをしているのだろうか。
「ねぇ、魔王強かった?」
「まてまて、勝手に話を進めるな。魔王を倒したのは俺じゃないって話しただろ。っていうか、そういう問題じゃなくてだな」
「作り話だったの? あなたってイタイ人?」
「なぜそうなる。そもそも、なんでそんな話を聞きたいんだよ!」
「あなた不思議ちゃん? 厨二病? それとも自分のことをドラクエの主人公だと思っているやばい奴?」
少女は杖で段差を叩きながら、ぐんぐんと俺の方へせり上がってくる。エスカレートする質問攻めだ。
なんだか食いつきが尋常ではない。
俺はどこで会話の方向性を間違えたのだろうか。
「どれでもない。少し落ち着いてくれ。魔王とか鎧とか興味津々で聞くほうが不思議ちゃんだろ」
「じゃあ何者?」
「なんでもいいだろ。とにかく俺が日本人なら箱根で鎧を身にまとってる奴には絶対近づきたくないね。むしろ近づくなと警告してやる。お前の将来のためにな」
「えっ⁉」少女は薄い桜色をした唇を丸く開いた。「あなた日本人じゃないの⁉」
そこに驚くとは思わなかった。
たとえ目が見えなくても、俺の日本語が流暢すぎるとしてもだ。
「本気か? この日本のどこに魔王がいると思ってたんだ」俺は汗に濡れた額を爪で掻いた。「どう考えてもそっちの方がやばいだろ」
少女━━確か詠海といったか。
詠海は驚いたような顔をしているが、それが本物でないとすれば大した演技力だ。
話すほどに余計に彼女のことがわからなくなる。だが、少なくとも彼女の方は、こっちが喋るたびに俺への興味を増しているのは間違いなさそうだった。
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